号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

ライダーマン

アニメ「ワンダーエッグ・プライオリティ」ネタバレです。

つまらなくなるので、それでも良ければ見て下さい。

それと今回の考察は、はっきりあってるとも言えないので、その程度でもあります。

 

アニメは終わってみたが、まだ話が途中の様なので総括は止めようかと思ってました。

しかしだとしたら、なぜここで終わりなのか?

もちろん、終わらせたくなかった呪いにかかってたのは間違いが無いと思いますが、なぜここなのか?

それは、やりたい事は既にやっていたからですね。

野島さんにとって大事な所はもうやっていて、これ以上で数話で出来る事だったらつまらなくなるだけだから止めたのでしょう。

 

たまにYoutubeで出して小銭を稼ぎたい衝動にかられます。

しかし物事には量の問題があります。

これらの知るとつまらなくなるネタバレ的考察が、どの程度の人に必要なのか? と言う問題です。

たぶんそれほど多くはない。

わざわざ文字で読んでまで知りたい人位が知る、その程度が正解な気がしてきました。

だから私は今後も細々と文字で書いて、ネタバレ的考察をしていくでしょう。

 

この考察ブログは、アニメ「輪わるピングドラム」を見たから始めました。

言いたくなるアニメでしたね。

しかし私よりも前に、ピンドラの裏でやってる事が分かったのに言わない人もいる。いや、言えない人もいる。プロの方々ですね。

泥犬さんは分かってる筈です。マギレコに「分かってますよ」と入ってるからです。

そして野島さんも分かってた可能性が出て来ました。もしかしたら考えすぎかもしれませんが、ピンドラに触発されて作ったアニメがワンダーエッグな気がしてきました。

なぜか? それはワンダーエッグもまた「三重の構造になってる話だ」と言う事です。

 

表は見た通りなので説明はしないです。

 

そして裏です。

「大戸アイ」の「アイ」は「目」ではなく「私」です。

誰の? 「大戸多恵」つまり「アイの母」の内面世界の分身ですね。

「リカ」「ねいる」「桃恵」の三人も「多恵」の内面世界の分身です。多人格の病気ですね。

これらはここのブログで前に書いたのを見て下さい。(始めの方は特に)中には間違った予測も含まれますが、この「母の内面世界だと言う暗喩」の所はあってる筈です。

この暗喩やヒントが、本当に数多く入ってます。一個一個だと可能性が薄いけど、これだけ多いとなるとまず間違いがないでしょう。

オープニングが卒業ソングなのは、もう卒業している大人だと言う事。

エンディングがライフイズサイダーなのも「人生はサイダーの様なもの」であり、サイダーは「次々と生まれてくる泡、そして消えていく泡」に多重人格が表れては消えていく事を表してます。

つまり11話もまるっきり嘘になります。だからフリルとかひまりとかは、何も解決しなくても良いのです。全て多恵の脳内物語で、嘘だからです。

死の誘惑は、単純に病んで自殺してしまいそうな「多恵」の事です。

そして内面世界の人格は、ストレスで生まれる。だからそれを無理やり消す、つまり殺していくとストレスだけが残る。

だから殺してはいけなく、解決させる事、成仏させる事が大事なのです。

それがワンダーキラーと言うストレスの象徴を消し去って行く行為です。

 

では小糸などは何なのか?

