号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

かつて、ノケモノだった者達へ

幾原邦彦原作の漫画「ノケモノと花嫁」読みました。ちょっと前に。

で、全然意味が分かりません。

なので、ただの感想です。

 

まあ、このブログを見るような人には分かるだろうけど、多くが暗喩で出来てますね。

だから整合性とか無視な世界です。

しかもアニメはイクニさん自体が演出するので、まだ分かりやすくなっている。

しかし漫画は描いているのが違う人です。しかも内容で何やってるか分からない人が描いています。

だからなお更分かりずらい、を通り越し、分からない話になっています。

その為もあり「どうせ分からないから分かろうとする気にすらならない」のが、問題と言えば問題です。

ただ、どうもその分からない事すら狙っている気もするので、ならしょうがないですかね?

 

この漫画は2006年から2020年位までやっていたようです。

つまり2011年のピンドラをまたいでいます。

 

まず間違いなく、この漫画でやろうとした事を元に、もっと練って出来たのがピンドラでしょう。

だからピンドラの方がまとまっているのだと思います。

 

この漫画の男の方の主役がイタルです。黒い熊だそうです。

この人が庵野さんの暗喩かな? なんて思っています。

女の主人公がヒツジです。

だとすれば、イタルと結婚をするので、安野モヨコさんか? とも思うし、名前がヒツジなので、ただの(女の子全て)の事かもしれないな? と思っています。

ヒツジが一般市民全てを表す暗喩なのは「星のおうじさま」からです。キリスト教で言う所の迷える小羊は、皆の事ですからね。

 

先代や親が子供を苦しめる。

これが先代の作家などの呪いが、次の世代の作家や、ただのファンたちを狂わせ苦しめる事を描いたのだと思います。

これはピンドラもそうでしたよね。同じです。

 

最後に、長髪の大人の患者が出てきて「今までは全て夢だった」みたいな終わり方でした。

これはウテナと同じですね。

なぜ今またウテナか?

一つはウテナの答え合わせもあるのかな? なんて思っています。ウテナでやっていた事に気が付いてくれ、って言う事です。

もう一つはアニメ「ウテナ」と同じように、夢の世界の呪いから解放される女の子や女性を、改めて描きたかったのかもしれません。

元が女性用の漫画だろうから、その読者に夢とその呪いからの解放を描きたかったのかもしれません。

 

近親相姦演出もウテナと同じです。いや元は寺山だし、もっと前はベルイマンでしたね。もっと前もあるかも知れませんけど。

先代の呪いに犯されておかしくなる次の世代の作家や読者を表しています。

 

最後が女性が出て切る事から、女性が本物で、イタルなどが夢の中の男性キャラ、ともとれます。

ただこの作品がウテナなどと違うのは、イタル自身も傷付いている事です。

だからイタルの方はイタルの方で庵野さんかな? と思ったのです。

イタルは、庵野さんも含め、男性の作家や読者の事かもしれないのです。

そうなるとヒツジの方がアニメ等の事になるのです。

 

たぶんどちらでもあるのかな? と思っています。両方見れるようになっている。

つまりヒツジが女性作家や女性読者なら、イタルがアニメや漫画の事になる。

イタルが男性作家や男性読書なら、ヒツジがアニメや漫画の事になるのです。

そしてそれらに救われるとは、脳内でアニメ等に救われた話、とも取れます。

そして現実に最後戻って行く終わり方なので、まあウテナと同じです。

 

それとは別の見方として、やはり庵野さんとモヨコさんだと見ると分かりやすい。

どっちも作家として苦しみ、先代の呪いを受けている筈です(モヨコさんは知らないけど、無い訳はない)。

その苦しみ迷った両名が最後結ばれる話だった、とも取れるのです。

 

両名がそれぞれ別々に先代と幻に苦しみ、それが出会って結婚するので、それを暗喩で絵にすると、確かにこんな感じの訳が分からない作品になりそうですね。

 

さてギンです。

かれは途中にイタルと同一人物だ、と言う演出なので、まあそうかもしれません。

これもウテナと同じで、同一人物内の、別の心が出てきて邪魔をするのを表しているのかもしれません。

ただ、まあ個人的にですが、このギンがイクニさんかな? なんて思ったりもします。

それをイタルと同じに描く事で、結局似てる所もあると言いたいのかもしれません。

 

キリンとは、高い大きな奴で上から皆を見てるやつですね。

だから先代の作家たちの事かな? と思っています。

そして「燃えるキリン」とは、それら先代を超えて行こうとする者たちの抗いの事でしょう。

アニメ「レヴュースターライト」のキリンはここからでしたね。

 

ノケモノとはやはり庵野さんの事かな? と思っています。

アニメ業界から外れて逃げていた庵野さん。同じく逃げているイタル。同じですね。

最後イタルが麒麟になる。すなわち、最後はノケモノだったのに、巨匠に加わるのが庵野さんです。

もちろんノケモノとは「オタクの事全て」でもあるのです。

 

 

さて、おまけです。

 

この漫画、暗喩が入っていると思って見ても訳が分からない。

暗喩が入っていると思ってないほとんどの読者は、分かる筈がない。

だから、まあ、意味不明な作品として後世に残る事でしょう。

 

寺山は、大衆演芸的な要素がある映画の時は、分かりやすくまとめて作ってました。その感覚が大人だな、と感心します。

しかしもっとローカルな演劇の時は、もっと訳が分からない風に作っていた気がするのです。

演劇なら、演出がもっと尖ってもいいと思っていたのでしょう。

多分ですが、その感覚はあっていると思います。

ライブ感がある為、やってる事が良く分からなくても、なんとなく見れてしまうのが演劇樽からです。

同じように、アニメだとまとめ上げたイクニさんは、漫画と尖った演出をしたのかな? と勘ぐっています。

確かに漫画の方がまだ尖っても成立します。かかっている金が違うからね。

金の問題か? と言うと、それだけではないのでしょう。

それに問題としては金の問題は無視できないのもです。金がないとやっていけないからです。世に出す事が出来ないのです。

だから、芸術かぶって金の問題を無視する人は大人ではない。

少なくとも、アニメや映画等、金問題を無視できない作品作りには大事な事なのです。

格好悪いとか、ダサいとか言って、やっていけない事を通そうとするのは大人ではない。

大人ではない人は、大人の世界では成立しないのだから、誰も知らない所で勝手にほざいていればいいのです。

やるべき事をやって、その上でやりたい事をやる。それが難しく、だからやれる人が素晴らしいのです。

寺山もイクニさんも、この感覚がある人だと思っています。だから素晴らしい事に気が付くべきです。

 

もうちょっと、おまけです。

 

この作品はウテナ要素も入っています。

ウテナ後、ピンドラの前の作品なので、そうなるのかな? と思います。

 

最近ウテナを無料放送したりしだしています。

「水星の魔女」効果かな? と思っていました。

しかし、考えてみたら川上さんの十三回忌でしたね。

 

寺山が亡くなり40年でもあります。

一つの区切りを感じさせる、そんな今日この頃です。