号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

いくつかのアニメの感想 1

最近見た、いくつかのアニメの事を書きます。

どれもこれも惜しいね。

 

 

アニメ「灰羽連盟」考察です。

 

この世界はあの世ですね。

ラッカとレキは自殺じゃないかと言われています。

でもたぶん違います。自殺かな? どうかな? 位ですね。

ハッキリしないから罪付になり、羽が黒くなって行き試されるのですね。

たぶん自殺なら灰羽にはなれないのでは無いのか? と思います。

それこそ始めから黒い羽の存在かもしれない。カラスですね。カラスこそが罪を犯した人の、生まれ変わった姿かもしれません。

ラッカもレキも生前、精神が病んでいて死んでもいいと思っていたのかもしれない。でもまだ死のうとはしなかった。

しかしラッカはその時に井戸に落ちたのでしょう。それで亡くなった。オープニングテーマで上に丸く水面が見えて、そこからラッカが落ちてきますからね。

名前がラッカです。この名からのイメージでは「飛び降りた」と言うより「落ちた」のでしょう。

レキの方も病んでいて、ふらふら線路を歩いていた時に列車に敷かれたのでしょう。

どっちも自殺とも事故とも取れる。だから中途半端な存在であり、羽が黒くなり試されるのです。完全に黒くなるとカラスになる。

ラッカの方はカラスが助けようとしました。あれはその後死んだラッカの親族か誰かでしょう。ラッカが井戸に落ちた時に、助けようと飛び込んで死んだ人かもしれませんね。自分から飛び込んだので自殺扱いです。だからカラスなのです。

たぶん、この親族は井戸で死んだから、グリの街でも象徴的にカラスは井戸の底で死んでたのでしょう。死んだカラスは救われるのか? 消え去るのか? それは分かりません。神に優しさがあれば、カラスさえもいつかは救うでしょう。

最後はレキも救われました。助けを求めるからです。助けを求めるのは生きようと思う気持ちがある。すなわち自殺では無いのです。レキはその後天国に行くか? もしくは人に生まれ変わるのでしょう。

ちなみに、この話はキリスト教に近いようですね。でも最近「銀河鉄道の夜」とか気にしていたせいか、違うようにも見えます。それはこのアニメには仏教とか、他の宗教も含まれているのかもしれないと言う事です。グリの街の住人とかカラスとか、完全にキリスト教だけではなく、何かしらのミックスな世界な気がします。

 

感想として、このアニメは古臭い気がします。実際古いのでしょうがないですが。

今はもっと飽きさせない要素が必要でしょうね。

最後のレキの話のような盛り上がる所を、もう2から3入れれば今風になりそうです。

私にとっては、もう少し今風になったらいいアニメだと思います。

 

あと漠然な話で悪いのですけど。

最近高畑さんの「赤毛のアン」の事を押田守監督がネットで言ってるのを見まして、「そう言えば赤毛のアンは何も起きないのに面白かった気がする」と思い出しました。記憶なので脚色されてるかも知れませんが、でも部分的には確かに面白かったのは間違ってない気がします。

何気ない日常をアニメでやるにしても、もっと皆が面白く思えるやり方があるのだと思います。

 

 

アニメ「色づく世界の明日から」感想です。

 

まずは良い所から。

オープニング曲、良いですね。始めは良くある感じの曲だと思いましたが、何度か聞いてると頭に残るので、良い曲なのだと思います。

始めから魔法がある世界です。だから良いのですね。始めから「ウソだよ」と言ってるので、細かな問題が気にならない。

絵もそうです。「最近の絵には珍しく目が離れてるな」と思いました。このアニメの様なリアル寄りの背景を描くのなら、普通はもう少しリアル寄りな人にするのに、人だけ嘘っぽい。でもだからこそ安心して「ウソ」に浸れる。なので正解ですね。

逆に「天気の子」とか「残響のテロル」とかは、客に「ウソだよ」と言ってない所か、逆に「本当だよ」と物語の始めの方に言ってる様に見える。だけど見ていくとウソなので「騙された」と感じるのです。

だから「色づく世界の明日から」の方が正解ですね。「紅の豚」や「魔女の宅急便」の様に、このやり方が正解です。

 

この話も悪い子が出てきません。皆、妙にいい子ばかりです。

これは「けもフレ」や「宇宙よりも遠い場所」の様に、日常系より少し前に進んだお話です。もう、少しもつらいものが見れなくなった弱った人達用の物語ですね。

だからわざとなので、あってるのでしょうけど、本当に皆がここまで優しい物語を求めているのかは、どうかな? と思っています。

もう少し棘のある、感情の起伏のある物語の方が良い気がしますけどね。もう少しだけね。

このアニメでもそうですし他の物語でもよくあるのは、傷つくことも恐れず接しなければ他人と仲良くはなれないと言う事です。それに傷付くことを恐れず「好きだ」と言わなければ、いつか失っていくだけです。

