号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

ゲームの勝ち負けだけは、はっきりしてた話

1961年の映画「去年マリエンバートで」見ました。

感想、ネタバレです。

 

眠れない夜には丁度いい作品かもしれません。

ただ、夢でうなされそうだけど……。

 

とにかく見終わってみても、何をやりたかったのか分からないので、諦めてネットで調べました。

毎度おなじみwikiによると、現在と、男の回想と、女の回想と、過去(夫の視点で客観的事実)の四つを描き、それをバラバラにして繋ぎ集めた作品だったようです。

 

そして元は黒澤明の「羅生門」に触発されて書いたようです。

そして羅生門自体は芥川龍之介の「藪の中」と言う作品から出来ているようです。

藪の中って知りませんでした。面白いですね。

この藪の中自体も、元か参考にした作品があるようです。

つまり、複雑な物は、一人が完成させて出せる訳が無く、何代も続き、やっと、複雑さも完成度も高まると言う証拠ですね。これは科学と同じです。

 

マリエンバートは、時間をバラバラにしてるのに、なんとなく前後がつながっている様に見える繋ぎ方をしてます。つまり嘘であり誤魔化しです。

それが後世の作品にも影響を与えた事でしょう。

もしかしたらデビットリンチも影響を受けてるかもしれないし、この前見たフェリーニも、この「嘘の繋がり」をやってたので、もしかしたら参考にしたかもしれない。

ただ、この作品の前にもあったかもしれないので、そっちの影響かもしれませんけど。

 

「藪の中」の方は、事件があり、沢山の人の見た事を聞いて行くと言う話だそうです。

これはが面白いのは、みんなの言葉には嘘や間違いがあるらしく、整合性が取れてないそうです。

だから、実際何があったのかは、よく考えても分からない作りなのだそうです。面白いですね。

 

本当の事件などもそうです。

人の見た事などあてには出来ないと、警察はみんな知っています。

この前の、安倍さんが撃たれた事件が最近なので分かりやすいですね。

あれも「犯人は自分で銃を置いて、粛々と捕まった」などと、すぐのニュースには出てましたね。その後、それは嘘だったと分かったニュースでした。

人の記憶などいい加減です。

しかも記憶など上塗りされます。

 

例えば、誰かが「犯人は自分で銃を置いたぞ」と言う。それを聞いた人が人込みから犯人を見る。しゃがんで銃を掴もうとしている人が見える。「ああ本当だ」と思う。

しかし、実は犯人ではなく、凶器を退かそうとした警官かも知れない。しかしそれが使われる危険性がもうないと分かり、動かさない方が良いと取らなかったかもしれない。

それを見た人は「間違いなく犯人は粛々と落ち着いて銃を置いた」と言う事でしょう。

 

そうでなくても、何も見て無くても「犯人が自分で銃を置いた」と誰かが話していたのを現場で聞けば、それが本当だと思う。

そればかりか、時間が経つと、それを聞いたのか? それとも見たのか? すらあいまいになるのが、人です。

パニック状態の時に見たものなど、あてにはならないのです。

 

それを再現させたのが「藪の中」なのでしょう。だから整合性がとれてない。

取れてはいないけど、芥川の中には答えはあったのかもしれません。

しかし小説内で分からないようにしたのなら、誰にも答えは分からない事でしょう。

ただ、正解が分からない事で、実際にある事を再現しきった事になるので、そのやり方で正解でしょうね。

 

さて、マリエンバートの方です。

このあいまいな記憶と言うのを、男と女の話に持ってきた。

つまり全然違う内容に使った事は、面白いです。

 

とは言え、それが正解か? と言うと、どうでしょうか?

やはりこのやり方は、事件がらみのミステリーで光って来るやり方ですね。

男と女の話なら、実際何があったか? なんてどうでも良い事です。

結局今話して「旦那と別れて、新たな男と逃げるのか?」を決めればいいだけで、過去の事等どうでもいいからです。

だからやってる事は面白いけど、それがこの話で生きてるとは思えませんでしたね。

 

それに「見ている人が違うと、同じ内容なのに違うように見える」と言う事にもなってない物語でした。

なぜなら、分かりずら過ぎるので、誰からの目線か? が分からないからです。

これが男の目線からの回想か? 女からのか? もしくは他人からのか? を分かりやすく描ければ「他人からだと見え方が違う」と言うのを、よく表せただろうけど、誰目線かも分かりにくいので、何も分からない映画でした。

