号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

メモの意味

映画「雨の日は会えない 晴れた日は君を想う」考察です。

ただ、ほとんどは、ネットで見た他人の考察そのままです。

 

内容的には、とても雰囲気良く出来ている。

それが、いわゆる「芸術作品」とか「文芸作品」っぽさから、ちょっとずらして作ってある為、鬱陶しさがない。

つまり「説教臭さがない」。それだけでいい物が出来る物だな、と感心しました。

 

ただ、最後がパッとしないので、そこが残念か?

もっと分かりやすくまとめられたら、もっと受けたと思います。

 

ネットでこの映画と、「考察」で検索してください。良いのが出て来ます。

だから私が言う事はほぼない。

そもそも私も気が付かなかった事すら描いてあるので、そっちの方が良いでしょう。

 

ただ、そこから、ちょっと私なりの考察が出て来たので、それを少し書きます。

 

ネットで見たら「最後のメリーゴーランドでは、ダウン症の子供がいる」、だから「生まれなかった子供はダウン症だったからだろう」と言うのです。なるほどです。

そう思えば「なぜ妊娠話が出て来るのか?」、「なぜメリーゴーランドで亡き妻の思いを残す事になるのか?」に答えが出せますね。

 

では、なぜゲイが出て来るのか? なぜタツノオトシゴなのか? なぜ主役の行動がおかしいのか?

 

ネットで言っていた面白い考察がありました。

最後 亡くなった妻の母が言った「他の男がいて、その男との子供だった」と言うのは、嘘では無いのか? と言うのです。

でもそうなら、他にも嘘だと分かる要素をどこかに置くのが普通です。母が嘘を言う必要性を出しておくか、仕草から嘘だと分かるようにしとくべきです。

それが無いから「違うのじゃ無いのかな?」と思ったのだが「この母が全てを知っていて、それで主役の心を助けようとした」としたら筋が通る事が分かりました。

 

まず思ったのが、この主役明らかに「アスペルガー」か何かじゃないですか。

これは「物語上は関係がなく、そう言うような主役の特徴にしただけだろう」と思い見てたのだが、いや、わざとか。

 

主役は、感情が湧かない、それも発達障害と呼ばれる人に多い特徴です(私は、強くないアスペルガーに、発達障害と言う言い方は嫌いですが、世の中ではそう言うようです)。死んでもなんとも思えない。自分の心すらはっきり分からない。

それに何かに没頭する。細かく分解したり、一つの事に凝る。これらもそうです。

そう言う主人公が「時間をかけて自分の感情に気が付く」と言う話だったのです。

 

普通の人だったらすぐ気が付く感情が分からず、しかし何か心にあるのは分かり、それを自分の中でまとめる為に、壊していく。

壊れた事を心で理解しようとしてるのです。

 

主人公が文を書くのもそうです。

文字で書いてみる事の方が得意な人だったのでしょう(アスペルガーは、逆に文字が不得意な人もいます。そっちの方が多いのかな?)。

だから文字で書いて女に送る。その方が自分自身でも分かりやすいし、自分が気が付かない何かに気が付く人に、アドバイスが欲しかったのです。

 

最後、メモが落ちてきます。

これも、文字の方が理解しやすいと言う事です。

今まで事もあり、その後のこのメモで感情にスイッチが入り、泣く事が出来たのです。

自分の感情にやっと気が付いたと言う事です。

 

面白いのは、妻はメモを良く残した、と言う事実です。

つまり、妻は主人公の症状を知っていたのです。

 

ゲイの少年が出て来たのは「生まれつき」があるよ、と言うヒントです。

そして「それも悪いことではない」と言う事です。

 

タツノオトシゴは? これは製作者側からのヒントです。

つまり「海馬」の事です。

脳の中の海馬は、タツノオトシゴに形が似ています(そもそも海馬と言うしね)。

アスペルガーなどの発達障害は、この海馬内の発達の障害じゃないのか? とも言われているようです。

 

妻は夫の病状を知っていた。

そして妊娠したが、夫の障害が遺伝して、ダウン症だと検査で出たのでしょう。

だからおろした。

 

もちろん妻の母は知っていた。一緒におろしにいったし。

妻は夫に問題がある事は知っていた(だから多くを紙に書いたりしたのだ)。

だけど言わなかった。夫に問題があるとは、言いたくなかったから。

その事を母も聞いていた。だから亡くなった娘の気持ちを守ったのです。

最後母は、違う男との子だと嘘をついた。それでこの男も娘の事も忘れるだろうと思ったのかもしれない。

今現在の主人公のおかしな行動を知っていた母は、本当のことなど言ったら、主人公は気持ち的に持たないと思ったかもしれない。

アスペルガーは、言葉をその通りに信じやすい。その事も知っていたのでしょう。

 