これは人生で解決出来て無かった大きなトラウマなのかもしれない。

もしかしたら本当に自殺した友達(と母親)の記憶かもしれません。

その中で小糸はたぶん多恵の母です。14歳で多恵を生んで死んだのでは無いでしょうか? 小さい糸でかろうじて結ばれているかの存在、と言う事です。

もしくは多恵がストレスから自分の中で死んだ事にしてきたか? のどちらかでしょう。

だから脳内で生き返らせる事で、自分の中での和解であり、解決になるのです。

昔の自分の中のトラウマなので、もう仲良くなる事もないのです。

「嘘の世界で仲良くありたい」と思う事がなくなる事が、解決なのです。

 

前に言った様に、お助けキャラもワンダーキラーと同じ、その人のトラウマの象徴です。

ワンダーキラーを消す事がトラウマの解決になる様に、お助けキャラも消す事が解決なのです。

すがりたいけど、すがってはいけない心の逃げ道、それがお助けキャラです。

例えばカメレオン、これはいじめがあっても見て見ぬふりをして、隠れて自分を消して見せる事の象徴です。

これがアイがしてきた事であり、逃げ道でもあり、トラウマでもあるのです。

そしてアイのワンダーキラーは死んでない。それを解決させるために、見て見ぬふりをしない事が大事です。だから最後ねいるを助けに行く事で解決するからこそ、ここで終わるのです。

ちなみにねいるはヘビでした。丸呑みするような会社での力の事でしょう。会社の事なので、大人の頃のトラウマです。もしかしたら多恵の今現在の悩みかも知れない。だからこそこれも最後まで解決されない終わり方であり、ヘビが死ぬシーンも無いのでしょう。

 

リカは1995年のトラウマです。多恵の子供の頃に作った人格であり、だから子供っぽい名前なのでしょう。

桃恵は武器が傘だったのでレースクイーン時代で、実際は20代ですかね? だから長身です。

アイが多恵の14歳の頃のトラウマであり、多恵の今の主なる分身なのでしょう。アイが主なる分身だから、他の人も引っ張られて皆14歳なのでしょう。

 

沢木先生は、たぶん本当の医者の先生かな? なんて思っています。

意味もなく沢木先生のカバンがアップの絵が出た時があったので、たぶん医者の道具か資料が入っていると言う事でしょう。

多恵と付き合うと言うのも、この先生に治療をゆだねる事の、脳内解釈な気もします。

だから最後沢木先生が出て来なくてもいいのです。そもそも対した意味もない人なのですから。ただ実際の子供時代の先生と、多恵の母が先生と何かあった事のトラウマが重なり出来ている存在、だとも取れます。

桃恵は、沢木先生が作り出すのに手を貸した、昔のトラウマを解決する為の人格だとも取れます。だから同じ沢木なのでしょう。

 

これらがとても上手く隠されている物語でした。

しかし問題は「裏が分かっても面白くはない」と言う事です。

だからこれを最後どうするのだろうかと思っていました。単純に答えを出しても、面白くはない答えだからです。

だから私が思ったのは、表を解決させて、裏は分かる人だけが分かる様に隠したままだろう、と思っていました。

しかし実際は表自体も解決されず、これだと失敗だと思います。

裏の答えを出してもつまらなくなり、表は終わらせたくないとすると、こんな意味不明は終わり方になりそうです。

 

ではもう一度。

でもなぜここで終わりなのか?

なぜこんな分かってもただつまらない裏設定をもってきたのか?

ネットの感想を見ると「まるでテレビ版エヴァの最終回を見てる様だった」といくつ出て来ました。しかしもしかしたら、ワザとかもよ?

 

それは、このつまらない裏設定が、そもそも何かの暗喩になっているからでしょう。

そう思うと、一見訳が分からない作りなのだが、納得するのです。

つまりピンドラと同じ三重構造をやってきたのです。

そしてだからこそエヴァとも同じであり、だからわざとエヴァっぽい、全部投げ出したかのような最後にした可能性も出て来るのです。

そうなると田園に死すとも同じ三重構造になる。野島さんの始めのテレビドラマの題名は「時には母のない子のように」ですね。寺山さんの作詞の歌から取ってます。これは偶然か? 否か?

