アメリカのドラマ「ウェンズデー」感想、ネタバレです。
ここから、「物語の良さの基本」の事も話します。
どうも人気があったようなので、見てみましたが、面白いですよ。
見た感じで、頭に浮かんだのが、映画「クルエラ」です。
どっちも「新しくはないけど、分かっている作り」だったからです。
人は「見た事もない新しいもの」を欲しがります。物語でもそうです。
新しいもので、魅力的なものを作った人のことを、人は「天才」と呼びます。
つまり天才しか出来ないのが「新しいもの」です。
では凡人はどうするべきか? 「努力」です。それしかない。
そこで「物語の良さ」を「頭で理解して構築すること」が必要になるのです。
それに、天才が作った「新しいもの」だって、全て新しいなどは、今の時代無いでしょう。
普通は9割以上は既存の要素で出来ているのです。
だから、天才であっても、「物語の良さを頭で理解して構築するの能力」は必要になるのです。
(音楽の勉強をまるっきりした事も無いのに、才能だけで曲を作ろうとするのは無理なのと同じです)
「ウェンズデー」も「クルエラ」もどっちも、新しくはないけど、物語の基本の面白さを分かっていて、面白く作れている作品なので、参考になると思います。
なので、それを知りたい方は、見てみるといいと思います。
「ウェンズデー」は全8話です。
6話までは面白かったですね。
つまり最後でコケました。残念です。
人の心象には「最後」が一番大事です。だから最後を怠ってはいけない。
30分、初めて会った誰かと話をしたとします。29分良いやつに見えるが、1分嫌なやつに見えたとする。
始めの1分が悪く見えて、残り29分良いやつに見えたら? 「始めは嫌な奴に思えたけど、話したら良いやつだったよ」と言う事でしょう。
では途中の1分が嫌なやつだったら? 「癖があるし、裏は分からないけど、良い印象だったよ」とか言うでしょう。
では最後の1分が嫌なやつだったら? 「一見良さそうだけど、実は嫌なやつだった」と言いませんか?
30分の1、嫌なやつだっただけなのに、最後の1分が嫌な奴に思えたら、印象が「嫌な奴」になるのです。
このドラマは最後手を抜いた、というより、才能の限界だったように見えます。
才能も限界だし、さっき言ったように「知識」も限界だったのでしょう。
どうもアメリカには、物語の良さを頭で理解する人達がいて、情報がある程度固まっているように思えます。
でも、このドラマのように最後コケるのは「最後どうするべきか?」の知識はまだ出来上がってないのでしょう。
だから、まだ可能性はありますね。脚本や原作が、ただの「技術職」では、まだないからです。
まだ、これより上に行ける余地が残っていると言う事です。
まずは嫌な「良くなかった要素」から話します。
7話
このドラマ、ミステリー調です。ポーの名やクリスティの名が出てくるので、ミステリも好きな人が混ざっている。
しかし素人ですね。
前にも言ったように、ミステリーの基本は、私の子供の頃に流行った「10回クイズ」です。
A君がB君に「みりんと10回言って」と言って、B君が10回言ったあとでA君が「鼻の長い動物は?」と聞くと、B君は「きりん」と答えてしまう、というやつです。答えはもちろん「ぞう」です。
ミステリーの中で「Aが犯人だ」と匂わせておく。しかし客は「Aと思わせておいて、実はBが犯人だろ」と思う。しかし犯人はCである。とするのが基本です。
大事なのは客に答えを考えさせることです。客が自分で「Aが怪しいが、実はBが犯人だ」と考えてしまって、自分の考えに溺れてしまうように仕向けるのが、ミステリーの基本なのです。
「ウェンズデー」では、ずっと精神科医の女性とゼイヴィア(絵を書く青年)が怪しいという描き方です。
ならミステリー好きには「本当はタイラーとマリリンが怪しい」と言うのは一発で分かります。
しかし分かるからこそ「そこから本当は誰が犯人だと、持っていくのか?」が気になっていたのだが、素直にタイラーとマリリンでしたね。
あれは駄目です。それは途中で、すでに分かるからです。
つまりミステリーとしたら、素人が書いてます。
