号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

良いも悪いもリスペクト

いや、だから、思い出コンテンツはだめだろ。

映画「シン仮面ライダー」見ました。

 

どうも庵野さんは「自分がやりたかったものではなく、あくまで仮面ライダーに恩返ししたい」気持ちで作ったようです。

その事に対し、岡田斗司夫さんがネットで言ってましたね、「そうすると誰も得のしない物が出来る」と。その通りです。失敗でしょう。

 

シンウルトラマンの時もそうでしたが、今回も「焼き直し」をしたかったのかな? と思えます。

あくまで元の仮面ライダーを今風に表そうとしたのでしょう。

昔にはあって今やらないのは「今だと通用しない」可能性がある。今回の仮面ライダーは、そのままだと通用しない部類の作品だと気が付かせる、コンテンツでした

ウルトラマンは元にSFがある。SFは小説などで昔からあり奥が深いし幅も広い。世界中で書いているジャンルだからです。だからウルトラマンは哲学的であり、奥が深くなりがちです。

最終回でウルトラマンが負け、科学が勝つ所なんか作品としたら完璧でしたね。

しかし仮面ライダーはその要素が薄い。時代を超えた哲学的な要素、ではなく、ローカルでその時代にあった要素で出来ているから、今だと通用しないのです。

初代ウルトラマンジャミラやシーボースの回なんて今だに語られるのに、仮面ライダーには無いでしょ? そういう物です。

仮面ライダーは、あくまで変身ヒーロー物が面白かったので、うけただけです。その中で説教的な要素があってもいいのですが、それはあくまでおまけ程度の要素として受け入れられてた事でしょう。

逆にウルトラマンジャミラ回などは、その説教的な要素自体が心に残ったから後世でも語られているのです。

なので、庵野さんは仮面ライダーを踏襲することにより、仮面ライダーの「非普遍性」を気が付かせるという、失敗の物語に見えました。

 

今回「石森章太郎」の漫画の仮面ライダーも読みました。

なるほど、1971年じゃないですか。だから「また」70年安保の頃の雰囲気満載の話でした。

ただ、学生運動からの「政治問題」だけではなく「自然回帰」や「公害問題」なども入れられていて、この頃の社会問題に立ち向かうのがライダーだったのだな、と分かりました。

ライダーって暴走族とか走り屋とか、つまり反社会的な象徴です。その印象から来たのでしょう。

もちろん石森さんは分かっていて、あくまでその雰囲気であり、正義の味方なので「反社会的でないライダー」にしようとしてます。

この誤魔化しをやりたがるのも、この時代の典型ではあります。アニメで例えると「童顔、巨乳であるが家事も出来、母的な優しさ、おおらかさも兼ね備わった女性キャラ」位の、ご都合主義の誤魔化しだと、まだ気がついてない頃の作品です。この頃は、まだ浅間山荘事件の前だしね。

 

仮面ライダーがバッタなのも、自然回帰であり、公害や機械に対する反感でしょう。

ライダーがベルトの風をうけて変身するのもそうです。自然エネルギーと言うご都合主義が、まだ通ると思っていた頃です(それから半生記以上経ち、今だに自然エネルギーでは立ち行かないのですからね)。

 

漫画では政府が国民を操る機械を作ろうとする。

それを悪の組織がぶんどり、使おうとする。

つまり、政府も、反社会組織も、どっちもろくでもない、という事です。この頃の政府と革命をうたうグループの、両方の事でしょう。

 

敵は動物などの怪人です。人の心がない動物だとでも言いたいのかな? 

反社会の人達の多くは獣だといいたいのでしょう。

面白いのは正義の味方の筈のライダー自身も、自然のつかい、バッタ男だという事です。

つまり敵も味方も、政府も反社会組織も関係がなく、その中に悪も善もそれぞれいるという事です。この辺は上手いですね。

ちなみに、ライダーがやってるのは、内ゲバですね。人ではない獣同士の殺し合いです。しかしライダーには正義の心が宿っている、つまりヒッピーや共産主義者の中にも、まともなのもいる、と言う話です。

 

こうみると、ライダーってのは、この頃の社会情勢を色濃く表した作品でした。

漫画のライダーは、考え方は間違って無かったと思いますが、しかし作品としては面白くは無かったです。

結局、作品なのだから、面白いのが大前提なのです。

そして「シン仮面ライダー」です。なるほど、漫画仮面ライダーをリスペクトしていて、社会問題提起も踏襲している。そしてつまらないのも踏襲してしまいました。だから失敗です。

 

さてシン仮面ライダーの怪人についてです。

元の仮面ライダーのように社会問題を描くが、現代風にアレンジされてます。

それらの社会問題について書きます。

 

始めの蜘蛛男事、クモオーグ、映画内では書いてないけど、どうも元々「友達が、ゲイであることをカミングアウトしていじめられ、自殺するのを見殺しにした事を、後悔している」キャラだそうです。

性別の問題であり、いじめ問題です。

そしてそれを見殺しにした事の後悔です。見てみぬふりをした方も問題がある、と言う事です。

 

