「君たちはどう生きるか」考察、何回目かは、もう忘れました。
言いたい事を言っとかないと、スッキリしないので言っておきます。
「君たちはどう生きるか」の考察は、気が付いた事の羅列でしかないので、まとまっていません。ごめんなさい。
それでも良かったら見て下さい。
まず、簡単な物から、
宣伝が無い映画でした。
これを取り上げ「宣伝しない事が成功」みたいな論調が多いです。大丈夫ですか?
物事を考える事の、基本中の基本ですが「それで成功したのか?」と「それでも成功したのか?」は別です。大丈夫ですか?
宣伝費も係るのだから、宣伝をかけないのはかまわない。
しかしSNS全盛の今に時代、金をかけずに宣伝などいくらで出来ます。
インフルエンサーなどを呼んで、小出しに情報を出して、盛り上げておく事は出来た筈です。
そして「何やってるか分からない」とか「分からない奴が馬鹿だ」などと討論させ「じゃあ見てみよう」と客を誘導する事だって出来た筈です。
だから宣伝をまるっきりしないのは、ただの失敗です。
この映画は「宮崎駿の映画だから、宣伝をしなくてもそれなりに売れた」と言うだけの話で「宣伝をしなかったからうけた」のではありません。
だから鈴木敏夫さんが、ただの宣伝の為だけに「情報をださない」としたのなら、ただの間違いです。
しかしもしそれ以外の気持があったのなら、かまわないでしょう。
「この映画は前情報なしで見てほしい」と思ったとか「前情報なしで、ジブリ作品がどこまで行けるのか、見てみたい」などです。
たぶん、宮崎作品は最後なのだから、鈴木さんも最後くらい挑戦をしてもいいのじゃないのかな? と思うのです。
次に、もうちょっと面倒くさい話、
Dr,マクガイヤーさんのネット動画を前に見たのですが、すごく飛ばして見てました。だから10分の1も、実際は見てなかった。
今回もっと見てみましたが、どうしても飛ばしてみてしまうので、半分も見ていません。ごめんなさい。
Dr,マクガイヤーさんが出してくる情報はためになります。流石に他の素人ユーチューバーなどとは違い、見る価値がある。
ただこの人、基本情報の羅列なので、見ていてつまらない。ためになるけどつまらない。なので見るのが辛いのです。
Dr,マクガイヤーさんの「君たちはどう生きるか」の回は、山田玲司さんも出てました。
山田玲司さんがやっている動画も、見る価値がある場合が多いです。
それにこの人は考えを話すし、それに何より面白く話せる人です。
面白いだけで、見てられるので、それだけで価値があります。
ただ、この人の言ってる事も、全ては鵜呑みにはしない方が良いので、あくまで自分で考える参考にしておくのが良いですね。
せっかくなので、岡田斗司夫さんも言っておきます。
この人のも情報が多く、参考になります。
岡田さんのは、更に学術的にまとめて来るので、また違った良さがある。
ただ授業の様なので、ちょっと見るのが辛い。山田さんほどは面白くはないからです。
物語のネット動画での参考になる度合いは、岡田斗司夫さん山田玲司さんが、頭一個出ていて、次点がDr,マクガイヤーさんでしょう。
他の一部の人のは、更に次点です。
そして、ほとんど人のは、見る価値が無い物です。
今回「君たちはどう生きるか」と言うメジャー所の映画だったので、沢山の人が感想を言ってました。
だから分かったのだけど、ほとんどの人の動画は、いらない物です。価値がない。
はっきり言って、レベルが低すぎる。なんだろうあれ?
