号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

フェリーニの映画「道」、ほぼ感想、少し考察です。

 

あれ? 今現在、アマゾンプライムで「8 1/2」見れるのですね。すごい世の中になりました。

それで他のもあるかと思ったら「道」があったので見てみました。

 

一番気になっていたのが「道」と言う題名です。

なぜ「道」なのだろう?

 

まず表から、

見た感じだと、物語は「とっても日本的だな」と言う感想です。

もちろん、日本的なのではなく、ただ同じ所がある、と言う事だとは思いますが。

 

この映画も有名で、寅さんの山田洋次監督も好きだったようです。

だからたぶん、似たような映画も撮っているのでしょう。

そして山田洋次から、他の監督も真似たのかな?

だから日本に似た感じの物語が多いのかも?

……とは思いましたが、それだけではない。

単純に、どこか似ている所があるのでしょう。日本とイタリアが。

 

マフィアの発祥はイタリアですね。日本でもヤクザがいます。

どちらも二次大戦の敗戦国です。

周りがほぼ海です。

 

どこまで本当か知りませんが、戦後、靴磨きが道端にいたのが、イタリアと日本くらいなのだそうです。

靴をピカピカにするのは、アメリカの文化です。イギリスにはない。

敗戦国でアメリカ軍がいた日本とイタリアに、靴磨きが残ったのだと言うのです。

(紳士靴で有名なのは、イギリスとイタリアです。アメリカもオールデンとかありますが、それ位です。なのに靴磨きがイタリアにしかいない)

(靴磨きが昔いたのは、道が舗装されてなかったから、靴が良く汚れたからです)

 

つまり、何か似た要素があるのでしょう。面白い物です。

(ただこれは、ある要素が似ている、と言う事です。堅物なのがイギリスに似ているとか、騎士精神が武士に似ているからドイツに似ているとか言われるので、要素によって似ている国があると言う事です)

 

この戦後の似ている要素から作られたのが「道」なのでしょう。

だから「これ日本人が、日本国内の物語にしても、ほぼそのまま通るな」と思って見てました。

何か昔見たような感じのする、懐かしさが感じられる物語でした。

 

ただ、主人公ジェルソミーナがけなげなので、日本的になっているのもあるのでしょう。

昔の日本の女の理想の様な話です(あくまで男の理想ですが)。

たぶんですが、イタリア女はあんな風では無いでしょう。

物語上ジェルソミーナがああ言う風に描かなければならなかった為、たまたま日本的になった気もするのです。

 

物語としたら、なんとなく人生が上手く行かない所や、最後のジェルソミーナの死が、ただ「こんな事があった」と言う他人からの話だけな所とか、とてもリアルに感じられますね。

物語上「劇的な不幸」がある物ですが、人生とは大体「なんとなく不幸」なのです。そこがリアルなのです。

そして、いつも一緒にいる人以外の死は「誰かの話で聞く」位です。この淡々とした死がリアルなのです。

ただ、別に物語をリアルに描こうとしたようにも見えないのですが、大事な所がリアルなのが良いのでしょう。それで心に響く事になるからです。

 

 

さて、物語の暗喩、と言うか元ネタと言うか、裏の部分です。

 

でもこの映画、暗喩や元ネタが分かる必要がない映画です。素直に見ればいい。

だから、知る必要もないし、私も考える気も起きなかったのは、正直に言っておきます。

なので恒例の、他人の考察をネットで見てみました。

 

まず、やはりキリスト教が入っているようです。

ただこれは「フェリーニだから入っているだろう」とは、前から思っていたので、別に驚きもないです。

 

しかし、私が知らない所で、大事な事を言っている人がいたので書いておきます。あくまで他人の考察です。

妹ローザがなくなり、代わりに連れていかれるのがジェルソミーナです。

このローザ、物語上いらないだろう? と言うのです。その通りです。

だからここに暗喩があると言います。

 