 

ワンダーエッグにはキャラメルコーンが出て来ます。しかもアップで映し、意味が強い事を表す。

キャラメルコーンは1971年生まれだそうです。

そうすると1971年生まれのキャラがいる筈です。しかし多恵は流石にそこまで年は取ってないように見えます。スマホがあるので、ほぼ現在の設定の筈です。

だからこそ多恵の母の可能性が見えてきます。

そしてしつこい14歳の呪縛。

そしてワンダーエッグの名は、たぶんナムコワンダーエッグからでしょう。

これらのヒントが合うような設定を考えると、1971年生まれの多恵の母が14歳の時、つまり1985年頃多恵を生み、その後自殺する。

その後多恵は色々精神的に病みながら大人になる。

1985年生まれなら1999年頃に14歳になる。これがナムコワンダーエッグの閉店まじかの年になり、その時代の脳内自分がアイになる訳です。

多恵は14歳の頃の自分を思い出す事により、14歳の頃の未熟な多恵の母の行動を許せるようになる。

だからこそ現在に14歳の頃の自分の分身を作る事に手を貸したのが、沢木先生だと言う事です。

 

ただなぜ1971年生まれなのか?

そしてなら多恵の母が大事な筈なのに出て来ませんね。

小糸が母の化身だとは思いますが、最後扱いがぞんざいです。つまり無かった事にしない位で良い軽いトラウマにも見える。

実は思ったより軽いトラウマであっても、「物語としての」存在がぞんざいなのです。軽いトラウマなら物語にはいらない。なら、なぜこんなどうでもいい扱いなのか?

それは本当に言いたかった事が、そこでは無いと言う事でしょう。

 

これらの不自然さから、それらを解決する、物語全体を覆いかぶさる暗喩がある筈です。

それは何か? なぜピンドラとかけてくるのか?

たまたま最近1971年生まれの女性を知りました。違うかもしれませんけど、たぶんこの人でしょう。

この人こそが、安野モヨコさんです。

 

安野モヨコ物語だとしたら、この不気味な話が自然に見えてきます。

沢山作られる自分の分身。これらは多恵の多重人格です。

しかし暗喩として多恵がモヨコさんなら、この沢山の人格は、漫画のキャラと言う事になるのです。

作られ消えていくキャラであり、モヨコさん自身か、周りの人かは分かりませんが、トラウマの化身がモヨコさんの漫画のキャラでしょう。トラウマか問題を抱えた人の漫画を描く人らしいですからね。

つまり1971年生まれがモヨコさんの本名(知りませんけど)の本人だとしたら、1985年頃に作られた子供、多恵が安野モヨコさんと言う芸名の漫画家誕生と言う事でしょう。

そして多恵の沢山の脳内分身が、モヨコさんの漫画のキャラの事になるのです。

 

安野モヨコさんの漫画は見て無いので良く分かりません。

なので、どの程度この人の漫画のキャラと、ワンダーエッグの内容を合わせて来たかは分かりません。

もしかしたら、大して合ってないかもしれません。あくまで元ネタ程度かも知れません。

ただ1995年に始まったのが「ハッピーマニア」だそうですね。1995年生まれがリカであり、その母が自由奔放で、リカの父が誰か分からないと言う話でした。このリカの母と、ハッピーマニアの主人公を合わせて来たかのようには見えます。

 

知らべても野島さんと安野さんの接点は見当たらない。

イクニさんは庵野さんを知ってるから、それを使っても許されるかもしれないけど、他人なら勝手に暗喩として使う事はどうなのかな? と思います。

でもだからこそ、1971年の本人は出て来なくて、その子供の多恵が出て来る。あくまで公で出て来る安野モヨコさんとしてなら、暗喩として使っても良いだろうと思ったのかも知れません。

 

野島さんが、ピンドラがエヴァの暗喩だと気が付いたのなら、この作りに納得がいきます。

今度はその女性版としてダブルアンノのもう一人、安野モヨコを暗喩として使ってきたとも考えられます。

さて、どうでしょうね?

