号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

暗 田園に死す 喩

映画「田園に死す」考察です。

 

寺山修司と言う名は、興味が無い私でもなぜか知っています。

興味が無いのに耳に入る名と言う事は、かなりの有名人なのでしょう。

そしてこの映画を見ると、有名になる理由が分かるのです。

 

この映画の暗喩(メタファー)を、分かる範囲で書こうと思います。

始めは「説明は野暮だな」と思い、やらないでおこうかと思いました。

しかし、これはある程度は理解しておかないと、この国の物語制作には未来が無いな、と思えたので、誰かがやる必要がある気がしてきました。例え微力であってもです。

ちなみにアニメ「シンエヴァンゲリオン」のラストはここから来ていると思っています。そして庵野さんは、自分要素を足し、分解して、また見事に組み立て、エヴァのラストとして合う物とした。だから素晴らしいのです。

つまり今現在でも通じるし、参考になる映画だと言う事です。

 

ただその前に、自分で一度それぞれにどんな意味があるのか? をやってみる事を進めます。

答え合わせから入るのは、つまらないし、自分の為にはならないからです。

ただもう一度言うように、私が分かる範囲の事を言ってるだけなのと、あってるかも疑った方が良いでしょう。

各々が考える自分のと、他人の考えを比べる事により、見えて来る物がある筈です。

 

 

セピア調の映像です。過去を思い出している事を表します。

子供が墓でかくれんぼをする。子供の頃の思い出です。墓なのは、死のイメージが子供の頃には強かったと言う事です。これは舞台が恐山なのと同じ理由でしょう。

かくれんぼ、隠れてた記憶、隠されてた思い出、それを見付けに行く。

墓から出て来る人達、今や死んだ人達。その思い出がよみがえる。

 

セピア調の、昔の自分の家です。

写真が切られ、それが縫い留められています。捨てた思い出か、忘れかけてる思い出。それをかろうじて糸で繋げて思い出そうと言うのです。

 

馬車で運ばれる女。死んでいるのか? 恐山やこの後に出て来る様な女のイメージでしょう。

死ぬと行く所が恐山と言う事でもあります。

恐怖と魅力と、その相反する両方からの、心をひきつける昔の記憶。

 

田園に死す

歌も映像も恐山のイメージです。風車は亡くなった子供にささげる物です。今後の展開も含まれるのでしょう。

眼帯の黒装束の女たちは、後でまた出て来ます。寺山さんの、村の女達の印象の記憶です。同じような見た目で魅力もないばかりか、死の雰囲気が漂っています。そして顔も良く見えないし、この女達からも世界がよく見えてはいないでしょう。ちなみにアスカはここからですね。

チェロを弾く男。良く分かりません。ただ不気味さ、異常さ、そしてありえない物であり、現実では無いという事かも知れません。

(21年5月23日追加、セロ弾きのゴーシュか。wikiによるとゴーシュはフランス語で「左翼」と言う意味もあるようです。つまり赤い血の上にいるこの頃の左翼です。既に死んでいて恐山にいる。まさにこの時代ですね。寺山さんは過激な左翼は批判してたと思います。

ゴーシュは物語上で第六交響曲を引くが、どの曲かは言って無い。これがベートーベンなら「田園」と言う事になる。

ちなみに高畑勲さんがセロ弾きのゴーシュをアニメ化してるが、寺山さんと同じ年生まれで東大出でインテリですね。そして共産主義。だからこの人もわざとこの作品をやったのでしょう。

戦前生まれのインテリお化けどもです。皆パワーはありましたね)

 

時計。これも後で分かりますが、皆が腕時計を持っているのに、主役の子、しんちゃんは持ってません。皆は自分の時間を持っている。皆は自由に生きていると言う事でしょう。

しかししんちゃんは持っていなくて家にあるだけです。これは家に縛り付けられているというイメージでしょうし、家で時計を管理している母に人生を握られている。

名がしんちゃんですね。エヴァのシンジ君はここからなのか? 考えすぎか?

 

しんちゃんは白塗りですね。これは後で現実の主役「私」がわざわざ説明します。昔を脚色していて、人も脚色している。もはや厚化粧のようだ、と言います。つまり脚色された嘘も入ってるし、あいまいな記憶である人と言う事です。母もそうです。

他の人も白いのはイメージの人なのか? 逆に白塗りじゃないのは、はっきり覚えてる様に思える実在した人でしょう。

 

鳴りやまない時計。しんちゃんにとって、うるさい邪魔なノイズです。家の存在が鬱陶しいのです。だから後で家から出て行こうとする時に鳴りやむ。家出をするので、もうどうでもよくなり、ストレスにならなくなるからです。

 

この話は寺山修司の自伝的な映画と言う事です。

たぶん子供の頃のイメージが沢山入っている。

1935年生まれと言う事なので、戦争のイメージが強い。だから子供の頃の記憶は、死の予感が強いのです。これと生まれが青森と言う事をかけて、恐山のイメージが出て来る。

