号漫浪正大

輪るピングドラム ~アニメを見直す

途中で逃げないでください

アニメ「マギレコ」第4話 ネタバレです。あいまいな言い方するので勘弁です。

 

でもまた1話から

親が家を出る時に映るレコードがらの時計、色分けされてますね。

4話でやちよだったので、メインの人のソールジェムの色でしょうか?

問題は汚れですよね。廃墟の時計でもないのに汚れを入れてくる。もちろん手間がかかるのでわざとです。そして6話と12話がわざと画面から切れてて汚れ具合が分かりずらい。12話は特に時計の針ともかぶっていてなお更です。でもだと言う事は12話はかなり汚れているのでしょうね。後9話もかなり汚れてますね。危ないですね。

 

1話最初のいろはが学校に行く所、周りのモブがずっとペラペラしゃべってますね。学校では先生が止めどなくしゃべるし、張り紙がああしろこうしろと五月蠅いですね。いろはにしゃべる三人のモブの一人が色黒で一人は色白ですね。4話で出てくる魔女はいろはの家にあるぬいぐるみと似ている。つまり元になったキャラのぬいぐるみがあると言う世界だろうから、あれは人形あつかいですよね。やちよは棚にあるものは何も買えませんでしたね。「この投稿は存在しません」の所の蟹。

つまり言いたい事は、細かいですねえ、と言う事です。

 

と言う事は、黒江が出てこないのは何か思い出したからかもしれませんね?

そしてマミが次に出てくるのはもう少し後だろうと言う事です。

 

時計の色から見て、次回でやちよ編は最後でしょうから、やちよが悩みから解放されるのでしょう。その時いくつ解放されるのか? が気になる所ですね。

そこでやりたいことが見えてくるかもしれないと思っています。今の流れでいくとテンポが速すぎるので、A面が終わるのじゃないのか? と思っています。A面が終わってくれればB面があると言う事です。さて、どうでしょうね?

 

さて、予想です。可能性が高くないものです。

オープニングで猫とたわむれているのが、盾の子ですよね? 次は無いので、6話位でしょうか? この子が猫をおって塀の上にいる絵が出てくる、と言う予想です。

もう一つ。物語の最後の方の魔女が出てくる空間、イギリスのお祭りを模したものになると言う予想です。いろはの部屋の奥の壁の飾り、祭り気分なんじゃないでしょうかね?

 

ゆるい話が続きますね。

1話で「途中で逃げないでください」「演者に物を投げないでください」とありましたよね。

あれは製作者の気持ちじゃないのかな? と思えてきました。ピンドラをリアルタイムで見てた人もこういう気持ちだったのでしょかね? 確かにリアルタイムだとピンドラ見れなかったろうなあ、と思います。

ああ、言い忘れてましたけど、ここまで見たらイクニリスペクト物語なのは確定ですよね? ちょっと引く位ですよね?

4話の魔女がいろはの飛び道具をよける時、回転してよける(ユリ熊)。エンディングやちよが水の中でおぼれてるように息を吐く(さらざんまい)。1話冒頭の妙に縦に長い建物(ユリ熊)。前にも言った様に一個なら偶然だが、多くなるとわざとですね。

 

いろはは弱いですね。すごい跳躍力で夜の神社に入っていく所、いろはだけ二段階ジャンプです。細かいねえ。

戦っても弱いですが、弱い物だけが最後最強の力を手に入れられるのが、この世界の理ですからね。逆に神浜の魔法少女は強いので、最強にはなれませんよと言う意味です。神浜以外の魔法少女なんて二人だけですけどね。

 

中華50点娘が(キャラが多いと名が覚えられないお年頃です)戦う時、いろはとコネクトってやつですか? をすると空中に飛ばされていく。いろはは「私が下手だから」と言いますが、これはお約束ですよね? いろはが何かを持っているのじゃないのか? と言う事ですよね。ピンクでしかも主役なのだから、何かしらあるのは当たり前ですね。

あってるか分かりませんが、皆思っているだろうから言います。いろはは一人で孤独そうですが、もう一人のピンクとかぶってくると言う事でしょうかね? 叛逆の物語のお花畑のセリフにね。

 

追伸 2020年1月28日

 

2話冒頭、ういのいる病院が映る時、とても早く時が流れますね。ういの事なのでしょう。しかしこの雲、どっちに向かっているのでしょうね?

 

病院に彫像がありますね。これアテナでしょうね。それもパラスアテナの方でしょう。

アテナにパラスと言う名が付いたのは色々意味があるようですが、その中の一つがトリトンの娘パラスと仲良くなるがケンカして殺してしまう。それを悲しんだようです。そしてなんで名に付くのかは分かりませんが、そこから付いたようです。パラスの分も生きていこう、と言う事でしょうか?

それと他にはギガントにパラスと言う名の奴がいて、それを倒したので付いたと言う事です。

トリトンの娘と言う事は水属性だと言う事です。ギガントは巨人です。水属性でデカいやつ、いませんでしたか?

それとアテナは左手にメデゥーサの盾を持ってますね。メデゥーサの能力に盾って、そんなやつ一人いませんでしたか?

この二つの能力を持った奴、もしくは二人を仲間にした奴が出てきて、戦いの神アテナ位の存在になるのでしょうかね?

 

ちなみに今更気が付きましたが、まどかはなんで弓なのか? アルテミスなのでしょうね。月の女神ですか。

アルテミスは気にいらない奴をクマに変えています。クマですよ、クマ。

 

追伸 2020年1月29日

 

チャーハン800円、高くない? もっと高いお店もあるけどさ。

最初持っているチラシと店の値段は違うね。でもチラシが割引券にもなっているとしたら間違ってないけど。

なんでここで点数の話をしだすのか? チャーハン800円です。けどビール100円です。これは誰かの点数じゃないでしょうか? だれの? 「ビールどこがいいのか分からない」ってやつの点数じゃないでしょうか?

 

調整屋のシーンでまた急にビンに入ったカラフルなお菓子が途中から画面に現れる。

これはいろはの部屋にあった半分のリンゴみたく、ただの何かを表した演出と見る事もできますね。

では途中にアップで出る食べ散らかした猫の絵のお菓子、これはどうでしょうか? これは前の時のジュースと同じですね。

これも一瞬何かを表している演出ともとれるが、実は違うものです。

まず第一に何も表していない。

第二にここにあってもいいものです。なのにどこにもありません。普通にどこかに置いてあればいいのに無い。それに前の時もそうですが、わざとどこにも無い事が分かるように、部屋全体を映そうとしますね。それに画面を動かして端から端まで見せる演出をします。そう思って一度みてください、ここの場面だけ部屋全体を見せようとする。おかしくないですか?

