号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

ドイツ帝国、内閣の野望

1920年にドイツで公開の映画「カリガリ博士」考察です。ネタバレです。

 

実相寺さんの遺作「シルバー假面」でもカリガリ博士のオマージュでしたが、この作品の名前はちょくちょく出てきます。

そして寺山修司さんも、どこかでこの名を上げたようだったので、見てみました。

 

まあ古いです。そもそも無声映画ですね。

古いですが、有名な作品だそうで、ネットで感想もよく出てきます。同じことを書いてもしょうがないので、違うことを書こうかと思います。

 

最近気がついたの事で、寺山さんが言った作品には、暗喩要素が隠れている可能性が高い、という事です。

8 1/2」も「気狂いピエロ」も「星のおうじさま」も宮沢賢治作品も、暗喩要素がありました。

なので寺山さんがいったタイトルには要注意ですね。

 

だけども、wikiによると、この「カリガリ博士」の脚本家は、元々社会性が高い作品に描いたが、後で娯楽作品に書き換えられてしまったようです。

娯楽作品にしてよかったか、どうか? は謎ですが、後世に残っているので、意外と成功だったのかもしれません。

 

ただ、私が気になるのは、社会性が高かった元の作品の方です。

しかし、もう元がわからないので、何を、どう描いたかは分かりません。

だから、私なりに元を当ててみよう、と思った次第です。

 

まず注意として、だから、かなり怪しい考察です。

無いものから当てるのだから、土台無理なのです。

その程度でよかったら、この後を読んで下さい。

 

まずは「カリガリ博士」と言う名が気になります。

しかし、ネット検索をしても、誰かの名前でもなく、何かの言葉でもなく、なんでもないようです。

だが、だからこそ怪しいのです。なんでも無いからこそ、これ何かの言葉の暗喩かダジャレの様な物の可能性が出てくるのです。

何も意味がない名前や題名なんて、付けないでしょ?

しかし元がドイツ語です。ダジャレ等の言葉遊びなら、分からないでしょう。

 

という訳で、他の人の役名から探りますが、その前に大事だと思えるのが、この時代です。

1919年制作、20年公開だそうです。

1918年に第一次世界大戦が終わっていて、この作品がドイツならそれを気にしてないわけがないし、「社会性」と言うのなら尚更怪しいという事です。

 

先ず気になるのは、主人公フランシスです。

ドイツで第一次大戦に関係してるものとは? フランスですね。

だからフランシスはフランスの可能性が出てきます。

 

もっと気になるのは、夢遊病者、チェザーレです。

夢遊病者で、だからこそカリガリ博士に操られる者。

ならドイツ国民かな? と初め思いました。

操られ戦争に行き人を殺し、最後死んでいく事から見ると、ドイツ国民の気がしたのです。

これもあってるかも知れません。

 

ただ、このチェザーレから気になるのは、他の事です。

これから、私が初め頭に浮かんだ名がチェーザレ・ボルジアです。

で、検索したら本当にこの人の名が出てきました。

で、wikide見てみると、しかしチェーザレと言えば普通はカエサルの方を指すのだそうです。

ただどっちであってもローマ生まれなので、夢遊病者チェザーレはイタリアかな? と、始めは思いました。

 

ただ気になった事があり、チェザーレの謎の設定として「預言者だ」と言う事です。

この預言が物語上もっと関係してくるのかと思ったら、あまり意味がない設定でした。では何かあるのかな? と疑うわけです。

 

預言者でローマ、つまりローマ教皇領の事を表し、つまり今のバチカンの事です。

映画「天井桟敷の人々」と同じく、またバチカンです。

 

天井桟敷の人々」が1945年です。つまり第二次大戦の終戦の年ですね。

そしてカリガリ博士第一次大戦終戦の次の年に作られたのが、また面白いわけです。

 

考えてみたら、一次大戦も二次大戦も、ヨーロパの戦いは言ってみればキリスト教信者同士の戦いです。

そしてドイツにもまだカトリック教徒が多い(どうもこの頃はもう、プロテスタントの方が少し多かったようですが)。

ならカトリックの大元締め、教皇は戦争をどう思っているのか? が気になるのが常ですね。

「何をやってるんだ」と言う文句が出てきて当然なのです。

だからこの戦争の後には、バチカン関連の文句が映画で出てくるのかもしれませんね。

 

たぶんバチカンの人々のことを、眠っている人だと思ったのでしょう。戦争中なのに、何もしてない人達だと思っていた。

そして操るのがカリガリ博士です。ではカリガリ博士とは?

