号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

赤きゴジラ

映画「シン・ゴジラ」見直しました。意外と面白いですね。

考察もありますが、本当に漠然としていて、自分でもどうかな? と思う内容なのは勘弁です。

 

「シン仮面ライダー」が思いっきり暗喩物語だったので「シンシリーズとは、暗喩物語のことかな?」と思ったのがきっかけです。

「シンエヴァ」はもちろんですが、そう思って見ると「シンウルトラマン」もそうでした。

ならラスト一個、シンゴジラもそうなのかな? と思った次第です。

 

結論から言うと「どうも、そういうふうにも見えるし?」「ただの勘違いにも見えるし?」って所です。

私の勘違いなら別に良いのですが、もしあっていたのなら、それは「作りが上手くない」のです。だから分かりづらい。それなら、私のせいではないので、悪しからず。

 

補足として、暗喩物語であることは、もう前から分かってましたが、ここで言っている問題は「もう一層あるのか?」という所です。

暗喩がもう一つ下に隠されているのか? という事です。

 

まず皆が分かる暗喩として「東日本大震災」であるし「原発事故」の事なのは間違いがないですね。

実はこれがこの作品がうけた最大の理由でしょう。

だから面白いですね。他の作品がパットしない理由もこれで分かるからです(シンエヴァは除きます。あれはエヴァの最後という意味でうけたので、他のシンシリーズとは意味が違うからです)。

 

実は私は、始めのシンゴジラを見た時、原発事故の暗喩だとは気が付かなかったのです。

この作りで気が付かないなんて馬鹿丸出しですが、まだこの頃は「全体を通す暗喩が有る物語」が存在する事すら知らなかったので、しょうがない。ある訳がないと信じている頃に見たのです。

その時は、初めの方の、長々話す政府側の話が鬱陶しかった。

しかし今回、暗喩があると思ってみてたら、そこまで鬱陶しくなく見れました。

それは、まるで大震災の頃の再現映像でも見てるかの、錯覚を覚えたからです。

あの時の地震の感覚、思いがあるために、感慨深く見れたのです。

 

これを見ると「漫画とは社会風刺である」と言うような事を言った手塚治虫さんの言葉がよく分かります。

押井守さんも(基本は)「その時代のものだ」というような事を言っていたと思います。

つまり、現実にある感情や思いや悩みや憤慨、喜びや悲しみ、それらが重なって見える物語を、人は面白く思うということです。

もちろん普遍かつ不変な物語りもありますが(古典)、それはそこまで多くないか、そこまで心に刺さらないのです。

自分に直接ある思い、もしくはあった思いと重ねることで、その時代の名作になるのです。

 

だからこそ、社会を知っておく必要があるのです。

皆が気にする社会問題も知っておく必要がある。

もしくは、多くの人々が感じる問題、必ず通る問題(恋愛や友達や夢)など、人の事を深く知る必要もあるのです。

結局、勉強が必要です。社会と、人の感情を理解しない人が、名作を作れると思っていたら、間違いなのです。

もちろん、それらを知らなくても名作を作れる人もいるのですが、その人がこれら社会問題や、人の心が分かったなら、更に素晴らしい物語を書くことでしょう。

社会問題を無視して、作品を書こうとしている人は、土台無理なのです(もちろん、ほぼ、ですが)。

 

シンゴジラは2016年なので、震災からまだ5年後です。

だからこそ、この時の皆の心に刺さり、受けたのでしょう。

それに引き換え、ウルトラマン仮面ライダーの方は、自分らと被る問題があまりないがために、今一な感情しか生まれないのです。

これは逆に言うと「自分らに刺さる、何かがあればいい」という事であり、だから旧作に思い入れがあるおじさんには、刺さったのです(シンウルトラマンとシンライダーの事です)。

 

さて、この震災の暗喩が大きすぎる為に、これだけで十分な作品でした。

だから、他の要素なんていらないのですが、一応考えたので書きます。

(今書いてて思い出したけど、昔に一度書いた気もする。忘れてただけかも知れないのですが、勘弁です)。

 

気になった事は3つです。

一つは赤が強調されている所。

もう一つが宮沢賢治の「春と修羅」が映る所。

そして最後の一つが、枚悟朗の残した言葉「わたしは好きにした。君らも好きにしろ」という言葉です。

 

このブログを読んでいる人なら、ここまで来ると分かると思いますが、赤とは社会主義共産主義の事です。

ゴジラに赤のエフェクトが、妙に多い。

それだけなら、ただのゴジラの心象付けになるのだが、始めの方のシーンで一瞬マジックが沢山映ります。これが全て赤なのです。意味のない所に全て赤を合わせてくるので、他の意味があるのです。