前の時の写真や今回のカラフルなお菓子は、何かを表している、本当は無い演出上のメタファーとしても見れる。それにかぶせてジュースや猫のお菓子を出すのは上手いですね。

 

歪んだレコードが回りますね。

やちよの服がまた透明なものに包まれている演出になっています。

スタンプラリーの絵が4話の流れになってるようですね。ラーメン屋の柄のブタがイノシシです。きつねの像が出て、その次に50点娘が座っている後ろの木が松。その後コイは分からないが水は出ます。へんな羽のある虫が飛んで、ダルマは人形ですかね? 魔女の事でしょう。そして門を超えて神社です。

いけにえの話の時、何かをかぶった花嫁のような影が歩く。足の絵に靴だけが残される。これは同じ事を表してますね。大工の話ですよ。

ネットでの情報で、ハンバーガー屋の名が宮沢賢治の小説にかぶってるそうです。そして今回のスーパーの名前もかぶってましたね。

とにかくどうでもいい事も含め、てんこ盛りです。それを表してるのがラーメン屋の魔法少女サービスです。普通の人向けでは無いサービスです。そして50点です。謙遜でしょうが、イクニ作品があるのでやっぱり50点です。良く出来てますが感動しないからね。

白か黒か

怖くなってきましたね。

アニメ「マギアレコード」3話です。ネタバレです。

もう細かい事はやめようと思うのに、また3話で書いてしまってます。書きたくなる事は良いアニメだと言う事だとは思いますが。

 

3話で誰も死にませんでしたね。

こうなると後は白か黒か、と言う事になると思います。

つまり傑作か駄作かです。

考えて練られていて挑戦してきているのか、何も考えないでヘラヘラ作っているのかです。

 

あきらかにイクニ要素が入ってますよね? イクニさんの作品は始め思っていたのとは違う作品になるのが常です。

ウテナは良くある少女漫画風なのかと思わせておいて、王子様なんていないんだよと、水をぶっかける物語のようですね。ピンドラは分かりやすく途中からあきらかに話が違ってきます。ユリ熊はあまりひっくり返す事は無いですが、ただの百合アニメかと思ってたら深層はそんなアニメでは無いですね。さらざんまいは主人公の問題は途中で解決してしまい、あとは周りの人の話になります。周りの人にも人生があり問題があり理由がある。敵だと思ってた人にもです。皆それぞれの物語の主人公だと言う事でしょう。

つまりイクニ作品が好きな人ならこのまま終わる訳が無いと言う事です。

それに、そもそもまどマギ自体が始め思ってたのとは違ってくる、ひっくり返してくるものです。テレビ版も映画版もです。

この二つとも視野に入れて作品を作っておいて、このままいくと思いますか?

もし、途中から話が暗くなってきたらごめんなさい。なめてました。3話でまどマギにかけて誰か殺すなんて簡単な事には逃げないで、新たな物語として挑戦してきたと言う事です。

3話が分かりやすくほのぼのとした魔法少女物の展開でしたね。だからこそ下地が出来上がってきたと言う事です。ピンドラみたく、ちゃんと下地を整えてからだからこそ、衝撃が大きいのですね。

ごめんなさい。謝りますから、そうしてください。

 

あとはこのままメンヘラ物語として終わると言う事も考えられますね。怖いですね。

その時は、まどマギはもう終わったのだと言う事です。いや、2013年に終わっていたと言う事です。

その時は私はマギレコは記憶からも記録からも消し去ります。ういのようにね。

とりあえずは気長に見守ります。

 

話は変わって

寝ている「うい」にふとんをかけてやろうとする「いろは」の絵が1話からありますよね。不自然じゃありませんか?

なぜ「うい」なのか? なぜ「いろは」なのか?

それは「うい」の病気とは? にかかってくると思います。

まあ、ういがあれだと言う事になれば、自然と分かってくると思います。

たぶんブラピですよね?

間違ってたらごめんなさい。ゲームで言っててもごめんなさい。

 

追伸 2020年1月21日

 

アニメだからこそ不自然な事もあるものですね。

1話からいろはのベットで寝てるピンクのうさぎのぬいぐるみ、みょうに存在感がありますよね。

1話の最後の絵で布団はもちろん、寝てるいろはの髪と腕の上にぬいぐるみがある絵になります。

別に現実ならありえる。右手でぬいぐるみを寝ながら動かしたとか。

しかしアニメにたまたまは無い。この不自然さはわざとですね。

安っぽいアニメでもこの位の不自然さはありえるけど、それも細かな所に気を使い、お金もかかっているこのアニメではありえません。

ではこのぬいぐるみは何なのか? 「うさぎはどこにいるのか?」が答えでしょうね。

 

1話の始めから木が多い街ですね。それに魔女も植物の名前ですね。つまり植物が多い所と言う事です。

叛逆の物語でバレエ「くるみ割り人形」の要素が多く入ってましたね。三大バレエの一つだそうですね。では残りの二つはどこ行った? って事ですね。

オープニングテーマでアジサイの絵がみょうに大きく出てきます。はっきりしませんが葉っぱがギザギザしてないので、もしかしてライラックでは無いでしょうか?

そうだとしたら、1話からエンジン全開でかましてきてると言う事ですね。

 

この1話から大きくいどんでくる所、初めの方は緩い話が続く。

高レベルのピンドラーの皆さんが見たら、ピンドラ方式じゃないのか? と思いませんか?

だとしら途中からひっくり返し、レコードB面が流れ始めるって事になりませんかね?

これは私の希望ですね。もしくは欲望かも知れません。

 

追伸 2020年1月22日

 

そういえば、早くも3話でオープニングテーマ無しできますか。

そしてエンディングテーマの最後、やちよが橋の上を歩くシーンが2話と違いますね。

3話のシーンだと奥の橋がおかしいですね。左右が整合性がとれてない絵です。

手抜きなのか? だとしたら2話から変えなければいいだけです。絵の中の橋の部分は使いまわしかと思いましたが、どうも違うように見えますね。

同じなのに違う世界、整合性が取れてない世界、と言う事でしょうか?

こってますね。気合が入ってますね。お金かかってますね。だからこそどうかこけないようにと願うばかりですね。

 

1話の(1話の事ばかりですが)いろはが家に帰り、ういの幻を見た時の花、エーデルワイスだそうですね。花言葉は「大切な思い出」。そして元々ドイツ語で「高貴な白」と言う言葉だそうです。

しかしこの絵エーデルワイスにしては少し不自然じゃありませんか? これ白い羽じゃないでしょうか?

つまり完璧ですね。大きく目立つ所に置きたくなるのが分かる位、完璧です。

しかし大事なのは透明なドームに囲われている事ですね。2話のファーストフードの皆が食べてる所、3話始めの病院にあるスノードーム、そして調整屋の地図を覆うドームに、ご丁寧にくるくる回る物まで付けてますね。つまりこれもしつこいので、大事なイメージですよ、と言う事です。

ただ、これはもしかしたら二つ以上の意味が重なってるかもしれませんね?