もちろん子供向けであり、だから難しくしないのは分かるけど、あのレベルは「子供だまし」です。
だからもっと頑張って欲しかったですね。
6話で最後仲間を失う。
物語最後手前で「全てを失う」のは定石です。だから「分かってるな」と思ってみてました。
なのにフェスター伯父さんを出しましたね。あの伯父さんは有名なキャラだと思うので出さないわけにも行かないし、それならあのタイミングなのも分かる。
しかしちょっと強すぎる。あの伯父さんがいたら、何も怖さがないように思えてしまう描き方でした。
せっかく「ウェンズデーが全てを失って、一人で頑張り、孤独と不安の中で乗り越えていく、そしてだからこそ仲間の存在の大事さが分かる」という話になる筈だったのに、伯父さんがぶち壊してくれました。
もっとぱっと出て、ぱっと助けて、ぱっといなくなれば良かったと思います。
もしくは、もっと前の話に出すかです。
8話、最後の話です。
タイラー(実は怪物の青年)が、ただのDCとかマーベルの敵みたいな描き方です。つまり「敵」という記号でしか無かった。残念です(マーベルの敵などで違うのもあるけど、ほとんど敵と言う記号です。逆に言うとそこに気を使えている作品が、良い作品になってます)。
急に悪態を付くのが、ちゃっちい。
ちゃっちいが、ちょっと涙目だったので、「実は、あれも操られていた」などという裏がある可能性はある。
あるが、その答えがもしあっても、次回作以降でしょう(2期やるようですね)。
そこに葛藤とかを入れておくと良いのに、それを入れないから「怪物という名の記号」でしかなく、つまり「感情がある人」とは描けてないのです。
「感情がある人」だからこそ、そこに客の色々な感情が生まれるのに、分かって無い作りでしたね。
なぜか最後のイーニッドの扱いや、学校の校長や、ゼイヴィアの扱いが雑でしたね。
急に描き方が雑になったのが気にありました。内部で何かあったのかな? (上手い人でなく、権力者が最終話は描いたとかね)
イーニッドが最後狼に変身するのは、もはや既定路線です。
しかし雑ですね。なぜ急にあの時に? って感じです。
せめて、「危なくなった瞬間変身」とかするでしょ? なんで道走っていて変身なんだよ。
「敵の攻撃をうけて、やられたか?」と見せて、変身していて防いだ、ってくらいはやるでしょ? どうしたのかな?
学校の校長も、死ぬ前に一言欲しかったね。「学校を守って」でもいいし「生徒を逃して」でもいいから、一言ほしかった。それだけで印象が変わるのにもったいない。
あれは、ただの駒として扱っているからだよ。
ここもそうで「感情がある人として描いてない」という所が問題です。
ただちょっとは気にしていて、だから最後校長室でウェンズデーに一言言わせたのだろうけど、まだもの足りないね。
ゼイヴィアもなんだか分からない描き方だったね。
あれもただの駒なんだよね。役割を淡々とこなす、駒として描いているから、雑だし、彼に対し感情がわかない。
ゼイヴィアをウェンズデーが助けます。矢に刺さって。あれは逆ですね。ゼイヴィアが矢に刺さり助けるべきでした。分かってない。
ぜイヴィアもそうだし、タイラーもそうなのだが、あの最後の描きかたは「アメリカドラマの問題点」だと私は思っています。
つまり「続けさせるため為に、わざと描き切らないようにしておく」という事です。
だから中途半端に描き、色々残しておくのです。
すぐに続きをやるのならそれでもいいけど、次が決まってないのなら、良くないと思っています。
さっき言った様に、最後の印象が大事です。だから最後こそ、中途半端にしてはいけない。
全てを大団円にする必要ない。
しかし人の描き方は気にする必要がある。
脇役を魅力的に出来るかが、長いドラマには必要だからです。
そして「脇役の感情を描く」事が必要です。
感情に人は共感したり、反感を持ったりするのだからです。
そこが雑でした。
「最後のみんなの感情は、的確に、丁寧に描いておけ」と言う事です。
もったいない話でしたね。
