ちょっと今回は雑な考察です。勘弁です。
アニメ「少女革命ウテナ」の事です。
たぶんテレビ版を全て見ればもっと分かる筈ですが、今更39話なんて見てられない。
1話と最終話、後は映画版だけ見ました、
そしてネットでの他の人の考察を見ただけの情報です。
元々はアニメ「レヴュースタァライト」の途中まで見ていて、ウテナの影響もあるのかな? と考えた事から浮かんできました。
そこから思えた事として(これは考えすぎかも知れませんが)アニメ「ワンダーエッグ」がこのウテナを模したのかもな? と思えてきました。
ワンダーエッグが「一人の人の中の話」だとして、それが模した物なら「ウテナ」もそうかも知れないな? と思えてきたのです。
漫画家の山田さんが「ウテナとアンシーは同一性があり、自分を救い取り戻す話だ」みたいな事を、確か言ってたと思います。
見て無いので「へー、そうなんだ」と言う感想なのですが、これは「そう言うメッセージだ」と言うレベルかと思ってました。
しかしそもそも物語としても、アンシーの内部の物語だった気もしてきました。
つまりウテナなんて始めからいなかったのです。
ネットによるとアンシーは開花の意味だそうですね。
そしてウテナはそれを守っている(もしくは支えている)「がく」の意味だそうです。
つまり、二つで完璧な花です。なのでそもそも同一人物ですね。
これが物語上本当にアンシーが魔女なのか? は分かりません。
ただ映画版で、周りのモブが最後の方で「藁で出来た人形だった」みたいなシーンがあったので、そもそもがアンシーが作った世界の、アンシーが作った人形たちだった、と言う話なのかもしれません。
もしくは、アンシーの精神世界の話だった、のどちらかでしょう。
ウテナでもワンダーエッグみたく途中で謎解きみたいな話があるようです。22話あたりの「根室記念館」あたりだそうです。
ここで時を操るとかなんだとかの、この不思議な世界の謎解きになりそうな話が出て来るようです。
しかしこれがそもそもアンシーが作った自作自演の話だったとしたら、この話自体もアンシーの考えた脳内設定だったかもしれないのです。
つまり22話あたりは、あてにはならない話だと言う事です。
そしてそうだとしたら、それを模したのが「ワンダーエッグ11話」だった事になります。ちなみに、模したとしても「真似」と言うレベルではなく、面白い設定を自分なりに作り替えた、とても良く出来た作りだったと思います。
テレビ版で最後ウテナが消えてアンシーだけが残る。
これも元々アンシーしかいないのなら納得できます。
アンシーを救い出したが、ウテナは失ってしまった。
つまり、死んでいるように流されて生きていた自分の半分(アンシー)を救いだしたが、もう半分(ウテナ)は傷付き無くしたので、それさえも見付けにこの場所から、つまり自分で作り上げた、閉じこもる自分の部屋から出て行く話です。
映画版も最後の方でウテナは車になりアンシーが運転します。
これもアンシーの方がそもそもの主なのが分かる作りです。
ウテナはあくまで自分を守る「がく」的存在であり、自分を守るもう一人の自分なのです。
ではそうなると「ディオス」すらいたのか? が問題になります。いなかったかもしれないのです。兄もそもそもいなかった。
もちろん、兄はいて、それを堕落させたのがアンシーだとも取れます。
純粋だった兄を(間接的に)おかしくしたのはアンシーだった、と言う話でも通ります。
しかし「そもそも兄さえもいなかった話」だと思った方が面白いですね。
つまり自分の中で作り上げた理想の兄、そして理想の王子様。
だった筈なのに、大人に近づき現実を知り理想が成り立たたなくなり、しかしそれにすがって生きている。
もう王子様なんかいないと知っている年になっても、ずっと自分だけを見てくれる兄なんかいないと分かっていても、それにすがって生きている事を表すのが近親相姦です。
おかしな兄が妹にすがっている。しかしその兄がアンシーが作ったのだとしたら? それは、実はアンシーが幻の兄に、そして墜落した王子様に今でもすがっていると言う事です。
自分自身が作った幻、つまり自分です。それに寄り添っているから近親相姦なのです。
そしてそれではダメだと分かり、作り上げたもう一人の強い自分。それがウテナです。
しかしそれさえも幻の王子様に負けそうになる。
