まだある「君たちはどう生きるか」考察です。
流石に、あの宮崎駿が一念発起で、あの年で始めた暗喩物語。そう簡単には全てを分からせてはくれません。
このあたりの事では、恐れ入りますけどね。
この物語が分かりずらいのは、もちろん暗喩が入っているからです。
しかしそれだけではない。
もっと分かりにくくしてるのは、何重にも暗喩を重ねて来るからです。
それは、前に言った様に、主人公を宮崎駿と庵野秀明両名に、重ねて来る所です。
しかし、どうもしっくりしない所が多いです。なぜそうするのか? なぜそこを強く表すのか? と思う所がいくつかある。
なんでディズニー要素が強いのか? なぜアメリカ要素が強いのか? なぜアオサギは猿田みたいなのか? なぜ夏子を母と呼ぶ話なのか? などです。
まず気になったのが、ヒミの衣装です。
あれはメイド服ではなく、ただのアメリカの古い若い主婦が着るエプロンなだけでしたね。
服の方も古い服であり、しかしディフォルメされた良き時代のアメリカの女の人が着る服なだけでしょう(テレビやアニメや映画に出て来たような感じ、と言う意味のディフォルメです)。
ヒミは「母」なのだから、ディオフォルメされているとはいえ、主婦の服を着るのは間違っていない。
「ディフォルメされた古いアメリカの若い主婦」を表したかった、と見れば、食べさせたのがジャムパンなのが分かります。ジャムパンも服と同じ暗喩ですし、ジャムパンが嘘っぽかったのも同じ暗喩です。
しかしそれが宮崎駿に係っているとしたら、間違ってはいないのだろうけど、ちょっと強すぎる気がしました。宮崎駿は、そこまでアメリカに影響されていたのかな? と思ったのです。
この答えの前に、気になったのが、ヒミがアメリカだとしたら、夏子はなんだ? って言う事です。
普通に考えれば「日本」ですね。そう言えば夏子は着物姿が多かったし、パンフでも着物でした(パンフレットは思ったより、わざと狙った絵を出している、と思ったからです)。
つまり「自分はアメリカ(ヒミ事、久子)から生まれたが、アメリカは死んでしまった(自分の中で)」そして「日本(夏子)が母なのだと、認める事が出来た」と言う話に、見えると言う事です。
しかし、この「国」を母や親族に例えるのって? そう、寺山がよく使った手です(身毒丸などです)。
宮崎駿は、寺山も理解していると言う事ですね(国に例えるのは、もちろんもっと前からありますが、それこそ天井桟敷の人々とかね)。
「君たちはどう生きるか」の暗喩で言うと、アメリカの妹が日本と言う事ですね。
寺山は「義理の親がアメリカ」と半世紀前に例えたので、今で言うと妹でも間違ってはいないと思います。
つまりヒミとは、「火の鳥」であり「ナウシカ」であり「アメリカ」でもあると言う事です。
ではアメリカだとした時の、主人公「眞人」とは誰か?
そう、手塚治虫の事です。
この話、戦時中に疎開に行く話です。
駿は41年生まれで、戦時中は4歳が限度です。
だから、もう物心付いていて、疎開に行った人とは手塚治虫の事だったのです。
(修正、手塚治虫疎開には行ってませんでした。学校から軍の工場に行ってたので勘違いしてました。
言い訳になるけど、そうは言っても宮崎駿の自伝を書きたいなら、眞人があの年で疎開に行く話にはしないと思います。
やはり数人を重ねて描いている気がする。手塚治虫もです)
そう考えると、この物語、アメリカ要素が強いのも、ディズニー要素が強いのも納得がいきます。
元々、ディズニー要素が強いのは、手塚治虫の方ですからね。
手塚治虫が主人公の時の、大伯父こそが、ウォルトディズニー、その人です。
手塚治虫は、始めはディズニー要素が強い絵柄とかが多かった印象ですが、段々手塚治虫要素が強くなって行きます。
ブラックジャックとか火の鳥などは、もうディズニーでは無いですからね。
だから最後「ディズニーを継がない」と言う話なのです。
あくまで自分自身の生き方を通す、と言う事でしょう。
ちなみに、母がアメリカだとしたら、手塚治虫が決別したのはいつなのでしょうね?
二次大戦の事か? もしくはベトナム戦争の事か? 分かりませんが、アメリカともディズニーとも距離を置いた時がある筈です。作柄が違いますからね。
その時を表したのが「母が火事で死んだ時」と言う事です。
そして、手塚治虫は日本をあらためて母と呼べるようになった、と言う話です。
そしてヒミが「火の鳥」の時は、宮崎駿の事であり、手塚治虫と決別した時の事が「母が死んだ時」の事です。
昔本で読んだのが、宮崎駿は手塚治虫の映画を見て「すっごく頭にきた」と言うような事を言ってました。戦争を美化するよな内容だったからです。
「母が死んだ」のは、この時の事ですかね?