(作家ジェフリー・ディーヴァーが「短編だと悪い者が成功して終わる事が出来る」と言ってたのが印象的でした。つまり「短編は短いだけではない要素がある」と言う事です。同じく長編もただ長いだけではない。長編だと脇役の出演時間も、映画の主人公レベルに近づいてくるのだから、それらに愛着がわき、だから映画の主人公レベルの気づかいが必要になるのです)
さて、
「物語の作りのいい所」の方を書きます。
長くなりそうなので、端折って書くのは勘弁です。
1話
「学園物」
ハリーポッターのように、エヴァのように、客のみんなが知っている学園物は面白のが確定です。
嫌でも人が多く集まる所、嫌でも関係する所、というのも良いのです。
(これは成功確定のトッピングみたいな事です。ハンバーグでもラーメンでも合う玉子みたいな物の事です。魔法使い物やロボット物に、もうひと味付けたい時に、学園物を付けると面白さ確定だ、と言う意味です)
「新しい学校に行く所から始まる」
新しいければ、主人公が何も知らない所であり、謎がある場所だからです。
そこを客と一緒に知っていく作りに出来るから、始めは新しい場所に行くのは定石です。
「ウェンズデーは頭が良く、スポーツも出来る」
基本の主人公はヒーローです。何かしら優れた所がある場合が多い。
もちろん「何もない主人公が、何かの力を得る」という方もあるが、これも何かで力を得るという事であり、優れた所を始めに得るのが定石です(もちろん例外はなんでもある。しかし優れた所がない主人公だと文学的作品になるけどね)
「だけど完璧ではない」
ビアンカにフェンシングで負ける。
完璧すぎると、これ以上成長がない。
やられる怖さも描けなくなるから、強いが、強すぎないのが大事です。
この負ける相手が、ずっと確執をもつビアンカにする所が、ありきたりだが良いですね。
(ライバルは必要です。ただこの話だとライバル感が弱かったな)
「無茶をする」
主人公は魅力的な何かが必要です。
その一つが普通出来ない事が出来る、という能力です。
もう一つが普通やらない事をする、という行動力です。
人はやりたくても出来ないことが多いので、誰か他人が何かをやってくれる事を願うものです。
だから無茶をしてくれる人が、他人に欲しいのです。
ウェンズデーはいじめっ子をやっつけます。
ビアンカの所も、弱いやつを助けたかのようなシーンです(よく見ると違うけど)。
無茶をして、客が出来ないことを体現してくれる人に魅力を感じるのです。
そして魅力があるからこそ、その人の物語の続きを、見たくなるのです。
(主人公には魅力が必要だと言う事でもあります)
「ウェンズデーは一人ぼっちで、人の感情も良く分からない」
これは、マイナスがあるから、成長物語が描けるという典型です。
主人公にはマイナスを作り、そうすればそれを克服する物語にすればいいので、ブレずに方向性を決めれて、やる事がはっきりして、とても物語を作りやすくなる事でしょう。
それに現在は「ポジティブな主人公がみんなを導き、ハッピーにしていく」という物語は喜ばれません。そういう物語を信じられない世の中だからです。
だから陰キャラが頑張る話のほうが受けるのです。
「すごいキャラで魅力的だが、問題点もあり、だから普通の人も共感も出来るキャラが主人公」と言う、とても分かっている作りです。
(マイナス要素がなく、物語が弱く感じたら、主人公にマイナス要素を付けて行きましょう)
「ルームメイトは陽キャラ」
反対にするのは、お決まりですが、きっちりやってきますね。
ルームメイトだから、嫌でも一緒にいる存在になる。
物語としても、陰キャラだけだと偏りがちになるので(見た目も流れもセリフも)逆がいるとバランが取れるので良いですね。
「ハグを嫌がる」というのもお約束。もう最後ハグするのが私には見えました。
(対になるキャラは普通は入れた方が良いでしょう。アムロとシャアなどの事です。反対の意見から、主人公の良い所、悪い所を浮かびあがれせるのです)
「ミステリー」
ミステリー要素は、物語を面白くさせる、第二番目に大事な要素だと、個人的に思っています。
だから少しでもいいのでミステリー要素を入れて置くべきだと思います。
(足長おじさんでも、足長おじさんは誰だろう? くらいのミステリーは入れるでしょ?)
