号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

バカと無知 5

書籍「バカと無知」感想、続きです。

 

7 民主的な社会がうまくいかない不穏な理由

8 バカに引きずられるのを避けるには?

9 バカが利口と塾講するという悲劇

 

「三人寄れば文殊の知恵」と言うが、本当に皆で話し合えば、より良い結果を出せるのか? について書いてあります。

 

それについて実験で調べてますが、ここで言いたい事は「能力が無い方が、ある方の40パーセントを下回る時、話し合いは悪い結果を呼ぶ」と言う事です。

この場合は、能力が高い方だけで決めた方が良いばかりか、下手するとコイントスで決めた方がまだましな時があるのだそうです。

 

前回言った様に、能力が低い人は、まず自分が能力が低い事を理解してない。

その上、どうも本能的に虚勢をはるようです。自分がバカだと悟られないようにふるまう。

だから、バカが自信たっぷりに間違った答えを押してくるから、能力が高い方が引きずられ、最終的に悪い結果になるようです。

 

まあ、これは当たり前ですよね?

まず、ある程度の能力や知識がないと、その答えの正確さが分からない。

「自分より、相手の答えの方があってるかも?」とだいたい分かるには、ある程度の知識や能力が必要だと言う事です。

 

それに片方が能力が低すぎる時は、高い方が低い方の能力を全て超えている時がある。もしくは大多数が超えている。

学校のテストなどではあり得る話で、低い方の答えれるのを、高い方が全て答えれるのなら、高い方だけが答えればいい。

この状態の時に話し合えば、かならず一つぐらいは低い方の意見が通るのだから、高い方だけの答えより点数が下がるのは当然です。

 

だから「能力差がある時は、バカはいない方が良い」と言うのが、この本で言ってる事です。この事自体は間違ってはいない。

 

ただここで言ってる事での問題点は、「中国とか企業のGAFAMとか、優れて者だけがあつまり、ワンマン(に近い状態)で物事を仕切った方が、いい結果が出る。だから民主主義的な物の方がパフォーマンスが低い」と言ってる事です。

もちろんあってはいるが、国の場合は、高いパフォーマンスより必要なのは、安定性であり、安全な事です。

民主主義はパフォーマンスを出す物ではない。

セキュリティー的なチェックが入ってるから、その分パフォーマンスが落ちるのは当たり前ですね。

 

この本で言いたい事は、結果を良くするには「バカを排除する事だ」と言う事です。あってます。

あってるけど、この辺は熟考が足りないですね。

 

この国は民主主義だが、代表制民主主義です。

つまり代表者が議員になり、代表者が決める。

この代表者こそが、能力が高い者であるのが、本来の姿です。

もし議員が能力が高いのなら、それは能力が高い者だけが集まり、それで決めるので「バカを排除する」事に成功している事になる。

しかも民主主義すら通っていて、だから安定性と安全性も(ある程度)担保されているのです。

だから、実は結構上手いやり方なのが、今の日本です(他に民主主義の国もそうですけど)。

 

問題は「優れている人の集まり」の筈の議員と呼ばれる人たちが、どうやらそうではない事です。

事実としてパフォーマンスが出てないのなら、議員の能力が低い事が問題なのです。

 

では「議員を決めている国民がバカだからしょうがない」のか?

国民が選挙で決める時、議員の能力が分かればその通りだが、実際はまず分からない。

これは議員になりたがっている人の能力を、国民に分かりやすく示そうとしないからです。

例えば、選挙時に筆記問題をさせて、その答案用紙を国民に見せるべきだと思いませんか?

国際情勢とか法律、社会、英語、コンピューターなど、どの程度分かっているか? 見せるべきだと思いませんか?

後は、筆記問題で、社会問題をどう考え、どう捉え、それをどう直していく気か? を書かせて、それを公表するべきだと思いませんか?

 

ちょっと話がずれるけど、一票当たりの価値の差が大きいと、よく問題で出ますよね?

なら、その代表者は、そこの有権者分の投票権を持った代表にすればいい。

つまりある議員は100万票分の代表者であり、ある議員は60万人分の代表者、と言う風にです。

そして議員が、何に賛成させたかを、全て国民に見えるべきです。

つまりA議員は、どれに賛成したか? 反対したか? 棄権したか? 首相の選挙で誰に入れたか? を全て公表すべきなのです。

代表者なのだから、有権者に全て見せるべきです。

これらの結果も踏まえ、次の選挙時の参考にさせればいい。

 

新たな議員も、自分が前回議員だったら、どれに賛成したか? を書かせて、国民に公表すべきです。

 

これらをして、初めて「決めた国民が悪い」と言う事になる。

それをしてないのなら、この仕組みを決めれる国会議員が悪いか? もしくは馬鹿だと言う事になるのです。

 

これらが出来れば、より優れた人が議員になり、本当にバカを排除できるようになる事でしょう。

 

この本では、SNSなどの事も言っていて、バカを排除するにはマイナンバーなどをひも付けして、ルール違反を排除できるようにした方がいい、みたいな事が書いてあります。

これは前に私もここで言いました。国が個人認証すべきです。

前に言ったから細かくは言わないけど、認証を使うかはサイトが決めればよく、認証してない人のコメントを排除するかは、個人が決めれるようにしてもいいのです(つまり認証してなくても、コメントは出来る、としても良い)。

誰のコメントを排除するかも、個人が決めれればいい。

 

さっきの議員なる人の筆記テストもそうだが、国民が議員や権力者を監視する世の中であるべきだが、権力者も国民を監視するべきです。

 

