号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

イスカリオテのマリアは毛皮を着てたのか?

角川文庫「戯曲 毛皮のマリー・血は立ったまま眠っている」感想です。

 

寺山修司の戯曲の本ですね。

「さらば、映画よ」「アダムとイブ、私の犯罪学」「毛皮のマリー」「血は立ったまま眠っている」「星の王子さま」が収録されています。

最後の寺山修司による簡単な説明がありますが、1975年とあるので、それより前に書いた戯曲の中で代表的なものでしょう。

 

正直言うと良く分からない。

そして良く分からないけど、なんだか面白い。そこが面白い。

私が暗喩やこの頃の社会情勢が分からないだけなのか? もしくは最初の方の戯曲なので、そこまで深くは無いのか?

映画の「書を捨てよ」とか「田園に死す」なんかは、一本全体に筋が通った暗喩があります。そういう全体を通す物があるのかが分からない。

もしくは部分的に何かを暗示させてはいるが、この頃の作品は全体では筋が通って無く、それこそ実験的な作りの物なのかもしれませんね。

ただそれでも部分、部分には、何かを考えさせる内容なので面白くは見れると思います。

 

これを読むと、見て楽しんで、その後に皆で「どう見えたか? 何なのか?」等を話し合って楽しむの物を作っていたように見えますね。

そして演劇と言う、直接見に行くものと言うのも面白い。

だから観客席にラグビーボールを投げ込んだり、客席に団員が混ざって居たりするなど、劇団でしか出来ない事が出来るのでしょう。

これは寺山さんのサーカス好きからも来てるのでしょう。直接見る面白さを追求すると言う事です。

 

寺山さんは、何かの作品を引用したり、真似したりするのを当たり前にする人だったそうです。

これはこれで正解だと思います。何かの真似でも無い事などほとんどないからです。

そして妄想するのが好きな人だったようで、そこから「私なら、この要素を、こう使う」と言う事を考えながら本を読んだり、映画を見たいする人だったと思います。

だから誤魔化さず、知ってる人なら見れば分かる様に、何かを引用したり真似したりする人だった気がします。

ただそれはそれで文句を言う人がいたようです。まあそれも分からなくもないですけど、どの程度の引用なら良いのかは人それぞれだから、誰にも答えは無い事ですけどね。

たぶんそれもあってか「誰もやってない無い事をやりたい」と言う気持ちもあったのかな? と勘ぐっています。

そしてやってない要素がまだある世界、演劇にわざと入っていったかもしれないと思っています。

それと同時に寂しがり屋だったそうなので、皆で何かを作り上げる演劇が性に合ってたのでしょう。

つまり、たまたまではなく、色んな要素から演劇をやり通した気がするのですが、どうでしょうか?

 

この人の描く泥臭い所はあまり好きじゃないのですが、サーカスとか、歌舞伎町のトルコ風呂の上の三階とかの雰囲気が好きなのは共感します。

こういう世界観が好きな人があまりいないので、残念に思っていたのですが、昔はいたのでしょう。

この人の描く同性愛とかただの性行為でも、隠さないで描くのはなんなのか? 普段の世の中だと隠す要素も、普通にある物なので、無い物にしないで誤魔化さないでやってるのかな? と思います。

この人の死のにおいがする所は、戦時中に生きた事と、昔の青森の暗い田舎の世界を知ってる事、そして大学生の時の死にかけた事が大きいと思います。

人は死にかけると、死を描きたくなるものです。大きなトラウマは、思い出すと悪化するのでしない。しかしそこめで大きくないトラウマだと、普通の時に思い出し、死は怖くは無い物だと脳で上書きするので、人は自然とするものだと思います。

これは大震災の時の津波のあとで、専門家が言っていた事と同じです。「このあと、子供が津波ごっこ、とかするだろうけど止めてはいけない。それで怖い気持ちを楽しい事と上書きをして、精神的に落ち着かせているのだ」と言ってました。この事です。

寺山作品の母のイメージが多いのも同じかもしれない。子供の頃の母がいないトラウマを上書きしてるです。

 

内容の事を言います。

寺山さんが、あとがきみたいな所で言ってる様に、最後劇が崩壊していく事をこの頃始めたようです。劇の物語が崩壊していく事は、良くやる人だったようです。

星の王子さま」と言う戯曲で、最後物語が崩壊して、客席に話しかけたりするようです。そして客席に座ってる劇団員が答えるようです(元の本の星の王子さまとはまるっきり違う内容です)。

この劇が壊れて現実を表しだす物語を見ると、エヴァはここからですね。

そしてイクニさんのアニメ「さらざんまい」の最後で「星の王子さま」の事を急に言うので、どこから出て来たのだろう? と思っていたら、この戯曲からでした。

エヴァがこの戯曲を真似てるから、エヴァを暗喩で表す「さらざんまい」で出したと言う事です。

 

どうも寺山さんは元の本の「星の王子さま」を子供の頃好きだったようです。

しかし大人になり、自分はつまらない大人側になったのに気が付いたようです。

星の王子さまの問題点に気が付き、嫌いなのか? もしくは星の王子さまを愛する夢見る子供たちが間違ってると思っているのか? は分かりません。

ただ星の王子さまのような物語に溺れる、大人になれない少女はダメだと思っているようです。現実に目覚めよと言っている。ここから「ウテナ」かもしれませんね。

もし寺山さんが、星の王子さま自体が嫌いだと言うのなら、間違っていると思っています。夢の世界に居続ける事を狙った物語では無いからです。たまに星も見て子供の頃の自分をひと時思い出せ、と言う物語でしょうから。

