号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

終わらない お葬式

アニメ「葬送のフリーレン」4話まで見ました。感想です。

ちょっと「江戸前エルフ」に付いても書きます。

 

この作りがうけて評判が良いこと自体はとても嬉しい、とは言っておきます。

アニメでも飽きずに4話まで見れのだから、決して悪くはなかったのでしょう。

こう書くと文句が出てくるだろうと思うでしょう。その通りです。

 

まず、話自体の総括で言えば「終わらないお葬式」ですね。

普通はお葬式に出て、通常状態だと言わないことを近しい者と語り、思い出も語り、だから始めて自分の心に気が付き、「もっと話しとけばよかった」などと思うものです。

その、普通は死んでから数日で終わる、死者との思い出を、人生が長いエルフなので何年もかけてやっている、という話です。

 

テレビで昔、マツコデラックスによく似た人形を作る、っていうのがありました。知ってますか?

よく出来ていて、遠目だと本人に見える人形です(ロボットだったか?)。

それを部屋に置いておいて、有名なオネエと言われる人達を、内容を伝えずに呼ぶ。ミッツとか、はるな愛とかです。

たぶんただのドッキリだったのでしょうけど、面白い状態になりました。

もちろん、すぐに「なんだ人形か」とみんなにバレるわけですが、集まった人達が段々マツコの話をしだすのです。

人形を前に、普段言わないようなマツコの印象を話し出す。しかも大体は褒めているのです。

しまいにミッツマングローブが気が付き止める。普段直接言わない、友達のほめ言葉を言ってる事が恥ずかしくなったようです。

そして「これは生前葬だ」と言い出すのです。

それに気がつくミッツは流石だと思いますが、よく似た人形を前に知っている人が集まると、お葬式の様な状態になるのです。面白いですね。

思い出や、「実はこういう事は良かったよね」と普段は言わない言葉が自然と出てくるのです。

この映像を後でマツコが見るのですが、とても恥ずかしいようでした。友達が普段言わない様な、ほめ言葉を並べているからです。

で、何が言いたいかと言うと、他人の本物のお葬式を見る事なんて無いでしょ?

だから他人のお葬式を疑似体験したような感じがして印象深かったのです。

もちろん、自分の親族のお葬式とかは、皆さんも出た事もあるかと思います。

ただ自分の親族のお葬式だと、客観的に眺めることなど無いから、通常のお葬式がどんな物か知らない気がしていて「やはりこういう状態になるんだな」と知ったのが面白かったのです。

「お葬式とは、死者のことを思い出し、懐かしむ所でもあるのが、感覚的によく見えた」と言う話です。

 

ちなみに、お葬式とは死者の為にある物ではなく「生き残った人達の為の物」です。

生き残った人達が、踏ん切りを付けるために、イベントをして「ここで終わりだ」と心に刻むのです。

その為にも、知ってる人達で集まり、思い出を話し合うことが大事なのです。

 

さて、フリーレンでやっている事は、これです。

とても長く生きるエルフにとって、10年など一瞬だと言ってました。

だから、普通は数日で終わるお葬式を、また何年もかけてやる話です。

思い出を思い出す、のではなく、本当に10年かけて歩いた道を歩き、思い出す話です。

 

最近思っている事は「アニメにはもっと純文学が必要だ」という事です。

昔ながらの基本の物語の良さこそが、やはり基本なのでずっと大事であり、その大事な要素が抜け落ちているのがアニメだ、と思っています。

このフリーレンが流行っているのがちょっとびっくりしましたが、これもまた純文学ではないですか。

私だけではなく、皆さんも基本の物語の良さ「純文学」に飢えているのだな、と思います。

 

ただ前に言ったように、ただの純文学だと見てられない。

だから上を何かで覆う必要がある。SFとかファンタジーなどです。

だから、フリーレンもファンタジーで覆ってしまうことで成功したのでしょう。

物語制作の人は「純文学」がキーだと気がついて下さい。

これは流行りではなく、一生ついて回る要素です。

 

さて、ではよく出来ていたのか? と言うと微妙な出来です。

もしかしたら漫画だと良いのかも知れないけど、アニメではダメでしょう。

心に刺さらない演出に、音もです。

空気感もない。

なのに、ネットで見ると、概ね高印象なのが不思議でした。

 

アニメ「サイコパス」の時も言いましたが、アニメしか見ない人が普段見ない要素を見ると、とても甘い、と言うのがあります。

サイコパス」もそうですし「僕だけがいない街」もそうですし「フリーレン」もそうです。そんなに褒めるほどは、すごくはない。

映画見てますか? 本読んでますか? と言いたくもなります。

 

ただ、それらアニメ以外関心がない人達の、新たな入り口になれば良いとは思っています。

でも他を見たら「なんだ、大したことないじゃん」と分かると思いますよ。

 

ネットで感想などを見ても、参考になることなど誰も言いません。まあ見付からなかっただけかも知れないけど。

ただ、山田玲司は一味違いますね。このような、普通の物語を語らせたら、やはり他のド素人とは一線を画してます。

 

