号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

田園に死す、はほぼ、アニメ

映画「田園に死す」見ました。

 

なるほどねえ。何か色々な事が腑に落ちた。

 

押井守の映画50年50本の中の一本にこの映画が出て来ます。

この時に「ウテナの監督も寺山修司に影響を受けている」と言う様な事を言ってました。

漫画家の山田玲司さんもイクニさんは寺山修司の影響があると言います。

で、見ると「なるほどと分かる訳です」

「そしてエヴァンゲリオンもこれらからの影響が強いのだろうと思いました」

「これはどういう事なのだろう?」

「たぶん印象の具現化だよ」

「だから映画はもちろん。アニメはもっと同じ要素で出来ているので、影響が強くなるんだね」

「へえー、ところで頭つかうと腹へるね」

と言う訳で、コンビニに向かう事にする。

 

押井さんが映画「ブルーベルベット」で白塗りの男が口パクで歌を歌いだすシーンが印象的だと言ってました。

私はこれは絵画から来ていると思ってます。

絵画では一枚絵で表すために、そこに沢山の印象をいれようとすると、それを暗喩(メタファー)で表す必要が出て来ます。

絵の右では幼子が書いてあるが、左の後ろの方に映る「骸骨」「お墓」「十字架」「烏」「だらんとした人」等が、死の印象を表す。なんて絵画の説明でよくありますよね。そんなやり方で、一枚で「人生を表す」なんてするのです。

後は絵のキャラそのものではなく描き方で表す。「人を普通に描く」「人を歪んで描く」「人を鉛筆で描く」「人を筆で描く」等でも意味が違ってきます。

「他と比べて不自然なほど人を大きく描く」「一人だけを人を動物で描く」「ただ一人裸で描く」等でも印象が違ってくるし、意味合いが違ってきます。

もしくは何かの映っている物や人ではなく「絵全体が暗い」「絵全体が赤い」「絵全体が歪んでいる」等で、死や恐怖を表している等ともします。これは人が描く印象と絵の印象自体を重ねるのです。

絵画では一枚絵で、物語や違う印象を重ねるので、暗喩が必要になってくるのでしょう。

これを絵画ではなく動画で描くと「ブルーベルベット」の歌うシーンになると思います。

 

これをもっと大きくやってるのが「田園に死す」ですね。

こっちの方が古い映画であり、もうこの時にここまでの映像を出していたのですね。

 

絵画と同じで、暗喩で情報を入れると、一枚絵の時点での情報量が多くなります。

そしてパッと見では分からないので、考える必要が出て来ます。

しかも情報量が多いので、考えると色んな意味がその瞬間に見いだせるのです。

つまり一場面、一瞬の絵でもあきがこないのです。考える必要があり、考えると分かるからです。

 

これは「夢の様な絵作りだな」と思う人も多いかと思います。

「夢とは何か?」です。

夢では整合性など考えず、気持ちでや印象で物語が出来てるものです。

「怖い」と言う場面では、その人個人が「怖い」から思い描く物が出て来るのです。

それこそ「骨」とか「怖いおじさん」とか「地震」等です。

ここに整合性が無いのが「夢」で、急に関係が無い物、その場面にありえない物が出て来ます。

しかし「夢診断」等がある様に、その出て来た物の印象から、その人が感じた物を探る事が出来る。つまり印象としては意味が通っているのです。

「ゴールが見えてるのに、追っかけてもいつまでもゴールにつかない」とか「高い所から落ちる」等に不安や恐怖、もしくは「結局上手くはいかない」等の意味が入ってるのは分かると思います。

これも「田園に死す」には多く入ってます。

そのもの自体はそこにない筈のものだが、そこから思い描く印象と伝えたい事が同じなので、なんとなく納得するのです。

その作りが「夢」と同じなので、夢みたく見えるのです。

 

そしてもっと単純に「興味がわく絵作り」もしてます。

人が興味を湧く物とは?

まずは「死」ですね。そして「性」です。

この二つは「生死」に直結していますし、子孫繁栄に直結する事であり、だからどの生き物でも気にするように出来ている物です。

種として、この二つを気にしなくなったら滅んでいるだけですから、もういない種なのです。だからこのイメージは強烈に感じるのが人です。

 

そこからもう一歩行って「不自然さにも興味がわく」と言う本能もあるのでしょう。

不自然さは気にするべき事が多いのです。

「羊の中の一匹のおおかみ」「平らな地面にあいた穴」「森の中の赤い木の実」等です。

例えば「おおかみ」と分からなくても「羊の中に他の動物が一匹混ざっている。あれはなんだ?」とは気にするべきでしょ? 普通は良くない事が起きる前兆です。

「立ってる羊の中で、一匹横たわってる羊」等もそうです。

他にも「赤い木の実」も見付ける必要があるので、他と違う物を気にするように出来ているのです。そう大事なのは違和感です。

例えば、腹いっぱいで赤い木の実が周りに沢山ある世界ならどうでしょう? この時は一個の赤い木の実は気にする必要はないですよね。だから沢山ある時は「赤い木の実」は違和感にならなく、気にする事も無いものです。