物語制作もそうで、見てる人も少し傷付く内容でなければ、本当の感動何て得れないのです。

 

悪い所は、今一何が言いたかったのか、大事な所がぼやけてますね。

ここで押井さんが本で言ってた事が思い出せます。やりたい事に向かい物語を作っていくと言う事です。

例えば、主人公の子の何が問題で、最後どの様に解決するのか? と言う所を作り、それに合わせ全てを作っていく。ゴールを作り、そこに向かい逆算して全てを作るのです。そうすればそれに集約していく物語になり、それが言いたかったのだと皆が分かり、それに感動する物語になるのです。「まどマギ」や「サイコパス」ですね。これはどっちも虚淵さんですけどね。

この物語は、やりたいのは友情なのか? 恋なのか? なんで行くのがおばあちゃんの学生時代なのか? あの絵本だけ色があったのは何だったのか? 等の事がぼやけて見える。それは一つのやりたい事に沿って作って無いからでしょう。

なんとなくの物を並べてから物語を作ってるので、整合性が取れてないのです。

 

ちなみに、細かな事だけど恋の話になるのは、解決方法として実は正解ですね。

「ピンドラ」の荻野目 苹果もそうでしたが、家族の問題でトラウマを抱えている人は、恋に落ちると解決するのです。

小さい頃は家族が全てなので、それでトラウマになると大きな事件です。でも高校生位になり恋に落ちると、家族の事なんて大した事では無いと思えてくるのです。そもそもいつかは家から出て行くのだから、子供の頃の家族より、新たな家族、つまり旦那や自分の子供の方が大事になるのは当たり前なのです。

だから恋に落ちると、家族のトラウマも解決するので、あっているのです。

もっと言えば、自分が恋に落ち自分の問題に気が付くつと、親の方も人であり人としても問題もあるだろうと気が付くのです。だから親も一人の人間として見れるようになり、許せるようになるのです。

それに、何か他に大事な事があると、割合として少なくなると言う事もあります。例えば、学校でいじめがあっても、学校以外に行く所があれば救われるのです。でも大体の人にとっては高校ぐらいまでは学校がほぼすべてになりますね。だから実際は難しいですけどね。

 

ただ恋の話になるとブレますね。

この話はいい子ちゃんばかりな「けもフレ」の様な話です。

だとすれば恋の話にすると、見てる人のリアルな世界のトラウマに寄り過ぎなのです。

トラウマに寄っていいのなら、他ももっと棘のある作品でいいし、その方が最後は盛り上がるでしょう。

日常系よりにするのか? 棘があるが解決する作品にするのか? どっちつかずの話になってしまいましたね。

 

この作品も惜しいね、と言う感想につきますね。

味のある作品、になりそうだったけどね。

 

 

アニメ「デカダンス」感想です。

 

これは大枠は面白い話ですね。

でもとにかく問題も多い作品な気がします。直す所が多すぎるように見えます。どれもこれも粗すぎる。多すぎるので言いませんけどね。

十年後とかに名監督がハリウッド作品にしてくれるといい作品になるかもしれませんね。

 

 

アニメ「ヴァルキリードライヴマーメイド」感想です。

 

これは明らかにやり過ぎですね。やり過ぎると客は離れていきますからね。

エロ路線な作品です。でもエロを見たいのならエロビデオでも見てればいい(今はビデオでは無いでしょうけどね)。

でもこれはエロなのではなく、フェチですね。胸が揺れるアニメを作りたいと言うフェチです。

客を釣りたいのなら、逆にもっとエロ要素を減らすべきです。それをしないのは、もはやエロで客を釣るのではなく、ただやりたいと言う監督のフェチなのです。もはや、すがすがしい変態ですね。

この様なアニメは昔は嫌いだったと思いますが、年も取るとこれもアリナのかな? と思えてきます。日常系の様なものが流行り、夢の中でも夢を見ない世の中になると、このアニメの様な煩悩だけで出来てる作品も生物として正解なのでは無いのか? とさえ思えてきました。

このアニメ、オープニングもエンディングもなんとなく良いですね。これも煩悩だけで出来てる気がしますが、そういう物の中でやるべき事をきっちりやっている気がします。

もう一度言いますが、この作品はエロ要素を少なくし、他の要素にその情熱をもっていけばもっと売れたでしょう。

しかしそれをしない。お金ではなく、胸が揺れるのを描きたいのだと言う事でしょう。信念を通した作品。そこに山があるから登るがごとく、そこに胸があるから揺らすのだ! と言う作品。でも何か間違ってる気がします。誰か止めないのでしょうか?

 

 

ああ、日本のアニメは多種多様ですね。

でもどれもまだまだ可能性が残ってる気がします。

まだ出来る事がある。

つまり未来がありますね。