号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

ぼっちは厳しい

アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」感想です。

 

youtubeで、何かと出てくる作品なので、まあおもしろいんだろうなあ、とは思っていました。

なるほど、確かに面白いし、見やすいし、続きが気になります。

が、これでワンクールは厳しいのではないのか? と言うのが第一話の時の感想です。

結果から言うと、よくこれでワンクールもたせたな、と言う事でしたが、逆に持たせた事はすごいのかもしれません。

 

一話時点で、既に思ったのが「これは実写ドラマ化、または実写映画化出来るし、いつかやるだろうな」と言う事です。

これは最終話を見ても同じ様な感想でしたが、ちょっと違うのは「実写映画化」だろうという事です。つまりドラマにするほど長いのは厳しく、映画くらいの長さで、わーっと勢い付けて、やりきってしまうのが正解でしょう。

 

それで、実写映画化なら、どの様な作りがいいかな? と思い、頭に浮かんだのが実写の方の「のだめカンタービレ」です。

たぶん実写の「のだめ」作った人なら、面白くやりきれるんじゃないのかな?

それで、あらためて「のだめ」を考えてみたら「なんて、よく出来ていたんだろう」と感心しました。「ぼっち」よりも「のだめ」の方が、何倍も良く出来てます(のだめの事は最後に少し書きます)。

 

ぼっちは一発芸的な作品です。最近はよくありますね。

「メロンパン専門店」みたいなものです。「それだけでやっていけるのか?」と思えるが、結構やっていけたりします。とは言っても、普通のパン屋よりは、限界が近いのは間違いはないでしょう。

 

見ていくと、何か不自然な作りなのだが、なんなのかな? と思っていたら、元が4コマ漫画なのですね。そう思うと、全ての作りが納得します。

4コマ漫画で成り立つ作りです。

面白いのは、この4コマで成り立つ要素から出来たために、一般に受けてしまった所ですね。

 

妙にいい子ばかりで、キャラが記号であり、深みがない。

ただ、このストレスフリーなのが、最近の流行りなのでしょう。最近と言っても、ここ20年以上の間の事ですけどね。

 

これで、思い出されるのが、アニメ「宇宙よりも遠い場所」です。

あっちもいい子ばかりなアニメでしたが、受けましたね。

他にも「けものフレンズ」も同じ部類です。

オタクには、このなぜかいい子ばかりなのがうけるのでしょう。

いや、否定はしないです。皆疲れてますからね。だからこんな作品もたまにはいいでしょう。

 

この作品「ぼっち」はコミュ障の話です。

古見さんからか「コミュ症」と呼ばれるが、たぶん「コミュ障」の事でしょう)

だからこそ、いい子ばかりじゃないと見てられない。

少なくとも、今の子供は見てられないのでしょう。

年取った私も、今更見てられないのですが、流石に昔の作品を見ている古い人間だと「とは言っても、もう少し現実味を入れてもいいのじゃないのかな」と思ってしまいます。

あの「宇宙より遠い場所」だって、主人公の友達とか、モブで、嫌な所を見せる人が出てきます。

しかし「ぼっち」の方は、誰も出て来ません。

なので、ちょっと偏り過ぎかな? とは思います。

だけど、コミュ障の話だし、このくらいじゃないと見てもらえないのが、今の現実なのでしょう。

 

この、いい子ばかりなのそうだし、妙にギャグが多いのもそうなのだが、この不自然な作りは明らかに4コマ漫画だから出てきたものでしょう。

4コマ漫画なら、キャラを深く掘り下げるのも無理だし、キャラが分かりやすい記号化するのも当然だと思います。

なので、4コマ漫画から生まれた不自然さが、たまたま受けた要素になったのかと思います。

 

最近強く思えてきたのが「漫画とアニメでは、成立する物が違うので、違うように描くべきだ」と言う事です。

もっと言うと「小説」と「漫画」と「アニメ」と「実写ドラマ」だと成立する内容が違うので、同じに描いたら上手く行かない時が多い、ということです。

さらに今回のぼっちは漫画の中でも「4コマ漫画」と言う、またちょっと違う作りが元なので、もっと成立する物が違います。だから普通はもっと原作から変えるべきです。

「普通は」と付けたのは、意味があります。この「ぼっち」は逆にこの不自然さから生まれた内容がうけたのでしょう。

4コマ漫画の現実離れした内容が、ストレスフリーを生んだ。

だからケースバイケースという事ですかね?