 

追伸 2020年1月23日

 

環いろは。皆前から思っているように、まどかと何かしら関係があるのでしょうね。どの程度の関係かは分かりませんけど、変身する時に何かと重なるのが怪しいですね。

変身する時ビルから飛び降りますね。なぜか? 変身時に羽が舞い飛ぶのと同じ理由でしょう。そしてヴェールをかぶってますね。これも同じ理由ですね。ヴェールをかぶらないと飛べないからですね。変身最後の方でアップで両手を上げます。アップなので分かりにくいですが、わざとでしょう。全身映ったらどんな格好なのか? と言う事なのでしょう。

ちなみに黒江もヴェールです。そりゃそうでしょうね。

まあしかし、このアニメてんこ盛りですね。

 

追伸 2020年1月24日

 

きりないね。

そう言えば、1話考察の時に書いた「芸が細かい」事だけど、この3話でまず間違いないと思える絵が出てきたね。ストップしないと見えないけど。

気になってたのは、1話からやり通すのかな? 製作者の誰かが「めんどくさいからやめよう」と言わないのかな? と言う事です。でもやったと言う事は気合の入り方が違うのでしょう。

 

忘れてたけど、1話のいろはの家にある時計、今後の事なのでしょうね。

しかしネットの噂で2クール説が出てるね。あとは13話説が出てる。

時計で表すと、13話だと一周するので、一時の所が13話を表しているのでしょう。だから一時の文字が少しおかしいでしょ?

しかし2クールは本当でしょうかね? しかも分割2クール。「最後は映画館で」とかじゃなくて?

2クールだとしたら、何かひっくり返すとしたら2クール目になる。長すぎる。1クールで7話位でひっくり返してほしいね。B面あるでしょ? 無いかな?

そうそう、この時計レコードですね。エンディングでもレコードらしき絵が出てくるね。

 

マミがいつもの白い奴に言われて行く流れでしたね。じゃあこいつがあれと言う事になるのかな? コマはそろってきたね。

かしら、かしら?

アニメ「ウテナ」に「かしらかしらご存じかしら?」という影絵少女がいますね。

マギレコの「やあやあ知ってるこの噂」はここから取ったのだと言うコメントがどっかのネットでありました。その通りですね。イクニの呪いですね。理由はないけど、イクニの呪いでカレーになったのでしょうか?

 

アニメ「マギアレコード」の事です。ネタバレです。

 

前にも言った通り、物語の途中で人の考察、予想を聞いてはいけません。

あってても間違ってても、色々つのってきて魔女化してピンクの奴に退治されますよ。

それでも書くのはただの自己満足です。注意はしましたよ。

 

さて、第2話は……おいといて、次は問題の第3話ですね。

ここで「まどマギ」とかぶせて誰か葬り去るのか? が問題ですね。

私は結構あると思っています。いや、そうするべきだとも思っています。さてどうでしょうね?

 

ではここからは予想です。あまりあてにはしないでね。

死ぬとしたら、あの水色の子が危ないですね。多分、死ぬ時にあの変身魔法を使うのでしょうね。お花畑で亡くなるのでしょうかね?

で、そうなったら今度は赤の子がやばいと言う事ですね。羊の魔女が第2話で出てきたので、次は卵の魔女でも出てくるのでしょうか? それにやられるかもね?

そうなったら次危ないのが角の子ですね。そして次に……とまだまだ続きます。

ハッキリした意味も無いのですが、もしこうなったらレコードが何処かで意味をなしてくる気がします。マギアレコードですからね。そうなると第1話での先生の行動は、私が言っていた意味ではなく、このレコードに関係するのかもね?

 

さてどうなるのやら。

確かなのは、この2話で泥犬さんが私たちに思ってほしかったのは

「かしら、かしら?」と言う事ですね。

でも間違ってたらごめんなさい。

 

追伸 2020年1月13日

 

本当に芸が細かいね。

1話の最後の方の緑の中にある赤い人形はそう言う事なのでしょう。

その後の願い事の広告類、その中のあの願いが出るのもこのタイミングですね。

ういが早くも2話で登場ですね。演出上だと速すぎます。でもこのタイミングで出ないとダメなのでしょう。そうするとういはそう言う事だと言う事になり、じゃあそれをするのだろうと言う事になり、だとすると3話でやはり誰か亡くなる可能性が高まると言う事です。

 

気が早いですけど、まとめの気持ちがわいてきたので。

とても頑張っているし、こってるし、良く出来ているのでしょうけどねえ。イクニさんがこの世にいなければもっと評価したのにね。イクニ事、幾原さんは、表面上だけではなく物語の内面までかけてきて、深さが違いますからね。

エンディング実写使ってますね。もうこうなってくると、さらざんまいにしか見えません。だとすればイクニさんに届かなくても本望かもしれませんね。気が付いているのかどうか分かりませんが、イクニさんはもっと上ですからまだまだ這い上がってください。そこが天国か地獄かは分かりませんけどね。

 

追伸 2020年1月14日

 

マギレコのゲームはしてないのですが、そっちにもヒントがあるようなので分からないですね。

鐘のような物は「絶交階段のウワサ」の所の絵に出てくるようですね。

だとすると赤の子も絶交階段あたりで危ないと言う事ですかね?

 

基本ルール、魔法少女は魔女になる事を感覚的に忘れてました。凡ミスですね。将棋で二歩をするようなものです。馬上試合で馬から転げ落ちるようなものです。クロケーでフープも通って無いのに二度打ちするようなものですね。

さやかの様に誰かしら魔女にはなるでしょ? となるとその魔女は十中八九倒される、つまり死ぬわけです。そうすると死人が出る。だとすれば3話で誰かが死んだ所で、その後もどうせ誰か死ぬのだから構わないと言う事になります。

では誰がなるのか? 分からないですが、見た目の感覚だけで言うと、盾の子が一番怪しいですね。

それと赤の子もちょっと怪しいですね? しかしだとすれば物語上早すぎるかな? とは思います。どうでしょうか?

 

追伸 2020年1月15日

 

細かい事はもうやめようと思うのに毎日更新。

色々仕込んでいると面白い、多いとしつこい、多すぎるとすごい、に変わる不思議。

1話駅の所に鷹がいます。これは夜鷹じゃないのか? とネットのコメントにあり。夕方にはいなくなるのでそうでしょう。

夜鷹は夜行性です。魔法少女や魔女を表しているのでしょう。しかしそれだけでここに配置するのか? と思ってました。

夜鷹は蚊母鳥とも書くそうです。こまけえ! だから電車の所にいるのね。

 

2話でバスのナンバープレートが「NGC-7000」とあり、北アメリカ星雲の事だそうです。白鳥座の近くです。

羊の魔女の入り口のバイクに書いてある魔女文字は「Caldwell99」でコールサックと呼び、南十字座あたりにある暗黒星雲だそうです。

銀河鉄道の夜は最初、北十字あたりを通るので白鳥座あたりからスタートして、天の川に沿って走っていき、最後がコールサックを見ていて終わりです。

つまりコールサックの向こうは死だと言う事です。

そしてこのバスの所で銀河鉄道の夜は始まり、終わると言う事です。って、早いだろ!

でも大事なのは、この物語は銀河鉄道の夜は入ってませんよ、と言う事です。

 

誰も言わないね?

