映画「マルホランド・ドライブ」感想ですが、あまり言う事はありません。
ネタバレです。
映画「ブルーベルベット」を見て、リンチ監督は結構普通の人じゃないのかな? って気がしてました。
そして普通に映画を作る人じゃないのか? とも思いました。
「難解だ」と言われていたので見た「マルホランド・ドライブ」を見ても、同じ感想でした。
別におかしくも無い普通の人だし、普通の映画です。これは別に悪い意味では無くてです。
確かに一見分かりずらい。しかし良く見て考えれば分かる内容ですね。すなおな作りです。
だから考察サイトが多いのと、たぶんあってると思います。
それらサイトを見ると、私が気が付いた事より細かく書いてあるので、もう言う事はありませんね。
この映画は「エンジェルウォーズ」や「ジョーカー」そして「ピンドラ」や「ユリ熊」と比べると、明らかに分かりやすい作りです。頑張れば分かる謎だからです。
前半は全てダイアンの夢なので、全ての人がダイアンですね。
もっと言うとダイアンで脚色されています。
他のキャラなのにダイアンの感情や状態や思惑も混ざっている状態です。
人の夢はこうなりがちなので、とても良く出来てますね。
そして、いくつかの考察サイトを見て、一つ気になった事を言います。
青の意味は何か? と言う事です。
カギと箱と、最後の女の髪が青ですね。
考察サイトだと、青は「死」と言う解釈が多かったです。そうでしょうか?
まあ一つだけの意味でもないかもしれないのと、「死」の意味でもあってるかもしれません。
人殺しのような奴が「成功したら戻す」と言ってたカギが青ですね。なぜ青か? それは他にこんな色のカギは無いだろうから、他のカギと間違えない為ですね。つまりカギではあるが、それは嘘で「合図」だと言う事ですね。
つまり青は「嘘」の象徴か、「嘘」でもある、のでは無いでしょうか?
それなら青い髪の女も、嘘で固められた劇場にいる事で納得できます。
箱も、嘘の箱を開けると真実が出て来るので、あってる気がします。
でなぜ私はそう思うのか?
それは気になったのが、最後の銃を持って自殺する所のシーン。銃を取り出す引き出しに青い袋が入ってます。青がこれほど大事に使われてる映画なのに、ここの青に意味が無い訳が無い、と思った訳です。
死ぬ銃なのでやはり死にかかっている、とも取れるのですが、でもわざわざ青をここに置く必要はないです。なくても良く、演出上の価値が無いのです。
でも青が嘘だとしたら? なら死んだのも嘘では無いのか? その前に出て来るおばあさんとおじいさん(ダイアンの身内か?)が幻なのに、なぜ死んだのは幻ととらえないのか?
銃の音が不自然です。撃ったのを表すのはこの音だけです。演出も白い煙が上がる不自然なもので、劇っぽいものです。横になってるダイアンも口のあたりに銃がありそうなのは分かるが、それだけです。開けた筈の引き出し閉まってますしね。これは嘘だと言う演出では無いでしょうか?
映画始めのシーンの踊ってる場面の後、赤いシーツに枕の絵が出る。これが最後のベットですね。枕にカメラが寄って行って映画が始まります。これは?
つまり一度起きて二度寝する。そして夢を見る。それがこの映画では無いのか?
