号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

エヴァの敵はゴーシュ

アニメ「結城友奈は勇者である 大満開の章」(今後ゆゆゆで表します)途中まで見ています。

これを見て「この謎の敵は何なのだろう?」と考えていたら「エヴァの敵」の事が気になってしまい、またエヴァの事を考えてしまいました。

なので、もうよそうと思ってたのに、またエヴァ関連です。

エヴァの敵」の事を書き、そこから左翼アニメに付いて書きます。

 

その前に「ゆゆゆ」から。

前回も前々回も私は文句ばかりだったの、もういいだろうと思ってました。

しかし第三シーズンが始まって見ると「あれ? みたいな」と思えてきました。不思議なものですね。

そして見て、また色々文句が言いたのだけど、その前に、途中で見るのを挫折するアニメが多い中で「みたい」と思わせるアニメは、やはり何かがあるのでしょう。

「みたい」から見てるのだし見てるから文句が出ます。なので文句を言っても勘弁です。

ざっと言うと、今回の演出は前回よりはこなれている気がします。

しかしまだ何かが足りないのだけど、これ以上は「名監督になれ」とか「名作家になれ」と言ってるようなものです。だから酷ですかね?

「名監督になれ」とは、見て感情に訴えかける演出をしろと言う事なので、そもそも難しいのです。

でも単純にキャラがしゃべり過ぎな気はします。内容で表せない事を、言葉で誤魔化している気がします。

時に黙るからこそ、しゃべる時の言葉が強くなる気がしますが、どうでしょうか?

まあまだ途中なので、見終わってまだ言いたかったら、続きを書きます。

 

この「ゆゆゆ」では謎の敵がやってきて、防衛戦をします。

だから私は「エヴァから来てるのかな?」と思っています。

そして「ゆゆゆ」だと、この謎の敵が浅いんだよね。

逆にエヴァの敵、つまり使徒は深さがあるのだけど、これは暗喩があるからです。

現実にある物は、多くの人や多くの事が絡み合って出来ているので、複雑なのです。

そして現実にあるのだから、つじつまが合ってるものです。整合性が取れてない等の、おかしい所は無いのです。

逆に個人が考えた物だと限界があります。だから複雑な現実の何かを暗喩として使った作品の方が、おのずと複雑さも深さも増え、そして複雑なのに整合性が取れている物になるのです。

ちなみに、アニメ「ピンドラ」の庵野さん関係の暗喩も、始めは「だたのおふざけであまり好きじゃない」と思っていましたが、結構意味があるのかもしれないと思えてきました。

なので物語全体を示す暗喩は、深さをます面白い要素なのかも知れません。

 

ではエヴァの敵、使途はなんなのか?

これはたぶん元は「暴力装置」ですかね? 「暴力の意思の具現化」でもいいです。

そしてそこから個々の使徒は「外国の左翼」か「左翼化そのもの」でしょう。

つまりソ連自体とかロシア人とか中国人とか北朝鮮とかです。

物語的には同じ神的存在からアダムとリリスが作られ、アダムから使途が、リリスから人が作られたようです。つまり元は同じ所から出てきている兄妹のようなものです。

これは現実世界の左翼化国家のロシア人で中国人でも、結局は同じ人だと言ってるのでしょう。

しかし左翼化をすすめる外国人は、多くの日本人にとって、良く分からない恐怖の存在に見える事を使徒で表していいる。

それらの事から、使途の最終目標はサードインパクトを起こし、左翼化して皆を同一化しようとするのです。

それをネルフは止めるのですが、使徒と同じ要素からエヴァを作り、戦わせる。

つまりエヴァは左翼化に立ち向かう「暴力装置」です。そして結局は右翼も同じ暴力装置だと言いたいのでしょう。

面白いのはネルフの大本の機関ゼーレは「使途によるサードインパクト」は防ぎながら、自分らによる「サードインパクト」は狙っている所です。

これは暗喩を考えないと意味が分からないですよね?

つまりゼーレは「日本の左翼」です。

外国からくる左翼的暴力機関、使徒による左翼化は望まない。それはソ連による支配になるからです。

でも自国民による左翼化を狙っている。

つまりゼーレの彼らが「60年と70年安保時代の左翼運動家」の事なのです。

そしてこれで、寺山修司作品との関連性が確かになると言う事です。

 

面白いのはゲンドウですね。彼は始めゼーレのやる事を進めていた筈です。

ではゲンドウは暗喩として誰なのか?

