号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

いくつかのアニメの感想 5

アニメの感想です。ネタバレです。

 

「葬送のフリーレン」

「勇気爆発バーンブレイバーン」

サイバーパンク エッジランナーズ

ヴァイオレット・エヴァーガーデン

です。

 

素人の「こうすれば、良かったのでは?」が含まれます。

「そうかも?」や「いや違う」と考えるさえの「たたき台」と思っていただければ、いいと思います。

 

 

「葬送のフリーレン」、二期の最後まで見ました。

いや、面白いですよ。

 

私は前に、一話位を見た時に否定的な文を書きました。

それはまだそう思っています。

始めは、新しい感じの、雰囲気物語で行こうとしたのだと、思います。

しかしそこが上手くない。それは二期の最後までそうでした。

 

では何が面白かったのか? と言うと、単純に「新しくはない、ファンタジーアニメ」として面白かったのです。

 

別に新しくもないファンタジーアニメだって嫌いではないし、否定もしません。

ただ、せっかく、今までの日本アニメではあまりない要素で始めようとしてたと思うので、そっちで成功して欲しかったですね。

そうすれば、これからのアニメや漫画に、新しい風を吹かす事が出来たでしょうから。

 

まあ、それはともかく、このアニメで思ったのは「基本の、物語の持っていき方が上手いな」と言う事です。

ここはアニメと言うより、たぶん原作の漫画が上手いのでしょうけど。

 

ザインが出て来た時の話です。

ちゃんと、ザインはこのメンバーには関心がないと言う様に「お姉さん好き」と言う設定を付けてます。これはちゃんと分かっている証拠ですね。

フリーレンには恋愛要素を持たせない。

シュタルクは「子供だ」と言う設定をしておく。

ただ一人も恋愛要素がないとつまらないので、フェルンには少し付けておく。ただちょっと面倒くさい性格にしておく。

 

ここで、恋愛要素と言う面倒くさい要素を嫌う、現代っ子に向けた物語なのが良く分かります。

そして、それはあっています。

現実の恋愛感情を思い描く事から避けるように、恋愛要素を強く押さない方が、最近の若者には受けるからです。(特に男子には)

 

この状態で、イケメンっぽいザインをメンバーに入れる。

だから、いくらお姉さん好きと言う設定で誤魔化したとは言え「あれ? 間違えたのかな?」と思いました。

しかし、早々メンバーから外しましたね。流石です。分かってますね。

あのメンバーにザインはいらないのです。

 

他の事で、「一級魔法試験」を始めると出た時、私には「天下一武闘会かよ!」とツッコミを入れたくなる位の気持が湧きました。

悪い意味だと「ジャンプっぽくなっちゃたな」と言う事です。

良い意味だと「面白いの確定だろ」とも思いました。

結果、面白かったですね。ただ、ジャンプっぽい面白さでしたが(サンデーなのは知ってます)。

 

このちゃんと面白い事が分かっていて、ちゃんとやって来る所は流石だな、とは思いました。

思いましたが「何かもったいないな」と思えてしょうがない。

せっかく新たな風が吹きそうだったのに、またジャンプの風で誤魔化したか、と思ってしまったからです。

 

出て来た魔法使い皆そうなのだけど「結局、悪くない人ばかり」なのも、現代人にうける事が分かっている作りです。

始め、死ぬ試験だったのに、急に緩くしだすのも、途中から分かったのでしょう。「現代人には、もっと緩い方が受ける」と言う現実をです。

 

なので、とても「現代っ子達に受ける事」を分かってるな、と感心します。

感心はするのだけど、その向こうを見据えた始まり方だった気がするので「結局、諦めた」様に見えるのは私だけでしょうか?

 

ただ、始めに言った様に、そう言う事は抜きにして、単純ファンタジーとしたらとても面白いので、続きが出たら見る事でしょう。

 

 

「勇気爆発バーンブレイバーン」

はい、出オチのネタの様な作品です。

 

最近は一発ネタで作ってくる作品が多いですね。

別にそれでも良いのだけど、気になったのが「そこからちゃんと見れる及第点に仕上げてくれ」と言う所です。

 

前から言ってるけど、歌謡曲で言う編曲家がいないのが、アニメ業界だと思うのです。

思い付いた作曲で、そのまま配信してしまった曲の様な物が多すぎる。

 

音楽の優れた人は、作曲と同時に編曲も出来ます。

だから物語も同時にできる位の人だと、一発ネタから完成度を上げれるのだろうけど、どうもいないようです。

いないのなら、他に物語の編曲家がいればいいと思うのだけど? 難しいのかな?

