取り留めのない話でもしようかと思います。
いわゆるウンチクです。
素人のウンチクなので、間違ってるかも知れないので注意です。
ウンチクなど大して意味がないものです。
大して意味がないからこそウンチクなどと呼ばれるのでしょう。
ただ「へー」と思えるものでもあり、この「ちょっと興味が出る要素」が生きてくるかも知れないのが、物語制作です。
なので物語制作とは、これら「へー」と呼ばれるものを集めて取っておくと、いつの日か役に立つ日も来るかも知れませんよ。
昔から山手線を乗っていて、気になっていたことがあります。
それは片側が崖になっている事です。
山手線の東側、いわゆる上野の方だと、西側が崖になり高くなっている場所が多いですね。
ネットで見てみたら、昔の海岸線だったようです。
つまり山手線(正確には京浜東北線かもしれないけど、赤羽の方まで崖が続くからね)の東側が海だったのです。
なので、海では無い方の西側が山の手と呼ばれ、そこを走るのが山の手線です。
逆に低い東側が下町ですね。本当に下の町だったのですね。
(やまのて線と書いたり、やまて線と書いたりしますが、同じものです。昔は両方の表記がありましたね。今はやまのて線で統一してるようですが)
そう言えば「天気の子」のラストシーンが、このあたりなのは見てすぐ分かりました。
調べてみたら田端あたりだそうですね。
東十条あたりから田端あたりまでは、あの様な景色です。
で、今回ネットで調べてみたら、天気の子は、結構この辺の景色が多いようです。
田端、新宿、池袋などです。
都心の有名な急勾配の坂で、のぞき坂というのがあるらしく、豊島区の学習院大学から東に行き、明治通りを越えて更に東に言った、一本裏道にあるようです。
この辺は、ブログでも何度も言った事ある地域です。池袋のあたりに学習院があり、そのあたりに都電が走り、南に神田川、もっと東に行くと早稲田、そして明治通りを南に行くと新宿方面であり、ちょっとは知っている地域です。
しかし、その一本裏道は通らないなあ。だから知りませんでした。
今回改めてこの辺の景色が多かったのが「天気の子」だと分かり、そこから自分の気持ちにも気が付きました。
前から「東京を描く人がいないな」と思っています。
しかし天気の子だと描いてくる。しかもよく知ってる地域をです。
ただ、綺麗に描く。そこが気に入らない。
汚いけど、でも、綺麗な所もあるよ、と言う描き方ならいいけど、ただ綺麗に描くのは冒涜です。
どうも、田舎者が東京に出てきて輝いて見えるのを、そのまま描いたかのような風景画です。
よそから来たら、東京などまるでディズニーランドかも知れないが、住んでいる人にはただの生きていく街です。
結局、汚いとこを無視して、綺麗事でまとめる内容と同じことを、絵作りでもしている。
「そんな所も、また嫌いなんだな」と気がついた。やはり「本物が何もない物語」だったことに気が付いたという話です。
話は戻し、田端あたりの崖は海岸線の崖なのだから、海に沈むとなると、あの様な絵になる事自体は間違って無かったということです。
なので、京浜東北線が通る当たりが海岸線で、昔は江戸城からだと海が見えたようですね。
23区で坂が一番多いのが港区だそうです。二位が文京区です。
なぜか?
東京の山の手が武蔵野台地であり、その東端が港区と文京区だからです。
京浜東北線の西側が港区と文京区ですね。だからその東側が昔海だったのです。
川が流れてきて、下流だと平になって川が分岐していきます。
その分かれた下流の川で削られて、スジ状に段々になってしまったのが、海の手前の港区と文京区だったのです。だから坂が多い。
関東は関東ローム層で、火山灰が積もって出来てます。
武蔵野台地の上は火山灰で出来ていて、水をよく通す。
だから水は下の方まで浸透してしまい、深い下の方を横に水が流れるのです。
だから武蔵野台地の高い所は井戸を掘るのが大変だったようです。深く掘らないと出てこないからです。
だから「まいまいず井戸」と言う、始めにすり鉢状にほってから、井戸を掘るというのが多かったようです。
逆に川で削られたりして低くなっている所は、上流から流れて来た水がまとまってそこから出てくるため、多く湧く場所になるようです。
なので逆にそこは水が豊富な場所になる。
武蔵野台地の高い所は水を得にくいので、多くの水がいる田んぼが作れなかったようです(江戸時代以降は川から水を引いたりして、頑張って田んぼを作っていたようですが)。
だから昔は畑が多かった。
他には入会地として使われていたようです。
入会地(いりあいち)とは?
