号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

超常日常系アニメ

アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」第三話まで見ました。

 

あっれ~? 一話を見て「宇宙人も未来人も出て来ない」と言ってたら、両方出てきて、おまけに超能力者も出て来ましたね。こんな話だったのですね。

ちょっと面白くなってきましたね。こう来たらあとは最後どうするか? が物語の肝です。

そして、どういう方向にも、持っていける内容です。

本当の宇宙人とかでなくとも、メタ的にも暗喩的にもなるので、次元を超えた物語にもなれる。だかららこそ面白い流れです。

 

でもこうなると感想が前回とは変わります。これは良い事と悪い事の両方です。

まずは、こうなると麻薬要素が少なくなるのでいいですね。

ここまでぶっ飛んでいくと、現実離れが激しく、俯瞰的に見れる物語になってきました。

オタクの理想だけの麻薬付けではなく、ちょっと離れて見て頭で考えられる物語。結構バランスが良い話なのかもしれませんね。

悪い方で言うと、「麻薬要素が強いアニメ」と言うのは、あまり良くないと思っていましたが、それでも「『うる星やつらか』から面白要素を抽出して、新たな現実に沿った要素を見いだせた物語だ」とは思っていました。

つまり、この麻薬要素の強い現代的な(2006年当時の)面白要素を出せた事に「才能があるな」とは思っていました。

しかし宇宙人が出て来ると「うる星やつら」の延長線上にあり、画期的ではない。まあこうなるのが予想出来る内容だと言う事です。

これを前回言って褒めなかったのは、このアニメが初めなのか? それとも他に参考になったアニメなどが前にあるのか? が分からなかったので、言いませんでした。

ただ「うる星やつら」の延長線上にあったとしても、ただの焼き増しではなく、思ったより良く出来た内容なのかもしません。三話なので、まだ分かりいませんけどね。

 

ではなぜ私はしつこく「うる星やつら」を出して来るのか?

今の若い人が「このアニメはコードギアスに似てる」とか「まどマギを真似てる」等と言う事とは違います。

なぜなら時代が違うからです。

だからこの事は、若い人にはもちろん分からない事です。

 

ハルヒ」の原作者は1970年生まれです。アニメ監督は1966年です。

そして「うる星やつら」のアニメ版は1981年からですね。漫画はもう数年前ですけど。

つまりこの二人とも、アニメに影響が出やすい年頃に「うる星やつら」がテレビでやっていたわけです。

1981年だとファミコンもまだありません。もちろんネットもまだないし、携帯もない。81年だとまだビデオデッキもほとんど持っていない(ここから急に持っている家庭が増えますが)。

つまりオタクの娯楽として、テレビを見るしかない時代です。もしくは本か漫画です。

しかも、今のアニメ深夜枠と違い「うる星やつら」はゴールデンタイムです。19:30からでしたね。

そして86年まで4年半位やっている。これをこの頃テレビを見てた子供が知らない訳が無い。

この時代は娯楽が無いしテレビの視聴率が妙に良い時です。だからこの時代の有名人や有名な作品は、皆が知っている時代です。ピンクレディとかガンダムです。

私の子供の頃もこの頃で、有名なテレビコマーシャルの音楽や替え歌を、友達の多くが歌える時代でした。今では考えられないですよね?

私の記憶では「うる星やつら」全盛期は映画「ビューティフルドリーマー」がやっていた頃です。押井守監督ですね。この映画のコマーシャル、結構たくさんやってましたよ。だから大人も子供も、皆なんとなくは、角の生えたとら柄ビキニの緑の髪の女の子の事は知っていたのです。

つまりこの頃は今と違い、皆が同じ有名作品の影響を受ける時代なのです。今では考えられない位、有名作品は皆が知っている時代でした。

だからこの年頃の製作者達なので、「うる星やつら」の影響が強いように見えると言う事です。

 

ちょっと話がずれますが、前にアニメ「アルドノアゼロ」はガンダムの影響が強い、とこのブログで言いました。これも同じです。

虚淵さんは1972年生まれで、このアニメの監督は1973年生まれ。そしてシリーズ構成の高山さんは、たぶん1965年頃です。

ガンダムが1979年です。皆子供の頃にガンダムを見ている。

だから皆どうしても頭の片隅にでもガンダムはいるのです。

ちなみに「うる星やつら」の漫画は1978年から連載だそうです。つまり同時期ですね。

さっきも言った様に他の娯楽が無いので、この頃のアニメや漫画は、同時代の人には同じ作品の影響が強く出やすいのです。それは今の比ではない。

 

もっとちなみに。庵野さんは1960年生まれです。

だとすればガンダムが19歳ごろになる。

心に強く影響が残るのは、もっと子供の頃の作品になる筈です。

だからヤマトなのかもしれませんね。

エヴァを見ると、ガンダムよりヤマトの方が、元の影響が強く残っている様に見えますよね? 