ミステリーがあれば、謎があるという事であり、謎があればそれを探す物語にすればいいのです。
そして謎が解けたら、新たな謎が出来て、それをまた追えばいいだけなのです。
これは「小さな目標を付け、それを追っていく物語にするのが基本」と言う事と同じです。
それと同時に、大きな目標と、大きなミステリーも重ねて置くと、更に奥深い物語のなるのでいいでしょう(中くらいの目標は、小目標数個分の長さで、大きい目標は更に長い時間かかる目標です)
謎があり目標があるから続きを見たくなるのです。
たまにそれが途切れる話があるけど「分かってないなあ」といつも思います。謎か目標を最低一個はずっと残し、それで方向性を付けておくのが基本です。
(物語には目標が必要だと言う事ですが、それに謎要素があった方が、なお更面白いと言う事です)
「恋愛要素」
恋愛要素が、第一番目に大事な物語の要素です。
昔助けた少年がウェンズデーに興味がある。しかも絵を書く芸術肌だし、ウェンズデーをフェンシングで倒した女の元カレ、と言う設定もおいておく。
それとは別に、普通そうな青年もだす。それがタイラーです。
恋愛要素だけではなく、さらに三角関係に持っていく。分かってますね。
(恋愛こそが、老若男女全ての人に係わってきた強い感情です。だから皆に共通する要素なので、普通は入れるべきです)
「関係性」
タイラーが警官の子供です。
ゼイヴィアの元カノがビアンカにしておく。
校長の元ルームメイトが母にしておく。等など。
役に要素をいくつか入れると同時に、他の役とも関係性を持たせておく。ここも流石です。
脇役同士に関係性があれば、そこからいくらでも物語要素を作れるのだから、普通はこうするべきなのです。
でもだからこそ、マリリンの関係性が無いのが気になり、だから彼女が敵だなと分かってしまう作りは問題でしたが(精神科医の方もそうなのだが、彼女は怪しいキャラです。怪しいキャラと、怪しくないキャラ。怪しくない何もないキャラのマリリンの方が、怪しいのです)。
「未来を見れる能力」
ウェンズデーの能力です。ちょっとご都合主義になりがちなので、怪しいの能力ではありますが。
ただ、物語のスパイスのように、ちょっと流れの違う何かを途中で見せれるので、このような要素があってもいいでしょう。
(ウェンズデーでは未来を見れるだけでは無かったけど、この様な時間を超えた能力は、どれもスパイスになりますね)
「今の問題、昔の問題、家族の問題」
問題を出す。今の問題として、怪物を出す。
昔の問題も出す。昔なのに今でも気になる問題として、家族の問題として出すのです。
過去の父に何かがあった、と言うやつです。
それを追うのが警官です。しかも会った青年の父です。
警官は昔の事件と、今の事件両方を追うのです。
ウェンズデーにとって、どっちも無視できない事件なのです。だから両方放っておけないで、関わっていくのです。
(ミステリーのフロスト警部シリーズの様に、沢山の問題を一度に出すのも面白い効果があります。読んでない方は一度読んでも良いと思います)
「命を狙われる。謎の怪物に助けられる。謎の未来予測を聞かされる」
まあ、色々足しましたね。
弱そうな青年ローワンがウェンズデーを殺そうとする。
母が予知能力を持っていて、ウェンズデーが原因だと殺そうとする。
ここで怪物が出てくるが、助けられる。
助けた怪物の謎、未来予測、それで命さえも狙われる。謎が謎を呼ぶ、とはまさにこの事ですね。面白く出来てました。
2話
「学園イベント、コスプレ」
