号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

老害

老害」について書きます。

その流れから、成田悠輔さんの事も話します。

 

放送作家鈴木おさむさんが「自分がソフト老害だと気がついたので、放送作家をやめる」というような事を言ったようです。

では、老害とはなにか?

 

老害というから、老人特有の害だと思いがちですが、実際は「老人が起こしやすい社会への実害」ですね。

別に「老人だから」ではなく「老人が起こしやすい」だけです。

 

世間一般の「老害」という言葉で、大体言いたい事は、「新たな物に順応できなくなり、価値観が固まってしまい、それが今では役に立たないのに、その意見を通そうとする、社会悪」のことだと思います。

つまり老人では無くてもよく、今では役に立たない古い考えを通そうとすることが、害であるだけです。

だから40代でもあるし、20代でもあるし、中学生だってなります。

ただ老人は「新たな事を覚える事ができなくなる」「新たなことを覚える気もなくなる」「自分が成功してきた過去を正当化する為にも、昔の意見を変えれない」などに陥りやすいため、老害になりやすいのは確かです。

しかし、「老人になると、立場が偉くなる」のが一番の問題だと思っています。

立場が偉くなり、権力がある状態でなければ、別に、ただほざいている人であるだけで、害はない。

すなわち「馬鹿が権力を持つことによる、実害」が老害の正体なのだと思うのです。

 

まとめると、馬鹿が権力を持つのが一番の問題であり、老人なのは関係がない。

ただ老人が普通は、権力や金を持っているだけです。

逆に若者が老害にならないのは、権力がないからであり、もし若者に同じくらい権力を与えれば、老害以上の害を社会にもたらすことでしょう。

老害になるのは、権力を持った歳とったその時に、その人の馬鹿が露呈するからなだけです。

ほとんどの人は、老人になり馬鹿になったのではなく、べつに昔から馬鹿だっただけです。

 

結局、年は関係なく、考える力が必要になります。

若者も老人も関係がなく、馬鹿なのが問題だからです。

 

 

この流れから、他のニュースで「成田悠輔さんが老人集団自決論を言った」事に対することを言います。

 

この話を「比喩」だと理解できない人がいるようです。

その人はまず、小学生の国語から勉強し直すべきでしょう。

 

もしくは「自分はアスペルガーだ」と声高に騒いでいる事に気が付きましょう。

言っとくけど、別にアスペルガーでも関係がなく、国語能力が小学生レベルでも関係がありません。そこはどうでもいい。

ただ、分からないのに、さも分かっているかのように騒ぎ立てる人は、ただの社会悪です。だから黙っていてほしい。

 

私はワクチンについて何も知らない。だからコロナの時、社会に向かい「ワクチンはこうだ」などとは言いませんでした。

サッカーについても素人です。だから声高に、知ったような口を社会に向かい言いません。

それらの事を社会に知ってるかのように言うだけの知識がない素人だし、その分野では馬鹿なので、だまっているのです。

 

SNSは沢山の人が、見ます。

あれは駅前のお立ち台で喋っているようなものです(実際駅前でみなに向かいしゃべるよりも多くの人が見るのがSNSです)。

だから駅前のお立ち台で喋れること以外は、話すべきではない。

駅前のお立ち台で、知りもしない事を、さも知ってるかのように話す事が社会悪であるように、SNSでも、さも知ってるかのように話す人は、同じく社会悪なのです。

 

他人の話している事が比喩かどうかも分からない人が、さも分かってるかのように言ってるが、黙っていてほしい。

その人は、プーチンの言ってる事を鵜呑みにしている人と同じでしょう。つまり聞くだけ無駄な人です。

人の話に比喩や嘘が入っていることが理解出来てない人なので、何も分かってない人だからです。

 

本当に、老人が並んで腹切って死ねばいいと言っていると、思ってるのか?

どうかしてないか? その程度分からない人が、他人の話をとやかく言うべきではない。

 

ただ成田さんは、安楽死についても言ってるから、それとごっちゃになっている人がいるのは分かるけど、ならよく聞いてくれ。

「集団自決」と言ってる時は、あくまで比喩です。「集団自決」という言い方をしている事自体、本当に死ねと言ってない事が、なぜ分からない?

 

ではどういう比喩なのか?

「もう、老害になってるから、自分らは引退して若い人に任せろ」という意味です。

あとは「死ぬ気になり、自分らの財産、権力を放棄してでも、次の世代のための事をやれば?」という事でもあります。

 

今の老人とは何か? それは団塊の世代です。戦争を知らない子供たちです。

この「世代で区切るのはどうか?」という人がいます。確かに区切りはない。

しかし大体の方向性はある。集まった時の特徴は出ます。

もちろん、あくまで集まった時の全体の特徴であり、それで一個人を判断するのは間違っているが、全体の特徴自体はあるのです。それは別の事です。

 

多くの団塊の世代は、彼らの親の、戦争をやった世代の人達に文句を言ってました。学生運動の頃です。

あれはただの祭りです。多くの当時の子供は、ただ騒いでいただけです。

だから、70年安保闘争が終わると共に、何もなかったかのように誰も言わなくなったのです(浅間山荘事件が最後あたりですね)。

そこには、信念も考えもない。

自分らが、よく分かって無く騒いでいた馬鹿な子供だったからと言って、次の世代も馬鹿だとは限らない。同じにしないでほしい。

養老さんも、成田さんのこの言葉に対し、何も分かってない子供の発言だというような答えでした。自分らと同じにしないでほしい。

子供を馬鹿だと思う大人は「自分らはみな、子供の時は馬鹿だった」という事実を暗に言ってるだけです。

「自分の中にも馬鹿じゃないやつもいた」と思っていれば「子供は分かってない馬鹿だ」などとは言わないのです。あくまで自分の経験則から言ってるだけです。

 

都知事だった石原さんも「いい歳なのに、都知事選で戦っている」と言われていた時「若い奴らなんて何も怖くない」などと言ってましたね。

若いやつが、歳取った自分と比べ、何も怖くないとしたら、それは「次の世代を育てられなかった」と悔やむべきでしょ? 何勝ち誇ってるのか?