(言い忘れてた事で、この本には本文の前にちょっとした寺山さんの前置きが書いてあります。ここで「私は、今やバオバブの木に住む一人だ」とあり「夜になると出て行って花を食べる羊に化ける」とあります。つまり星の王子様の暗喩が分かっていると言う事ですし、そう言う事が好きなのも分かるし、だからこそ暗喩物語を追って行ったのだろうと思われます。この辺はイクニさんと同じですね)

 

さて一番気になっていた「毛皮のマリー」です。

美輪明宏さんが主演で、有名な作品だそうです。

エヴァのマリはここからですね。

今回この本を読んで、エヴァのマリは毛皮のマリーそのままなので、間違いが無いと思いました。

女装した男婦のマリーが、子供(美少年)を精神的に縛り付けている物語です。毒親問題です。

マリーの元友達の子供だそうです。

この友達との昔話をマリーは話すのですが、それは嘘だと言う話です。なので何が本当だったのかは良く分からない話でした。ただこの昔の女友達は死んだようです。

エヴァのマリは「漫画版の14巻におまけとして少し昔が描いている」と言うので最終巻の14巻だけ見ました。

内容はマリはユイ(シンジの母)が好きだったようです。

好きだった同性の友達の子供がシンジ君で、だから映画でのマリのシンジ君に対する接し方がちょっとうさん臭い。ちょっと子供の様なあつかいであり、ちょっかい出しているようでもあり、何か隠しているようでもある接し方でしたね。

毛皮のマリーの方は、元は友達だったが、もめて憎んだ女の子供を育てているようです。少年を精神的に縛っている。そして最後女装させて終わります。

この女装させるのには、二つの意味が見える。一つは自分と同じにしようとしている。つまり自分と同一化を狙っているとも見える。

もう一つが、女友達に近づけている。マリーは実は好きだった女友達の子供に、女友達を重ね合わせて、少年を女友達にしようとしている、とも見えます。自分が好きだった頃の友達をもう一度、と言う事です。

こう考えると、なんで嫌いになった筈の女友達の子供を育ててるのか? の説明が付きますね。

そして、こっちだと思えると、エヴァのマリーが同じだと見えるのです。

好きだった女の人ユイの子供シンジ君に、ユイを重ねて見ていると言う事です。

そしてマリーが子供を縛ってたから、エヴァのマリもシンジ君を縛る。さいごチョーカーを取るのがマリですね。暗喩的に首輪をとれるのは縛っている人だからです。

そう考えると少し怖いのがエヴァのマリです。ユイが好きだったけどゲンドウに取られたので、子供のシンジ君にちょっかいを出すと言う話です。夏の怪談ですね。

まあそんな怖い話ではなく、最後はシンジ君が同世代になってしまったので、好きな人の要素を持った人をみて「これでいいかな?」とマリが思えた、と言う話かもしれませんけどね。

それに毛皮のマリーは女装ですね。ほぼ鶴巻監督が作ったキャラがエヴァのマリだそうなので、鶴巻さんの女装だとも取れます。それにモヨコ要素も足して、他者の象徴がマリでしょう。

 

毛皮のマリー毒親問題の話です。だから寺山さんの母は、マリーは自分の事だと思ってたようです。まあ普通に考えればそうでしょう。

ただそれだけでもない気がします。これも多数の要素が合わさったキャラの話だと思います。エヴァの様にね。エヴァの元だからそうなるのですが。

個人的には死んだマリーの女友達が、寺山さんの母とも取れると思っています。理想の女としての母が、寺山さんが生まれたと同時に死んだと言う事です。

だからマリーもまた母でしょう。もう一つの母の要素です。男装した不完全な母の象徴なのでしょう。

 

そしてこの多面性の要素が他にもあるのがこの物語です。

子供は美少年だそうなのですが、もう一人美少女も出て来ます。

たぶん、美少年のもう一つの心が美少女でしょう。

少女は少年を連れ出そうとする。しかし最後少年は少女を殺します。

つまり少年の母が支配する心に負け、逃げ出そうとする心を殺した、と言う物語です。

そしてここから「ウテナ」が出て来た可能性がありますね。面白いですね。

 

さて、残りの話は良く分かりません。

何か面白要素があるかも知れませんけど、分からないのはしょうがない。

それにこの後に出た戯曲も沢山あるだろうから、それも見ないと寺山さんの事はよく分かりませんね。

でも他の戯曲の、この様な本では出てないようです。残念ですね。

しかしこれだけでも寺山さんの雰囲気は良く分かります。

そしてエヴァもイクニさんも影響が大きかったのが分かります。

エヴァがやはり寺山修司をしたかったのも分かりました。

 

ちなみにさっき言った様に、漫画版エヴァの最終巻だけ見ました。

旧映画版とほとんど同じです。

だが最後の最後少し変わり、綺麗に普通に終わります。これで正解ですし、これだとおかしくはない物語です。

だが旧映画版だと最後の最後だけちょっとおかしい。それも寺山修司をしたかったのだということを表しています。

そうじゃなければ、この漫画版の様に普通に終わらせられた話だったのが分かったからです。

漫画版は綺麗に終わるし、正解です。誰かがこれを描く必要はあったと思います。

ただそれとは別に、シンエヴァまで迷い込んだ庵野さんのやった事はまた、やる価値のある事だったと思います。

新たなアニメに挑戦して、間違っておかしくなり、25年かかりたどり着いたその場所は、普通ではたどり着けなかった、言葉にできない何処かにたどり着いたと思います。