号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

頭の体操 7

youtubeのイマジン大学ってちゃんねるで、6月14日に、茂木健一郎さんが言ってた事が面白かったので書きます。

この内容の補足、個人の感想です。

 

昔からなのかは知らないけど、少なくとも最近の茂木さんは、物事の考え方の根本的な事を言っているようです。

科学的なものや、いわゆる学校で教わる物が得意なのは、名のある人だからわかるのだが、そこから根本的な物に大事な要素があると分かり、それを伝えていく事から、優れていると分かります。

根本的なものの大事さを分かっていて、それを言う人が多くない国なので、それをやるだけでも他の人より優れていると思うのです。

ただ、あまり得意だとは思いません。

少なくとも、それをまとめて伝えることは、得意ではないのでしょう。

 

 

まずは、「賢さ・知性とはなにか」について語っています。

茂木さんは、「ペーパーテストの点数が高いのが賢いと思われている」つまり「東大理三 医学部に進む人が、賢いと思われている国は、本当の賢さを分かっていない」と言います。そうだと思います。

「一番賢い人が医学部に行く国は滅びる」とも言っています。

これはどういう事か?

ペーパーテストも東大入学も医者の仕事も、やってることは「もう答えが出ている事を、どれだけ多く、正確に覚えているのか」という事だからです。

既に答えが決まっていて、どこかを調べれば一つの答えが出てくる事を書くのがペーパーテストであり、それが出来たら東大にいけ、医者になれるのです。

そして普通の医者の日々の仕事は、その答えが出てることをどれだけ覚えているかが大事で、それに加え新たな出てきた答えも覚えていき、それを実行するものだからです。

(茂木さんも言ってるけど、医者は大事であり、これが優れている人も大事なのは、言っておきます)

 

「答えが出ている事を、覚えているだけなのが、この国のエリート」なのです。

 

ただ、答えが出てるものを覚えていることが大事な仕事も、今まではありました。それこそ医者とかです。

しかし、これからは「答えが出てるものを、答えるのは、AIの方が優れて行く」ことでしょう。

 

茂木さんが「知識を得るためには、色々な経験をしろ」というのも、ここが関係します。

すなわち「本やネットで書いてあることなんて、答えが出てるものであり、それを知ってるだけだと、大して価値がない」と言っていて、だから本では学べない「経験する事が大事」だと言っているのです。

経験して学ぶことは、これからもAIでは難しいか出来ないことでしょう。だから経験で得られることが、今後はもっと大事になるのです(今までも大事だったけど、です)。

 

「答えのある事を、ただ知ってるだけの人の価値は、思ったより低い」と言う事は、AIの存在で分かりやすくなりましたが、別にAIが出てきたからそうなったのではありません。

昔からそうなのです。

それなのに、「この国では、幻を信じさせられていた」という事です。

ペーパーテストが優れている人が、エリートだと言うことをです。

例えば、有名大学を出ていれば、日本だといい会社に入れますが、外国の会社だと、「だから?」と言われるだけでしょ?

これは「日本の大学に入れる凄さを分かってない外国の会社が馬鹿なんだ」なんて思ってる馬鹿は、日本人でもいないでしょ?

つまり、ペーパーテストが出来、いい大学に入れることの価値が大してない事なんか、別に日本人でも昔から知っていたのです。

皆が知っている、おかしな事すら直すことが出来ないのが、日本なのです。

 

その事が、この次の次の議題「マウントをとるための賢さ」に関係してきます。

「マウントを取るために、賢さを得ろうとしている」と茂木さんはいいます。それはそうでしょうけど、この言い方だけだと分かりづらい要素も、これには入っています。

この「マウントを取る」という言い方だと、ただ「俺のほうが賢いだろ」とえばりたいからのように聞こえます(この単純な意味も入ってはいますが)。

そうではなく「差をつけるために、賢さを利用している」という事実があるのです。

 