そうすれば前半の夢はダイアンの夢だが、死んだのにいつ見た夢なのだ? と言う謎も解けますね。
でもそうするとダイアンが生きているが、犯罪を犯したのにいいのか? と言う事になる。しかしです。
これはネットで見た考察ですが「殺せと頼んだとは言って無い」と言うのです。確かにそうで「痛い目に合わせろ」とか「骨位折れ」とか「顔に傷でもつけろ」とか「家をもやせ」「旦那を殺せ」など、他の理由かもしれませんね。
つまりカミーラもダイアンも死んではいない、とも取れる話です。
これはたぶん「どうとでもとれる」ようにしたのだと思います。だから死んだ、死んでない、と言う正解は無いと言う事です。
それにダイアンは生きていたとしても「心は死んだ」とも取れるので、結局死んだようなものですね。
この話はいわゆる「夢オチ」です。普通は禁止ですね。
しかしそれがあまり頭にこない。たぶんちゃんと仕掛けが凝ってるからですね。
なんとなく嘘っぽいのが始めから分かるし、本当の夢っぽいし、細かな暗喩が後で分かる作りです。
リンチ監督は結構細かくしっかり作ってきますね。そしてやはり普通の常識人です。
ちなみにイクニ監督も常識人ですが、この人の方がぶっ飛んでますね。
リンチ監督で驚いていたら、イクニ監督は見てられないでしょうね。
漫画家の山田さんが「ウテナ」の二部は「クレイジードライブ編」だと言ってました。
そう一見クレイジーなのは、イクニさんの方ですね。一見ね。
2020年11月27日 追加
始めにリタが車に乗っていて、銃を突き付けられ「降りろ」と言われる。
これも何かされるとしても、別に降りたら殺されるとは限らない。
つまりダイアンの「殺しが失敗に終わってほしい」と言う気持ちで見た夢では無いかもしれない、と言う事です。
ここもどうとでも取れるようになっていますね。
ダイアンがお金で仕事をたのむ奴は、夢の中で変な長髪の男を殺します。それがお粗末で関係ない二人も殺します。
これはダイアンが殺しを依頼したが「失敗してくれ」という気持ちが含まれているとネットで書いてありました。私もそう思いました。
しかし変ですよね? リタでもカミーラでもないですが殺しは成功してます。他の人まで殺して逃げてます。なら「お粗末な奴であってほしい、そして失敗していてほしい」と言うダイアンの気持だとしたら、意味がつながらない。
殺しが失敗してほしいのなら「殺しを失敗するようなドジな奴」と思い描くのではないでしょうか?
つまりここもダイアンが殺しを依頼したとは言えないと言う事です。
腐乱した死体を発見します。これは誰か? ダイアンか? カミーラか?
これは見た目通りに、たぶんどちらでもない。もっと象徴的な物でしょう。死んだ自分の心、死んだカミーラとの思い出、死んだ夢、等の象徴でしょう。
だから自分の家でダイアンっぽいが、カミーラっぽくもあるし、別人のようでもあるのでしょう。
マルホランドライブのポスターがネットで検索すると色々あるらしいが、カウボーイがシルエットで描かれているのがありますね。これでカウボーイが何かが分かる。
このシルエット、十字ですね。神の象徴なのでしょう。
カウボーイは夢の中で「成功なら一回会う。失敗なら二回会う」と言います。夢の中での事は誰に言っていても、誰が言っていてもダイアンの事かもしれない。
夢を起こしに来るのがカウボーイですね。そして結婚を知らせるパーティのシーンでちらっとカウボーイが映る。つまり失敗なのですね。
「神から失敗の烙印を押された」と思っているのは、ダイアン自信の事でしょう。
そうなるとパーティーのシーンさえも夢かもしれない。
前半は希望の方の夢が含まれた夢。
後半は概ね現実の事を思い出している夢。
であり、全て夢なのかもしれません。
そうなると「全てが夢を見ている映像」とも取れます。
マルホランドドライブですからね。ハリウッドの夢と絶望の物語です。
誰の絶望か? ダイアンの?
いや、裏の浮浪者じゃないのか?
浮浪者を演じてるのは女性です。これがダイアンじゃないのか?
そして夢を追い、ハリウッドにきて、ウェイトレスとして働き、最後は浮浪者になる。
だからあの茶色のコップが店とダイアンの家両方にあるのでは無いのか?
すべて浮浪者の夢では無いのか?
それがハリウッドの闇では無いのか?