ガンダムの方は、もっと姿かたちを変えて影響が残ってるように見える。

たぶん、見た年齢の影響があるのだと思います。

 

最近押井守監督のアニメ「ぶらどらぶ」を数話見まして、挫折しました。つまらなかったですね。

この作品、「うる星やつら」のメンバーがいく人か集まったとかで、あの頃の感動をもう一度、と言う事みたいです。

「ぶらどらぶ」はつまらなかったので、ネットで「押井守の作品はオワコンか?」みたいな事が書いてありました。

しかし違うと思います。オワコンではなく、そもそもアニメ「うる星やつら」が元々つまらなかったのです。だから変わってないだけです。

「ぶらどらぶ」を見て思い出したのですが、アニメの方の「うる星やつら」って、つまらなかったですね。

だから私は「漫画版と同じストーリーをやる回」を楽しみにしていた記憶があります。

つまり漫画版は面白かったのです。高橋留美子マジックです。強いですね。

でもアニメもうけていた作品でした。

話はつまらないのに、うけていた? これは何か?

たぶん「オタクの高校生活の日常で、面白おかしく生きて行きたい」と言う欲求をかなえる面が受けていたのでしょう。

つまり日常を楽しみたいのです。超常日常系です。

だから「話はつまらないアニメ版の『うる星やつら』がウケた面白要素って何だったのか?」を考えたら、答えが出て来る。そう「ハルヒ」です。

 

アニメ版「うる星やつら」のオリジナルキャラは「メガネ」です。その他に「メガネ」の仲間が数人いました。これは何だったのか?

これこそが「宇宙人が高校に出てきてわちゃわちゃする楽しい学校生活」の中で、ちょっと離れた所から見ていて、ちょっとかかわるオタクそのものですね。

つまり「メガネ」がオタクの分身だったのです。

諸星あたるは行動力があり、なぜかもてるキャラです。これにはなれない事はオタクには分かっていた。だからせめてその隣でその輪にまざる存在でいたい。それが「メガネ」です。

ちなみに諸星あたるは友達があまりいない。同性とつるまない。これは高橋留美子さんが女だからの間違いです。男は同性とつるむのです。

だから男のアニメ制作者達が作ったのがメガネたちなので、「メガネ」は男友達とつるみます。こっちの方がリアルな男であり、リアルなオタクなのです。だから彼らがいるおかげで、見てるオタクは安心して見てられたのです。

そしてあたるのようにもてたい、と思いながらも、男友達と「俺らはもてないなあ」とつるんでいる高校生活は、実は男には悪くはないのです。

だから「あたるになれなくて、しょうがなくメガネに自分らを重ねる」だけではなく、実は高校生ぐらいなら「メガネ」の方が楽しいかもしれない事に、なんとなく気が付いていたのですね。

もちろん高校生最後か、卒業後になれば、もてたいと切実に思えてくる世代になるでしょうけど、まだ友達とつるんでいるのでかまわないのが、男の高校生だったのです。

 

では「ハルヒ」に戻ります。

ハルヒ」のキョンはやはり「メガネ」のキャラを現代風にしたようにしか見えません。

これが狙ったのか? たまたまか? は分かりませんが、これが正解なのです。

うる星やつら」の「メガネ」が現代風になり、それが活躍する物語をオタクは欲していた事に、もし作者が気が付いたのだとしたら? それは凄い事ですね。実際はどうだたのでしょうね?

気が付いてないとしても、結果として良い所をついてきたのだと思います。

狙うべき所を付いてきたのです。

そして三話時点では、方向性も悪くはない。

オタクの理想だが、それだけの物語でもない。

麻薬性があるが、それも上手い具合に中和している。

これは思ったよりずっと良く出来た物語かもな? と思えてきました。

 

後はラストですね。

いやー、始めは上手くても、ラストまで上手くやる物語ってそうそうないですからね。

どうでしょうね?