号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

ジブリの生態系を壊すリピアー、とはいかに?

「シンウルトラマン」考察です。

 

「どこの誰かは知らないけれど 誰もがみんな知っている」とは月光仮面の歌の一節です。

 

あれ? って思った方は、ここでの、この前の「シン仮面ライダー」の考察を読んだ方でしょう。

しかしシンウルトラマンの考察自体が、シン仮面ライダーと同じ要素でできていたので、どこかで聞いた、もしくは見たことある思う事は、間違ってないのです。

 

では、ウルトラマンの正体は誰でしょう?

シンウルトラマンでは、神永と言われていた男でした。

しかし実際は、神永と融合した宇宙人か? もしくは神永の記憶をコピーした宇宙人、リピアーがウルトラマンでした。

では、ウルトラマンの仮面を付けた、正体は誰でしょう?

 

その前に、色々前置きが長くなります。

こっちの方が大事な事なので、ご了承下さい。

 

カラーのシンシリーズを、まとめてとらえる人がいます。

私は「あまり関係がないのではないのか?」と思ってました。

しかしシン仮面ライダーを見て「シンシリーズとは、色々同じ様な要素から出来ているのだな」と分かってきました。

それを理解するには、それぞれの作品の元になった「時代背景」が大事です。

 

1945年 太平洋戦争、終戦

1954年 「ゴジラ

1960年 庵野さん生まれる

(1965年 「魂のジュリエッタ」)

1666年 「ウルトラマン

1971年 「仮面ライダー

(1971年 「ゴジラ対ヘドラ」)

1972年 あさま山荘事件

1974年 「田園に死す

(1977年 「スターウォーズ」)

 

この途中、60年安保闘争、70年安保闘争もあるのは、言うまでも無くです。

 

この時代はまだ戦争体験がある人が多かった。

だから政府に対して文句を言う人が多かったですね。信用が出来なかったのです。

だから60年安保の写真だと、国会議事堂の周りに沢山の国民が詰め寄っているのが残っています。

これは、政府に文句を言わないと、また多くの国民が死ぬ事になるという、切実な思いがあった時代だからです。

東西冷戦があり、世界を滅ぼす核爆弾があることが分かり、しかも落とされた日本が敏感になるのは当たり前です。

それに公害問題などの、自分らの命に直接かかってくる問題があった時代です。

 

そこから生まれたのが、それらの資本主義に対抗する社会主義共産主義です。

いまでこそ社会主義共産主義は怖いイメージですが、この頃は平等でな理想な主義だと思っていた時代です。

実際、社会主義共産主義が悪かったと言うより、それを利用した新興国家が、独裁国家になった事が問題でした。

そして公害問題などを生む、科学から反対の気持ちが大きくなり、自然崇拝の気持ちが強かった時代です。

そのなかでヒッピーとかが出てきます。

 

民主主義や資本主義国家であった国々があまりうまく行かなくなり、だからそれのカウンターとしての運動が良いように見えた時代です。

だから自然崇拝やスピリチュアルな事や、社会主義共産主義、そしてヒッピーやそれらのイメージからバイカーなども好意的に思われていた時代ですね。

その自然崇拝などから、後のスターウォーズになるし、その流れでスピリュチアルな力を持ったニュータイプが出てくるガンダムになるのです。

しかしその前、魂のジュリエッタの頃から既に、それらの中には怪しいのが多くあるのが分かっていたのでしょう(麻薬を吸ったり乱交したりする人々)。

 

日本でも、仮面ライダーで「自然を愛し、孤独に悪しき政府とも戦う物語」とも思えるのが作られていたので、同じ様な感覚だったのでしょう。ライダーだし、それらが良かれと思っていた時代です。

 

しかしライダーの次の年72に「あさま山荘事件」で、多くの人々が我に返るのです。

ライダーも反政府主義も、危ない奴らじゃないか、と。

漫画版「仮面ライダー」が、途中で続きをやらなくなるのが分かります。72年にはもう、気持ちが折れたのです。そっちじゃないな、と。

 

さて、この頃は自分らの生死に係る社会問題がある時代です。

だから、物語にもそれらの問題が強く出てきた時代なのです。

子供向けや大衆向け作品にも、それらが「暗喩として」多く出てきました。

ゴジラウルトラマン仮面ライダーも、もちろん田園に死すも、暗喩として社会問題が大きく入っていた作品だったのです。

 

シンシリーズとは、庵野さんが子供の頃に影響をうけたものを元にして、物語をもう一度やる、と言う意味合いもあるのでしょう。「新」です。

しかし「真」や「芯」として、暗喩物語として、現代風に構築し直す、と言う意味合いがあったのです。

 

前置きが長くなりましたが、元々のウルトラマンとは「アメリカの事ではないのか?」と言われているようです。

死んだ隊員の代わりに、人々を守る、外からやって来た大きな巨人が、アメリカの暗喩ではないのか? と言う意味です。そうかもしれません。

最後は、ウルトラマンでも勝てないゼットンを、地球人が倒す。これがアメリカに依存しないで、最後は日本人で守っていく、という物語だった気もしてくるのです。

 

では、これをシンウルトラマンではどうしたのか?

少なくとも、暗喩として同じに描いてない事は間違いがない。最後の敵ゼットンを持って来たのが、ウルトラマンと同族のゾーフィーだった事などから分かります。

 

ただ、単純に社会の問題を暗喩として描いているようには見えます。

禍威獣と描く放射脳問題の事とか、宇宙人と描く外国からの不平等条約の事です。

 

しかし、そこに個人的な問題も暗喩として描き、三重構造にしてしまうのが寺山でした(たぶん、もっと前にもあるだろうけど)。

そこからのピンドラになるのですが、ウルトラマン庵野さんもやっとここにたどり着いたのかな?

