「複製された男」
「バービー」
「ガンダム F91」の感想です。
「複製された男」、2014年一般公開のカナダ映画。
こう言う地味な謎映画ばかり出ている印象がする、ジェイク・ジレンホール主演の映画です。
大して面白くもないけど、ミステリー感で最後まで見れる映画ではあります。
それだけで見れる物になるので、ミステリーって大事だと思います。
ネットで見たら「クモ」とは「縛る者」そして「ママ」の暗喩であるようです。
確かにそう思ったら全て納得するので、そうなのでしょう。
さて考察です。ただの私の考えです。
主人公アダムは教師であり、金持ちです。
母はアダムを縛る人であり、なるべく世間を知らない様に、自分の思う子に育つように、アダムを教育したのです。
その事で、自分がなりたかった俳優にもなれず、抑圧された生活から、背徳的な秘密クラブにも興味を持つようになる。
それに教師をしながら、裏で俳優のまねごとをする。脇役でいくつかの映画に出てたのです。
しまいに妻が妊娠をする。
そこで恐怖感が出る。妻が「母」になるからです。
自分の母の様な、自分を縛る、怖い母になる妻が怖かったのです。
なので浮気をする。
裏で結婚をしている事を隠し、自分をアンソニーと呼び、付き合ってたのです。
しかしもう止めようと思い、今回で浮気は最後にしようと思った時があった。
その時、指輪のあとに気が付かれる。前にあった時から、ちょっと間を置いたので、ギリギリまで指輪を外す事を忘れたのか? もしくは妊娠した時はまだ彼女であり、妊娠中に正式に結婚したので、指輪をするようになったのか?
それでもめて、事故ったのです。
その時のキズが、腹にあるキズです。
事故で死にかけたせいか、脳にも影響が出た。出血が多かったのか?
だから、自分が誰だか分からない時があるようになる。
事故前に名乗っていたアンソニーだと、自分を思う時があったのです。
そして昔を思い出したり、アンソニーだと思ってみたり、俳優だと思ってみたりする。
怖い「母」になる妻から逃げたい気持ちから、昔の浮気してた時の自分だと思いたいと、思う。
それらが合わさり、現実と昔ともう一人の自分とが一緒に出て来て、混乱している話です。
最後、妻に慰められ、ちょっと落ち着く。
しかし、妻は蜘蛛になった、つまり母になったと気が付く最後です。
「バービー」2023年の映画
金が係っていて、絵的に面白い映画です。
バービー役、マーゴット・ロビーは相変わらずすごい人形顔で、すばらしい。
こう言う、明らかな昔ながらのアメリカン白人女優顔って、いそうでいないので、こういう人も残っているのが素晴らしいと言う事です(男で言うならブラット・ピットです。あれもいそうで、いないので、必要な俳優顔ですね)。
ちなみに33歳なので、こういう役をするならもう時間がない。だから良い役が早く来ると良いですね(もちろん歳を取ったら、歳をとった役が出来るのだけど、この顔の若い人が、いそうでいないから、早く若い役をやってほしいと言う事です)。
内容は、どうかな? 今一か?
とにかく、ストーリー的に、上手くはないですね。
なんで現実と陸続きにしたのかな? 意味が分からない。
そうすると嘘っぽくなるので、やるべきではない。
嘘っぽくなると、メッセージも全て嘘っぽくなるので、ダメだと言う事です。
単純に「眠ったらバービーになっていた」か「バービーが眠ったら人になっていた」で良かったのじゃ無いのかな?
自分をバービーだと思っていた痛い子が、バービーに助けられ、最後人として生きて行こうと決心する話で、良いんじゃ無かったのかな?
バービーの持つ女としての要素とか、言ってる事は面白い。
「容姿も格好も、女らしくあれ」から「自立した女であれ」まで、歴代バービーには「女は、こうあれと言うメッセージが色々ある」が「なんであれ、自分らしくあればいいだろ?」と言いたいのだと思います。
思いますが、上手くない伝え方でした。
「なんで男と女が争っているのか?」と文句を言っている感想もありました。
確かにそうなのだけど、「男と女が付き合ってハッピーエンド」でもないだろ、って言うメッセージは面白い。
その昔ながらのハッピーエンドさえも、押しつけだと言うのです。
面白いけど、上手くはない。
どうも「まだ書き始めの脚本のまま、本編作ったのか?」と言うストーリーでしたね。
もっとずっと練れる途中で、見切り発車したかの様な話でした。
「機動戦士ガンダム F91」、1991年の映画です。
富野監督です。
ガンダムをやり直そうとしたのかな?