 

このアニメは、雑でしたね。作りも流れも演出も、全て雑でした。

ちゃんとした人が練れば、この一発ネタから、そこそこの作品に仕上げられたと思うだけに、残念です。

 

ただ、物語で言うと「編曲家の仕事は、監督がしろよ」と言う事なのだとも思うのです。

そうなると、ちゃんとした事が出来る監督がいないと言うだけなのかも知れない所が、アニメ業界の闇の深さですね。

 

 

サイバーパンク エッジランナーズ

どうも良く出来ていると言うので、初めてネットフリックスに入って見てみました。

 

うーん? どうなんだ? これ?

始めに総括をしておきますが、どうも釈然としない話だった気がします。

 

作りとしたら、ヤクザ物のようでもあるが、マフィア物ですね。

ただ、それが高校生くらいの子がなる設定が、ヤバい作りです。

しかもそれだけでなく、サイバーな世界だから、急にたまたま強くなります。

ドラえもんの道具の様に、ガンダムにたまたま乗ったアムロのように、たまたま急に不思議な未来の道具で、努力なく強くなる子供の話です。

途中マラソンみたいな事をしてましたが、やった事は、お金で人工の肺を入れて、走れるようになると言う、馬鹿な話でしたね。

 

つまり、努力なく、運よく、強くなった子供が、マフィアの様な世界に入り、認められていくと言う、やってはいけない事のオンパレードの様な話でしたね。

 

そうは言っても「たまにはこんな、ハーレム物の様な、ご都合主義の話も良いだろう」と言うのも分かります。

それに、ちゃんと気は使っている作りです。

大事なのは、現実からどこまで離すかです。

この話はちゃんと現実世界から結構離れた世界で、やばい事をしています(元の世界があるから、それに沿っただけだろうけど)。

だから、勘違いする子供もいないでしょう(「アニメ等で勘違いしないよ」と言うのは嘘です。どうしても流されるのが子供なのです)。

 

でも最後は、どうするのだろう? とは思って見てました。

しかし最後も「マフィアなどになった子供の話の最後」をちゃんと踏襲してます。

つまり、最後は死ぬのです。

悪人になり、罪もない人も殺した主人公は、死ななければならない。

そこをちゃんとしてるのは、好感が持てます。

 

でも最後、ヒロインは残る。

あれはどうなのだろうか? いいのか?

ヒロインの善悪と言うのもあるが、あれで「良かった」とか「めでたし」にはならないだろ? と言うのが気になる。

 

ここで私の素人考えです。

まず、このアニメは元ネタがあるから、好き勝手は出来なかったと思うのですが、そこは無視します。なのであくまで参考程度で聞いて下さい。

 

私なら、始めに子供(女の子が良いか? 12歳くらい前後が良いと思う)を出します。

その子はヒロインと同じような実験体だったとします。それに親に死なれたばかりであり、主人公にも重なる部分を付けます。

主人公は既に20代後半になり、体もでかく、顔もおっさんっぽくなってるとします。だからもう、主人公は成功した後の話です。

この子供が何かのキーだと分かり、家にかくまう。

それで、どう使うかは分からないが、どうも大事な何かのキーとして使えそうだとは分かっているので、しょうがなく家に置いておくのです。

 

ヒロインも主人公も、自分に似た境遇だからか、どうも愛着がわいてくる話です。

そこで、この子供が家で主人公の昔の写真をみて、ヒロインに昔話をさせる事で、昔の話になる。

そこからは、アニメ通りの流れです。

主人公がヒロインに会い、悪人になって行く話です。

 

最後の方も同じでよく、ただ主人公はやはり、子供みたいな顔はやめて、おっさんぽくしておく方がよかったでしょう。

歳も20代後半くらいにはしておきたかったですね(元ネタの設定上、長い時間は出来なく、無理かもしれないけど)。

 

そして最後、主人公は死ぬ。ヒロインも死ぬ。

ただ、この子だけは生き残そうとする。

 

そして最後、ヒロインが行きたがっていた月にこの子供が行き、そこで終わりになる。

って言うのはどうでしょうか?