隣の綺麗な女の人は、たぶんそんな人が近所にいたのでしょう。

 

髪の着いたクシは、母のイメージです。それでいて汚い、人臭さ等の部分が含まれた母のイメージの象徴です。

 

父がいない子を宿した女が出て来ます。これも実際近所にいたのではないのか? この女は赤く、そして比較的綺麗に描かれています。憧れと、不思議さや興味の対象だった事でしょう。

 

鞍馬天狗? 侍の幻が出て来ます。分かりません。ただそんな昔からこの家は変わりが無く、そんな奴がここにいてもおかしくない絵になる位古い家だ、と言う事かも知れません。

 

母はずっと仏壇を磨きます。過去と家にすがっている。父も死に、この古臭い家が大事で、それ位しか心のより所が無い人生。

 

包茎手術をしたいと母に言う。母は怒る訳です。子供が大人になり、女でも作り他に興味を抱き始めるのを怖がるのが、母なのでしょう。ちなみにですが、父と言う者はもっと娘に男が出来るのを嫌いますけどね。

しんちゃんは否定されたのが気に入らないわけです。これが後で効いてくる。母に流された人生だったので、自分の人生が狂ったと思うようになるのでしょう。

そして死んだ父に会いに行くわけです。これも父が生きていたら話を聞いてくれた筈だと思っている。それは逆に、母は聞いてくれないと思っていると言う事です。

 

この家のシーンでは、上から梁とかをなめた映像になってます。これが異化効果ですかね? 客観的に見るようにしいるのです。そこのキャラの一人に自分をかぶせられない様に「あくまで他人として外から見てますよ」と印象付ける。

この様な話が単調で長くなりがちなシーンでよくあるのが、こんな何か越しに見える絵です。

異化効果で客観的に見る事で、考える事を促す。自分をその中のキャラと重ねて状況を感じるのではなく、他人として見る事で考えれるようにする。話の内容を考えろと言うシーンです。

考えるからこそ、つまらなくなりそうなシーンでも持つ。考えてるうちに終わるからです。

そして見た目だけで言っても、普通は無い絵で面白く見えるので、少し時間が稼げる。

しかもどこから見てる絵なんだ? と思ったり、手前に被ってる物は何だ? 等とよけな事を考えている時間もあり、そんなこんなでつまらない時間を飽きずに終わらすやり方ですね。

 

(切りが無いので少し早歩きにします)

 

赤い星が出て来ます。これもエヴァかな? と勘ぐります。もちろんエヴァはヤマトも入ってるでしょうけど。

遠くだが見える他の赤い星。中国か北朝鮮ソ連です。

 

赤い女が現れます。後でまた踊りますね。

これもシーンのイメージでしょう。女のイメージでもあります。赤は女であり血でもあります。魅力と恐怖です。見た目も薄着で一見魅力的そうだが、不気味そうな女です。踊りもそうで、魅力的に踊ってるように見え、不気味な動きにも見える。これがこの頃の少年にとっての、未知なる女の象徴なのでしょう。

そして女から性が感じられるし、子供を生んだりして生も感じられるが、失敗や絶望をさそう物のイメージもあったのでしょう。

この女の負のイメージは、映画としてまだこの時は分からないのだけど、後で分かるようになっています。つまりこれは映画としては前振りになっている。

映画の中として考えれば、後でこれは「私」が作っている映像だと分かるので、その男のイメージを取り入れた映像だとも取れる。

そしてこの未来を知っている大人になったしんちゃんの「私」だからこそ、この後での女から負のイメージがあるのを知ってるのです。

後で出て来る、娼婦の女、嘘をつく女、死んだ女、子供を殺した女、自分を襲った女、自分には女は早いとう母。これらの負の女のイメージがあり、だけど誘うように見える女自体の象徴が、この赤い女でしょう。

 

イタコが出て来ます。青森にいますね。そのイメージです。

 

近所に綺麗な女の人と旦那の布団のシーン。これもまた不自然な絵です。そしてなぜか絵を九十度回してきますね。これも先と同じでつまらない単調なシーンだとこう言う事をしてくる。飽きずらくなるので、効果的ですね。

 

この旦那が母と話してるシーン。男が糸を手に回して、この母がそれをまるめている。これで母が男を縛っている事を描いている。話でも嫁が洗った下着を、もう一度母が洗っていると言います。これも母が仕切っていて、この男の下着さえも支配している事を表す。

下着からのイメージでもある男の要素さえも全て支配しているのを表しているのが、足元の裸の男でしょうか?