ヒミが「ナウシカ」の時は、ちょっと事情が違います。
ナウシカの方は「自分の中で死んだ」のではなく、宮崎駿が封印したのです。
だからヒミ事、久子が死んだ理由が火事なのでしょう。つまり殺されたとも違うし、病気で死んだのとも違し、戦争で死んだのとも違う。
しかも「本当に死んだのか?」とか言い出すし、つまり死の理由が曖昧だと言う事だし、死んだのも曖昧です。
それは、これら三様を全て、一つの事象で表そうとしたからでしょう。
面白いのがアオサギです。
アオサギが鈴木敏夫でも前田真宏でも富野由悠季でも、とりあえずは実在の人です(アオサギは色々な人が混じっていて良いキャラなので、これらの人以外も入っていても良いのだと思えてきました。庵野さんの周りの人とかの事です)。
私は前から思っているのが、手塚治虫に友達はいなかったのではないのか? と言う事です。
少なくとも、同じ物語制作をしている友達は、いなかったと思います。
だから実在した人物としてのアオサギは、手塚治虫にはいなかったのだと思うのです。
だから、鼻がでかく火の鳥でよく出て来る猿田みたいなのでしょう。
猿田は日本神話に出て来るサルタヒコから取っているようです。
他に、アオサギはエジプト神話でベンヌと言う不死の鳥の事であり、火の鳥の元ネタだとも言われているようです。
つまり、アオサギが火の鳥でもサルタヒコでも、どっちであっても実在しない神話上の事だ、と言う事です。
だから手塚治虫を導いた実在の人は存在しなくて、神話上の神が導いたと言う事です。つまり手塚の妄想が、手塚自身を導いたと言う事です。
話はずれますが、悲しい事ですね。
宮崎駿には、遠い存在だった手塚治虫もいたし、ちょっと先輩の高畑勲もいたし、同じ年の活躍する富野由悠季もいた。だから大成したと思います。
手塚治虫には、友はいなかったのだと思います。ライバルと弟子だけです。
それだけで大成した手塚治虫は、やはり天才だと言う事ですが、実在した友がいたら、もっと違う物語もあっただろう、と思えてなりませんね。
さて、ウォルトディズニーから手塚治虫へ、
と、三周する物語でしたね。やりますね。
70過ぎてから暗喩物語に入って行き、この様に完成させれる人って、他にいるのだろうか?
このレベルで、ちゃんとまとめて、おさめて、完成させれる人って、たぶんあまりいない筈です。
逆シャアの頃の富野さんなら出来たかもしれないけど、今は無理でしょう。
ワンダーエッグとかマギレコとか、部分的には唸るほど優れていますが、完成出来てません。終わり方やまとめ方が下手です。
庵野さんも、シン仮面ライダーを見てたら、暗喩物語はやはり、あまり上手くはない。
だとしたら、それこそイクニさん位しか、この世にいないのじゃないだろうか?(もちろん、あくまで可能性としてですが)
レジェンドとは言え、今や80を過ぎた宮崎駿が、70過ぎから始めた事に、太刀打ちできる人が一人しか見付からないのって、どうなのだろうか? 終わってないだろうか?
三周どころでは無く、60を過ぎた庵野さんから、もっと輪っていかないと、もう持たないと思います。
23年12月14日、少しなのでここに追加
風切りの7番ってなんだろう? とずっと考えている。
結局まだはっきりとは分からないのだけど、可能性が見えたので少し足します。
矢が刺さり飛べなくなるとは?
矢は「矢立肇」の事か。
矢立肇はサンライズの共同ペンネームですね。よく富野さんと一緒に原作に名を連ねています。
7番が良く分からないのだけど、無理やり考えたら、富野さんの関連のガンダムで言えば、Gガンダムになります。
7番目では力を無くし飛べなくなったと考えれば、Gガンダムで監督を他人に任せている富野さんの事で、あってる気もします。
なんであれ、やはり富野さん要素が一番強いのが、アオサギでしょう。
映画のペリカンは、生まれ行く作品「わらわら」を食べてしまうし、昔に死んだ作品の墓を暴こうとするし、明らかに「製作側」の暗喩です(プロデューサーなどの事)。
それを着てるのが富野さんだと言う事です。
制作側を着て、制作側の顔をして、詐欺の様に自分のやりたい事を裏で行うのが、富野さんだからです。
制作側の「皮」を着ている時は、飛べるのです。
アオサギの羽で作られた矢なので、制作側の矢の事であり、だから矢立肇の事です。
その矢がアオサギ自体を攻撃する武器になるとは、敵になるとか、邪魔をする存在になると言う事です。
それが刺さり、邪魔をする存在になったら、今度は能力を失い、飛べなくなる。
制作側が味方になったら、飛べる。
足かせになってきたら、飛べない。
まさに富野さんの事でしょ?