号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

シンジは誰か?

分かってる人には「何を今更」と思うだろうし、いい加減しつこいけど、エヴァの事です。

ただ大事な事なので、少し書きます。

 

「シンジ君って誰だろう?」ってたまに思う事があり、もちろん「庵野さんの事も入っているのだろう」って事は今でも思ってますが、それだけではない気がしてならない。

そしたら、フッと頭に浮かんだのが「そうか、あれも宮崎駿の事か」と気が付いた、って言う話です。

 

でも実は前にも思ってたのだけど、それだと上手く収まらない気がして、無視してました。

しかし実は「上手く収まるのか」と気が付いたので「これも答えだ」と気が付いたと言う事です。

 

ゲンドウもシンジも、どっちも宮崎駿だとしたら、納得する内容です。

 

レイがシンジ君の母から作られた何かで、しかも沢山いるコピーの様な人です。

レイはアニメキャラなどの暗喩でしょう。白いのは純真とかの象徴だからでしょう。

白い純真なアニメキャラは、宮崎駿のアニメの出て来るヒロインたちの事です。だからその暗喩のレイも、沢山いるのです。

ナウシカの胸が大きいのは、母の象徴だからみたいで、どうも宮崎駿自身もそう言っていたそうです。

「自分の母」とは言ってないのかもしれないけど、たぶんそうだとは皆思っている事でしょう。

宮崎駿の母は、病気で駿が幼い時にあまり会えない存在だったようです。だからか妙に思い入れがあるのでしょう。

それらの影響がトトロに出ていて、あれに出てた母も病気で病院にいて会えないのは、本当の母からとったのでしょう。そしてだからこそトトロに出て来た母キャラには、駿の実の母に対する思いが出ているに違いがないのです。

トトロの母の様に、たぶん良く出来た会いたくなるような存在だったに違いが無いのです。

その実の母の思いと、他の女に対する妄想が合わさったのが、宮崎アニメに出て来るヒロインキャラなのでしょう。

だから、どこか母要素があり、しっかり者で家事が出来るキャラに、多くのヒロインをしてしまったのでしょうね。

なので、母のコピーであり、白い純粋な存在、レイこそが宮崎駿キャラの暗喩だったのです。

 

レイを作ったのがゲンドウであり、それに憧れるのがシンジです。作ったのも、それにのぼせるのも駿自身のことなのだから、二人とも駿なのです。

 

そこに横から現れる、外国からの使者、それがアスカですね。

彼女こそが赤の象徴であり、外国から来た社会主義などの事です。それに興味をいだくのがシンジであり、駿です。

そしてだから、アスカに保田さんの性格を植え込んだのだと思うのです。

確か駿さんは保田さんを「同士だ」と言ってたので、この言い方だと「社会主義運動家の同士だ」と言う意味でしょうね。

そもそも保田さんは、東映動画から、高畑勲宮崎駿などと一緒に出て行ったのだから、たぶん社会主義者だった可能性が高いと思っています。

 

最初の映画版の最後は、レイはいなくなり、皆いなくなり、しかしアスカと残ると言う最後でした。しかも外は赤い海でです。

これは、白いアニメと母の象徴にうつつを抜かしていた駿は、最後に現実的な社会主義者として生きて行こうとした、と言う最後です。

(そしてシンエヴァでの本当の最後は、ピンクをとったのですね。これこそが白と赤、両方とも否定しないで、バランスよく取って生きて行こうと言う、見事な最後でした)

 

前にも言ったけど、使途が外国の社会主義者です。ソ連とか中国のとか北朝鮮の事でしょう。

そしてネルフが日本の社会主義者です。

ネルフが使途を排除したいのは、外国の社会主義に乗っ取られたくはない、と言う事です。

そして日本独自で社会主義を作ろうとしたのが、ネルフであり、だからサードインパクトをして皆が混ざり合う状態にしようとした、つまりみな平等で差異が無い社会主義共産主義にしようとしていた、と言う話でした。

ゲンドウがネルフの一因だと思わせておいて、実はそうではなく自分のしたい事をしようとしたと言う話は、宮崎駿は日本社会主義者の思うようにもしたくはなく、あくまで自分の理想の社会主義を願っていただけ、と言う事を表していたのでしょう。

 

使徒が外国社会主義者だと言いました。

では使徒であるがエヴァにも乗るカヲル君は誰か? たぶんこれが高畑勲かな? 外国からの情報を得ている社会主義者だからです。

結局大好きだったカヲル君を握りつぶしたシンジは、高畑勲の主張からは離れて行った、って言う事かな? よくは知らないけど、駿は途中から勲から離れ、我が道を行ったのは間違いがないでしょう。

(そう言えば、高畑勲はピアノ弾けましたね。だからやはりカヲルが勲ですね)

 

ではゲンドウとシンジがなぜどっちも宮崎駿なのか?

そう言えば、エヴァって、そもそも「田園に死す」入ってましたね。

田園に死す」が「子供の主人公」と「大人の主人公」が両方出て、しまいにこの二人が会って話す内容だったと思います。

これは、個人内の感情や思い出などを象徴的に映して、それに暗喩も含めた複雑な伝え方ですね。

だから一人の個人の、大人要素と子供要素、両方が一緒に出て来るのが田園に死すです。

だからそこから取ったエヴァもまた、宮崎駿の大人要素のゲンドウと、子供要素のシンジ君の葛藤の話にしあげたのでしょう。

 

そう思うと、結構良く出来てたのですね。

ただ分かりにく過ぎるのでそこが問題でしたが。

田園に死すの方が分かりやすい。エヴァの様な、ある一定を超えた分かりにくさは、上手くない証拠です。誰も分からない物に意味は無い。田園に死すの、微妙な分かりにくさが上手いのです)

 

ちなみに、そうは言っても、シンジに庵野要素も入ってないとは言ってない。

もしかしたら、これもシンジに二重にかけたのかもしれない。庵野と駿をです。

 

そして、だとしたら、「君たちはどう生きるか」の作りに納得するのです。

エヴァから「主役に二重に暗喩をかける」と思いついたのでしょう(君たちは、の方は三重だと思いますが)。

そして、この複雑さを宮崎駿が一人で気が付いたのだろうか?

私には、やはり高畑勲の考察が入ってるように思えてなりません。

 

 

2024年12月5日 補足

 

寺山の詩の一部に「……弟と鳥」とあり、寺山映画には飛行機も出て来る。エヴァの映画で使われていた「翼をください」もあるし、よど号事件もあり、飛ぶもの、例えば鳥を社会主義の象徴と言う意味で使っている事に気が付きました。

だからアスカ(飛鳥)だし連雀(これはピンドラのキャラ)なのか。

そして鳥が大事な要素だから「ピンドラ」も「君たちはどう生きるか」も鳥だったのだと思います。

ただペンギンは「飛べない鳥」なので、社会主義者じゃない者っていうことになり、だからピンドラもペンペン(富野さん)もペンギンなのかと気が付きました。