(地球を見ながら「本当だ……やはり月はいいね……地球の美しさが分かるから……」って言わせたい。

こんな地球にはもういたくない。遠くに行きたいと、月を見上げてた。

しかし離れて遠くから見たら、地球の良さに気が付いた。

としたいし、それと主人公とヒロインと永遠に分かれてしまった後だから、良さが分かる、と重ねたいのです)

 

まあ、これもありきたりなのだけど、何も罪のない子供が生き残り、次の世代に受け継がれて行く。だから希望だけは残る。と言う話にした方がよかったと思うのです。

 

 

ヴァイオレット・エヴァーガーデン

テレビ版と、劇場版二つも見ました。

 

これ京アニなのですね。だから絵は良い。絵が良いだけで見てられるのだから、それだけで価値がある。価値はあるが、どうも無理やりな力わざな気もします。

 

始め、この作りで文句を言いたくなかったのですが、言わない方が失礼だと思うので、文句を書いていきます。

他の多くの日本のアニメはこれ以下です。

だから他と比べると良いだろ? と言いたい所ですが、それでも世界では通用しない演出です。

ここまで来たら目指すのは世界に通用する事だろうから、そこに行ってないと言う所は文句を言わないといけない。

言わないのは、この程度しか出来ないと、始めから馬鹿にしている証拠なのです。

だから文句を言います。

 

綺麗なお店ほど、汚い所に目が行くのです。

始めから汚い店なら、汚い隅などは気にならないのです。

なまじ良く出来てそうなアニメなので、気になる所の方が多いアニメでしたね。

 

一話時点で、戦争シーンがある。この戦争シーンがミソでしょう。

なのに雑です。横からヴァイオレットを映し戦うのみで、臨場感も緊張感も怖さも何もない。

全ては戦争から始まり、戦争で少佐を失う所から始まるのだから、この戦争シーンに力を入れなくてはいけない。

少佐が死ぬ所も怖さがない。泥臭さがない。

だから戦争後とコントラストがなく、心に響かないんだよ。

 

キャラもちょっとこび売り過ぎ。服、面白過ぎ。胸、はだけ過ぎ。

客うけをさせる為、そしてファンタジー感を出す為、ある程度は良いと思う。

だけど、話の作りから言えば、あれはやりすぎ。キャラのアニメ的な魅力はもっと抑えた方がよかったですね。

 

話としたら、戦争で戦うだけしか知らなかった少女が、心を理解する話であり、ここは良くある話です。

ただそれを、代筆屋にしたのが秀逸です。ここがこの作品の全てですね。

ヴァイオレットを、手紙の代筆屋にした所は、うねってしまいました。「なるほど」と。

 

話も、大体そこそこ良い。ただちょっと暗いから続けて見るには辛いけど。

 

その中で10話は良かったですね。50年誕生日に手紙がくると言う話です(50年はやりすぎだけど)。

映画でも出て来るくらいだから、人気があった話なのでしょう。

ただやはりここでも演出がおかしい。最後、女の子が大きくなった話が出た後で、ヴァイオレットの話になる。逆でしょ?

ヴァイオレットの帰った時の話を先に出し「これからこれを出し続けるのか。大変だね」などと仲間に言わせるのに留めて、内容は伏せておく。

その後に、女の子の成長の話に持っていくのがセオリーでしょう。

なのに、なぜあの順番にしたのかな?