村人が共同で所有する、山や林や草原の事です。
昔の村は、近くに必ずこの様な共有する土地があったようです。
そこで取れるものは勝手にとってはいけない。共有だからです。
そのから取れる、木や、肥料用の落ち葉や、まぐさやカヤ、他にもキノコなどは共有で管理されたようです。
そもそも昔は火を焚かなくてはいけない。食事を取るためには、何を食べるにもまず火が必要だから、まきが絶対に必要なのです。
ちなみに人類は火を使うために、食べ物を柔らかくすることが出来、それで猿みたくずっと噛んでいる必要がなくなったようです。
猿っていつも何かずっと噛んでいる印象がありますね。生だとそうしないといけなかったようです。
今や主食の米や麦など、火を使わないと食べるのは大変そうですよね。
もちろん火を通せば、食中毒なども防げたので、いい事づくしだった筈です。
なので村の近くには入会地があり、必ず木を取る場所があったのです。
その木を取るための場所として管理されたのが「雑木林」です。
皇居東御苑の一角に、雑木林があります。
「失われていく武蔵野の雑木林を残すために、昭和天皇が作った」とあります。
「なんでわざわざ雑木林を残す?」と思ったのですが、雑木林こそが武蔵野の林の風景であり、居心地の良い場所だったのでしょう。
雑木林と書き「そうきばやし」と読むが「ざつぼくりん」とも読むようです。
これってただの「雑な木があつまった林」かと思っていたら、そこまで単純ではなかったのです。
wikiによると「クヌギやコナラなどの広葉樹でできた、人工的、意図的に付いられた林」とあります。
クヌギやコナラは薪として使われたようで、これらの木は萌芽更新(ほうがこうしん)出来る木だそうです。
萌芽更新とは?
木を伐採すれば切り株だけが残る。その切り株からびっしり芽が発芽してまた伸びていく木で作られ、また森林が再生していくのを期待する方法、だそうです。
つまり「切っても切り株から細かな芽がまた伸びてきて、数年から十数年で大きくなり、また木を取れる」という事です。
つまり今流行りの「サステナブル」な作りをしてたのが昔の日本だったのです。
薪のために木を切っても、十年で元に戻るというのなら、年間使う木の十倍の場所が用意できれば、ずっと木に困る事が無い、という事だからです。
極相(きょくそう)とは、最終的になる平衡状態の事です。
始めは落葉樹などが大きくなり、しまいに常緑樹が大きくなっていき、始めの木より大きくなり、始めの木の方は廃れていき、最後には大きな常緑樹に覆われ、いわゆる光が下まで通らない暗い森になっていく。
そして暗い森の状態でこれ以上は変わらない。これが平衡状態です。
照葉樹林は暗い森だ、と言う事でもあります。
明治神宮の森は人口の森なのだが、これも始めからこの流れを狙って作ってある。
百年経てば、暗い森に覆われ、関東の昔からある状態になっていくだろう、と予測して作られてます。
そして今は暗い森になっていますね。
これが木々も神と崇める神社なので、この暗い森であっているのです。神秘的になるからです。
なので関東は元々照葉樹林であり、暗い森で覆われていた筈です。
ただ今は、もうほとんど残ってないようです。気が色々必要で、切ってしまったらだと思います。
切られた後に他の木が生えてきて、自然に雑木林になったりするようです。
ただ、放っておくとまた、いつの日か照葉樹林に戻る。
だから雑木林として残るには、人の手が必要だったのです。
あまり大きくならない内に切ってしまう事、そしてクヌギなどの落葉樹で出来てる事、などから、下まで日が当たる明るい林なのが雑木林です。
明るいから、雑草が生えます。暗い森の方は、下はもう落ち葉や苔などしか無いが、雑木林は緑の草が一面に生えます。
だから虫もいるし、虫もいるから鳥や動物も来る事でしょう。
細かな落ちた木も、燃やすのに使うから取ってしまう。つまり林がやぶ化しないという事です。
落ち葉も肥料で取ってしまう。
なので、明るく見通しが良い緑の草が生えた、とても人にとって居心地が場所が形成されるのが、雑木林だったのです。
皇居東御苑の雑木林で「何でこんなに居心地がいいのだろう?」と思ってたのですが、これで分かりました。
ちなみに、本によると「雑木林はいい状態を保つのには、日々の管理が必要で、普通の木々より手間がかかり大変だ」と書いてありました。聞いてみないと分からないものですね。
