号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

体験型「Poor Things」

映画「哀れなるものたち」……みてません。考察です。

 

もはや映画を見ずに考察するレベルに達したようです。冗談です。

この映画も2時間半。長い。おじいちゃんに片足突っ込んだ歳になってきた私には、もう無理です。

ネット動画で出てきたら、刻みながら見るので勘弁です(ボーはおそれているもです)。

 

この映画の元の小説があります。「Poor Things」といいます。

映画の方も同じで、原題「Poor Things」です。

poor は「貧しい」とか「少ない」とか「へたな」とかの意味です。なので言葉の意味的には「かけている事」を表すのだそうです。

poor thing で「かわいそうに」などと口語で投げかける言葉になります。

では、何が、かけているのか?

そして、誰が、かわいそうなのか?

 

これも変な映画で、何かの暗喩かな? と思ったが、分からなかったです。

ただ、ネットで調べると、すぐ、しかもいくつも答えが出てきます。

この映画の主人公ベラは、スコットランドの暗喩なのだそうです。なるほどです。

スコットランドという国も、もちろん古く、だから体は大人です。

しかし近代化は遅く、だから脳は子供だった、というのでしょうか?

これを、体は大人で脳は子供のベラにかけてきた、のだそうです。

ベラが体を売るのもそうです。寺山が「サード」で売春を暗喩で使ったのと同じですね。昔からセックスを暗喩でよく使うのが、今は分かってます。ベルイマンとかです。

スコットランドという国を売るような行動を、国民がしていた、と言いたのかと思います(この辺の細かなことは、スコットランドを知らないので分からないのですが、そもそもイングランドと一緒になってイギリスになったのに、今独立を望んでいる事から、国を売るような行動を昔はしていたことが分かります)。

映画でベラが社会主義に目覚めるようですが、これも日本と同じで、昔社会主義が流行ったのだそうです(たぶん1970年ごろでしょう。この頃は日本でもヨーロッパでも流行ってましたからね)。

なので、ベラはスコットランドの暗喩であり、その歴史を伝えると共に「歴史を美化してきた事への苦言ではないのか?」と思っています。

 

この映画の元の小説はこっていて、映画とは違います。

小説の方は、この映画の内容が前半にあり、後半もあるようです(なので映画はこの前半のみを映像化したものです)。

映画化されてない後半はなにか?

この前半はベラの旦那のマックスが書いた小説の話、なのだそうです。

そして後半は、このベラ事ヴィクトリアの話になり、この話は旦那の作り話であり、でっち上げで嘘です、というのです。自分は普通の人であり、人造人間でもなんでも無いと言う話です。

この前半の旦那が作ったファンタジーの話と、本当にあったヴィクトリアの人生の話に加え、それを両方見た編集者(この小説を書いた人本人、という体で書いてある)の注釈で書かれた、とても面白い本です。

このヴィクトリアの話から、この話がスコットランドの事を話している、真面目な話だと分かる内容になっているようです。編集者の注釈もそうです。

 

ではこのファンタジーはなんなのか?

ここに、歴史を美化して来たスコットランドとイギリスへの、文句があるのではないのか? と思っています。

本当にあったヴィクトリアの話を、面白おかしくファンタジーにしてしまうことで、本当の歴史を美化して後世に伝えてきた社会に対する文句です。

そもそもこの原作者は、スコットランド独立を訴えてる人だそうで、社会に対する強い思いがある人です。

 

でも、歴史をファンタジーにして、何が悪いのか?

いや、何も悪くはないです。それはそれで、歴史など興味がない人に対する入口になるのだから、悪くはない。

しかし問題は、美化して捻じ曲げてしまって、それを現実だと思ってしまうことです。

あくまで暗喩で表したファンタジーは入口にして、本当の歴史は学ぶべきでしょう。

この小説では、旦那が自分が作った物語上では「妻ベラは自分を愛していた」と書いているが、ヴィクトリア(ベラと言う名は存在しなくてヴィクトリアが本名)自体は「夫など愛してなかった」といいます。

ここに、小説で言いたいのは「美化して捻じ曲げてきた歴史への苦言」だと分かるのです。

(これってイングランドと一緒になったスコットランドの事でしょう。イギリスは好きあって一緒になったんだ、とファンタジーで誤魔化すが、スコットランドはしょうがないだけで、好きでも何でもなかった、と言いたいのだと思います)

 

では、映画版ではどうか?

