号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

アーサーは誰だったのか?

アーサーは誰だったのか? もちろん色々な人の事でもある。

そして今回は、監督がねらった訳でもないだろうけど、私にはそう見えた、って感想を書こうと思います。

 

映画「ジョーカー フォリアドゥ」見ました。感想です。

(感想は二回目だが、見たのは今回が初めてです)

 

本編を見ると、見る前とは感想が違う時が多い。

しかしこの映画、思ったより「ただの答え合わせ編」と言う、見る前の考察そのままだったので、逆に驚きました。

本当に答え合わせを、きっちりやった、って言う映画です。

 

映画自体は、地味だけど、悪くはない。良い映画だと思います。

「ミュージカルじゃないか」と言う感想を皆言うので、もっと意味のない無駄なミュージカルが入ってるかと思ったら、別にそうでもない。

ミュージカルシーンは、長くもないし、悪くもないし、そもそも意味がある。

 

始めの方に、前作の最後の方にも出て来た黒人の女性の民生委員が、アーサーにロバートデニーロ(これは役者の名だけど)を殺す時の話をしていて「音楽が聴こえた」と言っていた。

ここにこれを入れるのはヒントであり、つまり音楽を聞こえている時がおかしい時、妄想に駆られている時、と言う事だと思います。

そもそも前回のジョーカーが、妄想と現実が分かりにく過ぎたので、今回は(答え合わせ編なのだし)もっと分かりやすくしようとしたのだと思う。

それが「歌ってる時は妄想」と言う事です。

そのためにミュージカルにしたのでしょう。

 

だから「歌ってる時などのミュージカルシーンは妄想だ」と言う事です。

ただ、歌の時だけでもない気がします。そこは誤魔化しが入っている。

前回と同じく、「わざと腑に落ちないシーンは、妄想の可能性」を残してるのだと思います。

 

今回で言えば、まずはセックスシーン。前後の繋がりも含め、ちょっと不自然なシーンです。

それに加え、妊娠したとガガ(これも役者、歌手? の名ですね)が言った時も含め、ちょっとおかしい。

まず「妊娠した」と言う時、ガガは不自然な後姿です。そしてすぐ妄想の歌シーンになるのも含め、これはアーサーの妄想な気がする。

妊娠したと言うのが嘘なら、セックスシーンも嘘なのです。

 

ちなみに前回のジョーカーも不自然なシーンは妄想だった気がします。

ハサミで殺された奴、ランドルが、アーサーに銃をくれるシーンです。あれは妄想だった気がします。つまり彼はそこまで悪い奴ではない。

 

さて、ランドルの話になったので、前回の判決を出す必要がありますね。

つまり、前回は結局、アーサーは可哀そうな被害者なのか? ただの狂った加害者なのか?

そして、今回の映画でも、この「前回の事を正確に考えてほしい」から、裁判の映画になったのです。

映画を見ている客にも、正確な情報を与え、判決を出してほしいからこその、体験型の裁判映画だったのです。

 

まず、前回のアーサーと付き合っていたようなシーンがある女性とは「実は妄想でした」と、今回ちゃんと言ってましたね。

この彼女とのシーンが妄想だったからこそ、今回のガガとのシーンも妄想だった可能性が高いのです。

そもそも、今回ガガが始めて出た時、自分の頭を銃で撃つおふざけをしましたね。あれは前回の妄想の彼女がやったのと同じ事です。

だから前回の彼女が妄想なら、今回のガガも妄想だった気がするのです(付き合っていた事がです。いたのは本当だと思いますが)。

 

それにランドルの事も、馬鹿にされていた小さな同僚を出し、殺されるほど悪くはなかったとわざわざ伝える為のシーンがありました。

さっき言った様に、銃をくれたのもアーサーの妄想だった気がするし、だとしたらそこまで悪くはない(アーサーがランドルから買ったのか? それともそもそもランドル関係ないのか?)。

まず、本当に、小さなゲイリーが馬鹿にしていたランドルが嫌いなら、一緒にアーサーに会には来ないでしょう。

それに銃が関係ないなら、単にランドルはアーサーを気にして来ていて、その上、銃の事を口裏を合わせて誤魔化してやろうとしていた、のかもしれないのです(一番可能性が高いと思うのが、アーサーはランドルから銃を買って、それで自分も危ういから誤魔化そうとしたのだと思います。ただそれでもランドルはそこまで責任は無いだろうから、アーサーを気にして来たのもあるのでしょう)。

だとしたら、あそこで急に殺されるランドルは、ただの妄想の被害者です。

 

母は虐待をしてた男と付き合っていたので、責任はあると思う。

でも、ここもちゃんと監督は「あくまで虐待したのは男の方」と作っているのです。

つまり「はたして殺されるまでの責任が、母にはあったのか?」と言う作りに、わざわざ作ってある。

 

では電車で殺された三人は?

