号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

天才と馬鹿

ただの言葉の解釈の話です。

ただ、言葉の解釈がはっきりしてないと、何を言ってるのか分かる訳が無いので、改めて書こうと思いました。

 

天才とは?

 

最近になって私は「漫画家の山田玲司さんは天才だな」と思うようになりました。

イクニさん事、幾原さんも天才だと思います。

宮崎駿さんも天才だと思います。

もちろん、寺山修司も天才だと思いますし、彼の天才性は突出してるように見えます。

 

そう言うと、そんなに天才っているのか? と思うでしょうけど、いるのです。

それは、分野で違う天才がいるので、分野ごとの天才がいるという事です。

例えば、アニメばかり見ている人には分からないでしょうけど、天才科学者なんていません。

天才的な科学者であっても、自分の分野でしか天才ではないのです。全てを分かっている科学者はいない。

 

それに、オリンピックには十種競技と言うのがあります。

一つ一つの競技だと、一位にはなれないが、いくつかの競技の合計だと優れた人もいるのです。

山田さんはこれに近いですね。一つの事が優れていると言うより、合計点数が高い人です。

そしてその合計した能力からの、面白く伝えることは、他に類を見ませんね。

 

では、天才とは何か?

例えば、日本に千人ぐらいの突出した集団がいたとします。

彼らは、その他の人よりずっと優れているとします。

しかも、世の中にたいへん役立つ内容で、優れていたとします。

しかし彼らの中の一人は、天才とは言われません。

それは日本に千人もいるからです。

 

逆に、明らかに一位の人がいたとして、しかし二位以下の人より少ししか優れてないとします。

しかし明らかにその人が優れているのは分かり、しかも一人しかいないというのが分かるのなら、彼は天才だと言われることでしょう。

匹敵するのが誰もいないのなら、その人は天才と言われるのです。それがほんの少し優れているのだとしてもです。

 

つまり天才とは、希少性が大事だと言うことです。

 

寺山修司が天才だと言うことに置いて、大事なのは、古い人間だからです。

イクニさん等より古いから、より古く珍しい時代を生きているからこそ、より天才性が生まれやすかった事でしょう。

しかもです。それが第二次大戦頃と言う、日本にとって転換期頃に生まれたのが効いてます。価値観や世界が大きく変わる頃だからこそ、多くの経験が出来たはずなのです。

例えば、戦後の30年間と、現在より前の30年間を比べた時、どちらが大きく変わっているのか? 言わなくても分かるだろうけど、戦後の30年のほうが大きく変わっています。

戦後も合わせた戦中を見ているのと、同じ時間、最近の時代を生きているのでは、経験出来る物も、考えさせる物も、大きく違うのです。

だから、どうしても最近を生きている人には、戦前と戦後を見ている人と同じ感覚を持つ事は、難しいでしょう。

もちろん個人差が大きいのですが、優れた人同士を比べる時には、その生きていた時代の差が大きく効いて来ることでしょう。

なので、寺山の天才性を今後出す人が現れるのは、至難のわざだと思っています。まあ同じ時代生きている人でも至難の業だっただろうけど、です。

 

ちなみに、宮崎駿富野由悠季さんは、同じ1941年生まれですね。

彼らも、物を作るのには良い時代に生きたので、彼らに近づくのも難しいですね。

もっとちなみに、高畑勲も寺山と同じ1935年生まれです。

手塚治虫は1928生まれ。

藤子不二雄は1933年と1934年。

松本零士は1938年。

石ノ森章太郎1938年。

 

彼らには、今の人とは違う「色」があります。

それぞれ他とは違う特色があるという事です。

彼らが天才と言われた事に、時代も関係がある事でしょう。

(もっと言うと、これらの人は、人として出来上がる子供時代に、激動があったのが大きいでしょう)

 

馬鹿とは?