この映画では、前半のファンタジーだけを映像化してます。

映画化するにはこの方が良かったと思うので、これはしょうがない(ただ文学としたら小説版のほうが優れているけど)。

ここで、まず poor の方です。かけているものは何か?

それが「物語の後半」であり、「本当の現実の歴史」の事です。

 

そして poor thing 誰が、かわいそうなのか?

それはこの映画を喜んで見ている人たちの事です。

この現実を捻じ曲げ、男が美化して理想で作った物語を、喜んで見ている人達の事なのです。

 

小説だと、これを両方見せ、そこから考えてほしい、となっている。

しかし映画版だと、この後半がない。

本当に優れた後半がなく、本当に見せたい現実が無いのが映画版です。

この事に気が付き、文句を言っている人が、ネットで何人か見付かりました。

そうでしょうが、はたして、これは「狙ったものでは無いのか?」

 

妙にセックスシーンが多い。現実を無視した内容である。売春宿の不幸さがない。これはなにか?

これこそが、男が理想的に描いた物語を体現してないのか?

そもそも元が、ヴィクトリアの旦那の男が、理想で作りあげた、嘘物語です。

それを忠実に描いた、と言えなくはないのか?

 

この映画は、小説の中での「旦那が描いた小説」を読んだ読者の立場を、リアルに客が体験する物語になっているのです。

そこから小説ではヴィクトリアの話で、嘘話だと分かる。

しかし映画版だとここがないのだが、現実世界には元になる小説があるのです。

この小説で、これは嘘話であり(それはみんな分かっているけど)、本当に伝えたいことは別なのだと分かるのです。

つまり、映画を見た客は、リアルな世界で、ヴィクトリアの本当の話を得ることになる。元の小説を現実の世界で得て、そこから本当の話を、リアルな現実で体験する話なのです。

 

私は、ここまで狙った作品な気がするのです。

だからこそ、映画が嘘っぽいし、セックスシーンも多い。最後ヤギの脳を男に移植する。

つまり男が理想などを、面白おかしく描いた嘘話だと、強く言いたいのだと思うのです。

だからよく見ると、共感も出来ず、褒められもしない話だと、分かる人には分かる。

都合のいい嘘のファンタジーに誤魔化されるな、と言う話だったのです。

 

「かわいそうな人」になりたくないのなら、現実をみましょう。

現実をみて、この映画の問題点から文句が出てきて、初めて「かわいそうな人」からの脱却が出来るのです。

 

そして、映画評論家に言いたい。

それすら狙った、リアル体験型「Poor Things」かもしれないと、分かって初めて「かわいそうな人」から脱却が出来るのです。

 

 

24年2月29日 相変わらず、追加

 

山田玲司さんがネットで「ヴィクトリアが死んで物語が始まるとは、ヴィクトリア朝の終わりから物語が始まると言う意味」と言っていて、なるほどと思いました。

 

流石にヴィクトリアだったので、実はなんとなくは思っていたのだが、他人に言われるまで無視してました。

たぶん暗喩疲れでしょう。

 

映画のヴィクトリアが死んだ理由が、夫のアルフィーです。

ヴィクトリア朝の最後あたりの問題が、アイルランド自治問題だった、とwikiにあったので、彼がアイルランドです。

アルフィーは暴力が酷かったらしいので、アイルランドだとは思っていました(独立運動をする過激派がいましたからね)。

 

だとすると、残った人達も国の暗喩か?

ゴットは、もちろん神の事です。だから最後は死んでいる。「神は死んだ」と誰か言ってましたね。

マックスがベラの夫なのでイングランドか。だからマックス、最上級なのでしょう(強さとかデカさとか)。

トワネットとフェリシティ、どっちがどっちか? はっきりはしないけど、トワネットがウェールズかな? なら、フェリシティが北アイルランドです。

弱められ、従順にされたアイルランドを、山羊の脳を移植された男にしてるのは、かなりの暴言ですね。

北アイルランドを取り戻すのを諦めた事に、原作者が怒ったのかな?

 

だとしたら、だから家に戻り、彼らと暮らす、あの終わり方なのです。

そして、だから山羊男なのです。

これを、あれこれ意味を考えている人がいますが、実はこんな理由なだけかもしれないのです。

 

そして、だからこそ、本当に意味、原作者が言いたかった暗喩の元を理解しない人は「かわいそうな人」だ、と言うことになる。

だから、あの変な終わり方で正解なのです。

「おかしいだろ? ファンタジーに納得するな。本物を見付けろ!」と言う話なのです。