そう思ったら怖くなってきたので、ここいらで話は終わります。
これがあってたら普通では無いですね。
そうしたらリンチ見直すけどね。
2020年11月28日 追加
しつこいけど、少し追加します。
浮浪者のシーンは異質ですね。
他のシーンはダイアン自信か、ダイアンに関係する人を模した人が関係するシーンです。
ダイアンの夢の存在ベティか、カミーラの夢の存在リタか、監督のアダムか、殺し屋風の男の話です。すべてダイアンが気にする人ばかりです。
しかしこの浮浪者だけは違う。
不良者は死や失敗の象徴だとネットでは言われてました。確かにそうだが、そうなると浮浪者のシーンは象徴やイメージだけでほぼ出来ている事になります。
後は夢のシーンとして見そうなものに直接係わってくる。カウボーイも映画会社の黒幕のような人もクラブシレンシオも、不思議そうだが物語に係わってくるものです。
係わってこないのにあらわれる浮浪者はなんなのか?
ベティの時、あのカフェに行く。しかし浮浪者には会わない。
ダイアンの時もカフェに行くが会わない。
すぐ近くにいるのに会わない。
死のイメージそのままの、ベットで死んでる死体は発見する。
なのになぜ失敗の象徴の浮浪者は、こんなに近くにいて会わないのか?
近くで会わなくても、遠目で見かける、でいいじゃないですか。しかししない。
ネットの感想でクラブシレンシオはダイアンの部屋だ、と言ってた人がいました。確かにクラブではずっと赤い幕が下ろされていて主張してたので、そうかもしれない。赤いベットを表してたのかもしれない。
最後の浮浪者の出てくるシーンでは、赤い光で照らされてます。
シレンシオに行ったベティは青い箱を持ってる事に気が付く。
浮浪者も持ってましたね。そして赤い光です。
そうなると象徴よりももっと直接的に、ベティことダイアンは浮浪者になるが、どっちが夢なのか?
蝶になった夢を見て、蝶が夢なのか? 蝶が見ている夢が自分なのか?
ダイアンが思い描いた浮浪者が夢なのか? 全て浮浪者の夢なのか?
監督がねらって描いたのか? 感覚がそうさせたのか?
それは、神のみぞ知ると言う所ですかね。
人である私が分かる事は、思ったより良く出来た映画だなって事です。
2020年11月29日 追加
「普通のドライブかと思って安心して寝ていたら、カウボーイがお目覚めの時間だと、おこしに来るかのように……」
もう止めようと思ったのに、また少し追加です。すみません。
何かだんだん面白くなってきた。
マルホランドドライブは2001年の映画ですね。
オープニングのダンスのシーンは、ダイアンが地元でダンス大会で優勝して女優を目指す所に係っていると、後で分かる話でした。
しかしこのダンス、妙に古臭くありません?
確かに2001年の映画だからと言って、話がその頃の話だとは言ってませんけど、なぜ昔にするのか?
浮浪者を見て死ぬ男が出るカフェのシーン。そこではレジの前につい立が無いですね。
しかし後に出て来る、ダイアンがお金を渡し犯罪を頼むシーンでのカフェでは、レジの前につい立があります。なぜか?
後のカフェでは、青いカギを持ってる男の後ろの窓から外が見える。カフェの向こう側に店があるのか? 自動販売機があるようです。
始めのカフェのシーンで、男二人が店から出たすぐに、後ろが見えるのだが、落書きが書いてあってすたれてるように見える。
正確には見えてる場所が少しずれているのでハッキリしないのだが、どうも始めの男二人の時と、あとのダイアンのお金を渡すシーンは違う気がする。
つまり年代が違うのでは無いでしょうか?
浮浪者のいる時が現代で、ダイアンが出る時が昔では無いのか?
やはりダイアンは浮浪者の昔の幻想では無いのか?
あの浮浪者を見て死ぬ男がダイアンがいる時にもいるが、そもそもダイアンが出て来る時が全て昔を思い出している夢だとしたら、夢に今の時代の男も出て来たとも考えられる。
最後自殺をするように見えるシーンです。
煙が上がり全体が白くなる。
その時ベットの手前の柱だけが少し見える。それがクラブシレンシオのマイクが立っているシーンとかぶるので、やはりクラブシレンシオは赤いベットの部屋そのものかもしれない。
その後街の絵と重なりベティとリタの絵が出て来るのは、皆さん覚えていると思います。
しかしその前、部屋が全て白くなった次に出て来るのは、うっすらと浮浪者の顔ですよ。
まとめると、デヴィットリンチ監督に乾杯ですね。