 

ただ古い作品で、有名な作品だと言うので、後世の人には、色々と参考になった事でしょう。

 

さて、最後に一つだけ言っときます。

旦那が、関係なさそうなゲームをしている話、でした。

このゲーム、しつこかったですよね? なら意味がある。

あのゲームは「最後に引いた奴が負け」と言うゲームです。

そして、この旦那はゲームが上手く、決して負けない奴でした。

つまり「わざと、いらない妻を、男に取らせた」と言う話だったのです。

 

 

22年 10月 3日 追加

 

この映画の格好つけた作りにあてられて、最低限な考察だけにし、後は各々が考えてね、と言う作りにしてしまったと、気が付きました。

数日たった後で、我に返り、もっと泥臭く考察を書こうと思った次第です。

 

この最後でやりたかった事「旦那が奥さんを取らせた」が分かると、この映画の謎の作りが分かるようになっています。ここが優れている作品です。

 

なぜずっと金持ちのパーティーなのか?

金持ちがゲームをしたり酒飲んだり演劇を見たりしている。

つまりただの暇つぶしであり、ゲームであると言う事です。

だから、この話の恋話もただの金持ちのゲームだ、と言いたいのです。

演劇もそうで、みんな何かを演じているようなもの、と言う事です。

映像で、止まってみたり、嘘っぽい庭が映されたりするのもそうで、嘘で作られた世界、と言う事です(他の理由として、思い出している映像、と言うのもあると思いますが、どっちであっても嘘の世界、と言う意味です)。

 

妻は「覚えてない」と言います。

一年前に、駆け落ちしようと言ったのを、覚えてない訳が無い。

つまりただのゲームであり「一年も経ってまだ覚えてたの?」と言う事です。

だから誤魔化そうとしているのです。

もちろん、どうでも良い事なので、本当に細部はもう覚えてないのは、あるのでしょうけど。

 

ネットの感想で「この男が、しつこくて怖い」と言うのもありました。これもわざとでしょう。

つまり、実は「やばい奴」なのです。ストーカー気質がある。

だからこの男、なぜか魅力的に描きません。わざとでしょう。

雰囲気として、ブラットピットでもトムクルーズでもアントニオバンデラスでもない。

荒々しくもなく、知的でもなく、王子様でもない男です。

しかし男前でもないが(役者としては)、不細工でもない。

この男の配役、実は上手いと思います。良いところを持ってきましたね。

この役者が演じてるのか? それとも素がこんな感じなのか? は分かりませんが、この役のまま現代劇をさせるなら、どういう役になると思いますか?

たぶん影の薄い「いたの?」と言われる男の役に、なると思います。

だからこそ、この映画では選ばれたのでしょう。

なさけないストーカー男が、旦那のいる女に言い寄っている話、だったのです。

 

最後がまた秀逸です。

男と女が最後出て来ます。

しかし手をつなぐわけでもなく、肩を抱くわけでもない。

しかも、女が先に歩き、男がついて行く、と言う最後です。

女はこの男などどうでも良いと物語っています。

最後に旦那にかけてみた。旦那が来たらこの男と出て行かないつもりだったのでしょう。よく女がやる奴ですね。

しかし男の方が来た。だから旦那は諦めて男と出て行った。しかしこの男が良かったのではなく、代わりが欲しかったのと、理由が欲しかっただけです。

 

女が先に出て行く事から「この男など眼中にない」「実はこの女は気が強い」「この女と男の力関係が、もうはっきりしている」などが分かります。

そしてこれらから、このゲーム上手くはいかないだろう、とも分かります。

この男と女の、ゲームの負けであり、上から見ている旦那が勝ちを確信した、と言う最後です。

 

私の様に、この雰囲気にあてられて行動したが、数日たてば我に返り、逃げたのは失敗だったと、男も女も気が付く事でしょう。

しかしその時はもう後の祭りです。

妻が男と逃げた、となれば離婚も成立する事でしょう。

 

つまり、理にかなった設定、配役だったのです。

事細かな配慮が、実はされていた作品です。

それが、最後まで見ると分かる、と言う話でもありました。

だから歴史に名を残したのです。