号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

残るのは、決めること

ちょっと雑談。

最近AI関連で思ったことを書きます。

素人の戯言だと思って、参考程度で聞いてください。

 

日本は人が足りないと言います。

ひろゆきさんが前に言ってましたが、足りないのは「低賃金で働いてくれる人」です。

逆に日本はこれまで、低賃金で働いてくれる人で持っていた、という事です。

これは若者がいなくなった事が、一番の原因でしょう。

若者が急激に少なくなるとは、20年前にはもう分かっていたので、こうなることは分かっていた事です。

なのに、今更慌てていますが、ただのこの国の自業自得です(もちろん私もこの国の一員です。他人事ではない)。

 

文句はともかく。

 

なので「AIロボットが、早く出てきてほしい」とは、みな思っていることでしょう。私もそうです。

 

しかしAIロボットで人不足が解決するとはどういう事か?

それは「もう人口は、あまり関係がなくなる」という事です。

 

AIロボットをどれだけ配備できるか? が大事になる。

だから中国もインドも、未来はバラ色だとは限らない。

逆に、あまりに多い人口は足かせになることでしょう。

 

人はロボットの台数が多ければいい。

農業とかで、土地も大事だが、日本はそこまで狭くもない(流石にアメリカなどと比べると非効率にはなるが、ロボットが働くようになれば、まあ食べて生きては行けるくらいは、自動で作れるでしょう)。

あとは、エネルギー問題はずっと残りそうです。これはそう簡単には解決しなそうです(百年単位ならなんとかなりそうだけどね。ただ核融合発電だから、まるっきり問題がない訳では無いけど、今よりずっと安全にはなりそう)。

 

つまり、ロボットを沢山用意出来る国が、いい国になる。

日本は?

ロボット製造に優れているのが日本です。だから悪くはない。

ただ、どの程度優れているのが持続できるか? は分からない。

他の国もロボットが大事だと分かれば、躍起になり開発するのだから、日本の優位性がどこまで持つかは分からない。

ただ、車とか電車とか、身の回りの機械はずっと優れている国だから、結構いい線いくとは思います。

 

他に大事なのは、GPUですね。これは他国任せになりそうです。

nVIDIAとかAMDとかインテルとか、全てアメリア製です。

つまり絶対的にアメリカが強い。

それと仲が良い日本は、良い立ち位置にいますね。

他の工業製品と共に、アメリカと手を組んでやっていけそうにも見える。

ただこれも、どこまでアメリカ優位が続くかは分からない。

例えば中国などで制作して、それがどこまで行ってもアメリカ製より性能が低くても、いつかはそれで構わない製品が作られることでしょう。

AIロボットを動かせる性能が出せればいいだけであり、それが開発出来ればいいからです(とは言っても難しいのは分かるけど、十年規模で考えれば分からないという事です)。

 

「人口もあまり関係がなくなる」と言いましたが、まるっきり関係がないわけではない。

しかし5000万人くらいに減っても、まだ多いほうです。

このくらい残れば、後は人の質と、ロボットの数のほうが大事でしょう。

(人の質とは、学力などではなく、生活の中で生きていく人としての能力の方です。後で言いますが哲学や人と接する能力の方が、最後には大事になる)

 

だから意外と日本って、将来バラ色かもな? と思えてきました。

もちろん、あくまで十年規模で考えた未来の話ですが。

 

 

では、十年規模で考え、段々人のやる仕事が無くなってきたとします。

それでも「最後まで残る、人のやる事とは何か?」

それは「決める事」です。

これは、どこまでも残る。

 

これは、監督と同じです。

それが物語でもスポーツでも、監督の仕事は決める事だからです。

庵野さんが言ってましたね「監督は簡単だ。決めればいいだけだから」というような事をです。

 

映画作りで、例えば優れた原作があり、優れた脚本家がいて、優れたカメラマンいて、優れた俳優がいたとします。

その時、監督がやることは何もない。放っといて勝手に名作が出来上がる。

しかしそれでもやるべき仕事が残っている。それが決めることです。

俳優やカメラマンを決めたり、出来た映像を、それでいいか? 決めるのです。

 

スポーツでも同じです。

優れたコーチに、優れた選手がいる。

ならやることはない。

しかし同じく決めるのは監督です。誰を出すかです。

 

AIがどんなに優れても、最後人がやることも残る。

それが「決める事」なのです。

恋愛ドラマを作るか? 格闘ドラマを作るか? それがどちらも同じくらい受けそうだと思った時に、決めるのは人です。

何を食べたいか? 何を見たいか? 何色が良いか? などなど、自分のことを決めるのも人です。

 

これは「差がない物の時に、決めれるのは人だけだ」という事です。

もう一つが「どれが自分にとって良いかを決めるのも、人である自分だけだ」という事です。

 

AIロボットにやりたい事はない。

基本ルールがないのがAIです。

逆に、死にたくないとか、好かれたいとか、生まれつき基本ルールがあるのが人なのです。

だから人はその基本ルールにそった答えを探す。

だから人には、物事や行動に意味があるのです。

「人にとって意味がある物」が「意味がある物」の正体だからです。

 

AIには基本ルールがない。だからやりたい事もない。目標もない。だからすべてのことに、意味もない。

それがAIです。

 

だから、「意味をつけ、やりたい事、やるべき事、を構築出来るのは、人だけなのです」

最後まで、人には「決めること」が残るのです。

 

自分の事を決めるには、考える事もない。ただ本能に従えばいい。

ただ、他人も含めた大きな物を決めるには、考えが必要です(村規模、国規模などの事です)。

その時大事になるのが「哲学」でしょう。

あと、大事になるのは「他人の気持ちを考える事」です。

この基本に戻っていくのです。

AIがやってくれるのだから、能力自体はあまり必要がなくなり、基本の考える事だけが残る。

 

何でも出来る神々になった時、残るのは、突き動かす「気持ち」なのです。

それがあり、初めて「決めること」が可能になるからです。