号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

ゼロではダメだと思うのだけど。

今現在は、アニメ「水星の魔女」の二期が始まる前ですね。

二期のPVが出てきたので見てみたら、時間が経って落ち着いてきた為、見え方が少し変わってきたのが面白いわけです。

この事と、私が思う、暗喩を物語の大きく入れる意味を、書こうと思います。

 

クワイエットゼロ」と言う謎の言葉があります。

PVを見てたら「人類補完計画」の事か? と思えてきました。

ただ、他の人の感想をネット見てたら、これを思う人が結構いたと思います。

では、あってるのか?

あっていそうだけど、そうなると逆に「それはそれで、どうかな?」と思えてきます。

 

デリングが急に嫁の話を、一期の最後に仕出します。

なんでだろう? と思ってましたが、人類補完計画をしたいのなら、嫁の話が必要だったのでしょう。

つまりゲンドウと同じで、嫁ともう一度会いたいのかも? という事ですね。

そしてプロスペラもなくなったエリクトの会いたからと理由で、クワイエットゼロに係わっているとなると、やはりゲンドウと同じで人類補完計画をしたいのか? と思えてきますね。

 

もう一つネットの感想であったのが「クワイエットゼロ」とは「Vガンダム」の「エンジェル・ハイロゥ」で無いのか? という事です。

これも、私も思いました。

エンジェル・ハイロゥとは「精神攻撃で、人類を退化や幼児化させ、眠らせ殺してしまおう」と言う兵器です。

クワイエットゼロと言う言葉の印象からは、このエンジェル・ハイロゥの方が近い気がします。

暗喩で考えると、デリングが富野さんでしょうから、エンジェル・ハイロゥの方があっています。

 

逆に人類補完計画の方のゲンドウは、やはり宮崎駿さんでしょう。

だとすると、やはりエンジェル・ハイロゥの方が、クワイエットゼロに近い気がするけど、デリングらがやりたい事で言えば人類補完計画の方が近くなる。

では結局どっちか? となるのだが、たぶんどっちもでしょう。両方をかけているのです。

 

ではエンジェル・ハイロゥ自体が、人類補完計画の元ネタなのか? と言うと、もしかしたらそうなのかも知れない。

庵野さんがエンジェル・ハイロゥ(も)暗喩の一つとして使った気もするのです。

 

しかしエンジェル・ハイロゥと人類補完計画は別ですね。

これは宮崎さんと富野さんの違いでもあるけど、富野さんと庵野さんの違いでもあるのでしょう。

 

暗喩で言うと人類補完計画は赤化計画ですね。左翼運動のことです。

宮崎さんが左寄りの人だから、ゲンドウにかければ人類補完計画をするので、暗喩としてあってるのです。

しかし富野さんは左寄りの人ではないですね。ジブリの鈴木プロデューサーによると、(考えは)右翼の人だそうです。

だからエンジェル・ハイロゥは違うのです。

 

人類補完計画は、人類が皆溶けてしまい、個が無くなり、合わさってしまうような物です。

だから左翼運動の暗喩ですね。

しかしエンジェル・ハイロゥは似てるけど違います。退化させたり幼児化させ、殺してしまうものです。だから左翼化のことではない。

それに富野さんが左翼でないので、左翼化の事など、この時期にはもう書かないのです。昔の事だからです。

富野さんは未来に行く人ですね。宇宙とか科学とかを夢見ていたおっさんでもあります。

だからこの時期のエンジェル・ハイロゥの元ネタは、左翼化ではない。

たぶん、インターネットか? もしくはただのマスコミなどからの、国民の飼いならしの事でないのかな? と思います。

ネットなどの情報は、人々を退化させ、幼児化させ、弱らせてしまうものだ、と思っていたのではないのでしょうか?

 

面白いのは、庵野さんはまだエヴェで左翼化の暗喩をやっている事です。つまり古いのです。

しかし富野さんは未来に気持ちが行っていて、ネットか情報社会などの事の問題点を説いている気がするのです。だから新しい人ですね。

 

ただ庵野さんは、宮崎さんを暗喩で使いたいからかも知れず、そうなると95年だと古い左翼化の暗喩でもしょうがないとも言えます。

それに「古き良きものを、新しいアニメに使おう」と言う要素もあるのだと思います。だから左翼化は田園に死すのオマージュでもあるのでしょう。

暗喩物語と言うのがあるという事を言いたいがために、オマージュで使いたいのだとすると、古い要素を使うのもしょうがないとも言えるのです。

 

で、水星の魔女に戻ります。

だとすると、クワイエットゼロがエンジェル・ハイロゥと人類補完計画の両方に係っているとなると、間違った使い方ですね。

少なくとも、暗喩として成立してません。

何か、似てるから両方引っ掛けた気がしてならないのですが、どうでしょうか?