そう言うと「監視社会が怖い」と言う人がいるが、「なんでこの国は夜道を一人で歩けるのか?」を考えるべきです。

大事なのは「必要な監視を、正しいやり方で行われているか? を監視している世の中」であるかどうかです。

自由をうたっている多くの先進国では、女の人は夜道を一人では歩けません。すなわち「どの程度の自由が必要なのか?」を考えるべきだと言う事です。

 

もう一度言うけど、この「監視社会」を問題なく行う為には「優れた権力者」が必要です。

「優れた権力者」を世に出す為には「選挙議員のテスト」が必要だと、言っておきます。

(もちろん、この仕組みを作れるのが議員なのだから、実際に無理でしょう。ただ、これを公約に選挙にでる議員がいても、面白いと思いますけどね)

 

10 過剰敬語「よろしかったでしょうか」の秘密

 

ここは面白い事が書いてある気がするが、今一何が言いたいかが分からない。

この文の最後に「結局どうすれば良いかの答えが、社会に見付かってない」みたいな事で締めくくられている様に、社会の現状の状態と、分からないと言う事実が書いてあるのだと思う。

あとは、今までの「まとめ」的な文でもあると思います。

「まとめ」なので、ここで気になった事は、前に言った事だったりするので、あらためては書きません。

 

11 日本人の3人に1人は日本語が読めない?

 

これはよく堀江隆文さんが言ってるやつです。

これは、あてにならないと思っています。

これも前に言ったけど「読めない人」より「読まない人」の方が多いと思っています。

このテストをするのに、どう言う風にやったかは分からないけど、褒美を添えてやってほしいですね。

「点数におおじて、お金を差し上ます」と言ってやってほしいです。もっと点数が高くなる事でしょう。

 

ただ「読まない人」であっても、結局は「その状況による、文章からの内容が理解出来ない」人が多い事は事実です。

それはそれとして、考える必要はあります。

 

「税務申告書から、生活保護の申告まで、説明をよんで正しく記入する為には、偏差値60は必要」と書いてあります。

ある程度の偏差値が必要なのは正しいと思います。

ただ、偏差値どうこうよりも、分かりずらい申告書の方が問題だと思うけどね。

この人が言う、頭のいい人が作ったのが申告書なのでしょ? 頭がいい筈なのに分かりずらいのが必要な状態を作ってるのって、私には馬鹿にしか見えないけどね。

自分が分かれば良いと思っている人は、ただの馬鹿です。

 

ただ「頭にいい人は、自分にしか分からないようにわざとしている」ので、彼らにしたら間違って無いのでしょう。

分かりずらければ、優位に立てるからです。

 

ちょっと思ったのは、この著者って、よく偏差値をいいます。

始めは「分かりやすく簡素化する為に言ってるのかな?」と思っていたけど、たぶん違いますね。

この著者は、偏差値が頭の良さだと思っているのです。大丈夫ですか?

「偏差値とは、ある要素の頭の良さを図る物」でしかなく、偏った計り方です。

 

偏差値が高くなるテストで高得点を取れれば、偏差値は高くなる。

少し経てばAIの方が高得点を取れる事でしょう。

では、この高得点を取れた【始めのAI】を、人は「頭がいい」と呼ぶのか?

いや呼ばない。これは高度な計算機だと思うだけです。

(【始めのAI】と呼んだのは、段々本当に頭がいいように思えてくるのが作られて行くだろうから【始めの】と呼んだのです)

 

偏差値が高い人は、高度な計算機なだけの人もいるのです。

もちろん、他の事も優れている人もいるだろうから、分からないのだけど、少なくとも偏差値だけで計らるものなど、たかが知れている。

 

アスペルガー症候群の人の中の多くに、この偏差値が高得点な人がいるようです。

彼らは偏った人なのです。一部分は優れているが、ある部分は劣っている。決してギフテッドなどと呼ぶべきではないのです。

ではアスペルガーでない人は? この人もアスペルガーと比べると一部分は優れているが、一部分は劣っているので、同じです。

 

これはどっちであっても限界があると言う事です。

決して片方が得意な物を、その人と同じ所までは、物理的にたどり着けない。

 

でも「人は何でも出来る物ではない」と言うのは、当たり前な事なのです。

天才物理学者であっても、食べ物を作れないし、服も家も作れない。パソコンも車もエアコンも作れないでしょう。

でも、天才ならパソコン設計とか頑張ればプロ並みに出来るだろうって?

確かにそうかもしれないが、その時は物理学をやっている時間がなく、天才物理学者ではなくなる事でしょう。

つまり結局人は、助け合って生きて行くしかないのです。当たり前な事なのです。

 

と言う訳で、この著者が偏差値に惹かれる理由が良く分からない。

たぶんこの人自体は、偏差値が高かったのだと思います。

まず、一番見える自分を見なおす事が、世の中を理解する助けになる事でしょう。

 

 

2024年 1月 22日 追加

 

まだこの本の始めの方なのですが、ここでこの本の感想は止めます。

個人的に話す事もあまりないからです。

ただ、ネタとしてこの後の文も面白いし、参考にもなるので、読んだ方が良いと思います。

もちろん全てをそのまま信用してはいけないので、自分でその内容をぎんみしてみる事は大事です。

 

この本で個人的に一番参考になったのが「SNSなどで人を攻撃するのは、本能的な行動であり、それ自体が目的だ」と言う所です。

人を貶めるのが手段ではなく、それ自体をしたいのだと分かったのが、私には「目からうろこ」でした。

他の所も見ておくと色々ためになるので、読んでない方は読んだ方が良いと思える本でした。