次のコウモリオーグ

細菌兵器であり、人を操る問題、でもあります。

人を操ることは、あくまでメタ的な事であるだろうから、色々な暗喩だともとらえる事が出来ます。

細菌兵器で操るとは、科学力による洗脳ということで、テレビ等からの緩い国民の洗脳も含まれることでしょう。

 

サソリオーグ

よく分かりません。

これは見た目から、単純に「本当は怖い女の毒で殺される問題」の事かもしれません。

こいつは、仮面ライダーにやられないことから、庵野さんにとって、ちょっと意味合いが違うのだと思っています。

 

ハチオーグ

友達問題もあるけど、奴隷問題ですね。

奴隷とは、精神的に隷属させる日常の事も含まれているのでしょう。

 

バッタオーグ

二号もそうだし、黒い大勢の奴らもそうだけど、自分が最大の敵、でもあると言うことでしょう。

もしくは自分から作られた、似たような者は敵になると厄介だ、と言う事でもあるのでしょう。

逆に二号のように、味方になれば心強いとも取れます。

この自分によく似た奴、もしくは黒くなった自分の事とは、庵野さん関連の事だと思えば分かりやすいです。

 

チョウオーグ

自分と同じ理由で闇落ちした奴問題、そして宗教に走った奴問題です。

宗教問題であるし、宗教的な社会主義思想問題とも取れます。

そもそも、また「精神だけを別次元に送り、そこでは隠し事がない世界だが、そこは地獄だ」と言うような事を言ってました。これこそ社会主義国家であり、全て管理されたディストピアの事でしょう。

 

などの事から、明らかに現代版「社会問題と戦うのが仮面ライダー」と言う作りだったのが分かります。

 

間違ってはいないけど、だからつまらない事が問題です。

初代ライダーみたく、あくまで子供向けで変身ヒーローもので釣り、その中で社会問題をさらっと言う、程度にしとくのが正解でしょう。

しかし漫画版みたく、社会問題の方が強く出てきて、暗く重くなり、面白くは無いのが問題です。

問題ですが、確かに元を踏襲したのも事実です。

しかし間違いです。

 

さて、個人的な感想です。

「私にはそう見えた」と言うことであり、庵野さんが考えていたとは思えないことを言います。

本郷猛を見ていると、どうも庵野さんに見えてしょうがない。

あのボソボソ喋り、心の中で、信念を通そうする本郷は、庵野さんに見えて仕方がないのです(正確に言うと、あくまで庵野さんの一部分だろうけど)。

では戦っている敵の怪人は誰か?

あれらも庵野さんに見えて仕方がない。

力を持った怪人にさせられたバッタ男は、正義の心を持ち戦おうとする。

逆に悪に染まり、そこに残った(留まった)力ある怪人達がいる。

世界に絶望し、悪に染まった庵野さんを、正義の心の庵野さんが倒している話にみえてしょうがないのです。

 

敵のオーグの問題を、暗喩的にねじ曲げてみたら、庵野さんの持っているだろう問題ともとれるからです。

ただ庵野さんだけではなく、他の人でも合うでしょう。つまり一般的にありそうな問題の暗喩であるので、多くの人に整合する問題でもあるという事です。

 

ただサソリオーグを仮面ライダーが倒さなかったのは、サソリオーグには問題がなかった(表立って出てるのは)。

だから庵野さんの倒すべき問題ではなかったのではないのかな? なんて思っています(もちろん元ネタのオマージュから来てるのは知ってますが)。

逆に一号ライダーが倒したのが、庵野さん倒すべき問題だったのかな?

 

庵野さんの心の中での戦い」に見えるのは、どうも暗喩的に「精神世界での戦い」に見えるからです。

最後、魂が別世界に行ってしまうとか、仮面の中に宿っているとか、どうも仮面ライダーという思い出の事を、メタ的に表しているように見えるのです。

(これも原作漫画のオマージュから、どこかに本郷の意識を残しておく必要があったのは分かって言っています。ただそれだけとは思えないと言う事です)

 

仮面ライダーとは社会風刺がある。

という事はメタ的に「読者の精神的な戦いだ」とも取れるのです。

精神的なヒーローが、実際の社会問題と戦っていく話です。

その精神的な戦いという事を表すのに、シン仮面ライダーの不思議で異常な世界感や場面があっているとも言えます。

もちろん、元の仮面ライダーやヒーロー物のオマージュだから、あの不自然な雰囲気なのだろうし、金もないから下手なCGだったりもするのでしょう(ハリウッドに比べれば)。

しかし現実から離れた世界観から、精神世界を描こうとしたように思えてならないのです。

だとしたら、元のライダーのリスペクトであると同時に、その一番大事な「精神的な戦い要素」をリスペクト出来ている、とも見えると言うことです。

(ネットでシン仮面ライダーはフランス映画みたいだ、と言っていた人がいました。あっちも精神的な物を映像化してるから、作りが同じなのです)

 

ただ、最初に戻るけど、だけど下手なのです。表がです。

表が面白くてなんぼなのだから、あれではダメでしょう。

もしくは田園に死すみたく、おかしな世界である事を、もっと強調してしまったほうが良かったのではないのかな?

