号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

盛者必衰の理を表す

さて、年末も押し迫ってきました。今年も終わりです。

最後に思いついた妄想でも書こうと思います。

ただの素人のざれ事です。なので見なくても結構です。

 

高畑勲平家物語、見たかったな」と思うのですが「どうする気だったのかな?」と考える時があります。

ネットで押井守さんが言ったと言う文があり「かぐや姫の物語、みたいのじゃないかな」と言ったようです。

流石に押井守かぐや姫の物語が「失敗の物語」である事が分かっていて、同じく平家物語も失敗の物語なので「同じようなものだろう」と思うのは自然です(どっちも失敗した人の人生の話だと言う事です。反面教師として見る話です)。

 

ただ、同じ物を描きたいだろうか? と思うのです。

そして私の考えでは「高畑勲エヴァ関連の情報(正確には庵野関連の情報)を集めてたのじゃ無いのかな?」と思っているのだが、それは前回に言いました。

だとしたら、やはり平家物語でやる気だったのじゃないのか?

 

そう考えると、少し納得する。

で、自分なりに考えてみた次第です、が、どうも上手く収まって無い事は始めに言っておきます。

 

ジブリであらずんば人にあらず」と栄華を極めた「ジブリ」の物語です。

平清盛が、宮崎駿です。

後白河法皇は、高畑磯かな?

平重盛が、近藤喜文、「耳をすませば」の監督で、1998年に亡くなっています。

源頼朝が、庵野秀明

木曽義仲は、富野由悠季、が一番しっくりくるかな?

源義経は、難しいが、私なら幾原邦彦にするか?

徳子がナウシカか? もしくは三種の神器ナウシカかな?

そして、平宗盛が、宮崎吾郎です。

 

平清盛後白河法皇は、昔は上手く仲良くやっていた。

しかし段々仲が悪くなり、後白河法皇を幽閉するようになる。

ここが「となりの山田君」後に、宮崎駿が怒り「パクさんには、もう作らせない」と言ったあたりです。

 

平重盛は大した人だったが、清盛よりも早く亡くなってしまう。重盛が生きていたら平家も残っただろうと思われる。

だから同じく将来ジブリを背負って立つ事を期待されていたが、若くして亡くなった近藤さんだと思うのです。

 

木曽義仲が富野さんだと言ったのは、段々勢いが増し、宮崎駿に対抗するようになって行く人って、富野さんとガンダムぐらいでしょ?

ただこれは、どうも年代が合わない。富野さん全盛期は逆シャアの頃だろうから、もっと前になるし。だからここは上手く行ってない事は言っておきます。

 

木曽も倒し、その後勢いずき、最後は天下を取るのが、庵野さんです。

最後、たもとを分けたのが義経であり、義経の方が強かっただろうから、義経幾原邦彦か?

 

平清盛が死ぬのは、宮崎駿が引退した事を表す。

だから後白河法皇は生きている。高畑勲は引退して無いからです。

 

三種の神器を取り返す為に、壇ノ浦で戦う事になるのだが、ナウシカを欲しがっている庵野さんの戦い、と言う事と重ね、結局手には入らなかったので、それもあっている。

 

滅んだ頃の頭首が平宗盛なのだから、吾郎さんでしょう。

宗盛は三男だし、元々頭首としては育てられてはいない。公家の様な存在として育てられたのだから、武家の頭領としての能力が無いのはしょうがないのでは無いのか? とも言われているようです。

だから、後を継ぐように育てられなかった吾郎さんと重なります。

ちなみに、宗盛は敗軍の将なので、後世に情けなく描かれているが、どこまで本当かは分からないのだそうです。負けた側は情けなく描くか、悪く描くのが普通だからです。

だからそこまで情けなく描かなくても良いのです。なので吾郎さんとして描いてもいい。

 

最後「盛者必衰の断りを表す」事として、ジブリがなくなる事を描くのです。

高畑勲平家物語の制作を始めた2010年代の中頃では、それで通ったでしょう。まだ駿が「君たちはどう生きるか」を作り始めて無いからです。

 

高畑勲は、この様に描きたかったのでは無いのかな? と思っています。

 

 

さて、ここからが私の年末の妄想です。

 

そうは言っても、どうも細部が暗喩として合いません。

だとしたらどうすれば良いのか? と考え、そもそも原作を「平家物語」として、そのまま平家物語をしなければいい、と言う考えに至りました。

 

では、そうだとして、表はどう言う風にするのか?

やはりナウシカでしょう。

ナウシカの世界観で、平家物語をすれば良いと思います。

 

木曽義仲は富野さんなので、白い巨神兵ガンダム)を出してきてジブリと戦うのです。

しかしその後敗北します。

その時、白い巨神兵を元に作られた、紫の巨神兵エヴァ)で天下を取るのが、庵野さんです。

 

庵野さんは、どうしても欲しいナウシカを得るために、壇ノ浦で最後戦うのです。

しかし手には入れず終わるのです。

 

 

さて、これとは別に考えていた事があります。

吾郎さんはどんな映画を撮るべきか? と言う話です。

私は吾郎さんがジブリで描くべきものは、こう言う話だと思っていました。

【偉大な王が王国をたて、その子供として王子がいる。しかし王には「お前なんか次の王になれない」と言われて育つ。しかし時期王なりたい王子は、王になる為に何かを探しに冒険にでる】と言う話です。

 

そこから更にナウシカをやるとしたら、どうすれば良いのか? とも考えていて、それにこの話をくっつけると

【伝説の人物、ナウシカが国の存亡に係っている時「誰でもいいからナウシカを探しだしたら、なんでも願いを叶える」と言う話になり、王子が「私が探しに行く」と出かける。そして探し出したあかつきには「時期王にして下さい」と言う話になる】

 

そこからさっきの平家物語もくっつけると

平清盛(駿)は引退したがまだ生きている。三種の神器ナウシカ)をだせと迫る頼朝(庵野)。三男の王子が「私が探しに行きます」とナウシカを探しに行く】と言う話はどうでしょうか?

 

 

では、宮崎駿が、ナウシカを誰かにやらせる時が来るのか?

たぶんですが、来ないでしょう。

でも、誰か一人にやらせるから、それが正史になる。だからそれは嫌な筈です。

だとしたら、みんなにやらせれば良いのです。

やりたいと言う人を精査して、ある程度のおかしな事をしない人なら全ての人に、続編を勝手に作らせる。

それのどれが正史かは、客に任せればいい。

どれか一つが正解でもいいし、どれも不正解でもいいし、どれも正解でもいい。

これこそが富を分配する、共産主義的アニメだと思うのですが、どうでしょうか?

 

その中で、吾郎さんにもやらせれば良いのです。

あくまで答えの一つだとして、作らせればいい。

そこで「平家物語と重ねた、ナウシカ探し物語を作ってくれないものか?」と考えてた、2023年の年末でした。