昔は貴族などは、生まれつきで差を付けてました。

その後「生まれつきで、差が付くのはおかしい」と当たり前の事に皆が気が付きました。

それで生まれたのが「ペーパーテストをさせて、高い点をとったものがエリートだ」という方法です。

確かにこれは、大体平等です。だから馬鹿を騙すにはもってこいだったのです。

しかし間違っています。

プロ野球選手を選ぶのなら、野球が優れている人から選ぶべきです。

会社も、その仕事が出来る人から取るべきなのです。

なのに、なぜか「いい大学に入ったものが入れる」となっています。

いい大学に入るには「ペーパーテストが優れている」事が必要です。

ペーパーテストが優れているとは、「答えが決まった事を覚えている」事以外の何ものでもない。

多くの仕事で、答えが決まったことを覚えているのも必要ですが、それは受験勉強の内容ではない。仕事上の覚えておくことを、覚えていることが大事なのです。

それは仕事ごとで違います。

だからそれが大事なら、入社試験で試せばいいだけです。

 

何度も言ってるけど、大学試験など、運転免許みたく「入ってやっていける学力あればみんな合格」にすればいいだけです。

そうなった時「東大出ました」と言っても、いい会社は入れてくれなくなるでしょう。

ではその時は入社試験で「昔の大学入試の試験をさせて、昔の東大に入学出来る点数を取ったものを入社させる」とする会社が、あると思いますか? たぶん今ある大学入試試験などを入社試験でやる会社などないでしょう。

すなわち、みんな知っているのです。東大に入れた入学試験で高い点数を取ること自体に、価値なんかないことにです。

もう一度言っておきますが、皆が知っているおかしな事さえ直せないのが日本です。

 

今の皆が思っている賢さとは「差をつけるために、存在している」事を理解しましょう。

差をつけるのは、単純に「ある人が、他の人より多くの給料をもらっているのは、おかしなことではない」と世間に言い聞かせるためです。

多くの給料をもらっていて、権力もある少数の人々に騙されてるのに、気が付きもせずヘラヘラしてるのが、この国の正体です。

 

(前に言ったから、簡単に言っておきますが)

とは言っても、差は必要です。給料に差があってもいい。

でも「大きな差」は必要がないのです。

平均的な給料をもらってる人の倍の給料が、高い人の給料の限界でも、なにが問題だと言うのでしょう?

 

 

youtubeの茂木さんの話に戻します。

「万能などない」と茂木さんはいいます。これはそうでしょう。

茂木さんは「万能を目指す今のAI開発は、間違っている」とも言います。

これはどうかな?

AI開発者の多くは、万能だといいながら、万能を目指してないと思うのです。

いわゆる「万能包丁」程度のものであり「万能工具」程度のものでしょう。

万能工具と言っても、それ一つで家を建てる事は出来ないでしょ? その程度だと思って作っていると思うのです。

 

ただ思ったのは「確かに中には、どこまでの万能具合が必要か分かってない人もいそうだ」という事です。

「本当に意味がない、もしくは無理な万能レベルを目指して作ってるAI開発者もいるかもな?」とも思えるので、別にまるっきり間違っている話ではないと思います(否定的な事を言うコメントがあったので)。

大事なのは「どのレベル、どの度合いが可能で、そして必要なのか?」という事です。

「そこに哲学がないと、間違えるよ」という事が大事なのです。

 

 

youtubeの、その後にあるのが「ファッショナブル・ナンセンス」問題です。

これも同じで「どのレベル、どの精度、それが誰に対し、どの程度大事なのか?」という、俯瞰的な考えが必要だと言うことです。

「一つの学問や本の中に閉じこもっただけではなく、もっと大きな目線で考える事が大事だ」という事です。

「その俯瞰的な考えこそが、人にとって大事なリアルな問題になるので、それを無視すると意味がないものになる」という事だと思います。

 

例えば、「多元宇宙論」とかそういうものです。

考えるのは面白いが、調べることも出来ない。あくまで「そうかもね?」という「知識遊び」程度のものだと認識して発言する必要があります。

 