そして、その集大成として仮面ライダーでもっと上手くやったのでしょう。

 

では、個人の方の暗喩とはなにか?

なぜ長澤まさみ演じる、浅見とバディだとしつこく言うのか?

なぜ最後初代ウルトラマンみたく、地球人が倒すと言う物語にしないで、助け合って解決する物語にしたのか?

なぜレヴィストロースの野生の思考を読んでいたのか?

なぜ銀色の宇宙人が、途中から赤くなるのか?

 

赤というのは、もうお約束で赤化の事です。社会主義とか共産主義を表す色ですね。元はフランスで革命を表す旗の色だったようです。

その革命思想から、社会主義者が使ったのが始まりのようです。

 

つまり赤くなる巨人は、社会主義か、共産主義化した人の暗喩です。

 

もちろん庵野さんなのだから、その身近な人の暗喩だろうと思うのです。

そしてあまり知られてない人だったら、意味がない、それは誰にも分からないのだから、ただの自己満足になる。

なので有名人の暗喩だろう、と分かる。

庵野さんの周りの共産主義思想の人の有名人だと、宮崎駿がまず頭に浮かぶのです。

 

しかし、どうもそれだとパッとしない。

パッとしないが、宮崎駿だとしたら、そのバディは高畑勲だと思うのです。

だから「逆か」という事になるのです。

ウルトラマンとは「高畑勲」の事です。

 

高畑勲さんは、不思議な人でよく分からない人だったようです。

しかも人の感情が分からないのか、wikiによると、人の感情のフォローとかまるでしなかった人のようです。

それが人のことが分からないウルトラマンとかぶります。

 

そもそも高畑勲とは、確かに元々ウルトラマンです。アニメ界では大した人なのです。

それに共産主義者です(しかし共産党には投票しないようですが)。

共産主義者だから、最後「皆で助け合って何かをなす」事で解決される物語に、庵野さんは変えたのでしょう。

レヴィストロースの本を読んでいたのは、フランスの人類学者の本だからです。高畑さんは東大で元々フランス文学を勉強してたようです。そこからフランスの長編アニメ「やぶにらみの暴君」みて、アニメ業界に行くことを決めるのだから、フランス文学を勉強してたのが大事なのです。

 

始めは、神永が宮崎駿かな? と思ってましたが、映画内で長澤まさみをバディだとしつこく言うので、長澤まさみ宮崎駿だと考え直しました。

この映画、長澤まさみの臭いをかいだり、巨大化させたりしたのが、セクハラ見たく気持ち悪いと言われましたが、あれが宮崎駿だと思って作ったのなら意味が変わってきます。

たぶん、駿さんは忙しいと風呂にも入らなかったのかな?

それに、段々宮崎駿自体も、巨大になっていくことを表したのでしょう。

まあでもスカートで巨大化させる意味はなかったのですけどね。

 

では神永は誰か?

たぶん、あれも高畑勲です。

そしてたぶんゾーフィーも高畑勲です(ただこれは高畑さんの実際の兄弟のことかも知れないけど)。

ここで一人の中の色々な要素を複数の人にして出してしまうという、寺山もやったやり方を踏襲してるのでしょう。

宇宙人のような高畑さんから、もっと人間らしいと高畑さんになった事を、最後神永がウルトラマンの命をもらい受けて生き返る事で表したのでしょう。

ゾーフィーが地球を壊そうと言うのは「もうアニメあんてやめて帰ってこいよ」という本当の兄弟のことか? もしくはそう思う高畑さん自身の心の葛藤の事を表していた気がするのです。

しかし、アニメやそこで働いている人々が好きになったウルトラマン事高畑さんは、それを守ろうとした、という話だった気がするのです。

 

まあ、しかしシンウルトラマンは監督が樋口さんで、庵野さんではない。

だからか尚更、暗喩要素が上手くないのです。

これは、暗喩要素を庵野さんが樋口さんに話してなかったのか?

もしくは樋口さんがよく分かってなかったのか?

もしくは、分かっていたけど「そんな要素どうでも良いだろ」と思ったのか?

もしくは、単純に暗喩要素を作るのが上手くなかったのか?

まあ、そんな所でしょう。

 

なので、今回の話は漠然とした話になってしまったのは勘弁です。

しかし個人的には、結構あっていると思っています。

 

シンウルトラマンではウルトラマンの名はリピアーでしたね。

リピアという植物は外来種で、雑草制御のグランドカバーとして使えたそうですし、花も咲かせます。

しかし外来種であり、生態系を狂わすということで、今はもう(あまり)植えてはいけない植物だそうです。

花も咲かすし、役にも立つけど、生態系も壊す。まさに高畑勲

「隣の山田くん」を作るのに、ジブリの中のやり方を色々変え、壊してしまったようです。それに怒った宮崎駿は「もうパクさんには作らせない」みたいな事を言ったとか?

トゲのある暗喩で高畑さんを表したのが「リピアー」です。庵野さん、やりますね。

 

ちなみに、

シンウルトラマンの続きをするなら「帰ってきたウルトラマン」にしたいようですね。

たぶん帰ってきたウルトラマンは、月に関連する行動をするはずです。

帰ってきた高畑さんは、かぐや姫を作ったからです。