庵野さんがシンジ君だとすると、たぶん庵野さんの父とか、庵野さん自体とかも入っている気がしますが、他の人も入っていそうです。

メガネで髭面で左翼的で庵野さんの父的存在とすると、宮崎駿さんですね。

駿さんだからゲンドウはシンジ君に「エヴァに乗らないお前は価値がない」みたいな事を言うのでしょう。これは庵野さんにアニメを作らないお前は価値がないと言ってるようなものです。

もちろん本物の駿さんはそんな事は言わないのかもしれないけど、庵野さんにはそう感じたのかもかもしれませんね。

岡田斗司夫さんの話では宮崎駿さんは庵野さんに手伝ってほしくて、よく頼んでいたようですね。しかも半ば無理やりね。ただ庵野さんは手が回らなかったの断っていたようですが。だからそれをもじってゲンドウだったのかな? なんて思います。

そしてこれに気が付いたイクニさんが、ピンドラにもこの要素を使う訳ですね。なるほどね。

 

エヴァでは、使徒との戦いはいつの間にか終わり、内部もめみたいな事が主流になって行きます。

最後は使徒ってどうなったのか? を忘れる位、自然にゲンドウたちとの内部もめでしたね。

これも70年頃の現実世界で、結局は「外国の左翼化の力」はどうでもよくなり、しまいに国内の過激な左翼化運動家との戦いになって行った事の暗喩でしょう。

そして最後はゲンドウの個人的な問題との戦いになる。

これも一つは左翼化運動家と言っても、個人の利益や感情で戦っている奴らとの戦いに最後はなった、と言う事です。

もう一つは、宮崎駿さんも個人的理想に向かい戦っている様に見えたのかもしれませんね。

 

さて「まごころを君に」のラストの事です。

これは「世界の皆が赤いスープ状」になってますね。あすかとシンジだけが生き残る。

これは世界は左翼化した、と言う事です。

しかしシンジ君は最後それを否定した筈です。皆が同じになる事を否定した。

だから物語上だと、これからまた人類が復活するようです。

そして暗喩的に見ると「世界は左翼化したが、個人が無くなるような強制的で強固な社会主義は免れた」とも見えます。つまり理想の左翼化です。

たぶん庵野さんは、こう見てほしかったのだと思います。

しかし、あれだと世界は左翼化して皆の個人的な個性が無くなった世界で、自分(シンジ)と好きなアニメキャラ(あすか)だけは免れ逃げて、この二人がアダムとイヴの様に個性を生む要素を残して増やしていくだろう、と言う物語に見えます。

つまり都合のいい、左翼アニメオタクの理想の終わり方です。

これは寺山修司ではない。理想は現実から離れれば夢でしかない。生きた時代が許さなかったのもありますが、たぶん寺山さんは違う。

それに富野さんからの「現実に帰れ思想」でもない。そして宮崎駿さんの思想でも無いでしょう。たぶんこの二人も戦前(戦中かも?)生まれなので、もっと現実をどこかに持っている。

つまり失敗だと思います。思いますが、思ったより上手く行きそうなメッセージを狙ったのが「まごころを君に」だった事に気が付きました。

思ったよりずっと「おしい」物語だった気がします。

実はこれも「アニメとの共存を目指し、左翼化とその否定との間を模索するのが正解」という物語だった気がしてきました。

しかしそれでも、とにかく伝わらないし、狙ったのと違う様に見えてしまう。と言うか、狙いと違うようにしか見えない物語です。ならやはりダメでしょう。

あれでは現実から目をそらし、理想の夢の世界に逃げ込むのが正解の様に見える。

まごころを君に」の最後のシーンの何処に現実が見えるのか?

田園に死す」や「さらば箱舟」のラストは、客の心を不思議な世界から現実に帰し、現実に目が行く様にしている。なので「まごころを君に」の頃だとレベルが違う。

 

ちなみに寺山修司から離れて行ったように見える旧映画版エヴァ

そうなると、アニメ「忘却の旋律」はやはり、エヴァは「忘れたテーマ」だったと言いたかった気がしますけど、どうでしょうか?

 

この旧エヴァの難解複雑な物語から、更に奥に行きシンエヴァに向かうのだから「本当によくやったな」と関心しかないですね。

 

いやーエヴァは面白いね。

でも、もう頭痛いね。

だから今度こそこのブログでは最後にしたいです。

エヴァをやっていると、庵野さんがおかしくなるのが分かります。