皇居東御苑の雑木林は、99%以上の人が見向きもしません。
私は通り過ぎる人々に「いや、よく見て」と言いたくなります。とてもよく出来ているからです。
雑木林の事を調べ、その理由が分かった気がしたので、良かったです。
皇居は管理も行き届いていて、とても雰囲気もバランスもいい雑木林が出来ているので、行った方は、本当によく見て下さい。もったいないです。
昭和天皇が残そうとしたのも意味が分かりました。
江戸は人口が多く、だから必要な燃やす木も多く必要です。だからこそ、昔はよくあった雑木林。それの雰囲気がとても人にとって良かったので、どうしても残したかったのでしょう。
さっきも言ったように、雑木林とは切ってもまた再生する林であり、しかも人にとって気持ちもいい場所であり、本当に江戸はよく出来てましたね。
他にも、江戸時代はよく出来ていたと、よくいいます。
例えば肥溜めですね。
江戸ではトイレがあり、そこに共同でします。
ヨーロッパでは、糞尿を窓から外に捨ててたようで、だからコレラとかペストが流行ったと言われてます。
日本では溜めておいて、最後は農家に売っていたようですね。肥料として。
どうも、武家屋敷などの糞尿の方が高かったようです。良い物食べてるので、その糞尿の肥料効果も良かったようです。
昔のドラマなどで「もうおめえの所で、クソしてやらねえからな!」と怒る町民、というシーンがあり「なぜだろう?」と子供心に思ってました。
しかし糞尿を溜めていって売っていたのだから、この文句も納得ですね。
植物とは不思議で、畑に溜めをまいて水をあげてると、大きくなっていきます。
別に手品ではないので、仕組みがある。
あの植物を形成している原子は、どこかにあったのは、間違いがないのです。
ではどこにあったのか?
もちろん土です。土にある原子を吸って、体にしてしまうのが植物です。
だからしまいに使ってしまった原子がなくなる。
なので補充する必要がある。
それで肥溜めの糞尿を使うのが見事です。
それは元が植物の体だからです。動物であっても、その動物は植物を食べてるので、植物の体を形成する物が、糞尿に含まれているのはもっともなのです。
その原子を人は食べ、自分の体に使えるのは残すでしょう。
しかし多くはいらない物もある。それを出したのが糞尿です。
それをまた畑の植物に戻す。まさにサステナブルですね。
植物が必要な原子を得るのは土だけではない。
明らかに土が減っていかないのだから、他の所から多くを取り入れていると思うのが自然です。
まずは水ですね。水自体のH2Oや、水に含まれる他の原子も使っていることでしょう。
そして大事なのが空気です。
空気中から原子を得る事が出来るようになったのが、また見事ですね。
植物は酸素を作っている、と思っている人がいる。
植物は二酸化炭素を取り込んでいる、と思っている人もいる。
間違ってはいないけど、思っている意味合いが間違っている。
植物がやっているのは、二酸化炭素(CO2)から炭素(C)を取り込んで、いらない残りの酸素(O2)を出している、のが正解です。
もちろん植物だって酸素は必要だが、そんなにいらない。だから出していて、それが動物には役立っているだけですね。
植物の行動から分かるのは、炭素(C)が大事だと言うことです。
我々地球生命他は「炭素生物」だと言われています。植物も動物もです。
それは体と形成する分子に多く使われているのが「炭素」だからです。
体を見ると分かると思いますが、不思議な沢山の物質で出来てますね。
肌や神や爪や目や毛などです。
常温で個体部分と液体部分もあり、やらかい所に硬い所もある。
それら複雑な要素がある、多種の分子が必要だとは分かると思います。
それら多種、多様のタンパク質の分子を形成するためには、原子の炭素が必要だったと言われているのです。
軽い方(原子番号1の水素)から見ていって、始めに出てくる原子価4の原子が炭素です。
原子価とは、学校で習った「手の数」と言うやつです。他の原子とつなぐ事が出来る手の数です。
この手の数が多いほうが色んな繋がり方が出来る。だから複雑は分子が出来るのです。
(逆に例えば、原子価1の水素では、何か一つに繋がる事しか出来ない。これでは複雑はものなど無理です。)
炭素はこの複雑は繋がり方が出来るために、複雑は分子(タンパク質)が出来、それで生物などという複雑な物が出来たのだろう、と言われているのです。