ただ、本当のレベルが高いプロの人が、ネットなどでは言わないからなのもあるでしょう。
プロだと言う事は、同じ様な制作側の人であり、だから他人の作品の事はあまり言わないのだとは思います。
しかし、このままだと廃れて行く事でしょう。
例えば、サッカーの強い国は、素人でも論じれるのです。日本でも酒飲んでるおっさんでも野球を論じれる。だから強くなった。
つまり逆に、素人のレベルが低い国は、全体のレベルが低いと言う事です。
だから、山田さんや岡田さん以外にも、誰か論じる人が必要でしょうね。
(23年7月末日、数日前、山田玲司のヤングサンデーを見ていて、錦織博監督が出てました。少し「君たちはどう生きるか」の感想を言ってました。宮崎駿は「新しい事に挑戦したのだと思う」と言うような事を言ってました。流石にこの人は分かっているのでしょう。つまりプロで分かっている人はいる、しかし説明はしないのです。
ちなみに個人的には「水星の魔女」の感想も聞きたかったですね。錦織博監督は笑って見てたと思うけど。能登さん出てたからね)
(23年8月3日、訂正、錦織さんは「新しい事に挑戦」と言う言い方ではなく「若々しい作品」と言う言い方でしたね。この事を私なりに「新たな挑戦」に聞こえたと言う事です)
ただ、暗喩物で言えば、岡田さん山田さんマクガイヤーさんの動画も、ダメです。
つまり、今現在暗喩物は、ほぼ世間は分かっていないと言う事です。
だからこそ、暗喩に気が付いた時、人は驚くと同時に感動して、作家なら自分でやりたくなるのでしょう。
そして今回、あの年で気が付いてしまったのが宮崎さんなのでしょう。
だから、また映画をやりたくなったのは、分かるのです。
その前に、一度戻って、マクガイヤーさんの動画を見て気が付いた事を言います。
キリコとはジョルジュデキリコからだろう、って事です。
いや映画を見ていて、私でも「何かの有名な絵画の真似をしているな」と分かりました。しかし絵画に興味がないので、それが何かは分からない。
しかし言われてみれば、キリコですね。
山田さんが言ってたのが「みんなキリコを使いたがる。イクニさんも使ってた」と言う事です。
なるほど、山田さんの考察動画を見てたので知ってた筈なのに、忘れてました。興味が無いからです。
そもそも絵画の暗喩は嫌いです。それは、元の絵を知ってないと分からないからです。
他の暗喩は言葉などから探す事が出来る。しかし絵画を真似たやつは、元を知らないと分からないのです(今は画像から検索も出来るだろうから、分かるようにはなるだろうけど)。
暗喩を難しくする事などいくらでも出来ます。元を知っている人が少ない物を選べばいいからです。
しかし暗喩だと分かっても、何か分からない物に意味は無い、と思っています。それはただの自己満足でしかないからです。
誰にも分からないものなど、出す意味が無いのです。
だからだと思うのですが、イクニ作品でも、絵画の暗喩は少なくなっていってる様に見えます。
なので絵画の暗喩は嫌いです。
と言う訳で「君たちはどう生きるか」でも無視してしまい、絵描きのキリコの名すら忘れてました。
ではなぜ、駿やイクニさんはキリコの絵を使ったのか?
それはキリコの絵は「形而上絵画」だからでしょう。
これは「見終えない物を描く絵画」だと言われています。
「見えない物を描く」と言う所を「暗喩」とかけているのです。見えない物が隠されているよ、と言うヒントだと言う事です。
映画のキリコはジブリの保田道世さんじゃないかと、もっぱらの噂です。
私は違うのじゃ無いのか? と思ってましたが、今は結局この人の気がしてきました。
Wikiによると、元々はアニメのトレスをやっていたのだそうです。
ネットで探しても、トレスが「とり」なのかどうかは、結局分かりませんでしたが、「撮る」とか言いそうだなあ? 業界人なら分かるのじゃ無いのかな?
