号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

集大成

アニメ「Gのレコンギスタ」の映画版、1と2を見ました。

映画で5部作品になるそうです。ネタバレです。

 

富野作品でガンダム物は最後だそうです。もはやガンダムでなくても良い内容ですけどね。

ただ良くも悪くも、流れからやってる事はガンダムですね。時代設計がどうとかではなく、話の作り方や内容が、ガンダムから作られた物だと思います(ガンダムの時間軸の中なのはどうでもよく、物語の設定や流れがガンダムの様な作品だと言うことです)。

そのガンダムでやって来た事の集大成と言う事でしょう。富野さんが長く考えて来た事の、この人なりの答えを出したのだと思います。

と言う訳で、この作品は「富野さんと言う人間がどういう考えに至ったのか?」を見る分にはとても面白い作品です。

ただの「ガンダムを作り出した人がたどり着いた所」ではなく、「だれよりも長く深くガンダムと言う作品の中身を考えてきた人がたどり着いた所」なので価値があるのです。

 

宮崎駿さんは「未来少年コナン」や「ナウシカ」の後で「天空の城ラピュタ」をやり、この辺で未来風少年ファンタジーをやらなくなりましたね。これはもうこれ以上の物は作れないと思ったのもあるでしょう。そしてそれはあっています。

しかしガンダムは違います。一年続ける長い話なのも関係してるのですが、とても「最高峰でこれ以上ない作品」では無いですね。

だから後になり考えると、新たにやれる事も多いし、やりたくなる事も多いのだと思います。だから止めれないのでしょう。

サッカー選手のカズ選手の様な者ですね。ワールドカップに行けず、終わりを見失ったのです。でもそこに人の人生の完璧さが無い分、人らしい葛藤が生まれ、良い事も悪い事も含めた後の世代へのメッセージが残るので、私は良いと思っています。

富野さんも、宮崎さんみたくほぼ完璧な作品を作れるような人ではなかったので、続けるのでしょう。そしてその方が「頂点にたどり着けない多くの普通の人に伝わるメッセージ」が残るので、私は好きですね。

 

私は前にこのブログで「富野さんは劇場版Zガンダムガンダムを終わらせられた」と言いました。「でもまだやってるじゃないか」と思う人もいるでしょう。

あれは「アムロがいる時代のガンダムを終わらせられた」と言う事でもあるのだけど、もっと大事なのは「富野さん自身がガンダムを終わらせた、と思えた」と言う事です。

終わらせようと思ったのに、何かがおかしく終わらせる事が出来なかった為、皆に呪いとして残った「ガンダムの呪縛」、そこからの解放が出来たのです。

そして精神的に終わらせられたから、次に行けるのです。

 

サッカーのカズ選手はワールドカップに行けていたら、もう辞めていると私は思います。

では辞めてからどうしてたのか? は分かりませんけど、中田元選手の様にサッカー以外の人生もあったでしょう。

しかし監督などのサッカーに関係する事をしてたかもしれません。別にサッカーから離れる必要もないのです。

ただそうだったら精神的には楽だったはずです。

もしカズ選手がワールドカップに行けて辞めれてその後監督をやっていれば、今現在選手を辞めて監督を目指すより、精神的に楽だった事でしょう。

 

富野さんもそうです。劇場版Zでガンダムを止めれたのなら、そこからの解放であり、それからどうするかは自分の自由になるのです。

そして自由の中でガンダム関係をまたやってもいじゃないですか?

呪いでやらされるのではなく、自分自身の意思でやる。そこに未来に向けた感情が乗った物語が作られる気がしませんか?