アンシーの心の弱さから、強い自分の化身ウテナさえも、幻の兄の幻想に取り込まれそうになる。だからウテナも兄と寝てしまう。アンシーの今のままでいいだろうと言う弱い心が、勝ちそうになるのです。
つまりメッセージとして「ウテナとアンシーは同一人物だった」と言う話だけではないかもしれないと言う事です。
話上でも「同一人物だった」かもしれず、そもそもあの世界自体も、そして全てのキャラ自体も全てアンシーの脳内設定だった、かもしれないのです。
そうなるとアンシーが魔女で「本当にあの世界をこしらえた」かもしれないが、そうではなく「アンシーの脳内物語」だけだったかも知れず、そもそもそうなるとこれはどちらでもいい話になるです。
ちょっと話はずれますが「ワンダーエッグ」はウテナが元だから卵を割れなのかな? と思えてきました。
(ウテナでは何度も冬牙が「卵は世界だ。世界の殻を破らねば、我らは生まれずに死んでいく。世界の殻を破壊せよ」と言ってたようですね)
ウテナがこう言う設定だったとして、それに気が付き、そしてそれを再構築したのが「ワンダーエッグ」だったとしたらやはり「よくやったな」と思えます。
だからこそ、表がまとまらなかった最後が残念でなりません。
そしてアニメ「レヴュースタァライト」の方はウテナよりやはり「ユリ熊」に近い気がします。これはまだ見てる途中なので、見終わったらまた話します。
ただ「レヴュースタァライト」もうそうですが、実は影響したと思える話が探せばある物ですね。「マギレコ」なんかもそうですしね。
難しい、そして分かると面白い謎を持ってくる話は楽しいので、その作りをやっていくクリエイターが増えていく事を願います。
なんか近親相姦とかある話で、ちょっとやりすぎ、もしくは狙い過ぎな気がしてました。
しかしそれさえも実は脳内近親相姦かもしれないのです。
自分が作り上げた自分自身の理想の王子様。いくつになってもそれと離れられない事を表す暗喩だったのかもしれないのです。
そう考えると、思ったよりウテナも良く出来た話だったのかもしれません。
ただそう思っても39話は見れません。あしからず。
ウテナは幻だった、とすると少し悲しいですね。
しかし最後自分を救うのは自分しかない。
他人は手をかせても、救う事は出来ない。
自分で自分を革命しろ、と言うメッセージだったと思います。
自分を変える(弱さもあるけど)自分の強い心、それがウテナだとすれば、そう悪い話ではないでしょう。
ウテナは自分だったのです。
2021年7月26日 追加
ウテナ22話「根室記念館」と23話「デュエリストの条件」と38話「世界の果て」を見て、最終話39話も見なおしました。
なるほど、寺山修司の影響が入ってると分かる訳ですね。
そしてアニメ「ワンダーエッグ」は、やはり「ウテナ」が元で、「ピンドラ」やたぶん「ユリ熊」も分かってますよ、と言う事を言いたかった気がしてきました。
いくら元ネタがあると言っても「ワンダーエッグ」は良く出来てましたね。やろうと思ってもなかなか出来ないレベルで出来上がってました。
ただ「ウテナ」は幻の王子様がいる自分世界から脱出する話でしたが「ワンダーエッグ」はそうなってませんでした。作った世界の終わりをちゃんとしてなかったと言う事です。
しつこいけど、だからこそ表がちゃんと終わらせれば歴史に名が残った事でしょう。
「ウテナ」はたぶん物語上の設定より、メッセージの方が大事だとは思いますが、この物語は設定が分からないと何やってるか分からないので、設定を理解する事が必要です。
22話23話の内容も、最終話の内容も、やはり全てが「アンシーの脳内物語だった」と見ないと何やってるか分からない作りです。
22話なんかワンダーエッグと同じで、鏡写しが多かったですね。
それにキャラ同士をかぶせてきますね。
つまり全てが鏡写しの様に元から写された存在で、全てのキャラが同じ人だと言う事です。
あの世界全てが「アンシーの脳内世界」です。
そしてなんとなくではなく「はっきりした暗喩の答えがある物語」が寺山修司です。少なくとも映画版はそうでした。
私は始めは分かりませんでしたが、イクニ作品もそうでしたね。
寺山修司の影響があるからそうなるのでしょう。
ではどちらが良いのか? なんとなくの暗喩があってどうとでも取れる物語か? はっきりした答えがある物語か?
