号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

答えは自分で探すものです。

NHKの番組、プロフェッショナル仕事の流儀、「ジブリ宮崎駿の2399日」と言うのが流れました。

 

「書生としてならジブリに通っても良い」と言われたNHKのディレクターが描いた物語です。

そう物語です。

ただ、書生レベルが描いた物語です。

 

正直見る前は、もっとボロクソに言おうかと思っていたのだが(ネットなどでどういう話か聞いてたので)、しかしそこまで悪くはない。

いや、悪いのだが、この人のせいではない。

宮崎駿がこんな態度なら、しょうがないか。

 

印象深かった事が昔ありました。

確か、サッカー選手の岡崎が、プレミアで優勝した時です。

本田圭佑に聞いた映像が流れて「あんな下手だった奴が、こんな事が出来るようになるなんて」みたいな事を言ってました。

この映像、結構多くのテレビ番組で流れていて、これだけ聞くと上目線に見えますね。現にこの言い方に怒っていたコメンテーターもいたくらいです。

しかし実際は、この言葉の前に「自分もそうなんですけどね」と本田は言っている。つまり「自分も下手だったけど、あいつも下手で、それなのにここまで出来るなんてすごい」と言う言葉でした。

この数秒前を切るテレビ局は、明らかに印象を操作している。「上目線の本田」と言うのを、面白おかしく演出してたのです。

本当にテレビと言うのは信用が出来ないな、と思ったのを今でも覚えています。

 

言いたい事は「数秒切っただけで、印象が大きく変わる」と言う事実です。

つまり、ノンフィクションで、実際の映像と言葉を使ったとしても、どこを流すかで内容などいくらでも変えれる、と言う事です。

だからノンフィクションであっても、全てを鵜呑みにしてはいけない。

 

話は戻り、このNHKの番組の事です。

明らかに、一つの物語を作り、それに合わせたつなぎ方をしている。

だからあくまでこれは「デェレクターの物語でしかない」と言う事は、前提で見ないといけません。

 

だとしたら、ディレクターのレベルがそのまま、このドキュメントのレベルになり、信憑性もしかりなのです。

(このテレビ内では、大叔父が高畑勲であり、アオサギ鈴木敏夫であり、主人公が宮崎駿なのだそうです。

アオサギは分からないけど、大叔父と主人公は、作り始めの設定ではそうだったのでしょう)

 

それで思ったのが「あくまで書生レベルの作品だな」と言う事です。

そもそもが、一目置かれる人だったら「君をいつまでも書生呼ばわりは悪いから、呼び名を変えよう」と言われるでしょ?

少し番組内にある、この人だと思われる人がかけている言葉が、まあどうでもいい。物語制作をなにも掴んでない人がかける言葉でしかない。この辺りにこの人のレベルが出ている。

 

ただこの宮崎駿の言葉かけなら、高畑勲でまとめようと思う事は、しょうがないかな?

しかし番組上でも言ってたろ「宮崎駿は嘘つきだから全てを信用してはならない」と。自分が編集した番組の内容すら忘れたのかな?

(問題は、自分で考えて無くて、人の言った事を鵜呑みにしている。マスコミ関連で他人が言った事を鵜呑みにするのは論外では無いのか? )

 

しかし「高畑要素」がまるっきり入ってない訳でもなさそうです。

少なくとも始めはそう思って作ったのでしょう。

久石譲ファンサイトと言うサイトの最後の方を見て下さい。

鈴木さんが2018年にラジオで「高畑勲を描こうとしてたが、もう止めたと言ってきた」とバラしているじゃないですか。これは無視ですか?

(もし、始めのまま作っていたら、ただの駄作になった事でしょう。だから高畑勲に感謝です。私は、結局また高畑勲に救われたのだと思っています)

 

私は、もし、高畑勲だけを描こうとしてあの作品を作ったとしたのなら、もう宮崎駿はボケている、と思っています。

つまりこのディレクターは宮﨑駿はボケている、と言っているし、それを言っている事すら気が付いてないのです。

だから書生レベルです。学生レベルなのです。

早く卒業しましょう。

(多分悪い人ではないのでしょう。しかし怖さもない人だと言う事です。この人なら近くにいても何も分からないから害もない、飼い猫の様な存在です。

だから駿は嘘をつく。本音を言わない)

 

サギは鈴木敏夫、なのもそうです。

これも宮崎駿は違うと言ってなかったっけ?

 

もちろん、この言葉を言った宮崎駿も、鈴木敏夫の方も、言葉の全てを信じてはいけない。

だから「違う」と言った事すら疑ってみるべきです。

だとしたら何も信じられないのだから、最後は自分を信用するしかないのです。

自分で考えて、あの作品の作りで「高畑勲を描いた」と思うのか? と言う事です。

もう一度言うけど、あれが高畑勲「だけ」を描きたかった作品だったら、ボケてるでしょ? なぜ分からない?