それが「Gのレコンギスタ」だったと思います。

 

パッと見て、この話にはジェンダー問題がありますね。このアニメの始めの方でチアガールが出て来ます。ここが私には面白い訳です。

このチアの中に実は男が含まれるそうですね。面白いですね。男女差別は無いと言う事なのでしょう。

しかし最近の五月蠅い男女差別を訴える人は、チアガールはなんて言うのでしょうね? 男女差別の象徴だとか言いそうです。

でもチア何て、男女差別問題が昔から日本よりうるさいアメリカで流行ってる事ですよね? つまりチア自体は男女差別では無いでしょう。逆に普通はチアに男が入れない事自体、逆差別の様な気すらします。

それに昔から女だけがスカートをはく事に対し、うるさく言う人がいますね。女だけスカートなのは男女差別だと言うのです。

で、私もスカート強要は差別だと思います。強要が良くないですね。選べるようにするべきです。

つまり強要、強制がよくない。それが無い上で自分の意思でスカートをはくのは構わないです。つまり男女差別がないのなら、その上でチアをやるのは構わないのです。だからGレコのチアはかまわないともいます。

この辺の富野さんのメッセージが面白いですね。これは差別ではない、と言いたいのでしょう。なんでもかんでも差別だと言えばいいわけでは無いと言う事です。

ただ「やらしい目で男が見る」「それにのっている愚かな女」と言う事ではなく、チアの様なものにも人の人生に良さもあるだろう、と言う事だと思います。

 

この辺に「ブレンパワード」からの富野さんの考えがある気がします。

人としての昔からの感覚で出来ている事で、ただ古いだけではなく、良い事や必要な事があると言いたいのだと思います。

それが未来の話でロボットとか軍隊が出て来るアニメに、チアガールが出て来る理由かと思います。

未来においても結局人は進化はしないのだから基本を忘れるな、と言う事です。

基本を見うしなければ、ある時世界がおかしな事になっても、また正常に戻せると言うメッセージだと思います。

 

ちなみに実際だとチアが差別かどうかは結構微妙です。

チアをやるのが男女差別になる時もあります。だから外見ではなく中身でよくよく見ないと分からないものです。

中身をよく見て、強要がないのが差別にならない事なのです。

直接の強要ではなくとも、間接的にだったりするときもある。「弱い女にはそうするしか自分を売るチャンスが無い社会」ではダメだと言う事です。

中身が大事です。外見ではない。チアの様に足を上げて踊っていても、そこは関係が無いのです。

 

しかし男がスカートで会社行ったら怒られますよね? これは差別じゃないのでしょうか? つまり論理的な事では無い、感情的な差別があるのが現状です。そしてこれはずっと続くでしょう。

これは感情的にだけダメだと言う事であるのだが、それは世界中のどこでも「大体は通る」事です(スコットランドとか一部の狭い世界では大丈夫なのは知ってますが)。東洋西洋関係なく、国も関係なく、ほぼ同じな感情だけの差別はあるのです。

このアニメでもマスクの様に出身地差別が出て来ますね。これも論理的な考えでは無い。

しかしさっきも言った様に「スカートは男は駄目」と言うのが世界の先進国の一般の会社だと通ると言う、論理的な事では無いのに、しかも多くの人が必要だと思える事があるからこそ、難しい問題です。

論理的では説明が出来ない感情的な事も、全てを否定はできません。どんなに暑くても水着で会社に行ったら怒られるのです。そしてそれがほとんどの世界で通る事でしょう。

だからこんなに未来なのに「出身地差別がある世界」と言うのも、あながち嘘ではないかも知れませんね。

これは最後には世論の感情に訴え、勝ち取るものだのですからね。もちろん最後の最後にはね。

実は根が深く、そして未来にも多かれ少なかれずっと残る問題が「差別」です。そして論理的では説明が出来ないのも差別です。男がスカートは駄目なのも、あそこの出身者は嫌いだと思うのも、どっちも説明は出来ないものです。

ただ実際は出身地差別は良くないとは世界中で思われているので、そこには未来があります。でも差別はしてない、嫌いなだけだと言われたら、反論は出来ない。このアニメでも露骨な差別は無いですからね。そこも上手い訳です。