2話の調整屋の所でいろはが妹の話をします。その時に途中からなぜか写真が写真立に入って出てきます。その横にオレンジジュース? が入った大きなビンも出てくる。その後アップで氷の入ったそそがれたオレンジジュースが映される。

この氷の入ったジュース、どこにも無いですよね? どこにあるのか? 誰が飲んでるのか? まあ誰であれ、のんきなものですね。人の気も知らないでね。

 

追伸 2020年1月17日

 

 ごめんなさい。覚え違いをしてました。

ういは違いましたね。勘違いです。

いろはが見舞いに行くときトランク持っていくのは面倒を見る為ですね。

凡ミスですね。赤子だと思って抱いてたら、ブタの子だったようなもの……って、もういい、しつこいって?

ういがオチだと覚え違いをしてました。でもだとしたらオチは誰なんだ? と言う事になります。

最後全部持っていくオチなんて、もうあれしか残ってない気がしますね?

でもその方が自然で、盛り上がる気がしますけどね。

この流れで言うと、1話の最後の方にヒントがあると思うんだけどね。分からないなあ。

イクニの国のいろは

あれ? 泥犬さん、イクニの国に迷い込んでません?

 

アニメ「マギアレコード」の事です。

 

例えば、映画「シックスセンス」を見ていて、隣の奴が「これはこういう意味じゃないか?」と言ってたとします。それが映画の大事なネタだったとして、それがあってたら「言うなよ」と思う訳です(シックスセンスは言われなくても分かりやすいですけど)。そしてそれが外れてても「うるさいよ」と思う。間違った事に意識が行ってしまい、集中できなくなるからです。

なので物語を最後まで見ていて分かる事なら、途中で分かったとしても他人に言う事では無いですよね?

だからあってても間違ってても何も言わないようにします。

 

私は気が付きませんでしたが、ネットの感想を見るとイクニ要素が入っているようです。

そしてそうだと思ってみたら、確かに入ってる入ってる。

でも元々イクニさんの物語に入っている事が、メジャーなものから取ってきたものなので、たまたま同じものからの影響だと言う事も考えられますね。銀河鉄道の夜とかね。

私はゲームのマギレコもしてないので、これもネットで少し検索したら、そもそもその中にイクニ要素では無いのか? と思われるものが多く入っていたのですね。だからそこからのアニメ化なので、イクニ要素が多くなるのはそうなのでしょう。

ゲームのマギレコとアニメのマギレコを足してみると、イクニ要素じゃないのか? と思われるものが多すぎませんか? 一つ二つならたまたまだけど、多すぎるとわざとじゃないのか? と思ってしまいます。ペンギンのぬいぐるみ出てきますね。クマも出てきますね。クマですよ、クマ。

 私は前に「まどマギ」にイクニ要素が入っていると言い、その代わりに「ユリ熊」にまどマギ要素が入っているのでは無いのか? と言いました。そのお返しなのですかね? 倍返しですね。

 

ではこれは何なのか? ギャグなのか? 大きな枠で見たら物語のヒントになっているのではないのか? と思います。

始めからずっと同じようなイメージが入ってますね。いろはの部屋とかオープニングの走る問題とか、しつこいのでそう言う事なのでしょう。叛逆の物語に似てきますけどね。

それと歌の最後のミレナ座は映画館ですかね? これもヒントでしょうね。しかしここでやちよがしゃべってますよね? 歌のシーンの最後なのに明らかに変な場面です。今後このシーンで何を言っているのか分かるのでしょうね。

 

そして黒江ですね。この子の言ってる事や見た目はあれですよね? それにあれがあの名であの行動をする。そうするとそう言う事では無いのかと思いますよね? だとしたら、ははは、面白くなってきましたね。

あってますかね?

 

追伸 2020年1月9日

 

これがあってても「ふーん」って事なのだけど、芸が細かいなあ、と思ったので書きますが、あいまいに書くのでごめんなさい。つまらないのでね。ただの考えすぎで、間違っててもごめんなさい。

なんでいろはの家のあれはあそこにあるのか? 黒江の武器があれで、いろはの武器のこれもわざとだろうね。そうなると、やちよの戦い方の演出もわざとですね。グリーフシードを投げて渡すのもわざとです。歌の所の絵もそれを意識して作っているのでしょう。先生の行動もたぶんそれの事では無いのかと。なんで弁当作って食べていたのか? 学校が先進的なのもわざとか。

あってたとしたら、細かいですねえ。もはや間違い探しですね。

 

追伸 2020年1月10日

 

あみだくじのような線路の所で皆が神浜に向かいます。

この世界では、戦う彼女らの中の最弱の者は神浜に向かう運命なのでしょう。

そうすると、神浜はこの世界でのさいはてと言う事になります。

物語上そこにたどり着くだろう人物なんて、あの子しかいないじゃないですかーーー!

早くこいこい最終回。

名状しがたき作家なるものの叫び声

作家の心は時に空を飛び、大気圏を超え、星々の中をさまよい、いつの間にか次元を超えあの世に行ってしまうものですね(そこが天国か地獄かはありますが)。

それはもはやコズミックホラーですね。

コズミックホラーはSFでは無く、心の深淵にある宇宙から這い上がってくるホラーではないのかと、昨今思っています。

と、この題名の表の理由はこうなのですが、裏の理由はTRPGの「Call of Cthulhu」第7版販売おめでとう、と言う事です。

まさかこんなに流行りが続くなんて誰が思った事でしょう? 子供の頃に良く分からないで箱を買った私としては感無量です。

そもそもアメリカの作家ラヴクラフトの1910年代頃から発表された小説が元ですね。それが時代を超えゲーム(TRPG)になる。その後日本に渡り、それから世代を超えて愛され今にいたる訳です。

幻想の存在、ラヴクラフトの落とし子が時代を超え、形が変わり、国を超え、世代を超えて、今現在の日本で皆の頭の中を闊歩しているなんて、誰が予想できたでしょう?

形を変えたが、心の中で生き続けている、と言う事でしょうか?

 

さて、アニメ作家の事です。あくまで私個人の感想を言います。

まずは皆が知っている宮崎駿さんから。

私は「風立ちぬ」が嫌いです。でも結構みんな褒めますね。

皆思うでしょうけど遺書に見えますね。私は遺書は身内が見るものだと思います。他人が見るものでは無い。

多分皆、宮崎駿レベルだと身内気分なんでしょうね。だから遺書でも見てられるのでしょう。

それにあれは自分擁護に見えます。自分の生きざまを擁護するために作ったように見える。駿さんは否定するのでしょうけど、そう見えます。

声優に庵野さんを入れてますね。駿さんは庵野さんに「お前は正直だ」と言ったそうです。エヴァゲのラストで何も無いとすなおに表した事に対してだそうです。そしてそれは、駿さんは自分はすなおでは無いと思ったと言う事ですね。

しかしです。すなおでは無く取り繕うのが人だと思うのです。大人だと思うのです。

だが駿さんはこの時すなおに生きている庵野さんが正解だと思ってしまったのでは無いでしょうか? だから最後すなおに自分擁護の話を作った。それが「風立ちぬ」だったように思えます。だから声優が庵野さんなのでしょう。

 

宮崎駿さんは司馬遼太郎さんが好きだったそうですね。

司馬さんは最後まで戦ってはいなかったかと思うです。

司馬さんは最後の十年、小説を書いてはいないそうです。現実の日本を憂いていた司馬さんは、小説を面白おかしく書けなくなっていたのでは無いのかと思うのです。しかしその中でも出来る事をやって文字は書いていきましたね。それに小説もいつか書こうとしていたようです。筆は折っていない(駿さんは目が悪くてつらいようなので同じでは無いですが)。

司馬さんは最後まで日本を憂いていたようです。この人ぐらいなら「私はよくやった。成功した。良い人生だった。後は任せた」と言って死んでいっても良かった人だと思います。でもしなかったように見えます。

駿さんは最後の作品で自分にすなおになり、自分の擁護を書いた遺書を描く、それを見てあの世の司馬さんがどう思うのか?

