長く話す事もない実写映画を、まとめて感想を言います。ネタバレ含みます。
「Mr.ノーバディ」
「ジャンクヘッド」
「特捜部Q 檻の中の女」
「ゴジラ対ヘドラ」
です。
「Mr.ノーバディ」
いわゆる「弱そうなのに、実はすごい人が、悪者をやっつける」と言う古典芸能です。
「イレイザー」等に似てます。
これは「スーパーマン」等のもそうですし、そもそも正体を隠している奴は大体こういう話になりがちです。
大した話ではないのだけど「古典芸能は見れるな」と思えました。
「結局はこんなので良いのじゃないのかな?」とも思えます。
ただそうは言っても、この映画は、最後の方が雑でいいかげんになって来るのでもったいないですね。
「ランボー」等が、この手の話をメッセージ的にも雰囲気的に上手くやった好例です。
「ランボー」を見習ってもらえれば、意外と名作よりになる事があるので、もっと練ってほしいですね。
この「隠しているけど実は強い」と言うのと同じ位の古典芸能に「実はこうだが、それを隠して暮らす」と言うのがあります。
昔の長いドラマには一度はある「田舎から親が出て来る。情けないキャラが都会では成功していると親に嘘をついている。なので一日だけ偉い人だと嘘をついてあげようと、周りの人達が演じる」と言う話の事です。
映画で「バードケージ」と言うのが昔ありましたね。96年だそうで、これが私は好きでした。この頃見た時でも「古典芸能」に見えたので(96年で映画化二度目だったそうっですね)、今見るともっと古いでしょう。
「バードケージ」も古典芸能の良さを見せてくれると思います。
そしてこの二つ「実は強い」「何かを隠して暮らしている」を足し、それに親問題とか学校問題とかギャグを足すと漫画「スパイファミリー」になるのですね。だから古典芸能はあなどれませんよ。
「ジャンクヘッド」
ストップモーションアニメーションですね(だから実写とは言わないのか。細かな事は勘弁です)。
ストップモーションの作りが面白いですね。それが一番です。
雰囲気は漫画「ブラム」に似てますかね? ブラムの雰囲気の作品を見たかったので、そういう意味ではよかったです。
話的には普通ですが、逆に普通に見れそうな内容です。ただまだ話の途中なので中途半端ですけど。
細かな事で言うと、地上で人として暮らしている時、お面みたいのを顔の外にかぶせていて、頭の髪がカポッってかぶせれるのになってるのが、センスが良いですね。意外と未来にはあるかも知れないな? と思えました。
続きに期待です。
「特捜部Q 檻の中の女」
この作品の一番の問題は「題名が悪い」です。これでかなり損をしてますね。
アマゾンプライムで高評価だったので見ました。良く出来てます。
結果から内容的に言うと「どこかで見たような物の寄せ集め」ではあります。
しかしそれらを丁寧に上手く作り上げたように見えました。
「客が何か考える事があると、無駄そうなシーンも見てられる」と言うのが本当に良く分かる作品です。
ありきたりで教科書的だとも言えるが、逆にミステリーを作る人はこの位は参考にして作ってほしいと思わせる物があります。
やるべき事を、良く分かっている人の作りです(完璧ではないだろうけど)
「ゴジラ対ヘドラ」
この時代の公害問題をやり切ったのがすごいですね。
それを子供向けに伝えきるのが、どれほど必要だったかが分かります。
「怪獣」とはやはり「実社会の大きくなった問題の暗喩」である方が面白いと思いました。
実際の問題にかかっている方が、心にも刺さりやすい事でしょう。
ただ、話の内容的にも映像的にも見る所も無かったきがしますけど。
「ロストハイウェイ」
デヴィットリンチ監督作品ですね。
本当にこの人は、まじめでちゃんと作る人だと分かる作品です。
不思議そうな雰囲気物を、ただそれだけで作る馬鹿が多い中で、こういう監督を見習ってほしいです。
中身としては「病気を持った人の妄想が入り混じった話」ですね。
だから何が本当か分かりにくいけど「病人が逃げ道として思いそうな内容」にちゃんとなっている所がまじめですね。
それに「病人ですよ」とちゃんと描いている所もまじめです。
この作品があったからこの後の「マルホランドドライブ」でもっと凝ったのが出来たのが分かる作品でした。
ただこの様な作品を作る時やりがちなのが「精神の病気」か「麻薬」ですね。まあそうなりがちなのはしょうがない。
そこでもう一つのやり方を示したのが同じ97年作品「ウテナ」ですね。
これも同じような作品だとも見る事も出来ますが、「ウテナ」の方は「暗喩」だとも見れる所が優れてます。