 

この番組を見て、ちょっと勘ぐっている事があります。全然間違っているかも知れないけど。

高畑勲が亡くなって、方向性を変えた。なぜか?

高畑勲が部屋に何を残したのか? と言う事が関係して無いのかな?

つまり、次の作品作りなどの為に、部屋でどんな資料を作っていたのか? と言う事です。

その中に暗喩関連の資料があったのでは無いのか? と勘ぐっているのです。

それを目にして、方向性を変えたのでは無いのか?

だとしたら、高畑勲の残した呪いであり、高畑の後を継いだ事にもなる。

それをやった方が、高畑に追いつく事だと思ったのでは無いのかな?

そうでもないと、急に方向性を変えた意味が分からない。

 

映画の作りでも、明らかに始めの方と、途中からの流れがまるっきり違う。

だから途中から高畑勲宮崎駿を導く話から、もっと俯瞰した業界全体の事を描いた作品にした気もするのです。

 

そうは言っても、どうやら高畑勲要素も、ずっと考えながら描いていたのかな? と思えてきました。これはこのドキュメントのおかげです。

 

 

ちなみに、高畑勲は駿の引退が気にいらなかったようです。私は、引退会見をテレビで見ている高畑の映像を見てたので、そうだとは思ってました。

理由は色々あるでしょうが、「風立ちぬ」では納得してなかったのでしょう。

それに「飛べよ」と思っていたのだと、思うのです。

前にもいったけど、太陽(宮崎)と月(高畑)です。「駿は太陽であれ」と思ったのが月(高畑)なのだと思うのです。

月になる事は無いし、月に憧れる事もないし、月になれもしない。

しかし太陽なのだから、光り輝いていればいい、と思ったと、思うのです。

月は太陽の光が反射しているのです。

それで輝いて見える事に、気が付いてほしい。

高畑勲は、この事に、たぶん気が付いてたと思います。

 

さて今回、高畑勲が納得する作品が出来たでしょうか?

いや、宮崎駿自身が、そう思える作品が出来たでしょうか?

いや、まだでしょう。

まだなんだけど、もう時間がない。

 

高畑勲を追っている間に、時間切れが来てしまいそうな人生だ、と言う事です。

追い越さないといけない。

しかし追い越したくは無いのでしょう。

だから、追いつく事ばかり考えている。

追いつこうとしている人は、追いつきもしない。

追い越そうとしないと、追いつきもしないのです。

 

ただ、もうすでに部分的には、ずっと前に追い越してもいる。

それを認めたくないから、それを見ないふりをしている。

 

高畑勲は分かっていて、どこまでも遠くに飛んで行ってしまう宮崎駿を見たかったのだと、私には思うのです。

 

 

23年12月22日 追加

 

オッカムの剃刀」何かを確定する仮定は最低限にしなくてはならない、と言う様な意味だと思います。

ここから推し進めて、仮定が少なく済む方が、あってる確率が高い、と私は思っています。

 

君たちはどう生きるか」で、急に宮崎駿が暗喩物語に参戦してきました。

だから私は「引退して、暇を持てあましていて、暗喩に気が付き、やりたくなったのかな?」と思っていました。

しかし、不自然ですね。ちょっとパッとしない。

 

しかしです。

そうか「高畑勲が暗喩に気が付いていて、その後亡くなり、それを見た宮崎駿がバトンを受け取った」と見た方が自然です。

この方が、仮定が少なくて済みます。

だから、こうだったのかな? と思えてきました。

 

そう見ると、ドキュメントで宮崎駿が高畑に会いたがっていたのも、相談したがっていたのも分かります。暗喩が良く分かってなかったのでしょう。

高畑勲が部屋に残した物を見た宮崎駿が、驚き声高に言ってたのも分かります。

「自分でも何をやってるか良く分からない」と言っていたのも分かります。

 

ただ、これはあくまで確率が高まった、と言う事だけなのは言っておきます。

こう、うまく収まる時は、逆に間違っている事も多いのでね。

 

もう一つ気が付いた事も書いときます。

宮崎駿が「この絵、パクさんっぽいだろ?」みたいに、大叔父の絵を見せ、カメラに向かい言ってましたね。

しかし全然似てないじゃないですか。あれならパタリロの方がまだ高畑勲に似ている。

 

あれは「全然似てない!」とツッコむのが正解です。

たぶん宮崎駿は、ふざけていたのでしょう。もしくは本当にボケてるのかです。

 

もし本当に高畑勲を描いてたとしたら、それを素人に見せ「似てるだろ?」と宮崎駿が言うでしょうか? よく考えて下さい。