 

これがドイツの映画なので、ドイツの事かな? と勘ぐります。

そしてこの名から、ドイツを、当てはめてみようと思います。

 

まずドクターでDrじゃないですか。

wikiによるとドイツ国は「Deutsches Reich」だそうです。だからDrであってる気がします。

ではカリガリとは? これが難しい。

オーストリアハンガリー帝国が「Österreichisch-Ungarische Monarchie または Kaiserliche und königliche Monarchie」だそうです。

この中のköniglicheが怪しいかな? 無理やりかな?

königlicheは「国王の」とか「王室の」とかの意味です。ロイヤルですね。

もちろんドイツ語で、読みは「ケーニックリヒェ」だそうです。

しかし日本のローマ字読みだと「コニグリチ」になり、カリガリに近くないですか? 無理があるかな?

日本のローマ字は、名前のとおりにイタリア語に近いので、イタリア語読みにしてもおかしくないでしょう。バチカン関連だし。

カリガリと言う言葉をネットで検索しても何も出てこないので、この位離れた言葉な気がしますがどうでしょうか?

 

つまりドイツとオーストリアハンガリー帝国の事か? もしくはドイツの王室の事でしょう。

バチカンは、それらに操られているように、当時は見えたのかも知れません。

 

元々は「ドイツの片棒を担ぎ、フランスに喧嘩を売り、人が死んでいく」という事を伝えたいための映画だった、可能性があるのです。

そうだとすれば、「天井桟敷の人々」より前既に暗喩映画があり、暗喩からの社会問題映画が既に作られようとしてした可能性があるのです。

 

wikiによると「カリガリ博士」は(原題:Das Cabinet des Doktor Caligari)だそうです。

キャビネットとは棚の事ですが、内閣とかの意味もあるようです。

つまりドイツの内閣がバチカンを操り、人を殺す様な事を、第二次大戦でやっていた、と言う社会問題の映画だったのかもしれません。

 

さて、実際はどうだったのでしょうか?

細かな所はともかく、やりたかった大体の流れはあっているように思います。

夢遊病者を操るという設定は、確かに暗喩としての方が面白いので、こう考えても面白い作品だった気がしてくるのです。

 

 

2022年 10月11日 追加

 

どこに書こうかと思ったけど、少しなので、ここに足します。

寺山修司の戯曲「阿呆船」に付いてです。

 

この戯曲に「眠り男」と言う名の役があるのは、知ってました。

この戯曲が書いてある本を見なおしてみたら、やはり寺山修司は「カリガリ博士」の眠り男は、バチカン関連だと知っていたように思えます。

異端審問とか枢機卿とか法王とか、役命にあるので、知っていたのでしょう。

そして、この戯曲でも、眠り男はバチカン(もしくはキリスト関連)の暗喩として、描いていると思います。

 

そうは言っても、どの役が何を表すのか? は分かりません。

多分、何か意味があるのだろうけど、分からない物は分からない。

 

ただ、多分だけど、母の名が「皮なめし」なのは、この頃からすでに、その国での革製品が流行っていたのかも知れないとは、思っています。

つまり「皮なめし」はイタリアの事です。だから母なのです。

 

影の男とは、そのものずばり、バチカンの影の部分の事でしょう。

カトリックの、宗教的力と良い影響が、眠っている時にあらわれ、その時に行動する、悪しき部分の事でしょうね。

寺山作品として、この男がまた、例によって母と寝てしまうのですが、バチカンがイタリアに戻った事を描いているのでしょう。今と言うよりは、イタリアに取り戻された昔の事でしょうけど。

 

寺山は、眠り男をもっと分かりやすく「阿呆」と言ってしまうのだから、危ないですね。

ただ「カリガリ博士」も「天井桟敷の人々」も、言ってる事は「アホじゃ無いか?」と苦言を呈しているので、言ってる事は間違ってはないでしょう。

 

後細かな事で、しかも良く分からないのだけど、

始まりで埋まっている裁判長を、地面から掘り起こすシーンの事です。

これも、死んだような、もしくは姿をくらました裁判長を呼び戻す、と言う事でしょう。

これも戦争中か何かで、裁判などが開かれず人が殺されてた時から、平和な時代に戻り、また裁判が開かれる状態になった事の暗喩かと思います。

この事なども、眠り男の暗喩などが分かると、なんとなく分かって来るものですね。

 

とにかく、当時の感覚も分からないので、暗喩がとても難しいです。

難しいし、カリガリ博士などを知らないと分からないし、とにかく、寺山の戯曲は難しすぎる。

ここまで難しいのが正解か? と言うと、私には「微妙だな?」としか思えない。

ただ寺山は、難しすぎるのは戯曲でやり、大衆向けの映画では、もっと一般的に分かりやすくしてるので、そこは分けて作っていた気もします。

 

話を「カリガリ博士」に戻し、この作品は、後世に影響を与えた、歴史上大事な作品なのでしょう。

そして、その作品の面白要素にちゃんと気が付いていた寺山は、この時代でも特異な人だった事でしょうね。