それを「つべこべ言わず、出身地差別は良くない」と言う事を「心」に訴える事、すなわち「物語にのせる」と言う事の意味がどれだけ大きいのか、考えて下さい。

 

さて、物語の中身です。

分かりずらい物語ですね。それでも映画版は分かりやすいのだそうです。じゃあ問題ですね。

しかしこれも「世の中単純ではない」と言うメッセージだと思えば、まあそうかな? と思えるものです。

確かにもはや単純に敵味方があるのが世界では無いですからね。

しかも今後の世界は更にそれが強くなってくる事でしょう。

国も立場も人も「単純な善悪はない」と言うのがこの物語ですね。確かにそれを子供に伝える物語は、富野さん位しか描けない気がするので、価値はありそうです。

その複雑な中で「よく考えて自分で真実を見付けろ」と言う事でしょう。

この感覚は今後の世界では大事ですからね。敵と味方が国土を得るために戦争をする、なんて簡単な図式はまず無いのが未来です。そう見ると、やはり子供に対するアニメとして価値はあります。

ただ分かりずらいにもほどがありますけど。

 

戦闘をして死者も出てるのに、そのトップが普通にあったりします。

そして戦ってる人達も何かのほほんとしている。

ここも分かりずらくしている所ですが、これも良く出来てます。

こんな感覚の戦争や戦闘が今後の未来には多くなってくる事でしょう。だから未来のシミュレートとしても良く出来てますね。

衣食住に困ってもいない人達が戦っています。なのでどうしても死の感覚が緩くなる。死人がよく出る祭りを止めないようなものです。危険な事をするスタントマンを禁止しない様なものです。崖のような山を登っても、家族以外だれも止めませんね。

未来は、食べる物や場所やエネルギーではなく、感覚や感情や立場が戦争の理由になってくる。

ネットで、未来なのにまだエネルギー問題で戦ってる、と言う様な意見がありました。あれはエネルギー問題ではなく、それを管理している人の問題ですね。地球だとソーラーパネル設置すら禁止されてると言ってましたね。

それに科学を発展させるのも禁止だそうです。つまり科学の力で戦ってると言うよりは、政治的にどう誤魔化し隠れて科学を発展させれるかと言う、内部的な戦いでしかない。政治的かつ個人的な戦いである。これも今後の未来はこうなってくるのであってます。

 

主人公らしき人ベル。これは成長しそうなので、富野作品としては少しは主人公ぽくはなってきました。ただ少しです。まだ大体やってる事が物語の進行係な気がしますけどね。

これはたぶん富野さんの「世界は誰かの為の物語では無い」という信条でもあるのでしょう。しかしこれは物語ですからね。だから普通はアウトです。

でもまあ、こういうのもあってもいいかもしれません。群像劇であり主人公がいない物語です。世界が主人公の様な物であり、リアルな歴史物語に近いのかもしれません。

その中で皆がそれぞれ考えろ、と言う事なのでしょう。歴史から学ぶようなものです。

 

このベルはヒロイン三人の横で脱糞をしますね。富野さんはやりますね。ただ私には別に好きなシーンでもないです。

これもベルの主人公ぽさを無くしているのでしょう。

ベルはただの人だよ、と言う事と、そんな事はリアルな世界である事で、それを無視してはいけないと言う事でしょう。

好きな人の横でクソをする位で壊れる付き合いではダメだ、と言う事でもありそうです。

ただ普通はもっと面白おかしいシーンにするとか、やり方があると思いますけどね。急にベルが脱糞をする。この不器用さが富野さんですね。

 

ベルは学校でロボット操作等を学んでいます。

アムロカミーユみたく最初から努力もしなくて強い、と言う嘘をはぶいているのです。

ちゃんと学んで努力はしろ、と言う事です。

 