 

これが合ってるとした場合は、これが三重の底の暗喩になり、これももうアニメの中でやり倒したと言う事になります。

だから、あのあたりでもう終わっても良いのでしょう。

やるべき事、やりたい事を概ねやってしまってるからです。

 

でもだからと言ってあの終わり方では、見てる人には投げっぱなしに見える。

しかしそれさえもエヴァに似せてきてるなら、ワザとかも知れないと言う事です。

ちなみに、ワザとであったとしても、間違ってると私は思います。

やはり表はそれなりに終わらせるべきだったと思います。

 

さて、三重構造があってるとしたら、そこはとても良くやったと言う事です。

これは気が付いて、そしてやろうとしても、そうそう出来る事では無いと思います。

だからそれを出来た事は流石としか言えない。

田園に死すエヴァやピンドラと、この分野では肩を並べたのです。

ただ他の作品は表も良く出来てました。エヴァは25年かかりましたけど、最後は表も終わらせてきました。

だからこそ残念です。

表さえも綺麗にまとめていたら、この作品も歴史に名を残せたのに。

難しい所はもう出来ている。だからここから一年か二年か寝かせても、表も終わる様にしてほしかったですね。

ただただ、残念です。

三重構造をやり切ったヒーローの、第4の使者はライダーマンでした、と言うオチです。

(1号によく似た2号ライダー。技の1号、力の2号です。エヴァは力技にも見えます。1号と2号が作ったのがV3ですね。これら2つの影響から作られたピンドラです。父よ母よ妹よ、と歌ってましたね。Ⅴ3に出て来た改造されてないヘルメット男が、ライダーマンでした)

 

 

2021年8月6日 追加

 

ちょっと漠然とし過ぎているのだけど、アニメ「レヴュースタァライト」考察から、青沼ねいるが、犬カレーさんじゃないのかな? と思えてきました。

ねいるが青沼で色黒だから泥犬さんで、寿がオッドアイアルビノから2白犬さんかな? と思え、ねいるが寿から作られた事から、二人とも元は遺伝的に同一人物と言う設定も含め、ねいるがユニット名「犬カレー」になるのかな?

そうなると他も変わってくる。

はっきりしないのだけど、1971年生まれは寺山修司さんの初めての大作映画の「書を捨てよ」が出た年なので、この事かな?

その影響から生まれた人、多恵がイクニさんか?

沢木先生が庵野さんで、同じ苗字の沢木桃恵がモヨコさんか?

リカとアイは分からないけど、アイは「I」なので、イクニさん自体かも知れない。

だから多恵が作った一人にひまりがいて、フリルがユリ熊の台詞みたいな事も言う。

つまり、すべて「イクニワールド」関係の人(実在の人と作られたキャラ)で作ったのが「ワンダーエッグ」かもしれない。

ピンドラが「庵野ワールド」なので、それをもじったと思えば納得がいく。

この事に「レヴュースタァ」の監督が気が付き、少し入れたのかな? そうだとして時間的に映画に間に合うのかな? とは思うけど。

など、今一分からない事が多いけど、「イクニワールドだった」の方がすっきりする説明に思えてきました。

 

2022年9月1日 追加

 

一年経って、落ち着き、改めてこのアニメを思い返してみたら、やはり「イクニワールド」に感動して描いたアニメだったと思います。

しかし、表の物語が完成できてなかったのが問題です。

そして裏にある設定、多恵の脳内物語だというのも出来上がってない。

さらに、その裏にある暗喩、つまりイクニワールドと言う暗喩の方も出来上がっていないと思います。

もしかしたら、始めはこれでいいと思ったのかも知れませんけど、実際はただの未完成作品です。

結局、イクニさんの物語もそうだし、寺山さんの物語もそうですが、意味があって一本筋が通るように完成させた事の、見事さが分かっただけでした。

しかしねえ。途中までかなり上手かったと思いますよ、ワンエグは。

何度も言ってるけど、だからこそ残念ですね。

ただただ残念だと思い返した、一年後でした。