ローザがアダムであり、ジェルソミーナがキリストだというのです。

知りませんでしたが、キリストとは第二のアダムであり、最後のアダムなのだそうです。

そしてアダムの犯した事を克服するのが、最後のアダム(的存在)キリストだと言うのです。

(アダムも神が作った最初の人と言う特別な存在であるが、キリストもまた特別な存在として神が使わした存在、と言う事でしょう)

 

アダムが死に、代わりのアダムがキリストとしてあらわれて、みなを導く。

この事を、ローザが死に、代わりにジェルソミーナが現れ、みなを導く、と表したと言う事です。

(ジェルソミーナはジャスミンの事、ジャスミンの語源は、神様の贈り物、だそうです)

 

ジェルソミーナは最後まで裏切らずザンパノに付いて行きます。

しかしザンパノに裏切られ死ぬのです。

キリストもまた、仲間に裏切られ死にます。

 

ザンパノは最後、悲しみに暮れる。死んだ後に大事さが分かったのです。

キリストもまた、死んだのち、その大事さが周りのみんなに伝わったのだと思うのです。

死、そして失った事により始めて、その大事さを皆に分からせる事が出来たのが、キリストでありジェルソミーナなのです。

(もちろん、キリストはその後復活しますが)

(ザンパノが悲しみに気が付く前、少し海に入る。これも水で清められた暗示です)

 

ちなみに、ザンパノと、殺される綱渡りの芸人は、カインとアベルが元ネタだと思います。

だから昔からの知り合いだし、ローザも両名知っているのでしょう(カインとアベルはアダムの子供ですから)。

ただ、暗喩と言うより、あくまで元ネタ的なあつかいであり、細かな事は関係がないのかと思います。

 

「道」とは何か?

道を、人類が進むべき道や方向、と言う使い方をするのは東洋でも同じですね。面白い物です。

そしてキリスト教でもそうです。道とは皆が進む道です。神への道とも言えます。

キリスト教では「キリストが道である」のだそうです。

キリストが、みなが進むべき道を示す者であると同時に、神への道その物、と言う意味です。

 

となると、道=キリスト、と言う事でもあります。

だから「道」と言う題名は「キリスト」と言う題名でもあるのです。

だからこそ、ジェルソミーナはキリストの代弁者なのでしょう。

この映画を見て「ジェルソミーナかわいそう」と思った方は「キリストかわいそう」とも思える事でしょう。

まさしくフェリーニの思う壺です。

 

ただ、そこまでいやらしく考えなくとも、この映画自体が何か考えられる物語にはなっていると思います。

「ザンパノの様には、なってはいけないな」などとは、多くの人が思う事でしょう。

これこそが「道」です。

すなわち、この映画を教訓として、進むべき道を決めるのは見ている皆さんなのです。

 

キリストは、その死により、みなに考えと教訓をもたらしました。

ジェルソミーナもその死により、見ている皆さんに、考えと教訓をあたえたのです。

だからジェルソミーナは死ななければならなかった。

みなさんに「道」を示す為に、死ななければならなかったのです。

「そしてそれはキリストと同じだ」と言う話だったのです。

 

 

さて、おまけとして、

この様な話は、たまにあります。見ている人の代わりに不幸になる話です。

そして自分で考えれた人に、教訓を与える話です。

 

まずは高畑勲かぐや姫の物語」です。

あれは失敗の物語であり、みなさんの代わりに不幸になる話です。

 

そして「ウテナ」です。

狙ったかは分かりませんが、表向きには、ウテナが皆さんの代わりに変な男に引っかかる話でしたね。

 

これら不幸になる話は見ていて嫌な物ですが、みなさんの代わりに「はりつけ」になっていると思えば、思わず手を合わせたくもなりますね。

 

 

本当の「道」は、あなたの前にある。

物語の中にある「道」は、幻なのです。

幻の道を見て、教訓としてとらえ、自分の「本当の道」を間違えないでいてほしいものです。