 

例えば、もし私がフェルマーの最終定理を解いた人だったら、他の人のことを馬鹿だとはいいません。自分が天才であり、他人は普通だと言うことでしょう。

馬鹿とは、普通出来て良いことなのに、出来ない人のことです。

 

特に私が馬鹿だと思うのは、それが分からない事は、自分も不幸になるし、他人も不幸になる事を分かってない人の事です。

だけど世の中の人は、学校の勉強が出来ない人の事を馬鹿だと言います。

しかしそれは自分が不幸になるだけであり、他人を不幸にするものではないですよね? だからそれはどうでも良い。

そのどうでも良いことに「あいつは馬鹿だ」と言っている人の方が馬鹿です。他にやること無いのかな?

 

そうは言っても、人は馬鹿なことをしがちです。誰でも間違いは犯す。

その時に「間違った」と思わず、気づかず、直そうとしないのが、真正の馬鹿なのです。

 

ここで私が言ってることなんか、5分や10分聞けば、分かる内容のことです。

学校の勉強をして覚えるのには、何時間も何日も係るものです。

なのに、何時間も係る勉強が分かってないことを、馬鹿だという人がいる。

それより5分聞いて分かることを、分かってない人の方がずっと馬鹿じゃないだろうか?

しかも、その事が分かってないと、自分が不幸になるのにです。

自分が不幸になっていることに気がついてない馬鹿が、多すぎると思いませんか?

何が馬鹿なのかすら分かってない馬鹿が、多すぎます。

 

5分聞けば分かる内容で、しかも自分の不幸を回避できる物、それを分かってない人の事を、私は馬鹿だと思っています。

 

なぜ馬鹿が分からないのか?

それは、馬鹿でも生きていけるからです。

もっと言えば、金持ちにもなれるし、いい会社にも入れるかも知れない。

なまじ上手く行ってるから、自分が馬鹿だと気が付かないのでしょう。

気がつけば、今まで以上の尊敬と成功を得られるのに、馬鹿なのでその程度で留まっている事が分かってない人が多いですね。もったい無いですね。

 

馬鹿は結果で判断するのです。

それは、何が起こって成功したのか等の、内容が分からないからです。

だから馬鹿なのです。成功者こそ頭が良いと思っているのです。

頭の良さは、成功の助けにはなります。

しかし頭のいい人から成功するわけでは無いのです。

それは、腕力がある人が野球選手になれる、と言っているようなものです。

その事すら分かっていな人が成功してるのですから、おのずと成功者とは何なのかが分かってきます。

成功者に一番大事なことは、運の良さと、チャレンジ精神です。

 

落合さんが言うように、AIが出て来ると、馬鹿が馬鹿にされる時代は終わりそうです。

この馬鹿とは、学校教育が出来ない馬鹿の事です。

昔々、国が出来上がる頃は、腕力がある人間がえばっていた事でしょう。

国がまとまると、今度は計算が出来る人などが、えばっていった事でしょう。

これは、日本の戦国時代もそうです。また腕力でえばれるようになった。そして戦乱が終わると共に、腕力の時代も終わる。

つまりその時代や状態で、必要な物は変わると言う事です。

作曲家や漫画家がお金持ちになれたのは、この100年だけかもしれないのです。

サッカー選手や野球選手がお金持ちなのは、まだ続きそうですが、これも100年くらい前からだと思います。その前の人の歴史上、これらスポーツが上手くて金持ちになれた時代はないのです。

そして、学校教育が出来ない馬鹿が、馬鹿扱いされる時代が通り過ぎるかもしれない。

その分岐点に来てるかも知れない事は、理解してないと、取り残される事でしょう。

 

今の学校の授業で教わる事は、一つの答えがある物です。概ね、マークシートで表せる物です。

それらはAIの方が、とてもとても優れていく事でしょう。

学校教育で教わること以外での馬鹿かどうかが、今までより大事な時代になるのです。

それを子供に教えて行かないから、食べ物屋での迷惑動画をネットでのせて、返せない位の賠償請求をされる事になるのです。