同じくwikiで書いてあった、押井さんの印象だと「強烈なおばさん」だと言うので、やはりアスカの元かもしれないな? とは思っています。
次の話、
ちょっと今回知って面白かったのが、宮崎駿が2013年にホフマンの「くるみ割り人形とねずみの王様」を初めて読んだ、と言う話です。
ジブリ美術館に出す物の為に読んだようです。
そして2014年の感想だと「何やってるか分からない物も良いのかもしれない」みたいな事を言ってたようです。
この事を書いていたネット記事の人は、これから「だから宮崎駿も今回の映画で、よく分からない物を描いたのだ」と言う論調でした。そうかな?
宮崎駿が2017年に、引退を撤回して映画を作り始めました。
つまり2014年から3年も後の事です。
この3年に何があったのか?
もちろん、引退を撤回するほどの衝撃があったのです。
面白い事に「くるみ割り人形」は、まどマギの「叛逆の物語」で使われています。
なぜかと思ってたのですが、たぶん寺山修司が「くるみ割り人形」の脚本を書いてたので、その影響でしょう。ボツになったようですが。
寺山が描くのは、暗喩が大きく入っている物語の可能性が大なのです。そして実際そうでしたね。
だから数日前に「宮崎駿が、くるみ割り人形を、2013年に読んだ」と言う記事を見た時は鳥肌が立ちました(鳥だけに)。
来たな! と思うでしょ? 思いましょう。
これで繋がりました。もちろんたぶんですけど。
この「くるみ割り人形」から、その内容に含まれている暗喩にたどり着き、そこから他の暗喩物語に移って行き、最後はたぶんイクニさんにたどり着いたのだと思っています。
そう考えると、2017年のタイミングで「君たちはどう生きるか」の内容が、宮崎駿の中で出て来た理由が分かるのです。
「くるみ割り人形」からだとすれば、やはり寺山が関係していると思います。間接的だとしてもです。
寺山からイクニ、そして庵野。それに富野を挟んで宮崎駿、だとすれば、とうとう惑星直列です。そろいましたね。面白過ぎますね。
そもそも、素晴らしい作家は、他の素晴らしい作家の作品が分かるのです。
だから、寺山の影響が、渡り渡って宮崎駿に伝わったとすれば、何と面白い事でしょう。
もちろん寺山の前にも、宮沢賢治も星の王子様もフェリーニも天井桟敷の人々などもあり、その流れがあるからの、この到達点なのです。
この二人の影響を受けた宮崎駿は、より完璧な作家に近づいたのだとは、思います(暗喩が一番大事なわけでは無いけど、要素の一つとして大事だと言う事です)。
今まで気が付きもしなかった種類の物語があり、それをやらないで来たのだが、気が付いてしまい、どうしても最後そこにも手を出したかったのだと思うのです。
この挑戦心が作家としての大事な物なのでしょう。
くるみ割り人形を見て、宮崎駿も始めは「良く分からないけど、それでも良いのじゃ無いのか?」と思ってたのが、面白いですね。
つまりちゃんとした理由があるなんて、思って無かったのです。
これが「君たちはどう生きるか」を見ている人達の感想と、大体同じなのが面白い訳です。
「分からなくてもいい」と言う派か「分からないから、クソだ」と言う派に分かれてはいますが、基本「分からない」のは共通なのです。
そして、宮崎駿さえも始めそうだった、と言う事です。
ちなみに、私も始めピンドラ見た時は、そんな風な感想だったので、皆初めからは分からないのは同じです。
そしてだからこそ、分かった時の衝撃はすごいのです。
このブログはピンドラの考察から始めました。
だからではなく、本当に、アニメ「ピンドラ」はアニメの歴史の大事な点だと思っています。
ガンダムやナウシカなどと、種類は違うが、同じ衝撃を与える一つの輝く点だったと思うのです。
なのにそれが理解されてないのが残念でしたが、ここにきて、やっと花開いてきましたね。
水星の魔女や、たぶん宮崎駿にも影響を与えたと思っています。
覚えておいてください。いつの日か「ピンドラ」が、一つの歴史上大事な点だった、と理解される日が、きっと来るのですから。