これを利用して絵作りをしてます。

例えば、誰もいない学校の教室の机の上に「ピンクのキティちゃん」が一個乗っかていればそれは違和感なのです。キティちゃん売り場なら同じ一個のキティちゃんは気にならないでしょう。逆にキティ売り場に一個だけ「黒板消し」が置いてあれば違和感になります。

違和感には原因があるのです。それが物語ならわざとであり、理由があるのです。

 

そして「異化効果」です。

見ている人を、物語と同化させないのです。

ただの田舎でゆっくりしているキャラがいたとしたら、自分もそんな場所でゆっくりしている気分になる。これはこれで、物語としては正解です。

しかし不思議な田舎で、白塗りしたキャラが出てきたら、自分とは重ねられない。どこまでも俯瞰で見て、物語を客観的に観る事になります。

安心させないのです。分からないからこそ、頭を使う事になります。理由を探る必要がある。

これが良いかどうかは、ケースバイケースです。

考えさせたい物語の時に使うのは、ありになるのでしょう。

逆に考えず世界を感じてほしい時は邪魔になります。

 

最後の場面、新宿のアルタ前ですね。この頃の景色は知らない筈なのに、分かりました。これは狙った訳では無いでしょうが、知ってる今とは違う建物なのに、それでも同じ場所と分かる事が出来る。ここがこの映画と重なり面白かったです。もちろんこの暗喩はたまたまでしょうけど。

この実際のこの当時の新宿にくる終わり方で、見てる人を現実に戻すのでしょう。

それと現実ともつながってる世界だ、とも読み取れます。

印象を表しているが、実は今のこの時代に生きている一人の人の印象であり、異次元の話では無いと言うのです。

 

このあたりを見ていると「エヴァは影響が大きいなあ」と思えます。

そしてこれに比べれば、やはりテレビ版エヴァの終わり方は上手くないですね。

この「田園に死す」の終わり方は見た目では釈然としないのに、終わった感がして、なぜか納得してしまう作りでした。

実はこの最後は「緊張の緩和」でもあり、だから安心して終わらせられるのでしょう。

安心して考えなくなれた時に、物語は終わらす事が出来るのです。

ちなみに一見釈然としないシーンで終わりますが、考えると理にかなった終わりであるのが分かります。その辺の良くある物語と比べ、更に一歩すすんだ物語なのが分かるのです。

 

アニメは全てが作り物であり、印象の具現化です。

デフォルメされていると言う事は「情報を削っている」と同時に「情報を増やしている」のです。アニメキャラの肌荒れは見えません。逆にあんな目の大きな人が実際にいたら不気味です。

ただ普通のアニメは整合性がとれるように、実際の物理法則に沿った事をやります。急に大きな金づちが現れたりはしません。

この普通の物理法則を無視したら「田園に死す」になるのでしょう。

 

ただ思ったよりは、アニメとこの映画でしてる事は近いものであり、物理法則無視が多いか少ないかの違いだけです。

例えば昔を表すのに「セピア調の色にする」「モノクロにする」「絵にノイズを入れる」等としても自然に見れます。しかしもちろんセピア調の風景何て実際にはありえないし、昔に見た事も無いものです。でもなぜか不思議がらないのが人です。

音楽もそうで、物語には音楽が裏に流れますが、これは客にしか聞こえない不思議な音です。客の為にある、客にしか聞こえてない、客の次元にある物が「音楽」です。

ちなみに、普通の実写映画も作り物なので、デフォルメ具合が違うだけで実はアニメと変わらないのです。

そしてアニメはもっと印象で多くが出来ている物です。だから印象の多くを具現化して見せた「田園に死す」は似た所にある物ですね。アニメ作りの方は強く参考になると思います。

 

しかし「田園に死す」は、それでも整合性がとれるようにメタ的には気を付けてましたね。これがある男の昔の思い出や印象や夢を表している、と言う物語にして「不思議な世界もただの男の頭の中の話」として成り立つようにしてました。

エヴァなんかは異次元の科学力がある世界なので、不思議な物も成り立つようにしていて、これも整合性がとれてるように(見える様に)してました。

イクニさんも、魔法少女的な不思議な事がそもそもできる子達の物語(ピンドラ)や、あの世、もしくは妖怪の力、等が前提とあり、不思議なメタファーが成り立つようにしてました。

 

これは見やすくする為に必要であり、良い事だとは思います。

あまりに納得が出来ない物語だと、ノイズとなり物語に集中出来なくなるからです。

でも、もう一度言うと、そもそも「音楽」は外の世界にある不思議な物であり、セピア調の昔の絵も成り立つのだから、実は納得すればもっと「そこにはありえない物を出す」物語でも成立するのだな、と思えてきました。

アニメ「花とアリス殺人事件」の絵で、外側に謎に赤く塗ってある時があるのもそうです。このアニメのない筈のものも描くと言うやり方は、自然に見えるので正解なのでしょう。

つまり結局は、見ている人が納得できれば「そこにある筈の無い物が、あってもかまわない」のだと言う事です。

 

田園に死す」は、実験的に見えて、実はしっかりしてる映画でした。

そしてこの映画の作りから、物語の作りに参考になるし、特にアニメには似てる所があるので参考にしてもいいかと思います。