山田さんは、やはりあまり納得して無かったようです。

この人は作り手側なので、はっきり文句を言いたくなかったから、誤魔化してましたが、自然や街の空気感がない事に、引っかかっていたと思います。

つまり本当の街や自然の感じがしなくて、ただのアニメファンタジーの感じしか感じない、と言う事です。私もそう思いました。

例えば、朝早くおきて朝日を見に行くシーン、寒く感じましたか? 日の出前の暗い夜の感じが出てましたか? それからの朝日の感じが素晴らしく感じましたか? どれもなかったです。

他にも、とにかく本物感、空気感がない。寒い、厚い、ジャリジャリ、ホカホカ、緑の青臭い感じ、緑が風に流れる爽やかな感じ、水の流れる感じ、冷たい感じ、高い所の怖い感じ、食べ物の美味そうな感じ、等など、全てない。

本物感がないと、死の感じすらないものです。恐怖感も虚無感も感じなくなるからです。だから死がなんとも感じない。

あれでは記号として「死んだ」と言ってるだけでしかない。

 

山田さんがこの様な事を話している時、そこのネットの感想で「でもそこは大事ではないのではないのか?」と言うのがありました。

ワンピースやドラゴンボールなら良いけど、この淡々とした作りで、死や思い出を語る物語では、それは致命傷なのです。

だから、本物感がないことが、いたく気に入らないようだったのが、山田さんでした。あっていると思います。

 

ただ単純にお金の問題もあるだろう事は、言っておきます。

才能だけではなく、お金も必要だから、難しい。

他にも、それらを監督だけでは無理だろうから(作画か? コンテか? 私にはわからないけど)、他の人の才能も必要だと考えると、難しい事は分かります。

分かりますが、上手く行ってないことは事実です。

 

あと音ですね。

これも金の問題かも知れないので、酷かもしれないけど、一応言っておきます。

例えば「スカイクロラ」では、音だけでリアルさを演出できる事をみせてくれました(聞かせてくれました)。

普通のアニメであれが出来るかは知らないですが、やはりレベルが違うことは事実です。

つまり絵で頑張れないのなら、せめて音だけ金かけれれば、リアス感が生まれたのにって事です。

それすらやる金も時間も才能もなかったのなら、しょうがないけど、金曜ロードショーで出来るのなら、何かやりようが無かったのかな?

 

実はこの問題は、まだ可能性が残っている事は、言っておきます。

もしここから段々リアル差が増したいったのなら? もし空気感が出せていったのなら? それは失敗ではなく、演出になるのです。

つまり、フリーレンが世界を嘘っぽく感じていいて、段々世界を感じ取って行った、と言う演出に出来るのです。

 

ただ、たぶん無理だと思います。そこを狙っていないと思うからです。

これはネットの感想でも言ってましたが、それは始めの演出が上手くなからです。

魔王を倒し、城に帰る道、なんであんなに淡々としてるのか?

例えば、城が見えてきたら、誰かが偵察がてら待っていて「おーい帰ってきだぞ!」と城の方に叫ぶ。その後道すがら段々人が多くなっていって「おかえり」「よくやった!」とか声をかける。城の門を潜ると、見渡す限りの人が集まっている(下から見上げるような絵が良いかな)。道に人が並び、二階からも人が眺める。屋根に人が上がり、ひと目見ようとしている。って言う風に演出しませんか?

あれでは「数人被害にあった人食い熊を退治した冒険者」程度の演出です。

他にも、後で酒場みたいな所でフリーレンらが集まる。後ろにも人達が普通に飲んでいる。普通「国を救ってくれてありがとう」くらい言って寄ってくるでしょ?

ただ、国の城の近くに人がいないことも、別にあります。飲んでいて人が話しかけないことも、顔を知らないかもしれない。でもそういう事ではなく、演出として雑だ、という事です。

例えば城で宴会をしているが、みんな話しかけてきて何も食べれない。だから「抜け出そう」と言って、酒場に生き、あの酒を飲んでいるシーンになる、とすれば少しは雰囲気が出たのに、と思います。

こういう当たり前な所、しかも始めが雑な所で、細かな演出が出来ない事が露呈しているのです。

 

自然や生活の空気感がない、と言いました。

監督は、砂利道を歩いてみたのでしょうか? せめて高尾山くらい登ったのでしょか? 草木を見に行ったでしょうか? 井戸で水をくんでみたのか? パンを買ってかごに入れて歩いてみたのか? 暗い時間におきて、朝日を見に行ったのか? 奥さんか恋人か、ダメなら同僚でもいいから一緒に朝日を見たのか? 見た時に朝日を見た瞬間の奥さんの顔を見たのか?

