号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

誰のプライオリティ

アニメ「ワンダーエッグ・プライオリティ」特別編、感想です。

この物語は途中エンドなので別に言う事も無いのですが、今まで予想をしてたので責任を取って、気持ち位は書きます。

 

はっきりした情報では無いのだけど、ネットによると、どうもブルーレイにのっている脚本の野島さんのコメントで「12話で終わらなかった」とあるようです。

 

「始めは終わらせる予定だったけど、色々アイデアが出てきて膨らみ過ぎて終わらなかった」みたいですね。

もちろん「終わらなかった」のではなく「終わらせたくはなかった」と言う事です。

 

気持は分かります。

上手く行きすぎたのです。

やりたい事を裏で隠しながら小出しで出していく。上手く行けばとても面白い筈です。

しかしだからこそ足元をすくわれましたね。

 

結局、私が思っていた違和感が当たってたと言う事になります。

客を見て無い。

自分がやりたい事をやっただけ、と言う事です。

 

しかしそうであったとしても、客ありきの物語です。最低限やるべき事はあります。

客を満足させれなければ続きも作れないと言う事です。

だからとりあえず、終わらせるべきだったと思っています。

始めに考えた物を出し、一度それで終わらせる。

その後にまだやりたければ、そこからやればいい。

 

例えば一度全てが終わり、あの世界は全て夢だったとします。

そして普通の生活が始まるが、家に帰ると家のダイニングでワンダーキラーが飯を食べている。

「そんな訳ない。あれは夢だ」と思うとワンダーキラーに襲われる。

その時に「ねいる」か誰かに救われる。

「あなたもいない筈、これは夢だ」と言うが、ねいるに「まだ混乱してるのね。さあこっちに来て」と手を引っ張られて二人で窓から飛び降りる。

で、終わる。

等とした方が良かったでしょう。

そうすれば、この後にも続けられるし、客の興味も引けたはずです。

 

しかしこうすると「裏で隠して、誰も分からないヒントを置いて行く」と言う事は出来なくなる。

これをやるのが面白く、だからこそ基本を一度終わらせられなかたったのでしょう。

終わらせられない誘惑です。

これは最後のアイの行動そのものです。

「私のプライオリティ」の私とは野島さんです。

自分のやりたい事を優先してしまい、全てをだいなしにしてしまったのでしょう。

残念ですね。

物語の不自然さ。そこからくるアイの行動。

アイとは私です。そして野島さんです。

野島さんの最後に殺せなかった自分の誘惑が生み出した不自然さが、最後のアイのダブルピースの不気味な行動です。

殺さなければならない物を、殺せなかった物語になりました。

 

最近強く思ってる事は「自分しか見なくなる作り手が多い」と言う事です。

客を見なくなった時点で失敗です。

物語は客とのコミュニケーションです。

例えば一対一で話をしていて、自分ばかり話していてもコミュニケーションは失敗です。だからと言って相手ばかり話をしてても失敗です。

その間を模索するべきです。

 

殺さなければならない物を殺せなかった。

これは一見死の誘惑から逃れた事に見えます。

上手く行ったかのようにも見えます。

しかしそれで他のものが死んだと言う事です。

それゆえに物語が死んだのです。

物語と野島さんがシンクロしてしまいました。

もし続きがいつの日かあるのあなら、アイの死に対する決着物語になるのは分かりますね。

アイとは野島さんの事です。

 

 

2021年7月2日 追加

 

いつもの通り、時間が経って冷静さが戻ってきたので、もう少し内容の事を言います。

 

ねいるがウサギスリッパで一人二役やってましたね。最後だし、やる事が露骨になってきます。

気のせいか? ピンドラのひまりもウサギの靴はいてませんでしたっけ?

「わがまま」って言ってました。「わが、まま」ですよ。

 

リカたちとは自然消滅と言ってました。

リカたちのお助けアイテムは死んでしまった。殺されてしまった。

しかしこれがワンダーキラーと同じものであり、その人の抱えているトラウマの化身だとしたら?

ワンダーキラーをやっつける事で、トラウマを消し去ってきたのです。

だとしたら、実はお助けアイテムが死んだのは、トラウマが死んだのです。

なので他の子と同じで、リカたちも自然と消えていくのです。

だから自然消滅だったのです。

 

フリルは殺す事により多重人格を殺していく役です。

ただ殺すのではなく、自分で死ぬように誘う役です。

しかし(間接的であっても)殺すのではなく、トラウマを解決して消していく、つまり成仏させていく方が良いと気が付いたのででは無いのか?

誰が? これが先生では無いのか? やはり本当は、医者の方の先生では無いのか?

フリルに誘われ、ねいるは死ぬ。

成仏させず、ただ死ぬと、トラウマが残るのでは無いのか?