本人は気が付いてないが、普通とは違う男が、皆の助けを借りて、やっと自分の心に気が付き、乗り越える事が出来た、と言う話でした。

それはまた、あの少年もそうだった、と言う事です。

 

メリーゴーランドの障害児への救いの絵は、亡き妻から夫への、救いのあらわれだったのです。

 

 

ちょっと追加

 

そうか、「目の前にあり、見える物しか理解しにくい症状」と言う事か。

「人の感情」などはまさしくそうだが、文字も見えないと理解しにくい(頭で考えただけど、感情的に難しい)。

なので時計などは分解する、壊れてても見えないと何が起こってるか理解出来ないから(感情的に)、分かる為には中を見たい。

なので始めの病院で、亡くなった筈の妻の死体は無かったのです。

見て無いから、死が心の中で理解出来ない。

だから壊す。

家を壊し、部屋を壊し、生活も自分も壊し、自分の中で何かが死んだ事を、失った事を理解する為には、壊して見ないと、感情的に分からなかったのでしょう。

 

 

この、凝った事も出来る映画監督は、もう亡くなってましたね。

「亡くなった」と言う文を、今頃見て残念だと気が付く。なにかデジャブを感じました。

 

23年12月19日 ちょくちょく追加してごめんなさい。

 

マイマイガが心臓を半分食べていると言うシーン、私は「そんな病気でもあるのかな?」と思っていたのだが、そんな物は無いのですね。

だからあのシーンは夢だと言われています。そうでしょう。

 

ではなぜマイマイガの事が必要なのか?

一つは「表上は何ともないが、裏では(中では)壊れていっている」と言う事でしょう。

元は植物の事ですが「見ただけだと分からないから注意しろ」と言うのが、主人公の父の教えです。

 

その夢を見た主人公は、その事をなんとなく理解していて、しかも今の自分自身の事だと理解もしていて(無意識にだが)、だから自分を影から壊していく病気にかかった夢を見たのです。

表上は、妻の死の事など気にならないが、実は中から心が壊れて行っているのを感じていた、と言う事です。

 

問題は、なぜこのシーンが夢の事だと分かりにくいのか? と言う事です。

それは、演出が下手なのではなく、ワザとかもしれない。

つまりヒントです。「この映画は嘘も言っている。全てを信じるな」と言う事です。つまり母の言葉「他の男がいた」の事です。

 

他にも、最後の方の墓であった男は、始め「妻の不倫相手」だと思ったが、事故の加害者だった、と言うシーンがあります。

あれも流れ上、上手くもなんともない。

しかし必要だったのです。

あれで「妻の不倫相手」だと勘違いするから、主人公は「もういい。妻は愛されるべき人だった」みたいな事を言う。これで妻の不倫は気にしてないと、客に思わせれる。

この「妻の不倫」が嘘だとしても、客のほとんどは嘘だと分からないので、この事を主人公がどう思ってるのか気になるからです。

でも嘘なら不倫相手などいない。だから気持ちを打ち明ける、他の「不倫相手だと勘違いする役」が必要だったのです。

 

そもそも、最後の方で急に妻の妊娠が分かり、しかもすぐに不倫してたと分かる。

これがそのままなら、物語作りが下手過ぎる。

それで「妻の人間味が分かった」とか「実は大した人で無かったのが分かった」とか「妻も苦しんでいたのが分かった」などの、どこかに係れば良いのだが、物語上どこにもかかって無いのに、急に妊娠に不倫です。下手過ぎる。

しかしそれが嘘だとすれば、物語上全てに納得がいくのです。

主人公の病気の事、その事を黙っていた妻に、その事を守った母。

そこから、同じ生まれつきの病気の子供を救う、最後のメリーゴーランド。これで全てがつながります。

 

母の言葉「娘の中絶に付き合った」と言うのが、引っかかったのだが(いらない言葉なので)これも意味がある。

つまり「中絶の理由も知っている」と言う事であり、だから「嘘をつく理由がある」と言う事です。

 

少年のゲイの話もそうです。

主人公の生まれつきの病気がなければ、なぜ少年の話が必要だったのか?

もし主人公の病気がなければ、これも作りが下手なのです。

物語の主題がブレるからです。

この少年の存在が主人公の救いの何かになるのなら分かるが、そうでもない。

他にも「色んな人がいると言う群像劇」の作りでも分かるが、そうでもない。

下手でないのなら、他に意味がある。

 

意味がある物で作られているとしたら、少年が上から俯瞰で主人公を見るのも意味がある。

「俯瞰で物語全体を見ろ」と言うヒントでしょう。

そうする事で答えが見付かるだろう、と言う事です。

 

今回私が言った考察(他人の考察が基本でしたが)があっていたら、物語の下手な所が「下手ではなく、考えられたカットだった」と言う事になるのです。

だとしたら、監督の名誉の為にも、言っておく必要があると思い、書き足した次第です。