いや、あの世など無いと思っている私が思うのはそんな事ではないですね。今わの際に宮崎駿さん自身が「あの世の司馬さんは自分の生きざまを喜んでくれる」と思えるのか? と言う事です。

私が想像する駿さんは後悔しないのか? と思うのです。この人なら気が付いてしまうのでは無いのかと思うのです。後悔して死んでいくのか、と思ったのです。だから気にくわなかった。本当にそれでいいのか? と言いたかったのです。

しかし宮崎駿さんはまた筆をとりましたね。良かったです。それがどんな作品になるのかは分かりません。しかしあらがってほしいですね。生き様を見せてほしいのです。言葉は大事です。しかしもっと大事なのは上手い事を言う事ではない。生き様を見せるのです。背中を見せる事です。それが次の時代に残せる事なのです。

正直どんな話でもいいし、もっと言えば作ってる最中にこと切れてもいいので、宮崎駿さん自身が司馬さんに胸を張って死んでいけるようにと、願うばかりです。

 

毎度おなじみヤングサンデーと言う動画があります。

その中で今回は「逆襲のシャア」をやってました。その事に対しての考察です。

私は「Zガンダム」は見てないし、「逆襲のシャア」も昔過ぎて覚えてません。なのでヤングサンデーで言ってた事からの考察です。つまり他人のまわしで相撲を取ります。

シャアはなぜアムロにこだわるのか? そしてアムロはなぜシャアを無視しないのか? それはこの二人の関係性を分かりやすく言えば兄弟だからでしょう。双子の兄弟でもいい。

この話が例えば「本当の兄弟で小さい頃に離れ離れになり、一人は王族として、もう一人は庶民に育てられた話」と思い見れば分かりやすいですね。

シャアはアムロが自分と中身は同じだと思っているのです。しかし庶民、つまり愚民に育てられたアムロは分かっていないと思うのです。そしてそれを認める訳にはいかない。それは自分の生きざまを否定されるからです。自分のかたき討ちの人生の否定になるからです。だからアムロが間違ってなくてはならない。これはアムロとの決着と言うより、自分の人生との決着なのです。

アムロが自分と同じだと思わなければ「あいつは中身が違うから」と思える。しかし同じだと思える奴が違う結論を出すのは、自分の否定になるのです。人生の否定になるのです。同じアムロが違うのは育った環境が違うからだと思う。庶民の中でぬくぬく育ったのが悪いのだと思う。つまり愚民に染まったのだ思う。だから庶民では無く愚民でなくてはいけないのです。

アムロもそうです。シャアが他人なら無視すればいい。しかし兄弟が「出てこい」と騒いでたらどうします? 「何やってるんだ!」と出て行くでしょう? そういう気持ちなのです。赤の他人では無いからこそ無視が出来ない。

ではなぜシャアとアムロが兄弟みたいなのか? それはもちろん二人の富野さんだからです。富野さんが同時に生み出した二人の分身がシャアとアムロです。だから双子の兄弟みたく似ているのです。

最後シャアは情けない事を言います「ララァは私の母になってくれるかもしれなかった」と。それは「母が欲しかっただけ」だと言う事ですね。

シャアは結局アムロに勝てない。アムロを曲げれない。シャアは何でもできたはずです。自分が正しかったはずです。しかしアムロは変えれない。愚民にぬくぬく育てられたアムロに勝てない。そこで心が折れる。だからアムロに弱音を吐くのでしょう。本音が出るのですね。

ヤングサンデーで面白い事を言ってましたね。シャアはマザコンだがそれだけではない。ファザコンロリコンだと。つまりシャアはあの時から時が止まっているのです。父が殺され母と離れ離れになった時の少年時代に、時が止まったのです。その時からかたき討ちの為に生きてきたのです。

アムロは父母がいましたね。父は大した人では無いようですし、母は幼いアムロを置いて出て行ってますね。でもいたのです。母だって会おうと思えば会えたはずです。テレビ版で一回あってますし、そこでアムロは縁を切っている。つまりいない事のトラウマは無かったのです。大した事のない親のコンプレックスはあったでしょうが、それでもいた事が大事です。

逆にシャアは両親とも大した人だったようです。だからこそ失った悲しみが大きかった。そして憎しみがかたき討ちに発展して、そこで時が止まってしまったのでしょう。アムロと逆にいい両親で身分も高い。しかしそれがトラウマになる。皮肉ですがそういうものですね。シャアの両親のせいでは無いですが、親は子を巣立ちさせなくてはいけないのですね。

シャアは仮面をつけている時の方が、表の心には正直でしたね。しかし逆シャアで仮面を取った時の方が自分を隠した。しかしです。深層心理ではどうだったのか? シャアは自分でも気が付いてなかったが、かたき討ちをしたかったわけでは無いのです。ただ失ったあの両親との暮らしの続きをしたかっただけなのです。その事を仮面のシャアは隠して生きてきたのです。自分自身にです。しかし逆シャアではそこに気が付いた。ただあの子供の頃が恋しかっただけなのだと。

アムロにその事を漏らす。これは「お前は良いよな」と言う事です。愚民であり愛情も薄い両親だが、いたのです。その位は今の核家族では良くある事ですしね。その普通の愚民の暮らしの中で青年まで育ったアムロに「お前は良いよな」と言ったのです。

シャアは器用だった。才能もあった。だから上手くいったのですね。誤魔化し仮面をつけかたきを討ち、頂点まで上り詰めた。しかし上手過ぎたからこそ、本当はしたかった事では無いのに気が付かず来れてしまったのですね。普通は途中で挫折して、その中で普通の幸せを求めるのです。しかし上手過ぎたからこそ、時が止まったまま来れてしまった。

アムロはシャアと違い大きなコンプレックスが無かった。だからようやく大人になれそうだった。だから、スポンサーに止められ映画では子供は出てこないが、元の話ではアムロに子供が出来る話だったようですね。だから大人に上がれたアムロは父になり、大人になれなかったシャアはマザコンファザコンロリコン大三元と言う話になる所だったのでしょう。

 

さて、問題はここからです。シャアは富野さん自身だと思われているようですね。

富野さんは実写ドラマをやりたかった人ですね。アニメでは無く。

富野さんはうま過ぎたのです。器用過ぎた。だからシャアみたく上手くいったのです。頂点まで上り詰めたのです。

多分富野さんの同期でも実写をやっている人がいたのでしょう。そしてその人は多分世に名も出てはいないですね。

富野さんは「何もやらしてもらえないのに実写で頑張って何になる?」と思ったのでは無いでしょうか? 始めは好きでもなかったが、アニメで頂点に立った自分は正しいと思ったのでは無いでしょうか? その富野さんが好きな実写をやっている人に言ってってしまったのでは無いのかと思うのです「お前は良いよな」と。そんな物語です。

シャアはいなくなりました。しかし富野さんは生きてます。物語は続くのです。

その後Zガンダム劇場版でカミーユが生き残ります。「戦うニュータイプが生き残ってもいいじゃないか」と思えるようになったのでは無いでしょうか? これは「アニメで戦うやつは皆死んでしまえ」と言う呪いから解放されたと言う事では無いでしょうか?