 

もう一回、どういう作品だったかまとめます。

ぼっち事、後藤ひとり以外が、いい子ばかりのただの記号です。

「ぼっちが頭で描いた幻の友達だった」で成立するくらい、不自然な、ぼっちにとってのご都合主義の塊です。

だからやってることは「ハーレム物」と、さほど変わりはないのです。もしくは「何もない普通な女の子なのに、イケメンに言い寄られる作品」と同じです。

だから今は、ストレスフリーなハーレム物っぽいのが、うけると言うことでしょう。

だから「けもフレ」と同じだと言うことです。

 

これも、もう一回言うけど、でも全否定ではないのです。

こんなのも、たまには必要でしょう。

 

そうは言っても、あの最終回12話は何だったのでしょうか? ちょっと下手過ぎませんでしたか?

ただ下手なのか? 時間が足りなかったのか? うけたから「最後は二期に繋がるように変えてよ」と謎の言葉を発する偉い人の横槍が入ったのか?

分かりませんが、意味不明な最終話でしたね。

 

まず最終話自体が意味不明です。

なんで学園祭が終わって、終わりにしなかったのか? なんで少し足した?

 

これは一話からの物語全体に対してもです。

一話で「中学で学園祭で、演奏出来なかった」から始まるのだから「学園祭で演奏が出来た」で終わりでいいじゃないですか? しかしそれが最後の盛り上がりだという作りではなかったですよね? どうしたのでしょう?

 

演出もいい加減です。

何か変なぼっちの行動が目立ちました。

何に係っている「ため」なのか? 分からない感情や演出が目立ちましたね?

最後「瓶を使って乗り越えた」と言う所があるのですが、ならそこが盛り上がるようにするべきなのに「さらっと」流れて行きました。

 

その後のぼっちが客に飛び込むのは、たぶん原作通りなのでしょう。

だから「4コマ漫画とアニメだと成立するのが違うのだ」と言ってるのです。

あれは4コマ漫画だと成立するけど、アニメワンクールの最後ではダメなのです。

 

いやダメだけど、せめてあの前の演奏が終わる時までが、一番盛り上がる演出にしていくべきでした。そうすればかろうじて成立した筈です。

そして最後の飛び込みはあくまで終わった後の「おまけ」的に見せるべきなのに、どうもどこが最高潮なのかの緩急がいいかげんでした。

演出は「何処が一番の盛り上がりか?」を考え「そこに向かい、全てを逆算して用意しておくべき」なのに、何処に向かっているのか分からない演出ばかりだったのが、12話でしたね。

どうしたのでしょうね? ただ下手なだけだったのですかね?

 

漫画家がいるので、どうしても原作からは大きくは変えられない。普通は。

だからアニメ化で一回やってしまえば、今後は変えれるでしょ?

この後に実写映画化すれば「アニメと同じことをやってもしょうがないので、実写映画は少し内容を変えるけど、いいですか?」と原作者に言えば、通る可能性も高いと思います。

なので、やはり実写映画化希望ですね。

そして次こそは「中学時代は演奏が出来なかった」で始まり「高校の学園祭で演奏できた」で終わる内容にしてもらいたいです。

この流れが分かっていれば、全てをそれに合わせた演出に出来ます。

「学園祭で、クラスの皆が、始めてぼっちの存在と、凄さに気がつく」と言う演出に出来るはずなのです。

そして「そこでトラウマを解決したので、ぼっちが次のステップへ気兼ねなく進める」と言う流れに出来ます。つまりプロでも目指すという流れに出来ると言うことです。

 

良い忘れてた事として、

このアニメ「ぼっち」は始めにギターが既に上手い所から物語が始まります。

この辺が嘘でないのが良いですね。

結局努力をして、実力を付けてから、夢を追うべきだ、と言う事です。

「努力もないのなら、未来も無い」と言っているのが、オタクに向かう物語として正しいと思いました。

これはアニメオタクや漫画オタクにもそうでしょう。

「夢を得たいのなら、努力して実力を得て、そこから始まりだ」と言ってるのが素晴らしいのです。

この事実自体は、誤魔化してないからです。

 