ここは大事な所だから、暗喩が成立してないと、イクニさんには褒められないですよ。

 

さて、他の事。

PVを見てて思ったのが「やはり暗喩物語の複雑さの良さが出ているな」と言う事です。

この複雑さは、個人だと無理でしょう。

現実にある、多くの違う人々が作り上げた、個人だと予測不能な複雑さを取り入れているという事です。

 

例えば漫画のファイブスター等は、かなり複雑です。

しかし、英雄的な物や、SF的な面白要素を、とても沢山つなげていけば出来そうな気もします。

ガンダム類も、複雑さでは負けてません。

しかしガンダム類の複雑さも、あくまで個人が出来る範疇から越えてません。

一個人が予測できる範囲の複雑さで、出来ているのです。

 

この複雑さを表す事は、キャラの性格付け等で見ると分かりやすいですかね?

ガンダムのキャラも多いのに、どうしてもタイプが限られ、似てきてしまいます。

これは一人の作者が描く物語は、どうしてもキャラを多くすると似てきてしまうのと同じです。

一人が描ける人なんて、数が限らられているからなのです。

 

しかしこのキャラの性格や価値観が似てくることは、まずい事だけではありません。良い所もある。

それは、皆が同じ価値観でいるので、物語として分かりやすく成立するからです。

価値観が同じということは「右だ?」と言う人ばかりだ、と言う事ではなく、「左だ!」と同じ位反対側に立つ人も含めた「価値観が同じ」と言う事です。

例えば、スポーツでAチームが勝つか? Bチームが勝つか? と対立して来るが「どっちでもいいじゃん。海行こうよ」と言うキャラが、主役級になることは無い、と言うことです。

あくまで、突拍子もない人は出てこないと言う事なので、物語としたら成立するので、同じ価値観の人ばっかり、と言うのは悪いことばかりではないのです。

 

だとしても、一人が考えるよりもっと大きな流れや、個人が出てきた方が面白くはあります。

もちろんあくまで物語として成立すればの話ですが。

 

これをやる、一つの方法が「現実の暗喩として物語を作る」と言うやり方です。

そうすると、個人では考えられない複雑さを作れるのです。

 

水星の魔女で言うと、グエルが一期の最後までスレッタと違う場面での行動でした。

普通は、親を殺す所を、スレッタが目撃したりします。逆にグエルがスレッタガ殺す所を目撃します。

しかしあの場面、両方がいない所で物語が進みます。

あれは、物語を作るのが、上手い人でもやらない作り方です。

しかも、下手な人でもやらない作り方なのです。

だから(良い悪いは別として)あれが出来るのが暗喩のすごい所ですね。

 

私は前に映画「プラットフォーム」の感想の所で、この映画の暗喩は考える気が起きない、みたいな事を書きました。

あの時は長くなるので止めましたが、理由としては、物語が不自然ではないからです。

不自然になる時に、暗喩を使うべきなのです。

「暗喩を使っても、不自然にならない時もあるだろう?」と思う人もいると思います。

しかし「不自然にならないのなら、物語制作が上手い人だったら、暗喩なしでも出来る」。それでは、暗喩を使う必要がないのです。

だから不自然でない物語の暗喩が分かる必要もないし、調べる気も起きなかったのです。

つまり「暗喩を物語の軸として使うのなら、暗喩なしなら到底出来ない予測不可能な物語を作る必要がある」という事です。

 

もちろん、他にも暗喩を使う理由はあります。

一つは、普通に言うと怒られる物を暗喩として入れてしまう、と言うやり方。

映画「天井桟敷の人々」のように、占領している敵の軍の悪口を含むものを入れたい時などです。

「書を捨てよ街へ出よう」の左翼の悪口も同じです。

しかし時代が違います。戦時中のロシア国内で作るのなら別だけど、今の日本で言えない内容を暗喩で作る必要など(めったに)無いことでしょう。

 

もう一つは、暗喩に入れることで、なんとなく雰囲気が伝わればいい、と言うものです。

宗教が絡んでいる物で多いです。

例えば、キリスト教にかけた物を描くとします。それを見た人が、その内容が良いと思うような映画をです。

その後にキリスト教の教えを聞けば、それに似たような事を前に「良いものだ」と思った記憶があれば、キリスト教自体にも乗りやすくなるのです。

もちろん、既にキリスト教徒であっても同じです。もっとキリスト教を好きになるし、好きな人には映画の方が好きになる事でしょう。

だから、宗教を暗喩として入れる物語は多いですね。

 

後は、ゲーム的なものであり、挑戦だったりします。

単純に謎解きゲーム的な、面白要素を付ける為の暗喩を使うとかです。

 

最後に、自己満足です。

ただこれは失敗しがちです。「だからなんだよ」と思われるものを作りがちなので注意です。マギレコなどです。

 

水星の魔女の二期のPVを見ると、面白そうですね。

ただ、上手く行ってる所と、そうでない所があるアニメだと思っています。

特に大事な暗喩関連は、せっかく挑戦したので頑張って欲しいです。

ただクワイエットゼロを考えると大丈夫かな? と思えてきました。

暗喩関連は、上手くやるのはとても難しい物です。

その難しい物に挑戦して、今の所そこそこうまく行ってるのは、流石だと思いますが、終わらせ方になると「そこそこ」ではダメなのです。

どうか歴史に名の残る作品になってほしい、と思うのは、後世に繋げるためにも、私も望んでいる事なのです。