富野さんの物語はまだまだ続きそうです。どのキャラよりも主役級ですね。

 

さて、幾原さんです。「ユリ熊嵐」です。ネタバレです。

ユリ熊を考察していって、この作りならウテナはいるよな、と思っていました。

しかしウテナは見ていないので、分からないよな、と始めからあきらめてました。

しかし声優が入ってる可能性があると分かり、じゃあウテナの声優かもしれないと思ったので調べました。

ウテナ役の「川上とも子」さんは亡くなってましたね。2011年です。そしてwikiによると幾原さんと関係性が強い人だったそうですね。そしてカトリック教徒で洗礼名は「セシリア」だったそうです。

だとすればです。だとしたらこの人がユリ熊にいない筈がないじゃないですか! いやこの人が始まりなのかもしれない。

 

箱仲 ユリーカはなんでユリーカっていう名のだろう? と思っていました。どこにつながるのだろうと。

椿輝 澪愛(つばき れいあ)の服装です。青に首周りだけ白い。それに黄色い星のペンダントでひもは赤です。どう見てもドラえもんじゃないですか? 何なんだろうと思っていました。

川上とも子さんは、のび太の母の少女期の声をしていたのですね。そう澪愛が川上さんです。

椿輝は音読みだと「チンキ」または「チュンキ」です。澪愛と言う名は本当に自分の子に付ける人がいるそうです。そして「レイア」か「レア」と読ませるそうです(ただそうなると名前の漢字はどう読んでもいいのですけどね)。まとめると「チュンキレア」です。

洗礼名「セシリア」は実在した人物「聖セシリア」から取っていますね。イタリア語だと「チェチーリア」、ドイツ語だと「ツェツィーリア」、古典ラテン語だと「カエキリア」と読むそうです。

ちょっと無理やりですが、椿輝 澪愛はセシリアでは無いでしょうか?(椿輝に他の意味を持たせるために無理やりになったのだと思いますが、よくやった方だと思いますけどね)

ユリーカは「見つけた」と言うような意味ですね。箱仲 ユリーカの名は、箱の中で見つけたと言う事でしょう。箱は病院かCTかMRIかで、見付かったもの、癌ですね。それに殺された事を暗示してる物語でした。

聖セシリアは音楽家と盲人の守護聖人だそうです。だからユリーカが澪愛に救われた時白黒画像からカラーになる演出をするのですね(この場合は色盲になりますが)。この演出が取ってつけたような感じがしたのですが、セシリアのヒントだったのですね。

そして銀子が澪愛の「スキの歌」を知っている演出です。これも澪愛の残したものがペンダントに絵本に加え「スキの歌」まで出てくる。アイテムが多すぎるし、歌はここしか出てこない。この余分な演出は何だろうと思っていましたが、これもセシリアを示すものだったのです。

澪愛は亡くなってしまいます。しかし子供を残します。紅羽です。

父は誰だろう思いましたが、キリストを産んだマリアの様にいないのですね。

紅羽はユリ熊の主人公のうちの一人です。つまりこの物語の半分は川上さんが生んだと言う事なのでしょう。この物語の始まりは、幾原さんが川上さんの死から連想されたのではないのでしょうか? そしてカトリック教徒である事からも、ユリ熊の内容が決まった事のように思えます。

そしてそれと同時に、川上さんは亡くなってしまったが、川上とも子さんが残したものが後世に残っている事を、アニメや心の中には生きて残っていくと言う事を、言いたかったのではないのでしょうか?

 

なんでしょうね。ユリ熊の中に幾原さんが込めたものが分かってきたら、叫びたくなりますね。

空の向こう、雲の向こうに向かい叫びたくなります。

「ユリ熊ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ」ってね。

ユリ承認!

アニメ制作の世界は狭いと言うような事を聞いた事があります。今はどうかは知りませんけど。良くも悪くも人があっちこっち動く(一つの会社にとどまらない)業界の様で、しかも沢山の人が制作にかかわる仕事なので、業界の人の仲間意識があるようですね。

しかもそもそもアニメ好きや物語好きが集まっているので、業界内の精神的な横の繋がりが、他の業界と比べると強いように見受けられます(多分ですけど)。

セーラームーン」を良くは知らなかったので、感覚から抜けてましたが「まどマギ」は影響を受けてますね。この影響はどっちかと言うと冗談のような物、つまり皮肉に見えますけどね。

つまり王道の魔法少女戦隊ものの「セーラームーン」っぽく見せておいて、中身はダークで魔法少女否定にも聞こえる内容です。なので面白いからわざとかぶらせて反対をやっているのでしょう。「まどか」が「ちびうさ」とかぶらせているので「ほむら」は「ほたる」(セーラーサターン)っぽいのですね。

 

ちびうさがテレビ版に登場したのが第60話だそうです。そして60話から幾原さんがセーラームーンRのシリーズディレクターになったそうです。幾原さんのピンク伝説はここから始まるのでしょうか? もっと前があるのでしょうか?

幾原さんは「ウテナ」で「セーラームーン」に牙をむいたようですね。つまり問題点に気が付き、それに反抗したのでしょう(だからと言って全否定だとは思いませんが)。

だから魔法少女物のわざと反対を描こうとした「まどマギ」と「ウテナ」の裏の要素が似て来たのでは無いでしょうか?

まどかはテレビ版最後、魔女になる子を救います。

魔女とは、世界を変えられる魔法を信じた女の子(シンデレラの様に王子様が来ることを信じていた女の子)が大人になり、世の中の醜い所に気が付き、世間に呪いを吐いて生きていく女になっていく事を表しているのでしょう。

幻の王子様問題に切りつけたのがウテナだとしてら「魔女なんかになったらだめだよ」と言うまどかはウテナか? いや、もっと象徴的なピンクの概念の存在「幾原邦彦」その人では無いでしょうか?

