号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

何のクラブ?

映画「台風クラブ」考察です。

 

アマゾンプライムで出てきて、ちょっと気になりました。

皆の感想を見たらもっと気になりました。

映画会社、アートシアターギルドが係わっています。これも気になる。

なのでwikiで調べたら、「セーラー服と機関銃」の監督で相米さんと言う方でした。

もしかしたらと思い、もっと良く見てみたら「ビンゴ!」あたりです。なんとなくの感覚って大事ですね。

相米監督は、寺山修司監督作品の「草迷宮」の助監督をしてたようです。

この作品もまた暗喩物語ですね。

 

というよりも、なんとなく寺山修司の追悼作品の気持も入っていたのかな? なんて思えます。

この作品は1985年でした。寺山さんは83年に亡くなってます。

この作品を見てると、段々寺山さんのにおいがしてきますね。

 

まずは表の感想です。

若い子供の頃を思い描ける作品です。

子供の、単純で、未熟で、不完全であり、だからこそ行動が定まってない所が良く描けてます。

雰囲気だけで、意味もなく見える長いシーンがありますが、それも子供の自分の行く方向、つまり行動が良く分かってないのを表していると思えば良く出来てます。

それにそうする事で、子供の頃のリアルなフワッとした日常を思い出せるので、それも良かったです。

 

ただこれらの雰囲気物は「方法」であるべきです。

それが「目的」になっているのはあまり好きじゃないですね。

アート系の作品でやりがちなのは、何かの雰囲気を出したいと思い、それをやる為に特化してしまいがちです。

しかしそれらの雰囲気は、あくまで物語を良くする為の「方法」であるべきです。言い換えると「道具」であるべきです。

この作品は、これらの子供の頃の雰囲気を思い描く作品だけになっています。

物語自体より雰囲気に特化している事が、私には不満です。

 

ただこの子供の頃の雰囲気を思い描き、そこから自分達で何かを考える元にはなると思えるので、考えれる人だったら意味がある作品でしょう。

後は単純に、子供の頃を思い出したい人はいいかもしれません。

 

さて、裏の暗喩です。

寺山修司作品を思い描いて作ったとしたら、もちろん「学生運動」です。だから学生の物語です。

1985年だと、流石に学生運動は過ぎ去っているので、時代感覚はずれてます。

だからこそ、この時代にわざとこれを暗喩として持ってくるのだから、学生運動の暗喩をしたかったのでは無く、寺山修司の追悼に見えたのです。

 

主人公が野球部ですね。そして演劇部も出て来ます。この辺は寺山修司追悼作品だと言うヒントだと思っています。

榎戸さん脚本の「忘却の旋律」も「スタードライバー」も演劇集団が出て来ます。これと同じですね。

学生服を脱ぎだし、裸で踊るのも寺山っぽいですね。

体育館の時、手前に何かをかぶせて、その向こうを見せるのも寺山っぽい。まあこれは寺山さんの専売特許でもないでしょうけど。

東京に行った女の子、工藤夕貴が街で合う意味不明な白い顔で笛を吹く二人、これ寺山作品でなくてなんなのか?(工藤夕貴若いね、この頃から出てたのか)

 

物語としたら、学校の先生、三浦友和が学校で結婚をしろと言われるシーン、意味ないですよね?(三浦友和良いですね。こんないい役者だったのですね)

これが大人代表の政府の事ですね。アメリカに日米安保を通せと言われ、それが学生運動家には情けなく見えてた事を表しているのでしょう。

そして台風が来ます。これが学生運動などの社会の動乱の事ですね。

そこで子供たちはただ騒いでいるのです。学生運動なんて、ほとんどがこんな「ただ騒いでいる子供」の集団だと言う事でしょう。

そこで乱痴気騒ぎをしてるのですが、これも運動家が裏でやってたのはこんな乱痴気騒ぎです。映画「書を捨てよ町へでよう」でも描いてましたね。

女の子を襲うのも、始めのプールで溺れされられたのも、学生運動でやってた事なんてこの様なものでしょう。

そして小難しい事を言う主役。これもこの頃の運動家の暗喩です。

そして最後は死ぬ。これもそのままですね。まじめな思想家は社会に幻滅して死ぬのです。

もしくは台風後、つまり安保闘争後「地下に潜った」事の暗喩かも知れません。

この死ぬシーンは暗喩だと思わないと、何やってるか分からないですよね?

死ぬ前に鶴が吊ってありましたね。皆の願いがあった場所が運動家のアジトだった筈なのです。しかし実際やってる事は乱痴気騒ぎでした。

工藤夕貴と溺れかけた少年は生き残りました。最後出て来たのはこの二人ですね。この二人は「運動に乗り遅れた少女」と「運動に乗らなかった少年」の二人です。だから係わらなくて生き残るのです。

もちろん運動家もすべて死ぬわけではない。だから係わった子達も生き残りはしました。

題名が「台風クラブ」ですね。この内容なら「クラブ」って単語いらないですよね?

つまり「台風での集まり」を言いたいのだと言う事です。だから「学生運動」になるのです。

 

相米監督は競馬や競輪が好きだったようです。

だから競馬好きの寺山さんにも、たまにはあってたのじゃ無いのかな?

 

寺山修司の残り香が漂ってたのが感じられ、それは線香のにおいにも感じられ、何か感慨深いですね。