これは、宮崎駿さんも富野由悠季さんにもあてはまります。彼らはどこまでも、自分らが一番なのでしょう。

「自分が一番でありたい」それは良い。しかし自分の子供らに勝ってどうするの? それで勝てたのなら、それは失敗でしかない。それも分からないのかな?

団塊の世代(その少し前の戦争に行ってない世代も含め)は、ずっと「自分」です。それが子供に対してでも、自分が一番なのです。

だから「死ねないのか?」と思う気持ちが出てくる。

 

成田さんなんか、養老さんの子供世代よりも更に下の世代じゃないか。

その自分の子供よりも年下に向かい、分かってない子供呼ばわりしか出来ないのか? なさけない。

 

ネットで聞いた話で「昔のお侍さんは格好良かった」と言ってた人の話が印象的でした。どこかのおばあちゃんが、そのまたおばあちゃんの子供の時に見た話を言っていた話です。

もちろんあくまでただの一個人の感想です。ただ。多分そうだったのだろうと思うのです。

幕末、白虎隊の少年たちは自決しました。

それが良いことだとは思いませんが、江戸幕府が260年くらい続いたのが納得する話でした。

江戸幕府では幕末の武士であっても、少年であっても自決する気持ちで、何かに取り組むことが出来た、という事です。

だから市民に尊敬される。どこか一目置かれるのです。

なので、江戸幕府は続いたのでしょう。そもそも江戸幕府の終わりだって、終わらせたのは武士であり、武士が劣って終わったのではない。

貴族社会が終わる時は、大体、尊敬もされない貴族が滅ぼされます。それとは違うという事です。

 

もう一回言っておくけど「自決出来ればいい、という訳ではい」

ただ、そのくらいの気持ちがある人は、最後まで尊敬はされる、という事です。

逆に最後責任を取らないやつ、最後逃げるやつは、どこまでも馬鹿にされるのです。

それを団塊の世代に言ってるのです。どう後世に言われる気か? と。

 

なぜ団塊の世代か? と言うと、この国で彼らが一番多くいるからです。

そして一番金持ちです。更に一番の権力者なのです。

すなわち、何かをやれる世代が、団塊の世代であり、今や老人達なのです。

だから彼らに向かい言っている。彼らは出来る権力がある世代だからです。

で、なにをするのか? もしくは、なにもしないで消えていくきか?

もし、何もしないのなら、早く消えろ、と次の世代に思われているのです。

 

言っておくけど、私はどこで根付いたかは知らないけど、年上をうやまいます。それが自分より立場が下でも、決してタメ口で話さないし、馬鹿にもしない。

さらに、仕事上、親の世代とも接する事も結構あります。その人らに対し、嫌いでもないし、おかしい人だとも思ってはいない。

母親もそうで、個人的な文句はあるが、社会的な事を母親の責任にする気もない。

父は団塊の世代より上なので、だから文句を言う世代ともまた少し違う。

だから、個人的な事で文句を言ってるわけではないし、誰か個人が嫌いなわけでもない。

 

たぶん、逆に年上を敬う気持ちがあるからこそ、姑息な集まりになってしまったことにイラついているのでしょう。

自分の親が、情けない行動をしてると、イラッとするでしょ? そんな気持ちなのでしょう。

 

個人個人が悪くなくとも、集まると別人格になる時がある。たまにある所か、往々にしてあることは理解しておきましょう。

例えば、戦争を起こした戦前の世代。彼らだって個人なら、別に国が荒れてもいいとか、沢山死んでもいいとか思ってたわけではないでしょう。

彼らと話せば、多くの人はまともま人だったに違いがないのです。

しかし、それが集まり集団になると、あのような国が滅びかける戦争をするようになる。そういうものです。

だから団塊の世代だって、個人個人はおかしくなくとも、それが集まりになると、とてもおかしな事を平気でする事があるのです。

 

彼らは集まりになると、自分が一番であり、自分が生き残ろうとする世代です。

それが例え子供相手であっても、自分の方が大事だと言う行動をする世代なのです。

 

コロナのワクチンを思い出してください。誰から打っていったのか?

老人からですね。

あれで文句を言わないのが、彼らの世代です。

私なら「働いているもっと若い世代を先に打たせるべきだ」と言います。

しかし彼らは、せっせと自分らが先に打って、文句すら言わない。

「子供らを差し置いて、まだ生きたいのか?」と思いませんか?

私は「なんて卑しい世代になったものか」と幻滅しました。

 

だから文句が出る。

「子供や孫の世代のために、腹を切る覚悟もないのか」と文句も出るのです。

 

この事を成田さんは言っている。

 

今言った事を、あっていると思わなくてもいいが、そういう考えから出たと分からない人が、文句を言うべきではない。

この程度分からない人は、黙っていてほしい。

 

もう一度いいます。

老害とは、歳は関係がなく、最後は馬鹿なのが問題なのです。

年寄りだから馬鹿にしてるのではない。

年寄りだから卑しいと思っているのでもない。

馬鹿を馬鹿にして、卑しい人を卑しいと言ってるだけです。