 

アニメ業界は世界が狭い事にもつながりますが、「まどマギ」は「ウテナ」の影響が多いと言われているようですね。

だからと言って、どの位「まどか」に幾原要素をわざと入れたのかは分かりませんけど、たまたまだとしても結果、「ウテナ」と「セーラームーン」両方に係わってきた幾原要素が多く見える物語になった事は間違いないですね。

 

そして幾原さんが「まどマギ」を見てどう思ったのか? この人が今私が言ってきた事に気が付かない訳が無いですね。

そして「まどマギ」の男の物語の反対、女の物語を作るにあたり「ユリ熊」に引っ掛けてくる、と言う可能性は十分あると思います。

そうだとしたら、面白い事しますね。

 

さて、あらためてアニメ「ユリ熊嵐」感想です。ネタバレです。

 

やばいですね。ユリ熊がここにきて面白過ぎる。

今まで考察してきたことを踏まえてもう一度少し見てみたが、面白く感じるようになってました。

私は前にユリ熊は表が見れないのでダメだと言ってました。裏がどんなに面白くても表が見れない時点で終わっていると思ってました。

しかしここにきて揺れてきましたね。この物語は裏が分かると面白くて表がダメなのを許してしまいますね。

例えば、何かしらの交通手段の事で表します。電車でも車でも自転車でもいいのですが、一か月に一度くらい調子の悪い日があって使えないとします。それはあり得ないと思います。どんなに効率が良くても快適でも動いてなんぼです。不安定でたまに動かないのはそれでアウトだと思います。そう思ってたら青白い奴が「どこでもドア」を出してきたようなものです。「どこでもドア」なら一か月に一度動かなくても「まあいいか」となります。

そんな所です。想像を超えたものが出てきたのでビックリですが、これ位やってくれたら私にはありになってきました。こんな物語が世の中にあるのですね。

 

悪くもない人が死んだり、物語が終わってもいがみ合ってたり、救いがなかったり。

そういう物語をしたいのだとは分かりますが、見ててつらいので見てられないのです。前にも言いましたが、これはまだ未来に逃げ道のある子供が見る物語ですね。大人は今更現実の辛さを知っているのだから、物語でまで見たくはないのです。しかしです。この物語は逃げ道があります。実は死後の世界で神に救われる話だったのですね。

百合もそうです。始めに百合をしたかったのか、もしくは修羅道の話なので戦う女達(セーラームーンと現実の学校などで戦っている現実の女の子)の物語にする為に、女ばかりの世界にしたのかは分かりませんが、ここが死後の世界で修羅道だとすればいい訳が出来ますね。現実とは違う不思議な世界を表したかったと言い訳が出来る。

この劇場のような世界もそうです。わざと物語上必要なもの以外を排除した世界になっています。これもこれをしたかったのか、もしくはこの不思議な世界に合わせたのか分かりません。しかしどっちであってもこれもあの世と言う事でいい訳が出来る。

つまり気に入らない所や、変な所がちゃんと言い訳が出来ている作りになっているのです。ただの雰囲気で誤魔化す物語では無く、ちゃんと考えられていて分かると納得する物語なのです。

 

その中でクマは人を食べます。これも一見変な作りに見えますが、これは人も何か自分より弱いものを食べてるだろ? そうして生きている事を考えろ、と言う意味が入ってますね。これは宮沢賢治の言いたかった事にもつながります。

それと山田玲司さんが言っていたように「野生を取り戻せ」と言う意味も入っているのでしょう。つまり欲望も忘れ、生殖も忘れた子供たちに、それは生き物として間違っていると言う事なのでしょう。

なのでライフセクシーと言う名が裁判長なのですね。セクシーなライフです。魅力的で性的な生活が大事であり、そもそも生き物のとって大事なものなのだと言う意味なのでしょう。ライフビューティーは美しい生活ですが、ライフクールは冷静で頭のいい生活も大事だと言う意味で、ちゃんとバランスはとっていますね。良く出来てます。

 

この「野性を取り戻せ」は、実は宮沢賢治に対してのアンサーソングでもある気がします。

宮沢賢治菜食主義者で粗食だったようです。肉は食べませんでした。しかし病気で若くして亡くなってますね。私は個人的に、もっと栄養を取っていれば長生き出た可能性があるな、と思っています。そしてそこにもかかってくる。つまりクマは人を食うのが自然な事である。そして人も肉を食っても自然な事である。つまり死ぬくらいなら栄養が多い肉類をとってもいいのでは無いのか、と言っているようにも思えるのです。

そしてです。そしてまたなのですが、宮沢賢治は多分分かってはいたのです。「なめとこ山の熊」でクマを捕る男を否定はしてない。だから実は、人とはしょうがなくクマを殺して食べても良いのだと分かっていたのでは無いでしょうか? しかし心が納得してなったのでしょう。これは「銀河鉄道の夜」での輪廻転生と仏教などに対しての気持ちと同じです。実は頭では答えが分かっていたのに、最後まで気持ちが付いて行かなかった、そのせいで若くして亡くなってしまったようにも見えます。

だからはっきりした答えを幾原さんは示した。後世の人であり、賢治がなくなった年より年上になった幾原さんが示したのは意味がある事です。それは、世界が前に進んでいる事を示す事だと思います。

 

ユリ熊は、まどマギ等に引っ掛けた冗談のようなもの、それに賢治に対しての答えと賢治の物語の中の宗教的なもの、哲学的なものに加え、今に生きる少女たちへのメッセージまで含まれてます。

地に足の着いた今の人へのメッセージがあるので素晴らしいですね。

野生を取り戻せと言う事でしょう。食べる事も生殖もあるのが生き物だと言う事だと思います。一見泥臭く見えるでしょうが、そこに生き物としての素晴らしい人生があるのだと言っているように思えます。

そして罪を犯しても間違っても大事な人が亡くなったとしても、まだ人生は終わってないのだと言っています。

しかも、死ぬくらいなら逃げてしまえとも言っています。戦って死ぬくらいなら逃げればいいのです。それも答えなのです。

 

いやはや、なめてましたね。ピンドラ見てたのに騙されましたね。ユリ熊はビックリしますね。すごいですね。しかしこんなに綺麗にやりたい事を隠す必要はない気がしますけどね。

宮沢賢治は死んでから世間に評価されたようです。こういう人は結構いますが、残念ですね。

 幾原さんもそうなりそうでしたね。

しかし山田玲司さんが「幾原さんはこれから評価される人だ」と言ってました。良かったです。作家としての幾原さんの事を、死ぬ前に評価して皆に知らせる人が現れたことが素晴らしいですね。それで私も知れましたしね。

そして山田さんのしてる事も、これから一般の人にもっと評価されると思います。AIが実務をやってくれる時代には「物語を作る」事が大事になってくるはずです(他の仕事がなくなるからです)。それに加え自分の頭で考えて行動することが大事になります(それもいつかはAIがやってくれるでしょうけど、その時は人類存亡の危機なので、それはまた別の問題です)。なので今山田さんがやっている事は、次の時代にきいてきますよ。

平成も終わり、まだまだこの国も世界も荒れそうですが、世の中捨てたもんじゃないよな、と思わせてくれる年の瀬でした。

ギュウ、キュッ、キュッキュッ、キュフッ。

 この題名は「輪るピングドラムの細けえ事は、ここにまとめて記す、にゃー、oh my God!」
と、ペンギン語で言っているような気がします。

 

アニメ「輪るピングドラム」細かな事です。ネタバレです。

 