だからねいるのトラウマは生きている。

最後、今度こそねいるも成仏させる為にアイが救いに行くのです。

 

ちょっと時間が経ってたので、自分の予想すら忘れてました。

私は前に、一つの可能性として「死んだ人を復活させる事は、死んだ母を復活させる事だ」と思ってましたね。忘れてました。

自殺した顔も知らない母の可能性が、あの死んだ四人だとしたら(あんなだったかも? と言う四種類の予測と言う意味)、それを復活させるのは、自分の中で無かった事にしないと言う事です。

そして和解です。自分の中での決着です。

 

(7月6日追加、小糸は小さな糸で繋がれてる存在の様な者であり、亡くなった母である可能性が高いと思う。

しかし他の三人は、他の時代にいて自殺した近しい者だった可能性もありますね。

1995年頃の知り合いでなくなったのがリカの友達。

そしてもっと後の世代の知り合いがももえの友達かも知れない。ももえは武器が傘だったので、その頃レースクイーンでもしてたのでしょう。

そして現在のトラウマ的存在として亡くなったのがねいるの妹になる。たぶん母は仕事をしていて、そのライバル関係で年下の知り合いが、仕事で負けて死んだのでしょう。

 だからワンダーキラー的トラウマの象徴であるお助けキャラは、敵を丸呑みしてしまうヘビなのです。

そして最近のトラウマであり、まだ解決されてないからヘビも死んだシーンが無く、ねいるも救われなかったのだと思います)

 

ただ小糸等とは仲良くは無くなる。

逆に言うと、仲良くありたいと言う気持ちが作った友達だった、とも取れる。

それと仲良くならなくなると言う事は、もういいと言う事です。

死んだ母の亡霊と仲良くなりたいと言う気持ちに整理が付く。

ただ少しは未練がある。だからまだ仲良くありたいとも思う。

しかし最後気が付く。それよりも「ねいる」の方が大事だと。

この気が付いた時、アイは胸のあたりの服を掴む。自分の中の方が大事だと気が付く。

アイにとってねいるは自分です。

だから「死んだ母のトラウマ」より、今の自分自身の方が大事で、向かい合うべきだと言う意味です。

 

こう見ると、結構良く出来てましたね。

 

ただ、ねいるを救うのが自分を救うのなら、まだ多重人格に見える。

やばい奴にも見える。

もちろん精神疾患ではなく、ただの象徴や暗喩だとも取れなくもないけど。

だとしても、他人がいない。

どこまでも自分の一人物語です。

一人ぼっちの人形ごっこ遊びでしかない気がする。

ここからは、他人が必要では無いのか?

やはり自分問題にはけりを付け、そこから「リアルな他人を巻き込む話になりそうだ」と言うあたりで終わった方が良かった気がします。

 

気のせいかもしれないけど、監督か誰かピンドラ気にしてませんかね?

あれは答え合わせをしないミステリーです。

このワンダーエッグもそうだったので、だからこそピンドラを何処かで意識しなかったのかな? と思います。

 

そしてピンドラにはエヴァは切っても切れませんね。

エヴァは内面世界から、外に向かっていく物語です。

もちろんイクニさんも外の世界、つまり本当の現実をどこまでも意識している人です。

だがワンダーエッグはまだ内面だけの話なのです。

しかもまだ内面の自分戦争のケリもついてない。

このどこまでも内面世界からの殻を壊してないのが、不気味に見える内容なのです。

 

アニメをやってる為、庵野さんもイクニさんも現実と虚構の問題を、それこそ何十年も考えて来たのでしょう。

だから野島さんでもそこまでたどり着けてない気がします。

どうもこの「虚構に向かい合う」と言う内容なのに、その辺の詰めが甘いです。

でもまあ無理な話です。流石に年季が違いますからね。

 

まとめると

これがあってたとしても、やはり、いくらなんでも分かりにく過ぎますね。

もっと表上だけでも分かりやすくしたら、評価が違った事でしょう。

客に向き合うべきです。

ピンドラは表は分かりやすくなっていますし、シンエヴァもそうしてきましたね。

 

最初頭に来ましたが、考えるとそこまで間違ってはいない話でした。

暗喩ミステリーは上手く出来ていた分、今回も「もったいないな」と言う感想です。

ただ難しすぎる分野に挑んだので、どだい無理だった気もします。

虚構と心の問題を「虚構と心の象徴であるアニメ」でやろうとしたのです。

その分野だけをずっとやってきたイクニさん達の、足元に噛みついたかのように見えただけでも、野島さんは上手かったのだと思えてきました。

 

はっきり言うと、暗喩ミステリーや物語の基本の上手さは、野島さんとこの監督の方が上手いような気もします。

だからこそ残念です。

ただ二つの事が足りない。

1,アニメでの虚構と心の客に対する接し方。

2,客に対する物語の終わらせ方。

これは代々富野さん時代から悩んできた事になります。

宮崎駿さんや高畑さんも考えてきた筈です。

そして代々考え悩み答えを探してきたものです。

これが届いてない事です。

これはアニメならではの「強い麻薬要素」と「アニメをよく見る子供や青年」に対する長年の問題です。

没入感はアニメの方が強く、見るのが若者だからなお更です。

だからこそアニメは実写とは違う注意が必要だと思っています。

この「アニメならではの虚構の問題」に対する事が、足りなかったと言う事です。