号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

ニアミス流れる神田川

君たちはどう生きるか」もう少しやります。

かなり漠然としたものであり、参考程度で聞いて下さい。

 

他に、ニアミスについても、少し書きます(正確にはニアミスとは言わないと思うけど。半分冗談です)。

 

 

薔薇ってなんだろう? ってずっと思ってるのだが、よくは分からない。

 

なので、そこから導き出せる物を追っていくわけだが、それがまとまらない。

だから違うのかもしれなし、もしくは、漠然とそれらを象徴する物が入ってるだけかもしれない。

 

まず大伯父が手塚治虫だとして、それで薔薇で頭に浮かんだのは?

リボンの騎士です。

ただ、リボンの騎士をGoogleで調べてみても、薔薇要素はあまりないですね。

 

しかし気になったのが、アニメ13話「ばらの館」です。

なので見てみました。

 

薔薇の館に招待されたサファイヤ(主役)が、薔薇の妖精に、戦争の為の要塞建設の為に植物が切り刻まれているのを、救ってほしい、と言われる様な話です。

それでサファイヤが行くのが「南の谷」、そこで赤と白の薔薇の精に会う。

しかも戦争反対で、植物を救う話です。

ちょっと漠然とし過ぎているけど、ちょっとナウシカっぽくないですか?

もしかしたら、宮崎駿がこの話をどこか覚えていて、それで参考にした可能性もあるなあ、と漠然と思っています。

 

久しぶりにリボンの騎士を見て思ったのが「そうか、ウテナの声優、ここから真似ているのか」と言う事です。

リボンの騎士の声優の太田淑子さんは元宝塚だそうです。

男装の麗人だし、たぶんウテナの声優を決める時、ちょっと似ている人を選んだのだと思います。ただ大きな関係はないと思います。

そうは言っても、ウテナは宝塚っぽいし、男装の麗人だし、白と赤の薔薇がよく出て来るし、リボンの騎士を、表向き見た目の参考にした可能性はあるな、と思っています。

 

そして、リボンの騎士アニメ版は1967年です。

始めの方の回で、富野さんが演出で加わってますね。

富野さんは、この年67年に虫プロを出て行ったようで、だからか、始めの方しか名前は出てきてません。

 

つまり、もしかしたら、手塚治虫から薔薇繋がりでたどると、宮崎駿、富野 イクニ、この三人が、ニアミス程度の繋がりを持っているかもしれないのです。

 

そしてこの三人に影響されたのが庵野さんであり、この三人の影響下で出て来たのがエヴァです。

 

薔薇が影響され、それが砕けて、それで地下に飲み込まれ、死の世界に行く。

これは庵野さんのエヴァ後を象徴的に表した、と言う事なのかな?

 

ちなみに、このリボンの騎士の1967年に、吾郎さんが生まれています。

眞人の弟が生まれる話でしたよね?

 

 

そう言えば、「君たちはどう生きるか」考察で、庵野さんの名前も出て決ませんね。

これもどうかなあ? 素人はともかくプロは言うべきだろ?

 

風立ちぬ」で堀越二郎は、明らかに物づくりに徹した宮崎駿の言い訳です。

その堀越二郎の声優が庵野さんでしょ。吾郎さんではない。

だから宮崎駿の作家としての分身は、庵野さんだと言う事です。

だから作家としての一番弟子は、庵野さんだと思うのです。

 

だから「君たちはどう生きるか」の暗喩も、普通に考えれば、吾郎さんではなく庵野さんの事だと思うべきです。

なのに吾郎さんの名前は出てきて、庵野さんの名は出て来ない。本当に世の中って、大丈夫なのでしょうか?

 

 

さて、ここから「君たちはどう生きるか」と関係がない話が含まれてきます。ご了承ください。

 

サファイヤ役、太田淑子さんは始めのアニメ版ドラえもんの、のび太役だそうです。

そしてヤッターマンの主人公の男の声優です。

Wikiによると、太田さんはヤッターマンの悪人三人組の方が人気が出てきて、気に食わない、みたいな事を言っていたようです。

 

そのヤッターマンドロンジョ役が、小原乃梨子さんです。

そして大山のぶ代ドラえもんの、有名な二回目アニメ化の時ののび太役が、小原さんですね。太田さんまたドロンジョに取られてますね。

この二回目のアニメ版の、のび太の孫の孫、セワシ君の声優を太田さんがやっていて、たぶんわざとですね。昔なのに、面白い事をします。

 

この小原さんが「未来少年コナン」のコナン役です。

そして太田さんの方は「パンダコパンダ」の子パンダ役です。

つまり宮崎駿は、両名をよく知っている筈です。

これもニアミスです。

 

宮崎駿は太田さんを知っているし、リボンの騎士を知らない訳ない。

ウテナを見てたら、これを参考に(表だけだが)したのがすぐ分る筈です。

それにこの頃の虫プロにいた富野さんも、今や知っているでしょう。

だから薔薇が、全てに係る象徴的な物だった気がします。

 

 

トキワ荘って豊島区のへんぴな所にあります(近所の方ごめんなさい。私はもっとへんぴな所に住んでたので勘弁です)。

手塚治虫は早々引っ越してますが、藤子不二雄は61年までいたようです。

 

トキワ荘から南に行くと目白通りです。そこを東に行くと学習院大学があります。

学習院大学も豊島区です。

宮崎駿が行ったのが学習院大学です。

41年生まれなら、61年頃は通っていたと思います。

 

学習院を南に行くと神田川が流れています。これより下の方が新宿区です。

この辺だと神田川に沿って都電荒川線も入っていて、終点が早稲田です。

早稲田はもう新宿区だけど、学習院からもそんなに離れてませんね。

 

トキワ荘手塚治虫がいたのが1953年から54年だそうです。

寺山修司が1935年生まれの早稲田ですね。

だから54年に早稲田に入ってます。

 

実相寺昭雄もまた早稲田です。37年生まれだけど早生まれですね。

59年卒業とあるから55年に入ったのでしょう。寺山の一個下です。

そもそもこの人は滝野川区(今の北区)に住んでたようなので、もっと前からこの辺はなんとなく知っていた事でしょう。

 

ピンドラの舞台はいくつかあるけど、一つが池袋です。

池袋は豊島区にあります。学習院の少し北ですね。

関東の人だと分かるだろうけど、池袋は微妙です。どうも地方都市のにおいがします。

それがある豊島区また微妙です。名前があまり出て来ない(近年だと、人が減り持たない区、と言うので出てますね)。

 

 

有名人でも、特徴があまりない親族の話はしません。

しかしその親族の影響は、もちろんあります。

もちろんあるが、影響がある事を自覚する事は、まずないのです。

 

この豊島区の最南端あたり、神田川あたりの、特徴が無い町の名は、普通出て来ません。

しかしこの人達に、本人にも気が付かない、なんとなくの影響を与えているのが、この地域だったのです。

 

これらの人がニアミスしていたのかと思うと、ちょっと面白いと思います。

 

「あなたは、もう、忘れたかしら」と、この人らに、この辺の事を、聞いてみたかったですね。