2019年 10月 21日 追加


細かな所の解釈が違う気がしてきたので記します。
分かっている人には「何を今更」と言われそうですが、ペンギンは思っている人に付いて行く幽霊であり、お手伝いをしますね。これって背後霊とか守護霊と言うやつですね。
そうすると桃果に無理やり送り込まれたと言うより、他の人にも付いている良くある事(もしくはたまにはある事)だと言う事です。
ならコンベアーを逆回転して戻ったのも、ただ自分達で未練があるので守護霊としてまだ残っていたいと思ったからかもしれません。もしくはその気持ちが神様に届いたか、桃果が手を貸したかだと思いますが、結局は自分で残ったのだと思います。
そう考えると最後に桃果がもういないのに、まだ残り守護霊として小さな冠葉と晶馬に付いて行くのも理解できます。
親子の絆が実はあったのだと思わせる終わり方ですね。
1号2号はもちろんですが、良く考えればエスメラルダも母なのだから冠葉に付いて行くのは当たり前ですし、さんちゃんも陽毬に助けられたが、晶馬にも助けられたのだから付いて行ってもおかしくないのですね。
最後に冠葉と晶馬に幽霊の守護霊が付いて行くのだから、やはり小さな冠葉と晶馬は生きているのだと言う事になります。なるほどね、良く出来てますね。

 

2019年 12月 19日 追加

 

そもそも宮沢賢治自体が、物語の中に色々仕込んでいる人だったらしいですね。

今から宮沢賢治の本を読んで、それから内容も考察してたら、歳とって死んでペンギンに生まれ変わりそうなので、あきらめて考察サイトを見て来た事を書きます。

輪るピングドラムなので助け合いと言う事で勘弁です(しかし便利な世の中になりましたね。私が書く事なんて皆の努力の寄せ鍋です。一応煮て味付けはしましたって事です)。

 

 「銀河鉄道の夜」に出てくる「鳥捕り」は、白鳥座あたりで乗るので、白鳥座の隣にあるこぎつね座にかけてキツネが化けた人ではないかと言われてるそうです。物語の中では答えを言ってませんけど、確かにそうですね。

なので、ピンドラ4話で苹果が「トリくん」と書いたTシャツを着てるのは、化けている(いい子を装っていて、やってる事、つまり日記に沿った行動をしている事を隠している)事を表しているのでしょう。その後晶馬が着る事になるのですが、これも同じですね。晶馬もやっている事を隠して近づいています。

 

カンパネルラと言う名前は、イタリアの聖職者で哲学者のトンマーゾ・カンパネッラから取っていると言われているそうです。

そして元の名前はジョバン・ドメーニコ・カンパネッラである。つまり銀鉄(長いので今後「銀河鉄道の夜」の事をこう表します)のジョバンニとカンパネルラは二人とも一人の人物から取った名前だと言われているそうです。

銀鉄のカンパネルラが死ぬ話は、仲の良かった妹か友達の死にかけて作ったと言われているそうです。仲の良かった人の死を「まるで自分の半分が死んだようなもの」と思ったのでは無いでしょうか? それで一人の人物から、生き残るジョバンニと死ぬカンパネルラ両方の名前を取ったのだと思います。

なのでジョバンニとカンパネルラは双子性がある、とか同一人物性がある、と言われているそうです。だから晶馬と冠葉は双子として(本当は違うが)出てくるのでしょう。

元のキリスト教の聖職者のカンパネッラは、ユダヤ教徒と信仰について議論したり、キリスト教が異端だとしていた地動説を説いたガリレオを正しいと言ったりして、ローマ教皇庁の牢獄に入れられたそうです。つまりその時のキリスト教の教えに疑問を持っていたと言う事です。

そしてカンパネッラの名を銀鉄に入れる宮沢賢治の意図はなんだったのか? 

宮沢賢治は熱心な仏教徒でした(法華経)。しかし銀鉄にはキリスト教の影響がある。そしてキリスト教に疑問を持った人、カンパネルラの名前をいれる。これは宮沢賢治自体が仏教に疑問を持ってたと言う事では無いでしょうか? 他の宗教を知れば世界は仏教だけで出来てるなんて事は無いだろうと思うだろうし、科学を学べば更にそうです。仏教やキリスト教も含め、それらが正解だとは思えなくなってたのでは無いでしょうか? だから友や妹の死を簡単に受け入れられなくなってたのでは無いのか? 仏教を信じていれば輪廻転生でまた生まれ変わる。それでいいじゃないですか? しかし疑問を持ったが為に書いた物語が「銀河鉄道の夜」だった気がします。

そして結局、宮沢賢治は若くして亡くなってしまったので、答えが出なかった。銀鉄で最後ジョバンニは何も言わず物語が終わります。今わのきわで宮沢賢治は、そう簡単に答えなど言えるものでは無いと気が付き、最後に出来るのは後世に疑問を投げる事だと思ったのでは無いでしょうか? 

その後、後世の人達が読んで自分なりの答えを出してきたのでしょう。その中で読み手では無く、物語の作り手として受け取り、答えを出したのが幾原さんだった気がします。言うなればアンサーソングです。

その答えは生きる事です。死の向こう側には何も無いと言っているように思えます。輪廻転生をどっぷり入れる物語を作りながらこの答えです。分かる訳はないですね。輪廻転生を信じているのならば、最後の晶馬と冠葉は死んでいて幽霊でいいのです。その後生まれ変わるのだから死んでていい。しかしそうしないのは輪廻転生を信じてないからでは無いでしょうか? そして宮沢賢治もそうだったのでは無いでしょうか? 幾原さんは「宮沢賢治も実はそう思っていたのでしょう? そもそも疑問を投げながら答えは持っていたのでしょう?」と言う事までも含めた、この答えだったような気がします。

 

元の聖職者カンパネッラはガリレオの地動説が正しいと言ってたそうです。

それで病院のシーンで天球儀みたいのが出てくるのですね。

天球儀は元々は地球が真ん中にあり星々が周りをまわる事を表しています。つまり嘘だと言う意味です。そして間違った科学だと言う意味です。それが病院のシーンに出てくるのは眞悧のアンプルは嘘っぱちだよ、と言う意味ですね。そして回る呪いや捕らわれてる事、つまり鳥かごも表しているのでしょう。

 

細かな事で

ザネリは女説があるようです。でも説だけでどうもそうでは無いようです。しかしだから女の陽毬にかけているのでしょう。

 

23話で真砂子が「フーディーニの魔法で世界は変えられない」と言います。

フーディーニは昔いたアメリカの奇術師ですね。なので眞悧のやってる事は奇術のような嘘っぱちだと言う意味でしょう。

そしてフーディーニは偽霊媒師を暴いていた人の様です。眞悧のやって居る事に加担するのではなく、逆に眞悧の嘘を暴く側に回るべきであると言う事ですね。つまり間違った側に行ってしまっていると言う事でしょう。

 

宮沢賢治自体が裏に色々意味を隠す人で、幾原さんはそれを包括して物語を作り、そして更に意味を加えて隠す。

分る訳ないじゃん、と言う事です。

そして、しかし、早く次の作品を見てみたいなと思う毎日です。