学園物としての面白さとして、学園イベントは必要です。
それにコスプレをさせておくのも、学園イベントでは正解でしょう。
普通はキャラがブレるからと、コスプレを2話ではさせないのだけど、ちょっとコミックぽい作りのこの作品では、させるほうが正解です。
3話
「絶対的な敵」
流石に現在に沢山人を殺すような、絶対的な敵は出せないので、過去のやつにしておく。
ゴシックホラー調だから、過去の敵も現代に関係が持てると言う理由もあるけど。
絶対的な敵が出てきて、敵が分かりやすくなり、分かりづらいミステリー物語を整理出来るから良いのです(この時は、絶対的な敵自身が出て来るかはまだ分からないのだが、それの流れを組んだ敵は出てくることは分かる)。
4話
「学園パーティー」
アメリカ学園ものだと、もうお約束です。主人公にドレスを着せるのです。
それに恋愛物としての作りをやっておくのも、お約束です。
しかしそれだと「ウェンズデー」ではなくなるから、洞窟を見に行くユージーン、というのも重ねて見せるのが良かったですね。
5話
「家族の問題」
この年頃に大事なのは家族です。
だからこの年頃の話にするなら家族問題を出しておくの、定石でしょう(日本では家族を無視しがちです。実際の日本の家庭がそうだからしょうがないのですが)。
ライバルの家族の問題も描いてきたので、そこは良かったですね。さっき言ったように、ドラマなら脇役も掘り下げるべきなのです。
ただこれらの要素が、最後の方では無視されてたのが気になりましたが(つまり上手くなかった)。
6話
「関係性を深くする」
前にも言ったけど、ここでも相変わらずキャラの多様性を持たせてます。
町長にも息子がいて、それが関わって来て、それがビアンカに関わってくる、などの事です。
町長の息子など、大した意味もないキャラだと思っていたのに、ここまでひっぱてくるのが良かったです。
たまに分かってなくて、これらのキャラを別に作ってしまう物語がある。それだと関係性からの物語がこれ以上出来ないのと、キャラの数が多くなる問題があるので、避けるべきだと思っています。
(映画「ロック」でニコラスケイジの嫁と、ショーンコネリーの娘は同一人物にしろよ、と思ったのを、思い出しました)
「全てを失う」
(脚本の本に書かれていた、大事な要素を言葉にしたのが「全てを失う」です)
友達に嫌われ、仲間を失います。
最後手前で一番下げるのが、物語の定石です。
そしてここからが一番盛り上がる「反撃」の話になるのです。
なるのですが、このあとの7話からどうも上手くなかったですね。どうしたのでしょうね?
この作品は、物語制作の参考になる事でしょう。
それはこの物語の、良い所も、悪い所もです。
どこが良く? どこが悪いのか? と考えることが大事なのです。
そしてこの様な分かっている作品でも、最後が上手くないのだから、まだまだ物語の真髄に達すのは、これからなのです。
二期の撮影が始まるようです。
一期は、21年から撮影が始まったようなので、3年くらい経ちます。
つまり、続きは考えてなくて終わらせていたのでしょう。
さて、この最後の上手く無さから見て、3年後に作った続きが面白くなるのでしょうか?
個人的には、どこまで物語制作の教科書的なもので出来るのかを、見せてほしいと思っています。
もちろん、教科書的なものを飛び越えた天才が作った作品の可能性もなくはないのですが、多分無いでしょう。
もう一度いいますが、天才的な何かではない、教科書的な何かの方が、一般的な物語製作者には大事なのです。