つまり「病気」と「麻薬」意外にやり方を示したとも言えますし、暗喩の方がスマートに見えますね。
もちろん「ウテナ」も前に寺山修司がいたからこその作品だと言えます。
寺山修司だって、前に何かの影響があった事でしょう。宮沢賢治とか「星のおうじさま」とかです。
デヴィットリンチもこの暗喩物語に気がついたら、もっと可能性があった事だろう、と思えます(今後はもう年齢的にないかな?)。
そしてこの面白さに気が付いた寺山修司がそっちに走るのが分かりますし、寺山修司の面白さに気が付いたイクニさんもそっちに走る意味が分かりますね。
ちなみに、岡田斗司夫さんも山田玲司さんも、どうもイクニ作品が暗喩物語だとは気が付いてない様です。
この二人が気が付いてないと言う事は、一般的に「暗喩物語があると言う事が浸透してない」事を意味します。
前にも言ったけど「一部の人が分かればそれでいい」ではこの国はもう続かない事でしょう。
だからもう少し説明して、もう少し多くの人が暗喩物語がある事を理解する必要があると思っています。
日本がすたれれば、日本の作家も作品もすたれます。
宮沢賢治も寺山修司も含め、多くの作家が「誰も知らない人」になる事でしょう。
だからある程度は世界に通じる日本の作品が残る為には「優れた人が勝手に出てくればいい」ではダメだと思います。
だからたとえつまらなく見えても、ある程度の作品の作りを説明する人が、必要な時代になったと思ます。
22年 6月 10日 追加
「ロストハイウェイ」は説明もいらないだろうとしませんでしたが、ネットの感想をみると「難解」とありました。
私は「マルホランドドライブ」を見た後だから監督がどういう事をする人か知っていて、だから分かりやすかったのに気が付きました。
大事なのは、
主役フレッドは病気を持っていて、幻想や幻聴を感じ、自分が何者か分からなくなる時がある。
妻は不倫をしている。
なのでフレッドは妻と不倫相手とその仲間のチャラい男を殺した。
そしてバレて警察に捕まった。
これだけです。
後は幻想を見ていて、そこに現実と夢が混ざった物を思い描いているので、細かな事はどうでもいいのです。
ただネットの考察を見ていて「最後警察から逃げて、フレッドの首が揺れている所は、電気椅子の死刑を表している」とあって「なるほど」と感心したので、もっと細かく書いてみます。
まず時系列ですが、たぶん時間の順番はそのままです。
ただ途中のピーターになるあたりから「フレッドが独房で昔を思い出している」ので、一見昔のシーンのようですが、そうではなく、あくまで「フレッドが昔を都合よく変えながら思い出している」だけです。だから時系列はそのまんまなのです。
もしフレッドがちゃんと正しい昔を思い出しているのなら、これは「昔のシーンをやっている」と言う事になるのですが、捕まったフレッドの願望が含まれている為、あくまで捕まって独房の中での妄想になるのです(しかも嘘が多い)。
これが秀逸なのが、ちゃんと願望も含めた夢の作りになっているからです。ここが見事です。
フレッドは自分が妻を殺したのではないと思っている。だから釈放されても良いと思っているし、釈放されたいと思っている。
だからピーターになり、釈放される夢を見る。
ここでは独房に入れられた未来を描いている筈なのに、いつの間にか昔を思い出いだしています。この整合性の無さが夢の作りです。
例えば、夢で海に潜る。暗いので明かりをつけたい。松明を持っている。それに火をつける。そしたらいつの間にか海の中ではなく地上の何処かになっている。などの事が夢にはあります。伝言ゲームの様に、繋がる一部分のみで次に伝わり、全体の整合性無視なのが夢です。
フレッドは別の人になり、別の人生を歩んだ事になり、捕まらない過去を勝手に捏造し始めるのです。
これが上手いのが「フレッドは病気だ」と言っている所と、ピーターのシーンの前に刑務所で、眠れないからと薬を飲まされる所です。その相乗効果で夢を見だすのです。
ちなみに、このシーンより前のプールでのパーティーシーンで、ミステリーマン(白い顔の男)に会うのですが、その前にも酒をあおっています。芸が細かいですね。
(この時のパーティー、妙に黒い服の客が多い事に気が付きましたか? フレッドが「あの黒い奴は誰だ?」と聞き、アンディーが「ディックの友達だ」と言います。もちろんフレッドにだけミステリーマンが見えていて、アンディーには見えてないので、他の黒服の誰かの事をアンディーは答えている、と言うシーンです。
ここで「ディックは死んでいる」と言ってしまったので、後でアンディーに疑われ、だからアンディーも殺したのかもしれませんね?