中には「ヒッグス粒子」みたく「今は無理でもいつか調べられそうだと思う物」もあります(この例は、始めにヒッグス粒子をとなえ始めた時の話です)。

これは他のことから「こんな事がありそうだ」と思える、もっと可能性が高いものであり、しかも「いつの日か実験で確認ができそうだ」と思えるものなのだから、もっと人にとって大事なのだと理解できるでしょう。

 

それが意味不明でも、その人に取ったら意味がある時もある。

ここで言ってる「ソーカル事件」は嘘の論文を発表したら受理された事件のことだそうです。

もちろん嘘の論文だから意味はないが「意味がない論文でも通る、おかしな世の中」と知らしめるためには、意味がありました。

つまり「その論文内、科学内では意味がないが、それを飛び越えたメタ的な世界、すなわち私達が生きる実世界では意味がある」と言うことです。

 

もう一回言うけど、私達は実世界で生きてます。

実世界が一番大事なのです。

だから実世界で意味があるものは、意味があるのです。

これを茂木さんは「自分の人生から出てくる言葉は生きている」という表現をしています(分かりづらいですね)。

「その人の、リアルな人生に意味があれば、自分にとったら全て意味がある」という事です。

逆に「自分の人生に関係がない知は意味がない」という意味でもあります。宇宙に興味がない人にとっての「ビックバン」とか「宇宙の膨張」などの事です。ビックバンが本当だろうが、嘘だろうが、興味がない人には、人生にとってなんの影響もないでしょ? そういう事です。

 

ただこれは「自分個人にとって意味があるか?」という事でもあります。

嘘の論文は多くの人にとって意味がないのだから、大体は世の中にとって意味がないものです。

 

前に寺山の本の「幸福論」を読んで、分かりづらくて気に入らなかったのですが、これがファッショナブル・ナンセンスですね。

これを「分からない事も書いてある文学作品」と思える人には価値がある。

これを「何かを伝えたい作品」と見る人には価値がないのです。

寺山は「分かりづらいことも含めた文学作品」と思って出したのだろうけど、ただの子供の遊びにしか見えない(多分、自分で考えるエンターテインメント作品のつもりだろうけど)。

伝える作品だと分からないし、文学作品でも面白くもない。

知的な事を難しく言う時代だったので、それに乗ってしまった寺山は、若かったのだなと思える本でした。

(いつの間にか、寺山の亡くなった年を超えてしまっていて、寺山がもっと長生きして、もっと年上でいてくれたらな、と思えて仕方がないですね。寂しい限りです)

 

さて、茂木さんは最後になぜか東浩紀さんにメッセージを残してます。

「東大教授になってくれ」という事です。

確かに今のネット社会だと埋もれる心配も少なくなったのだから、大学教授になっても、昔よりやれることが多い気がします。

東さんのような方が東大教授にならないと、大学自体の価値が無くなって行く、というのも多分あっていると思います。

昔と違い、今こそ東大大学教授になった方が、世間に影響力も出せるでしょう。たぶん教授と経営者、両方とも、今ならやれるかもしれないからです(細かな法律、ルールは知らないけど)。

ただ、そうは言っても、やはり足かせにはなるでしょう。

だからどうだろうか?

なら、短期間でおためしでやるってのはどうだろうか?

「短期間でおためしならやらせない」と大学が言うのなら、それは関わってはいけない組織なので、それで確認も出来る事でしょう。

 

 

まとめです。

こういう話が出てくるyoutubeのある世界は、本当にいい時代になりましたね。

ただ、まだまだ世間のレベルは低いのだろうけど、この後の時代に、ちょっとずつ効いてくると思うのです。

サッカーでも、jリーグ発足から、最近とうとう世界に通用しそうになってきたように、世代をまたがないとレベルアップは難しいです。

だから、今は影響力が少なくとも、こういう話は、次の世代には大事で意味がある物なのです。