 

ヴァイオレットが戦争で人を殺して来た事で落ち込むのも、立ち直るのも弱いですね。

例えば、いまだ戦う敵を出し、ヴァイオレットが少佐を殺した敵だと認識して、怒って殺そうとする。

敵のアジトに行った時、敵には少年や老人もいる。そこで少年に「お前らに家族が殺された!」と言わせる。

そこで、自分も愛する人を殺されたが、自分も誰かの愛する人を殺して来た事に気が付く、と言う話くらいにはする必要があったと思います。

 

テレビ版では、死んだ人を乗り越える話になっていて、文学的になってますね。

だから「テレビ版の方がよかった」と言うネットでの感想を言う人も、結構いたように見えました。

 

始めの映画版も、そこそこ良かったです。

 

で、最後の映画です。

「実は生きていた」と言う話です。

 

うーん? なぜ電話を入れて来たのか? なぜ少佐が急に愛の告白みたいのをするのか? どうも演出がぎこちないですね。

 

少佐がヴァイオレットと離れたのが数年前で、ヴァイオレットはまだ子供でした。

それから会ってないのに、あって急に愛の告白をするから「ロリコン」と世間に言われてしまうのですね。なんだろ? あの演出。

 

手紙の話なのに電話を入れて来る。普通ブレるからやるべきではない。

ただ、やるなら意味を入れる必要がある。もっと分かりやすく。

「大事なのは、手紙とか電話でもなく、相手に思いを伝える事だ」などと言いたいのだったら分かるけど、なら分かりやすくやった方がいいね。

 

最後の少佐の言葉もいらない。

ヴァイオレットは「言葉にならない」と言う演出でした。ここは良い。

なら、少佐も言葉はいらなかった。何も話させる必要はなかったのです。

 

「思いは大事だ、しかし時にちゃんと伝えないと伝わらない」と、たしかテレビ版の途中で言ってたと思います。そうだと思います。

それが手紙でもいいし、言葉でも良い、と言うのを、電話を出す事で表したとします。

そして最後は「気持ちが伝われば、もはや言葉すらいらない」を表せば良かったのです。

ヴァイオレットは手紙を少佐に書く。少佐はヴァイオレットに走って行き、かけよる。そこで向かい合った彼らに、もはや言葉はいらない。

と言うシーンにして置くべきでしたね。

そうすれば、少佐がロリコンだと言われないで済んだ事でしょう。ただ抱き寄せればいい。それが子供としてなのか? 妹なのか? それとも恋愛なのか? と分からなくさせとけば良かったのです。

 

少佐も自分の感情が良く分からないが、とにかくヴァイオレットとその後暮らすようになった事にして、それから数年後だったら、結婚したって別に良いと思うのです。

だからそこは濁しておけば良かったのです。

 

 

最後、ご都合主義っぽい終わり方でしたが、この全てを上手く終わらせる物語が、子供向けアニメには必要だと、最近私は気が付きました。

全てを大団円で終わらせる事が、子供の心の解放だからです。

これで、アニメの世界から抜け出せるのです。

ヴァイオレットに男が出来る最後も、これで良いのです。これで見てるファンが馬鹿らしくなるからです。

普通は良いとされる余韻を残さない事が、子供を現実に戻す魔法なのです。

ここはとても良かったです。

(言い忘れてたので、ちょっと追加。

最後の映画では未来も出しました。あれも終わらせ、もう続けない事を言ってるのです。

「ヴァイオレットは18歳で辞めて、どこに行ったか分からない」と言ってしまえば、その後復活する話は、もう出来ないと言う事です。

これは「結城友奈は勇者である」とか「ナディア」の最後もそうです。未来も出す事で、続きを出す事を止めてしまう。

それでもう、客が「この続きを見たい」と言うの封じてしまう。

それで「もう本当に終わったんだ」と思わせられるから、子供を現実に戻せるのです。

ここも良かったですね)

 

 

なんであれ、このアニメ「実は生きていた」なんて、甘い物語です。

甘っちょろい物語です。

 

でもこの映画、wikiによると、京アニ放火事件で公開が伸びたようです。

その後、コロナが起き、また公開が伸びたそうです。

 

現実の人生とは、辛い事があり、逃げる事も、誤魔化す事も出来ない。

そこに救いが、いつもあるとは限らない。

でもだからこそ、物語の中では、たまには、甘い物語も良いでしょう。

時に人には、ただ甘いだけのケーキが必要な時があるのです。

 

どうもこのアニメの甘っちょろい物語に、救われた気分になってしまった、最後でした。