大事なのは、監督は芸が細かいと言う事です。このシーンがどうと言うより、この細かい事にも手を抜かいないから、完成された作品を作れると言う事です)
このミステリーマンも上手いです。これはフレッドの別人格なのは分かると思います。しかも狂暴な別人格です。
しかしこいつが「俯瞰に見ている存在」なのです。感情に任せた自分(フレッド)の行動と、それを外側から俯瞰的に(客観的に)見ている自分の事です。
人も落ち着いて客観的に自分を見ようとする時がある様に、多重人格だとそれが同時に存在するのでしょう。
自分を客観的に見ている方も狂暴なので、たちが悪いと言う事です。
始めのシーンは本当が多いと思います。
ただ「ディックロラントは死んだ」と言うのは幻聴です。幻聴ですが、この時すでにフレッドは殺している気がします。
ビデオも本当でしょうけど、最後のだけ偽物でしょう。自分では自分を撮れないし、この始まりだけ他と違うノイズが入ります。それに一瞬カラー化するのも自分の記憶からだからです。ただこれさえも本当に自分が見た訳ではなく、その時のミステリーマンと言う傍観者からの見えるだろうシーンを思い描いただけです。
ピーターのシーンはほぼ全て嘘ですね。
あくまで自分の都合のいい話に持って行ってるだけです。
今の自分を否定したいが為に(捕まって独房にいるから)本当の自分と反対の人物を練り上げているのです。
そして最後は好きな女(浮気された女房)の化身と、逃げたいと言う気持ちがあった。
しかしその嘘を信じきる事が出来なかったのでしょう。
この時ミステリーマンが出て来る事からも、客観的な自分が出てきて「女と逃げ切ってハッピーエンドなんてない」と思ってしまったのだと思います。
するとどうすればいいのか?
「浮気男を殺せばいい」と言う答えが出てきたのです。
そして殺そうと思ったのだが、すでに実際に殺していて鮮明に覚えていたが為に、その時の記憶が出てきてしまったのです。
だから実際の記憶「フレッドが浮気男を殺した」が出てきたので、ピーターからフレッド自身になったのです。
そして殺します。実際殺した男は、砂漠だから死体は長く見付からなかった事でしょう。
その後女房を殺します。
その後アンディーを殺します。指紋があり、ここで警察が怪しむことにより、ピーター(フレッド)は捕まったのです。
アンディーが死んだ時、警察はまだフレッド(ピーター)が女殺しの犯人だと思ってないので、やはりあの最後のビデオテープは無かったのだと思います(もちろんアンディーが死んで警察が来たシーンが本当ならですけど)。
(このシーンにピーターの時の警官と、フレッドの時の警官が両方とも出てきてます。だから半分は「幻」だが、半分は「事実だとフレッドが思っている事」の混ざったシーンです。
混ざっていると言う事は「半分は嘘だが、半分は本当だ」と言う事【監督からのメッセージ】でもあります。
で、何が本当で、何が偽物か? それは監督の思惑を考えれば、おのずと分かってくると言う事です。そしてそれが一番説明するのに難しい事のなかもしれません。
私の考察は、監督の思惑も予想して出してます。そして、たぶんあっていると思って書いてます。
どう見れば整合性が取れ、なおかつ面白いのか? と言う事です)
そして逃げ出します。何処までも夢の中で逃げ出します。
本当は捕まったので分かっているのです。逃げきる事は無いと。
だから夢の中でも警察から逃げきる事は出来ず、しかし逃げる事を諦める事も出来ない。
その最中に終わりをむかえる。これが最後フレッドの顔が揺れて来る所ですね。
映像を見なおしたら、段々フレッドの顔がはれて変形していきます。つまりこの時実際は電気椅子にかけられているのですね。
だからここで物語は終わります。
ハイ状態で道(人生)を突っ走っている状態から、ロストする。これがロストハイウェイですね。
ロストする時が最後であり、死んだ時なのです。
本当に良く出来ているし、とにかく細かいですね。
デヴィットリンチは流石です。