ベルはカミーユみたく積極的に戦争に加担はしませんでしたね。

いつも防衛戦で、あくまで好きな人を守ると言う事です。

そして、味方だった人達の行動がおかしいと思い、それで戦いが止めれなくなっていきます。

これも富野さんは、カミーユみたいな子供が戦争に積極的に加担はおかしいと思ったのでしょう。しかしリーンの翼の主人公みたく、積極性が無さ過ぎるのも問題だと気が付いた。

だからなんとか理由を付け、ベルには積極的に行動をとらせるが、戦争行動は消極的にしようとしてたように見えました。

上手く行ったかはともかく、それを考えて目指す富野さんの作り方が大事なのです。

 

マスクが出て来ますね。まあシャアを思い出しますよね。

しかしこいつ格好が悪い。

これもそんな恰好が良い奴なんていない。そんな奴は、格好つけてるだけのおかしい奴だ、と言うメッセージでしょう。

王子様はいないよ問題です。

これを明らかにシャアであった富野さんが描いているのが面白い訳です。

シャアのおかしさに気が付いた、と言う事は自分のおかしさに気が付いたと言う事です。

これも子供向けのメッセージとしたら正しい訳です。シャアを作った富野さんだからこそ言わなければならない。

しかし物語ですからね。こんな事をするから、なお更何をしたいか分からない物語になってますね。

 

アイーダもテレビ版だともっとダメダメな人らしいですね。

映画版でも段々何やってもダメな人の様に見えてきましたけど。

これも距離感ですね。魅力的なキャラを魅力的過ぎにはしない。王子もいないがお姫様もいないと言う事です。「ナウシカ」などいないと言う事でしょう。

ただここもそうです。じゃあ皆格好悪いか、ダメな人間ばかりな物語になりますからね。多くの人にとったら、どうしたいのかが分からないと思います。

 

主役ロボット「Gセルフ」格好悪いですね。他のロボットも格好悪い。

そしてGセルフはおもちゃっぽいですね。これは子供が兵器や戦争にあこがれたりしない様にしてるのかともいます。

 

このアニメはスタートが地上です。

アムロカミーユも宇宙育ちです。物語として恵まれない人達が地球を目指す。

しかし今回はもう地球なので恵まれてますね。富野さんの心の余裕もあるのでしょう。

そして宇宙を目指す物語です。宇宙を否定はしません。

これは恵まれてるように見える社会を呪いながら、それに憧れてしまう青年や中年から、宇宙を目指す少年の心に富野さんがなったのでしょう。

そしてその基本の心が大事なのだと、たどり着いたのでしょう。

地に足を付け、植物や自然がある所で、学校で勉強や異性に興味を持ちながら育つ。

そして夢(ここでは宇宙)を目指す。この基本が大事だと言う事です。

 

とにかく、一見支離滅裂で何やってるか分からないし、魅力をそぐキャラ設定だったりするのだが、富野さんの考えを考慮すると間違ってない気がしてきます。

そしてこれを「子供に見せるアニメ」と考え富野さんは作ったようなので、子供への影響をよくよく考えてある訳です。

でも富野さんはそれらの表し方が上手い人でもない気がします。だからこのアニメが一般的には今一だ思われてしまうのでしょう。

ただ物語制作の人達は、本当にこのアニメを良く見て考えてほしいですね。

多くあるなんとなく作られたアニメでは無いのです。外見だけまねたアニメとは全然違う。

良く分析すれば、こんなに中身に深みがあるのだと分かるアニメです。

 

子供にはなんとなく分かれば良い内容です。大きくなった時に気になれば深く考えればいいアニメです。

そしてアニメ制作者は、ガンダム等のロボット物を作ってきた人が集大成で作ったこのアニメをもっと分析するべきです。考えるべきです。

それをしない人は、ガンダムの様な物語を描く資格すらないのだと思うべきです。

この作品は、富野さんが次の世界をになう子供に残すメッセージを込めたと思います。

そしてそれは間接的に「子供に向けた物語を作る側」に向けたメッセージでもあるのです。