もちろんケースバイケースですが、はっきりした答えがある方が良い場合が多いと思います。
そうする事で、一本筋が通るからです。
例え暗喩が分からなくても、何をやってるかは、元があると筋が通ってるようにちゃんと見えるのが不思議ですね。でもそう言う事です。
一本筋が通るので、誤魔化しにもならず、子供だましにもならない。
だからこそ、寺山修司が誤魔化さず騙さない人だと言う事が分かるのです。
22話なんて、これらを分かり見ると面白いと思います。良く出来てましたね。
焼いて殺した奴らはアンシーの多重人格です。
死んだ子供も同じで人格の一人。
他を殺す、つまり無くす事で、自分の人格は残る、と言う事です。
デュエリストもそうで、アンシーの人格として誰が残るのかを競っている。
兄や王子様は、アンシーがいつまでも子供みたくすがっている幻です。
そして殻に閉じこもっている、つまりニートです。それが棺桶なのは、死んだような状態だと言いたいのです。
そこから出ないといけない。幻につかっている毎日から、閉じこもっている家から出ないと行けないのです。
じゃないと無数の剣で刺され苦しむ。次々生まれてくる幻、そして人格、それらを殺してバランスを取っている毎日は、自分を刺すようなもの。そしてそんな毎日は自分を苦しめている事だと言いたいのです。
最後アンシーがウテナを刺すのは、このままでも良いと言う弱い心に負けそうになるから。
幻の王子様、大人になりもういないと知っている王子様、それがメリーゴーランドで回る、いつまでも同じ所で留まり回っているだけの幻です。
だから王子様の後に兄が出て来る、兄なら「いるだろう」、「いてもいいだろう」と言う幻。
その弱い心と戦う「女の自分」が「ウテナ」です。
アンシーはそのウテナを刺し、拒絶しそうになるが、それでも最後は扉を開ける。強い心の象徴のウテナが開ける。
ウテナを失ったと言う事は、アンシーは強い女であるウテナになったわけではないけど、幻の家から出て行く勇気はもらえたから、出て行くのです。
いつもウテナの様に戦える強い人になる為、ウテナを探しに行くのです。
兄はウテナを「昔の自分と似ている」と言います。兄の昔の自分はディオスであり王子様です。男の王子様は他人で幻であり、戦っても救ってもくれない。
戦うのも救うのも、女の自分の強い心である「ウテナ」だったのです。
他の場面もアンシー物語だと分かって見なおすと納得すると思います。
正直、数話見ただけでも、思ったより「ウテナ」も良く出来てたのですね。
本当に、あなどってはいけませんね。
ちなみに、本当にちなみなので、冗談半分で聞いて下さい。
チュチュは何なのか? たぶん宇宙人です。
そして前まではライオンの着ぐるみを着て誤魔化してた筈です。
最後、アンシーは幻の学園から出て行き、どうなったのか?
たぶんジャンと結婚したのでしょう。
なんで姫宮なのか? もちろん自分が姫だと思いたいと言う事でしょう。
その他には、実際元々姫なのです。本当に兄もいました。死にましたが。
アニメ「ふしぎの海のナディア」ですね。
アンシーの髪と目と肌と服の色、それに姫、まさにナディアじゃないですか。
イクニさんは、どこまで庵野さん好きなのでしょう。もちろん冗談でしょうけど。
そして庵野縛りにより、ピンドラに繋がるのです。
さらに、さらざんまいまで突き進む事は、また別のお話です。
2021年7月29日 しつこく追加
映画「アドゥレセンス黙示録」見なおしました。
ちょっと見てみようと思ったら、最後まで見てしまいました。
始め見た時は正直そこまで面白くもないし、何やってるかもわからなくてイライラしました。
しかし今回ここまでこのブログで書いた事を思いながら見ると、面白いですね。
つまりネタバレで見た方が全然見れる物語です。
皆さんも、もし見る機会があったらアンシー脳内物語だと思い見て下さい。
そう思って見ると、全てに納得がいく物語でした。
2021年12月23日 ちょっとなので、ここで追加
Youtubeで2005年の「BSアニメ夜話」が出てきて、映画版ウテナの事を話してました。
岡田斗司夫さん若いな、とも思いましたが、脚本の榎戸さんが出てました。こんな人だったのですね。
イクニさんとは高校からの繋がりらしいですね。それも含め、脚本だからやってる内容も、もちろん理解している。
ここでちょっとネタバレしてます。この話は「心象風景だ」と言ってました。
ここで岡田さんが詰め寄るのですが、ここは流石ですね。「客から見ての心象風景なのか? 誰かキャラから見ての心象風景なのか?」と聞きます。
それに対して榎戸さんは「最後に出て行った人の心象風景だ」と言います。つまりアンシーかウテナになるのですが、まあアンシーしかいないですよね? だってウテナ車だったし、アンシーが大事なのだと強く言ってるのです。
最後のウテナが車になる所も言ってました。映画版を作る始めからイクニさんが「ウテナが車になる」と言って始めたようです。
それに対してスタッフは「なるほど」と思ったようなので、皆で分かっていて作ってたのですね。まあじゃないと作れないか。
ウテナはビーパパスと言う会社? 集まり? を作ってやったようです。そしてウテナが終わり解散したようです。
これを聞いた岡田斗司夫さんが「それで正解」と言ってたのが面白いですね。
「オネアミスの翼」を作る為に作ったガイナックスは、オネアミスが赤字だったので止めれなくて続けたようですからね。そして続いたガイナックスは、ずっと問題を出していく事になるのです。
まだ岡田さんがガイナックスにいた時に、庵野さんが作ったアニメ「ナディア」が関係しているとは、たぶん気が付いてないのじゃ無いのかな? なんて思って私は見てました。不思議な縁ですね。