それらをやって、あの演出ならしょうがない。

それは才能がないか、もしくは金がないからです。

しかしやってないのなら、努力が足りないのです。

あの空気感のなさは、たぶん体験をやってないと思えて仕方がないのです。

 

さて、フリーレンの内容の事から、他のアニメの事を書きます。

 

ちょっと前に他のアニメ「江戸前エルフ」を見てました。

正直言うとそこまで面白くはないのですが、筆休め的な物も大事なのです。

この話では長生き(もしくは不老長寿の)エルフが今の東京で生きている話です。

ここでも、もう亡くなった人の思い出が出て来る話でした。

これを見ると、あのフリーレンの話が出てくるのが分かります。

ただエルフが長生きなどよくある話で、だから真似だとは言いたくはありません。言いたくはありませんが、江戸前エルフのほうが、原作始まったのが早いので「見てなかったかな?」とは思いました。

 

江戸前エルフでは、主役エルフ、エルダは徳川家康に召喚されたようです。

友達に豊臣秀吉に召喚されたエルフ、ヨルデと、前田利家に召喚されたエルフ、ハイラも出てきます。

だから江戸時代くらい昔にして、大阪夏の陣の頃のリアル路線の物語作らないかな? と思ってみてました。

江戸前エルフは、のほほんとした話なのだが、だからこそ、リアルな話が昔にあった、としたら深みがますと思ったのです。

例えば、あの黒いエルフ、ヨルデは昔は長身長の大人で、秀頼の遺言から死にそうな千姫を助けるために禁断の魔法を使う。居合わせたハイラは「それが成功するかは賭けだから、やってはダメだ」と言う。しかしヨルデは魔法を使い、エルダはヨルデを助ける為に魔法を使う。しかたなくハイラも加わり、千姫は助かる。その名残で三人は魔法が使えなくなり、ヨルデは子供の姿になる。ハイラは「ときには賭けに出るのも悪くはないな」と笑う。と言うのはどうでしょう? まあやらないでしょうけど。

 

で、何が言いたいかと言うと、江戸前エルフを見てたら、だいたいフリーレンの物語は思いつくな、と言う事です。

だからと言って作者が見ているとは限らないし、もし見ていても、この程度で真似だとは言いません。

ただ、昔話をやれば「江戸前エルフ」は「フリーレン、レベルになれるな、やらないかな?」と思ったという話です。

江戸前エルフなら、幕末や二次大戦も出来るしね。

 

さて「フリーレン」に戻ります。

山田さんは、実際の現実と、物語を重ねて見ることに対しては、飛び抜けてますね。流石です。

フリーレンは腐女子みたいな者の暗喩だと思っているようです。つまり過ぎ去ってみて始めて「その時眼中に無かった過去の男は良かったな」と気が付き後悔するオタク、のように見えると言うことです。なるほどですね。

これは山田さんも言ってましたが、そう見えたとしても、作者は狙って描いてはいないだろうと思います。

つまり、自然と感覚的にフリーレンのようなキャラを作る時に、現実が頭に浮かび、あの様なオタクの暗喩のような感じになった、という事です。そうだと思います。

 

現実と重なる所があるから、人は面白く思える時がある。

このオタク女子の暗喩に見えるフリーレンに愛着が湧くのも、自然と自分か周りと重なる部分が暗喩として垣間見えるからでしょう。

 

しかし漫画としての誤魔化しがある。いや誤魔化しがあるからこそ、見れるし、受けたのでしょう。

フリーレンには男がいないのです。客自身が惨めに見える要素は誤魔化しているから、多くの客が見てられる。

それにフリーレンは後悔してるが、フリーレンには未来がる。それこそ永遠とも言える未来、時間がある。だから暗くならないのです。

これは、暗喩のように年取った腐女子の物語では、ただ暗いのです。本当の腐女子だと、後悔した年になったら、もう未来がないからです。

 

などの、なにか引っかかる、見ている人が重ねられる要素があり、しかし誤魔化しもあるこの話が受けたのは、納得がいくのです。

受ける為の、バランスが良いと言う事です。

 

で、この(たぶんたまたまそうなった)暗喩に気がつけば、今後の話をどう持っていくかが考えられます。作り手から見た時にです。

未来があるオタク腐女子をどうすれば良いのか? を考えれば良いからです。

なので、暗喩が分かると方向性も作れるという事です。

だから、このあたりに気が付く山田さんは流石ですね。

(ヨイショではないので言っときますが、山田さんに付いて、普通の物語以外では、気にいらない所も色々見えてきてます)

 

さて、漫画は読んでないので今後は知らないのですが、最後はどうするのでしょう?

オタク腐女子物語だとみれば、そこからの脱皮を目指し、子供が生まれ普通に生きていく(もしかしたら不良長寿もなくなる)とすれば、良いはずです。

しかし見ている人にとったら違います。

読者のオタクは、彼女には、永遠に生きていく、永遠のオタクであってほしいのです。だから男が出来てはダメなのです。

さて、どっちに向かうのでしょう?

子供の未来を見据えている作者なら、腐女子卒業エンドをするでしょう。

ただの面白物語を描く人なら、永遠のオタクエンドにすることでしょう。

 

お葬式は、どこかで終わらないといけない。

終わり、自分の人生をまた、生きていける事に喜びを感じる物語が出来ることを、私は願います。