初めの方で戦闘員がズラッと並ぶシーンは、どうも気が付いたら急に並んでいて、そういう感じを狙っていた気もするのだけどね?

 

さておまけです。

どうも製作時のドキュメントが出てるようですが、見てません。

これを見た他人の意見からの感想なので、その程度と思って下さい。

 

どうも庵野さんは、どうやるかを言わないで、スタッフや俳優に勝手にやらせたようです。

そして結局どれを使用するかは庵野さんが決めるのだから、皆庵野さんの正解を探るようになったようです。

そもそも正解が分からずやらされるから、スタッフが精神的にまいってしまってたようです。

もちろんこれは失敗ですが、ちょっと理解も出来るのです。

まず、庵野さんの問題が「自分は出来るしかまわない」物が「他人も出来るしかまわない」と思っている所です。

庵野さんは何も言われずやれと言われてもやるし、かまわないのでしょうけど、皆は違います。

だからフォローする人が必要だったのに、いなかったのでしょう。

それに昔の人は勝手にやることになれていて、それだと好き勝手にやれて喜ぶのだろうけど、今の人は違う。今の人は育った環境から、監督の正解を探るようになるので、ダメなのです。

たぶん庵野さん自身もそうだし、見てきた昔の人達もそうだろうけど、勝手にやってと言われたら、本当に勝手にやるのです。そしてそれはダメだと言われるギリギリまで勝手にやる。庵野さんは、その感覚で今の人達に言ってるフシがある。

 

色々撮っても最後は庵野さんがどれを採用するか決める。

だから、結局使われないのが多く「なら始めから言えよ」と周りは思うのでしょう。分かります。

ただ誰かが決めなくては行けないのだから、それはしょうがない。

問題は、始めにそう言っとかないからです。そういうやり方でやるよと。普通と違うやり方なのだから、言っとく必要があるのです。

ただこの辺が口下手な庵野さんだから、しょうがない。まさに本郷です。だから分かっていて説明できる、フォローするスタッフが必要だっと言うのです。

 

さっきも言ったように「精神的な葛藤をメタ的に表している物語」としてやろうとしたのなら、このスタッフや役者の葛藤も入れてしまうことは、実は上手いのです。

本当にある葛藤や殺伐とした雰囲気が、作品内にも含まれることでしょう。

ただこれは、限度や範囲がある。だから制御する人が何処にもいないと、ただの嫌な雰囲気の作品になり下ってしまうのです。

だから、どうだったのでしょう? あまり上手く行かなかった面もあるのじゃないのかな?

庵野さんのやりたい事を分かっていて、フォローするスタッフが必要だけど、そんな事が出来る人は稀ですから、難しい事でしょう。

 

他の事で気になった事を思いだしました。

他の石ノ森章太郎の作品のオマージュが多いようです。ロボット刑事Kとか。

それが上手くないと文句を言っていた人がネットでいました。まあその通りです。

しかしやりたい事があくまで「精神世界」だとするのなら(あくまでメタ的にだけど)石ノ森作品のキャラが上手くもなく登場するのでも、それでいいのでしょう。

「石ノ森ワールドを思いながら寝たら、それらのキャラが違う形で出てきた夢を見た」様な作品だという事です。

石ノ森さんは手塚さん見たく、同じ見た目キャラを違う役で使う事も、悪くは言わないと思います。

だから手塚さんからのオマージュと見れば、まあ間違ってもいない。

 

ただこれらも含め、全てがそうだけど「それが客に伝わっているか?」と言うと違うし「それがいい方向に使われているか?」と言うのも違います。

 

だから、結局物語と言うのは、表が面白いのが前提だと言うことです。

それが出来なかったら、何が上手くても失敗だと思うのです。

シン仮面ライダーは、実は大して面白くない仮面ライダーを見事にリスペクトしてたと言う事です。

 

ちなみに、表がとにかく面白いのが宮崎駿です(の前期です)。

なので、未だに宮崎駿の後を追っているのが、全てのアニメ監督なのでしょう。

もういい加減、引導を渡す人が出てきてもいいのではないでしょうかね?

 

次回はないだろうけど、庵野さんは「仮面の世界」をやりたいそうです。

これは漫画版であった題名ですね。

まあ、一般人も政府も皆、仮面を付けていると言いたいのでしょう。

ただこの題名だけを聞いた時「やるな石ノ森章太郎」と震えましたね。ただその後漫画で見た内容は今一でしたが。

この題名から連想されるのに、それこそ寺山のレミングの内容で「壁」に焦点を当てたのに感動した位の震えが起きました。

ああ、寺山ならこの題名からのヒーロー物で、素晴らしい内容を作れた気がしてならない。ああ、残念です。

この題名からの作品作りなんて、それこそ無限です。

だからこそ、難しくもあるのですが。

庵野さんには悪いけど、イクニさんやらないかな?