初代ガンダムに、この後のGレコも含め、何度もやるガンダム要素満点のお話です。
ただ言ってみれば、同じ事の繰り返しであり、面白くはない。見飽きた。
Zガンダムや、この後のⅤガンダムの様な、病み富野要素(闇富野要素)もない。
逆シャアの様な、裏富野要素もない。
尺の問題もあったのだろうけど、初代ガンダムの様な、敵側の(シャア側)の深い物語もない。
ただの普通の物語になっていて、面白くはない。
ただ、この「普通の物語」と言うのを私は否定しません。
普通の物語で、いつものをしたいのなら、細部を前の作品より優れた物にしないといけない。それが出来て無いから、ダメだったのです。
沢山民間人が死ぬが、恐怖がない。
だから悲しみもない。
ここに富野さんの限界が出ている。
つまり、普通の、客の心に響く物語を、作れる人ではないのです。
だから、Ⅴガンダムの様な、尖った内容でしか、人の心に訴えれない人なのがバレた作品です。
やはり「ハサウェイ」の様に、富野原作の、監督別の人の方が良いのでしょう。
ただこれはしょうがない。別に悪くもない。
まどマギの叛逆の物語は、監督が新房さんではない。総監督だが監督は別の人です。
本当の理由は分からないが、新房さんは「彼の演出は俺よりクールだ」と言ってたようです。つまりもしかしたら自分より細かな演出が上手い人に任せたのかな? と思っています。
押井守さんも、鈴木プロデューサーに「始めと最後しか頑張らない」みたいな事を言われた時「全て自分が頑張ると、頑張ったと言う気持ちがでる」(ちょっとうろ覚えなので、違うかもしれない、勘弁です)と言うような事を言ってました。
つまり、細かな頑張りに力が行ってしまい、それで納得してしまう。それで全体を見れる力がなくなると言う意味だと思いました。
それと「細かな演出は彼の方が得意だ」とも言っていて、途中の演出はもっと上手い人に任せているのだと思います。
だから富野さんも、得意じゃない普通の物語の演出など、他人に任せてしまった方が良かったのにな、と思うのです。
さて、いつも言っている事ですが「青い鳥は、いつも家にいるものだ」と言う言葉がまた浮かぶ話でした。
F91は普通の物語であり、だから最後普通に彼女と抱き合って終わります。
これは劇場版のZガンダムじゃないですか。実はもうここに行きついていたのです。
ただ、その意味が分かって無かった。
そしてF91は世間に受け入れられず、だからこれは不正解だと思い、別のやり方をやり始めた、Ⅴガンダムです。
しかしⅤガンダムもまた失敗でした。
つまり、黒富野でも白富野でも、どっちでも上手く行かない事を知ってしまったのが、Ⅴガンダム後だと思うのです。だからおかしくなったのでしょう。
実はF91が正解に一番近かったのだと思うのです。
そこからあきらめず、推し進めて行った方が正解に早く近づいたのでしょう。
ただそれは、他をやり失敗した後だから分かる物です。だから無理は、無理です。
実世界の歴史でも「あの人が、この時、生きていたら、歴史は変わっていただろう」と言う瞬間があります。
F91が、例えばテレビでやれて、そこそこ受けていれば、歴史が変わったかもな? と思えてしょうがないのです。
そうなればエヴァも変わっていたかもしれないし、だからこそピンドラも生まれなかったかもしれない。
つまり、結局は、これが失敗して、黒富野がまた復活して、その後おかしくなる事がエヴァの登場にも必要だったのだと思うのです。
それがあるからピンドラもまた、生まれたのでしょう。
不思議な物です。塞翁が馬、ですね。
さて、この91年頃と言えば湾岸戦争の後ですね。
だから戦争がいつまでたっても無くならず、だから戦争の恐ろしさを描こう、と言う意味がF91にはあったのだと思います。
それにこの話「ドローンが人を殺して回る」と言う話です。相変わらず(狙ってないかもしれないけど)富野さんの未来予測はあたりますね(まだここまでのドローン兵器は出てないけど、時間の問題です)。
最後F91と鉄仮面の顔が重なりますが、結局同じような物だ、と言いたいのだと思います。
結局どっち側かの問題で、自分の理想の為に人を殺していると、言いたいのでしょう。これも湾岸戦争の感想だったのだと、思います。