アニメ映画「マイマイ新子と千年の魔法」見ました。
片渕監督ですね。
感想、ネタバレです。
昭和30年の山口県の子供の物語。
原作があり、芥川賞をとった作家の自伝的物語だそうです。
だからやってる事は、物語と言うより「古き良き、昔を思い出す」作品ですね。
なので大きな事も起きないのですし、盛り上がりにも欠けるし、千年前との繋がりも今一な作品です。
これで成り立つのは、この原作者が子供の頃を思い出して書いているのだるなあ、と思えるからです。
おばあさんに、昔話を聞いているようなものです。
思い出した昔なので、美化されてます。
そして子供の頃の思い出なので、昔の悪い所も出て来ない。
あくまで良き昔を思い出し、それを羅列してるだけです。
「実際の昔」ではなく「子供の頃を思い出して描いた、美化された子供の頃の記憶の中の、昔」を描いていいる物語です。
これは映画の方の「三丁目の夕日」と同じですね。
この映画は見て無いのですが、人気がありました。
そして映画公開当時、色々な人の感想として「美化されている」と「あの時代は、良くない所も沢山あったのに」と言うのをよく聞いてたので、覚えています。
しかしこの映画の方も分かっていてそれを描いてたと思います。美化された思い出の話をしようと思い描いていたと言う事です。
この第一作ではなく、その後の続きの頃だと思いますが、この映画の関係者(監督かな?)がテレビに出ていて言ってた事が印象深く覚えています。
「町のある物の、あっちこっち錆びている。しかし当時はもちろん新品なので、あんなに錆びてはいない。ただ過去の印象として(昔の物は錆びている)とみんな思っているので、錆びたように作った方がみんなの印象通りになる」と言うような事を言っていました。
つまり「過去その物」ではなく「今の人が思い出した過去」か「今の人が思い描いた過去」であると言う事であり、言語外の事としてそれは「美化された過去」と言う意味合いも含まれるのです。
これを実写で、ただやってしまうと、確かに「嘘っぱちだ」と思う人が出てきてもおかしくないと思います。
では「マイマイ新子」の方は? と言うと、こっちも嘘っぽい。
しかしアニメですね。だから誤魔化しがある。
それに子供の話です。しかも自伝的な物語だそうです。
この事から、三丁目の夕日より始めから「嘘であり、思い出だよ」と強めに伝える事になります。
だからこっちの方が「嘘っぽい」と言われにくいかな? とは思います。
嘘は、始めから「嘘だよ」と言ってしまった方が、ノイズなく見れると言う事です。
では、どうすればより良かったのか? を考えてみます。原作があるので実際は変えれなかっただろうとは思いますが。
これは良くある物語にした方が良かったでしょう。
「おばあちゃんがいる。昔友達にもらった何かが出て来る。孫にそれは何? と聞かれ、当時を思い出すように孫に話していく」と言う物語の始まり方が良いでしょう。
こうする事で「思い出である」「美化されている」「孫に言うのだから嫌な所は言わない」と言う事を暗に表し「客に嘘を、始めから許容させてしまう」のです。
こういう作りの物語は昔からよくありました。
よくあったと言う事は「この、やり方が良い」と言う理由があったのですね。
今回あらためて考えてみたら、この良くある作りの良さに気が付きました。
三丁目に夕日の作りの様に、実際の昔ではなく「錆びた物を出した方が、みんなに本当の昔っぽく見える」と言うのは、人の気持とか深層心理などが大事なのが分かります。
人に感動させる物語を書くのだから「人の心の動き」が大事なのは、言って見れば当然です。
「美化された過去」がありになるのもそうで「物語とは、人の気持にとってどうなのか?」が大事だと言う事です。
千年の魔法とは、そう言う事を伝えたかった気がします。
この物語の中の事でも、それをメタ的に見た物語自体の事であっても、どっちも考えさせるアニメでした。