彼らが絡んだのは、アーサーが笑ったからです。もちろんアーサーのせいではないが、三人が始めからおかしかったのではない。

アーサーは「病気を持っている」と説明するが、相手には聞こえず「何を持ってるって?」とカバンをとられます。武器でも持ってると思ったのでしょう。

その後、一人に後ろから捕まったアーサーなのだが、その時始め蹴ったのはアーサーの方です。これは監督が「暴力を始めたのは、実はアーサーの方」と言う作りにわざとしているのです。

その後アーサーは三人に蹴られ始め、一人を撃つ。ここは多くの人も「しょうがない」と思うかもしれない。ただ実際に撃つ前に銃で脅しても良かったと思うけど(アーサーが本気で蹴られてたら、あの後の様に、立って逃げる相手をおえない。つまり軽く蹴られてたのですよ)。

一人撃った後は、残った一人は腰を抜かしているのだから、それを撃つアーサーはおかしい。

ましてや、そこから逃げる最後の一人を追っていって、わざわざ後ろから撃つのも、監督が「悪いのはアーサー」と作っていたのです。

 

ではデニーロ(マレー)はどうか?

確かに彼はアーサーを馬鹿にした。しかしそれこそジョークではないか?

だからデニーロはちゃんとアーサーをテレビに呼んだ。

テレビ局内でのデニーロの態度も、私は気になっていたのだが、アーサーに対しちゃんとした態度でした。つまり実は悪い奴ではない。

アーサーはテレビに出れてチャンスだったのです。

もちろん面白い事が出来ればいいが、それはまず無理でしょう。

なら泣けばよかった。泣ける演技が出来なければ、落ち込んで叫べばよかったのです。「コメディアンになりたかったのに才能がない。たぶん小さい頃虐待を受けていたからだ!」と叫べばよかった。そうすれば同情もされ、チャンスも与えられる。

このリアリティショーを仕組んだのが、デニーロだった気がするのです(虐待はしらないだろうけど)。

駄目だけど、頑張ってる地道なコメディアンにチャンスを与えるショーをやろうとしたのだと思うのです。

本当にダメな奴を笑うだけの為に、有名な番組が前面に出さないでしょ?

だから人生最後のチャンスだったのに、そこで全て壊したのがアーサーです。

デニーロのジョークが分からなかったのがアーサーと言う事です。そもそも冗談が分からない人だからね。ちなみにランドルを極度に嫌ったのもジョークが分からなかったって事です)

 

ただ、アーサーが子供の頃に虐待を受けて、それでおかしくなったのも間違いはないのでしょう。

では、この作りは何か?

たぶん「悲劇」です。

「アーサーが被害者」でもなく「アーサーが被害者に見えて、実は加害者」でもなく、「何が悪いのか? どこで間違ったのか? 何が出来たのか?」と言うのを客が各々考えてほしいからこその「誰が悪いか分かりずらい、どっちつかずの悲劇」を作った作品だったのです。

この悲劇を分かってほしいからこそ、フォリアドゥでは答え合わせをしてきたのでしょう。

 

今回のフォリアドゥを見ていて思ったのは「作りも雰囲気も含め、前回からやりたかったのはこういう作品の方なんだな」と言う事です。

それと同時に「そもそも前回やっていたのも、こういう作品」と言う事です。

ただ前回は世間を誤魔化す為に、面白おかしい要素を入れて、刺激的に見えるようにした。ただ今回は誤魔化さず全てを晒した、と言う事です。

 

ただ、ほとんどの客は「ジョーカー誕生編」だと思い見てたのでしょう。

だから続きをやると言うので「バットマンの強敵、ジョーカーが羽ばたく映画になるだろう」と思う方が自然ですね。だから今回のは、頭に来たのでしょう。

しかし本当は、裏ではただのアーサーの映画だったのです。前作ジョーカーからそうでした。今回急になったのではない。

 

ちなみに民生委員の黒人女性、今回も出て来ましたね。

だからジョーカーの考察の時に私が言った最後のジョークの答えも、合っていたと思います。

 

他の事で、妊娠の話がありましたが、あれも次回に続けられるかの様にするタネでしょう。

ただ、私は「このタネも嘘だよ」と見えましたが、微妙にしたのは万が一このタネも使えるように残しておこうってことかもな? と思いました(後世の他の監督が続きをやるかもしれないから)。

 

では最後に、

アーサーは誰か?

アーサーは、狙って無いのにダークヒーローにさせられてしまった男の話でした。

そして「ジョーカーなどと言うカリスマはいない」と正直に言ってしまったがために、全てを失ったのがアーサーです。

狙ってないのにカリスマにされ、正直に全てを伝えたら、全てを失った人、それは、監督トッド・フィリップスです。

フォリアドゥで正直に「始めからカリスマ的ヒーロー映画など無かった」と言ったが為に、栄光を失ったのが監督でしたね。

だから最後の方、ちょっと感動しました。アーサーが監督に見えてきたからです。

そして最後、見事に死んで見せた。見事な死にざまでしたよ、監督。

この言葉は、皮肉ではなく、賞賛です。