号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

……

「……」

「そして何もありませんでした」

確かにミステリー

 

ワンダーエッグ・プライオリティ」12話

 

何も言う必要もないけど

 

見てきて、今回始めて作画が少し壊れてると感じた。

そして動かない絵が多い。

そして、それらしい事をしてるけど、実は今回が一番意味が無い回でしたね。

こんな何にもない回は初めてです。

「それらしいもので取り繕って、穴埋めしておけ」と言うやつです。

つまり間に合ってない。

あの幻の8話は「結局間に合ってないだけだった」と言う答えでしたね。

 

ただそれでも6月にまた続きをやるらしいので期待はします。

無理だと分かり、諦めて後回しにするのは英断だったとは思います。

 

しかしこれはたぶんギリギリでダメだと分かったのでしょう。

そうじゃなかったら、こんなに意味が無い回をやる必要すらない。

だったら11話の内容をのばして、2回分にして「続きはまた今度」にしとけばそれらしくなり、よかったのに、そうもしてない。

次やるのが2クール目じゃなくて、映画版でもなくて、特別編だと言うのも、間に合って無い事の誤魔化しにしか聞こえませんね。

 

いや改めて考え直して、どう見ても最後尺が足りないよね?

どうするのかと思ってたら、そのまま「尺が足りませんでした」でした。

 

しょうがないし次やるから良いのだけど、気になったのは、やはり今回が捨てて来たような作りだった所です。

まあ作り手は、やれるだけをやって取り繕いました、と言いたいかもしれないけど。

 

そして今回のこのブログの感想、考察は、これまでで一番意味が無い内容でしたね。

無理心中回でした。

精神的な自殺の背中を押すアニメでした。

 

ちなみに、12話にテーマソングを付けるなら、森田童子の「僕たちの失敗」ですね。

 

2021年3月31日 補足

 

少し気持ちが落ち着いたので、少し補足します。

 

前回のドットちゃんは、なぜちゃん付けなのか?

たぶん「窓際のトットちゃん」からだと思います。

この話は黒柳徹子さんが自分の子供時代を描いたもので、大人の黒柳さんが、子供の自分をトットちゃんと呼んでいる、と言う事にかけたのでしょう。

今回のキララ何とか……と言う名前が長い奴は、いくつもの名前が一人に重なっている集合体と言う事です。

 

流石に最後の方なので分かりやすく、もう一人の自分と向き合うと言う話でした。

今回の沢木先生は、アイ自身が自分の不安要素とかなんだとか言って、本物じゃないと言ってましたね。これはそんまんまかと思います。

小糸ちゃんは、ある時の自分を救ってくれた友達だ、と言う感じでした。つまり妄想の存在で、実在してないかもしれませんね。ただ感謝したいだけの存在のようです。

 

でもここまで来ても私の「キャラメルコーン予測」が当たってる気がします。

 

12話、題名は「負けざる戦士」ですね。

勝てないけど、負けない様にする、と言う事でしょう。負けたと言わなければまだ負けて無いと言うのでしょう。

でも制作人の今の状態は

「春の木漏れ日の中で、君の優しさに、埋もれていた僕は、弱虫だったんだよね」と言う事ですね。

弱虫から脱して、夏には解決してほしいですね。

 

2021年4月15日 さらに補足

 

人は考えるより先に感情が出て来ます。頭に来た時は、考える前に頭に来るのです。

なので感情が出た後で、なぜそう思ったのかを考える事になります。

やっとこの作品の気に入らない所がまとまったので、書きます。

 

11話で私が感じた事とは、どうやら「成功者の縛りゲーム」の様に感じたみたいです。

ゲームで上手くなりすぎた人がたまにやるのが「防具を外して戦う」とか「ノーダメージで挑戦する」等の、自分で勝手に「縛り」を作りゲームをする事です。

これはそれが難しい事だと知っている、一部のゲーマーに向けてやる行為です。

つまり一部のコアなファンかセミプロに「どうだすごいだろ」と言わせる為の物です。

 

この様な事は、物語制作者もやるようです。宮崎駿さんもです。上手くなりすぎたし、頂点に達成してしまったのです。

だから「風立ちぬ」は私は嫌いです。あれは「こんなのも出来るのだ」と言う自己満足です。そして一部のプロに向けて「すごいだろ」と言ってるものですし、この事自体も自己満足です。

 

そしてワンエグ11話でもこの感じがしたのです。

一度頂点に達成してしまった野島さんが、一般受けよりもミステリーにうるさい人向けに「こんなのも出来るぞ」と示す為に、わざと縛りを設けて書いた気がしたのです。

 

宮崎さんも野島さんも、一般人よりその手のプロを唸らせたいが為に、書いた気がしたわけです。

私は一般人なので、一般受けをするよりも何かしたい事を優先するのが、気に入らないのでしょう。

 

そして、12話最後で物語が終わらない事も頭に来たのですが、でも「終わらない事ではないな」と思えてきました。

「このクオリティで連載が出来るんだ」と感心して見てましたが、やはり無理だと分かり「やっぱり無理なのか」と思ったので、そこは想定の範囲内でした。

ただ終わった時に「まだ続く。数か月後に最後やります」と言うのはいかがなものかと思うのです。もっと前に分かってるのだから、もっと前に言うべきです。

これは監督ではなく、プロデューサーか? もしくはもっと上の存在の決定でしょう。だから誰のせいなのかは分かりませんが、この程度の感覚なのですね。

例えばこのやり方を「大河ドラマ」ならやったのか? 「冬ソナ」ならやったのか? と言う事です。これらのドラマだったら大炎上するので、分かり次第謝る筈です。

しかし深夜アニメではやらない。

たぶん知らず知らずでしょうけど、馬鹿にしてるのです。深夜アニメだとこの程度で良いんだと言う感じがある。

自分達がやってる物が「大河」と同じだと思えない人達が作ってる物は、いつまでたっても深夜アニメでしかないでしょう。