もう一つ言い忘れとして、ぼっちがコミュ障なので、皆から頑張れと応援される物語です。

それに加え、初めの方で、喜多(きた)さんが去ろうとした時、呼び止めたのがいいですね。

あれで「ぼっちも、いい子なのだろう」と言う要素がある事になるからです。

あれがないと、ただの「ご都合主義の、ラッキーガール物語」になる。つまり「ハーレム物」と同じ作りになってしまう。

「主人公は、客から応援される様な人格に作られるべき」と言う、基本は(かろうじて)忘れてなかったのが、良かったと思います。

 

さて、いつかは二期もやるのでしょうけど、どうするのかな?

この一発芸だと、もう厳しいでしょう。

原作はまだまだあるようだけど、ここからも、4コマ漫画の作りで、もうワンクールは厳しいのではないのかな?

原作者とアニメ制作者が、腹を割って話さないと行けないのだけど、それこそコミュニケーション能力が大事になるのですよ。しかも両者のね。

ぼっちでは限界があるというのが、このアニメの話です。

そしてそれは現実でもそうだと言う事です。

ここからが、原作者とアニメ制作者が試されるのでしょう。

 

まあ、原作通りに二期を作っても、そこそこ成功はするだろうから、そうなる可能性は高いのだけど、そうなると「のだめ」レベルにはならないだろうって事です。

 

 

さて、少し「のだめ」の事も触れときます。

 

のだめの男主人公、千秋は出来る男です、しかもイケメンです。

だけど問題がある。高所恐怖症で外国に行けず自暴自棄になっている。

音楽をやっていて、学生でイケメン。だから女うけするキャラです。

ただ男にはうけないのですが、問題があり完璧でないのがマイルドにしてます。つまり、鼻につきにくくなっているのです。

しかも、のだめに振り回されているのもそうで、どこかスキがあるのがいい。

つまり、このキャラ、男にも女にも(そこそこ)好かれるか、嫌われないキャラなのです。

 

のだめが女主人公ですね。この子も能力があるが、スキだらけです。

しかしメンヘラですね。

女にはどう見えるのか? 能力があるから一目置かれるが、メンヘラだから下に見られる。

男にはどう見られるのか? メンヘラだからスキがあるが、変わってるのでちょっと距離を起きたくなります。

つまり、のだめも、男にも女にも、好かれるか、嫌われないキャラだったのです。

 

しかもこの2人、異性としてそこまで魅力がない。

どっちも、違う意味でだが、面倒くさそうな人達です。

だから、見ている人が、応援が出来るのです。

のだめと千秋が、上手く言ってもかまわないのです。

 

この2人、どちらかが主人公であり、どちらか一人しかほぼ出てこない物語だったら、どうだったのか?

どっちが主人公でも、長くは見てられない。

どちらかが一人だと、パンチも足りないし、長い物語も作れない。

千秋ものだめも、能力があるから、成功したら、途端に遠くに感じる立ち位置なのです。

 

この2人がいるから、バランスが取れて見てられる。

千秋が成功していっても、のだめがバランスを取っていくのです。

最後は、のだめが成功していった所で終わるのかと思います(実写映画の事です。漫画とアニメは見てないのでしりません)。

両方成功したら、もう話がないのだから、終わりになるのが当然です。

 

千秋ものだめも、一人だと主人公だと物足りないし、たぶん成立しない。

しかし、2人そろうと成立する。

しかも、1+1=2、ではなく、2人の関係性も話に加わるから、3にも4にもなるのです。

 

だから「のだめ」は、とても良くできた物語でした。

 

「ぼっち」の方は、それこそぼっち一人なので、弱いのです。

ぼっちの様な何かの要素を、周りが持ち始めたら、急に面白くなるのだろうけど、そこが原作ありきの限界です。

今後の原作がどうなってるか知りませんが、周りを膨らます事が出来てないのなら、二期は盛り上がりにかけることでしょう。

やはり「ぼっち」は厳しい、というのが「のだめ」を見るとはっきり分かる、と言う話でした。