長く話す内容もない映画の感想をまとめて言います。ネタバレです。
「ブラック・ウィドウ」
「ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ」
「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」
「スーパー!」
「ファーゴ」
「ブラック・ウィドウ」
マーベル作品ですね。スカーレットヨハンソンです。
始めはいい感じです。たぶんネタは悪くない。
しかし、段々どういう雰囲気にしたいのか? 分からなくなっていきます。
そしてそれに合わせ、内容もいい加減になっていきます。
たぶんですが、偉い人の命令があったのでしょう。「あの要素を足せ」「この要素を足せ」と。
そして結果きみが悪いキメラが出来上がるのは、いつもの事です。
どっち付かずの映画になりましたとさ。めでたしめでたし。
リアルよりでもなく、変身ヒーロー物でもない。
人を描くのもやってなく、CGも少なく絵で喜ばすのも少ない。
やってはいけない事の典型例です(いや、今言った事全てをやろうとしたのは分かります。しかし中途半端で出来てるとは言えないと言う事です)。
誰のせいかは分かりませんが、責任者は首にすべきです。これからマーベルに莫大な損失をプレゼントする事でしょう。
「ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ」
同じくマーベル物でヴェノムシリーズですね。
どうも種類が増えたマーベルは、主役によって話の種類を変える策を取ってきたように見えます。
「ソー」のシリーズと、この「ヴェノム」のシリーズはおちゃらけシリーズと決めつけたようです。
そのコンセプトは間違いがないのだが、それには臨機応変な対応が必要です。
機械じゃないのだから、臨機応変が出来ないのなら、人はいらない。
敵カーネイジが明らかにサイコスリラーよりなキャラになるのだから、雰囲気もそっちよりで突き通すべきです。
なのにギャグになっている。これはC級ホラーの作りです。
C級ホラーを作りたかった訳ではないでしょうから、失敗です。
たぶん始めからやる気も無いのだろうから、ストーリーもいい加減です。
さて、ブラックウィドウと同じ責任者かどうかは分かりませんが、この責任者もマーベルの損失を膨らましていく事でしょう。
この作品もネタは良かったのに馬鹿がまずい料理に仕上げました。
「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」
またマーベル。
この作品もリアル路線から離れたアニメ路線ですが、アニメ路線の良い所をちゃんとやっているので、そこは好感が持てます。
マルチバースとかすると、なんでもありになって死の恐怖とかなくなっていくので、危険ですね。
だからギリギリだけど、今の所はなんとかつまらなくならないで済んでるようです。
スパイダーマンは何度もやり直したのですが、前の作品が好きな人もいた事でしょう。前回のアメージングは「打ち切り最終回」だったけどね。
それを無駄にしないし無かった事にしないのは、それを見てきたファンの感情も無かったことにしないという事であり、ファンを邪険にしないという事です。
マーベルの漫画も映画も続きものなので、古くからのファンを大事にする必要もあるので、この「お祭り」は良かったと思います。
個人的に映画のドクターオクトパスが好きだったので、また見れたのが良かったです。
一作目(グリーンゴブリンが出たやつ)の監督サムライミがマーベルに帰ってきて「トビーマグワイアのスパダーマンを作ってもいいかも?」みたいな事を言ったようです。もちろんなんの予定も無いのですが、やってくれないかな?
いっそのこと、マルチバースで両方をやっていくのもありだと思うけどね。
さてこの映画、とても良かったのですが、どうもグリーンゴブリンの終わり方が雑だった気がします。それに子供のこと(ゴブリンジュニア)は触れないのか?
しかし最後の終わり方、あれは正しい。
今回のスパイダーマンの彼は、前回に引き続き、恵まれすぎてました。
たぶん一作目があったから、二作目でひっくり返すためにイケメンで恵まれたキャラにして失敗したのがアメージングです。
三作目はさらに変えようとして子供のスクール物にしようとしたのでしょう。
そしてパッとしなかったのです。学園ものとしても中途半端でしたからね。
だから全てを失わせる必要があった。アメリカンなヒーローとは恵まれていてはダメだからです。
そして、たぶんヒロインも友達も人気がなかったのでしょう。これも中途半端なキャラでしたからね。
でも流石にもう作品自体をリブートも出来ないから、皆いなくなり、一人ぼっちでやり直すために、このような終わり方になったのでしょう。
「スーパー!」
かなり前に見ました。ネタバレです。
女房を悪人に取られ(女房は好きで出ていったのだが)頭がおかしくなった主人公がヒーローになろうとして、全身タイツで悪人をやっつける話です。
しかしこの主人公、並んでいる列に割り込んだ悪い奴の頭を鈍器でかち割ったりする、危ない奴です。善人ではない。
そして最後悪人(マフィアのボスかな?)の家に殴り込み、皆殺します。
ボス自体も最後何度もナイフでぶっ刺して殺します。
そして女房は戻ったが、主人公の傷が治ったら家を出ていって、誰かと再婚して幸せに暮らしましたとさ、という話です。
いい感じに終わってますが、もちろんいい話ではない。
やっている事は「大きな素晴らしいものを手にしたが、自分が精神的に制御できないものだったので不幸になった」という話です。
この作品では主人公は捕まってないけど、本当なら警察にバレて一生刑務所の中だった事でしょう。
つまり「どんなに欲しいものでも、素晴らしいものでも、自分制御できない物を手にしたら幸せにはならない」と言う話です。
アメリカだと良くあるが、歌手とかスポーツ選手とか宝くじとかで金持ちになったが、幸せにはなれなかった人っていますよね?
いっそ、金持ちにならなければ、普通に生きていけたのに、金を持ったからこそ不幸になったと見える人がいますね。
人生なんてそんなものです。手に負えない物を手に入れても、幸せにはなれない。
この映画では最後主人公が「でもウサギを手に入れた」と言って終わります。
ウサギで満足出来た人だったので、始めから手に負えない美人の女房なんて手に入れなかったら、人を殺したりしないで済んだ(もう一度言うけど、この作品では捕まってないけど普通捕まります)と言う話です。
「ファーゴ」
会話がまるで「本当にあった事件の再現シーン」の様な作りです。たぶんこれがこの映画の一番の成功要素です。
実際の事件の再現シーンで見てられるのだから、再現シーンのような映画でも見れるのですね。発送の転換ですかね?
個人的に思ったのが、
この様な作りで、事件を沢山まぜてごたまぜにして、分かりづらくするミステリーが小説の「フロスト」シリーズですかね?
映画でもファーゴのような作りで、更に事件を複数混ぜたら、フロストシリーズのような面白い作品になると思うのですが、どうでしょうか?
個人的に、段々映画を見るのがおっくうになってきました。
だからか、私は頭使わないマーベルばっかり見てますね。
映画って、忍耐が必要な作品のほうが多いのに気が付きました。
「余裕がある人が見る娯楽が、映画なんだな」と思えてきました。
これは、いい意味で言うと「なんだかんだと平和なんだな」という事です。
今のウクライナで映画を楽しめる人は、あまりいないでしょからね。