ここも「私」が作っている映画の映像と見ると、母と言う者の呪いを「私」が感じていると言う事です。

その後、この旦那が花ビラを積んで、女の人形の上にある箱に入れます。前にも押し花が好きなのを見せてました。この男には嫁もこの程度の存在だと言う事でしょう。好きな花を入れる箱の下に敷く飾りの様な存在です。

 

村のはずれにサーカス団が出て来ます。これが上手いですね。これは娼館ですね。

子供には赤く明るい場所で、楽しそうに大人が行き、帰ってくる。これを見て子供はサーカスでもしてるのだろうと思うのです。

そしてどんな楽しい事をしてるのだろうと覗いてい見ると、娼館なので男と女がしてるわけです。それを見て驚く、と言う事が本当にあったのでしょうね。

 

女の写真を入れた入れ物のガラスが割れているシーンです。この時、女に幻滅したイメージが残った、と言う事でしょう。

 

空気女の空気入れ行為は、まあ皆分かるとして。

時計の話が出て来る。これは前に言った通りです。

ただこの時少年は「皆持っていれば誰の時計を信じればいいか分からない」と言います。これが家に縛られた少年の感情そのものですね。実家の基準に合わせておけば、皆幸せだと言う考えがしみ込んでいると言う事です。

その後家に帰り母と時計の話をする。家の柱に縛り付けとくのが良いと母は言います。母には家の基準が大事で、家自体が大事で離れられないと言う事です。

しんちゃんは家の時計は壊れてると言います。壊れているのでしょう。

そしておかしな音を鳴らし始めていて、沢山の時計にも見え、どれが正解か分からなくなっているの事に気が付かない愚かな母だと言う事です。

 

この後、さっき言った赤い女が踊るシーンです。これは魅力と不気味さと不思議な物が女だと言っている。そしてこれらの色々なイメージが合わさった物が、少年にとっての出産です。だから出産の間のシーンが赤い女のシーンです。

それにこれはもっと単純に、出産のイメージシーンだともとれますね。

 

学生の観光シーンです。帰りには疲れたのか年とってます。そう見えたのでしょう。ここで少し時間が経った事を表してるかもしれません。

または、出て行くのは若者、帰ってくるのは年寄りばかり(もしくは死者ばかり)と言う事なのか? 田舎の事か、戦争の事か?

 

空気女のシーンは、場面全体に色が付いてますね。娼館のイメージであり、嘘が多いシーンだと言う事でもあるのでしょう。

 

綺麗なお姉さんが家で家族の写真を皆で磨いています。家の威光を保つのが金持ちの奥さんの仕事だと言う事です。

 

しんちゃんの家での母の言動。母が子供に依存している事を描いてますね。

横に般若の面があります。寝る時は決まって、怒る面を脱いでいる。つまり優しいと言う事です。

時計はもはや動かせない様に縛られてます。この家から物理的にも、精神的にも動かないと言う母の決心です。それがしんちゃんには分かると言う事です。重荷でもあります。

 

その後綺麗な奥さんと村から逃げるしんちゃん。全体の色が緑です。田園のイメージですかね? 脚色された田舎です。そしてありえない色が強いと言う事は、嘘だと言う事です。

 

この後にようやく種明かしで現実に戻る。

この時フィルムが終わり、変な文字が映りますね。まどマギを思い出します。これが世界が変わる合図や呪文ともとれます。

そして現実の世界がなぜか白黒です。これは夢の世界の方をカラーにすると、それと次元が違うと表すためには別のものにする必要があり、だからでしょう。

それと、実はこの男「私」にとったら、現実はつまらない白黒の世界に感じると言う事かもしれません。

心に何か問題があるからこそ、この後に昔の世界に迷い込んでしまう訳でもあるのですからね。

 

このあたりで、今までの映像は脚色されて厚化粧の見世物だと言います。

これであの不思議な世界も、顔の白塗りも納得がいくわけです。

しかし「説明するのだな」と少し驚きました。こんな野暮な事をする人なのか、と。

でもこれは正解だと思ってます。

とっても訳が分からない絵作りなので、この位説明してくれないと、皆納得できないでしょう。だからちゃんと納得できるように、最低限の説明をしている。

あのメタファーで出きた不思議な風景も、映画の中のさらに脚色された映画と言う事で、なんとなく納得できる作りにしている。

ここを見ると、寺山修司は実はちゃんと地に足が付いた人なのだな、と分かるのです。おかしな人でも、現実感が無い人でもないのが分かる。

不特定多数の人が見る一般映画なので、最低限のマナーは必要です。それが分かっている人だとも分かる。

だから少し感動しました。こんな不思議な映画を作るのに、基本はちゃんとしたまともな人だと分かったからです。だからこんなに名を上げた人なのが、納得できる気がしてきました。

そして映画の内容の方も不思議そうに見えて、実は考えれば納得できる暗喩(メタファー)で出来ていると分かる。ここも素晴らしい。嘘でもなく誤魔化しでもないからです。

 

ちょっと長くなりすぎました。なのでいったんここで切ります。

つづく