 

春と修羅」の方は分かりにくい。

宮沢賢治は右翼とも左翼とも言われるからです。

個人的には「その頃の政府の行動が気に入らない、理想主義者」だっただけな気がします。厳格な意味での右翼でも左翼でもない。

だからか、庵野さんは「反政府主義者」という意味で使ったのかも知れません。

 

つまり「春と修羅」を持っていた人が生み出した、赤の混じっている巨大な怪獣、ゴジラとは、左翼革命の暗喩ではないのか? と思うのです。

そうなれば「新シリーズすべてが、左翼革命や学生運動の暗喩で出来ていた物語」という事になり、スッキリします。

 

それとは別に、宮沢賢治石巻出身ですね。

それに「明治三陸地震」の年に生まれ「昭和三陸地震」の年に亡くなってます。もちろん途中に関東大震災もありました。

まさに東北の地震に挟まれた時代に生きた人であるので「シンゴジラとは、東日本大震災の暗喩の物語だ」というヒントだとも取れます。

 

さて謎の言葉「わたしは好きにした。君らも好きにしろ」です。

これはネット上で宮崎駿の言葉じゃないのか? と言われています。同じ様な内容の言葉を、間接的に庵野さんに向かい言ったらしいです。

なので牧悟朗とは宮崎駿の事だと思うのです(もしくは子供の吾郎さんかも知れないけど。吾郎さんの存在が、暴れる後半の宮崎駿を生み出したと言う事)。

そしてそこから生まれた赤い化身ゴジラもまた宮崎駿か? もしくは巨大化した宮崎駿作品の暗喩だと思うのです(宮崎駿も左寄りな人だからです)。

最後死ぬことはなく「またいつか動き出す」と言うのも、これで通ります(もちろん、原発事故の事だから、と言う意味があるのは分かりますが)。

2016年にはまだ死なず、いつか動き出す巨人、宮崎駿の事だったのです。

(そう言えば、最後しっぽに人型が含まれている絵でしたね。あれは人の屍の塊で出来ているのがジブリ作品、と言う皮肉でしょう。暴れるゴジラ宮崎駿の体の一部としてしか使われないスタッフの事です)

 

ただ始めに言ったように、この暗喩は無理やりです。どうも上手くない。

だからあってるかは謎です。

ただ、そう思って作ったのなら「ゴジラを作ったからエヴァが作れた」と言った庵野さんの言葉の意味が通ります。

それにシンシリーズで、名をそろえてきた事も、これで通るのです(元が同じような物で出来た、暗喩物語だったと言う事です)。

だから、あってるのじゃいのかな? と思っています。

 

最後にネット上で山田玲司さんが言っていた事を書いて終わらせます。

2016年に「君の名は」公開。これは「震災なんてなかったら良かったのにね」と言う話だと言うのです。

そうだと思います。だからこそ、この時代には受けた。

同じ年「シン・ゴジラ」公開。これは「政府が上手く解決したよね」って話だと言うのです。これもまたトラウマを取り去るいい方法です。しかし「政府なんて信用出来ないじゃないか。誤魔化しじゃないか」と言うのです。

そうだと思います。

ただ一つは、政府が信用できないのは、国民のせいでもあるので、他人事ではない。

もう一つは、物語では、だからこそ政府の上の人達を亡くさせ、新たな人達が出てこないとダメだ、と言う提案の話にも見えます。

ただ結果、震災のトラウマを誤魔化す作品だったのは間違いがない。だからこそ、ゴジラもこの年に受けたのです。

同じ年「この世界の片隅に」公開。山田さんが言うには「なかった事になんて、ならないし、政府も信用が出来ない」と言う話だ、と言うのです。

その通りです。

結局「この世界の片隅に」が優勝です。正しいのです。

(山田さんの、この話の持って行き方、素晴らしいですね)

 

ただ私は、たまには誤魔化すことも、人には必要だと思っています。

だから君の名はもシンゴジラも嫌いではないし、全否定ではない。

ただ、たまに誤魔化し酒でも飲んで酔うのもいいが、ずっと酔っている人は、ただのアル中です。

だから、その事を分かって、君の名はもシンゴジラも見ましょう。

つまり、分別が分かる様に、社会勉強が必要なのです。

それを知らないと、あれらが酔わせる酒だと分からず、酔いつぶれて、いつかアルコール中毒になってしまう事でしょう。

気をつけましょう。