ちなみに軽い方から行って、次に出てくる原子価4の原子がケイ素です。
だから「どこな星でケイ素を基本とした生物、ケイ素生物がいるのじゃないのか?」という所からSFではケイ素生物が出てきたりするようです。
ただケイ素は高温でないと分子を作れないために、普通に考えたら、炭素を元にした生物しかいないだろう、と言われているよです。
生物は動かないと行けないので、凍っていたら無理です。だからある程度の温度が必要です(液体と気体が必要だと言うこと)。
逆に高温すぎると解けてしまって、姿が保てない。液体や気体だとまとまった体を保てないので、自然に出てくる生物は無理だろう、と思うのが普通であり、だから高温過ぎてもダメなのです。
程よく固体、液体、気体がある環境でないと、自然に生物が出来るのは難しく、高温でしかあらたな分子を作れないケイ素だと無理だろう、という事です。
最初の宇宙誕生の時には軽い原子が作られたと言われています。重水素やヘリウムなどです。
実際に今宇宙にある一番多いのが、元素番号1の水素であり次が番号2のヘリウムだそうです(正確には、ヘリウムの方が始めは多かったようですが)。
それ以上重い原子は、恒星が出来、その中で作られたようです。
他にも、超新星爆発などの、高温高密度状態でないと作られない物(金とか)もあるようです。
E=MC2(本当は二乗だが、この書き方で勘弁です)と言うのは有名ですね。
つまり質量とエネルギーはイコールです。
原子を作るのには、強いエネルギーが必要だと言うことです。それこを太陽の中とかでないと作れない。
だから原子は作れません。なんので原子である「金」は高いのです。作れないから、数が限られているからです(昔の錬金術師が成功しないのはしょうがないのです。太陽内でも金は無理なのだそうです)。
逆に質量からエネルギーを取り出すことも出来る。それが核爆弾とかのことです。
あれは核融合とか核分裂する時に、質量が少し軽くなるのです。その軽くなった分の質量がエネルギーとして出てくるのが、核エネルギーです。
太陽も段々エネルギーとして出してしまって軽くなってます。そしていつの日か膨れ上がり地球も飲み込むくらいの大きさになると言われてまが、気にしないでいいくらいの未来の話です。
今流行りの核融合炉は、水素やヘリウムによる核反応からエネルギーをとりだそうとしています。
始めの宇宙で軽い物質しかなく、それから恒星が作られ、それで重い元素が作られたとあれば、水素やヘリウムからも核反応出来そうだとは思うけど、本当に出来そうな未来が来そうなのがすごいですね。
水素やヘリウムなので無尽蔵にあり、だからエネルギー問題などはなくなると言われています。そうなる事に期待ですが、たぶん私は生きてないので、直接は関係はないですね。
それに核廃棄物問題や放射能問題は、まるっきりなくなる訳ではないので、色々管理は大変だとは思うけど、今よりは楽だと言うことです。
さて話は戻り、炭素が生物には必要で、植物は空気中から取る方法を得たのです。
それは空気中の二酸化炭素から取っていたのです。
今は二酸化炭素が悪者のような扱いですが、必要なのは知っておいたほうが良い。
脱炭素などと言うけど、炭素からは逃れられない。
人間を抜きにして考えれば、暖かくなるのも、二酸化炭素が増えるのも、別に悪いことではないのです。その方が地球の生物は増えることでしょう。
もちろん我々は人なので、自分の都合で物事を考える事はかまわない。
人にとって二酸化炭素がいらないというのなら、それは別に否定はしません。
森は体と形成するために炭素を取っている。
それが分かれば、森の炭素吸収力が、大体わかります。
一回森が形成されてしまえば、これ以上は増えないのだから、二酸化炭素は吸収しないのです(全体としてです)。
と、言いたいところですが、話はもう少し複雑です。
それは、落ち葉や枯れ木となり、地面に落ち、しまいに土になる事です。
植物の体と形成していた炭素が、土になり、重なっていく。
つまり、森とは長い時間をかけて、炭素を土にしてるのです。
実際、土をほって調べてみると、結構深くまで炭素が検出できるそうです。
なので。森は炭素を溜め込んでいることは本当でしょう。
だけど、どのくらいなのか? と言うと謎ですね。
地面に残る炭素量を調べないと、分からない事でしょう。
さて、10月に入り涼しくなってきたし、また山手線にでも乗って、皇居あたりの緑でも、また見てこようかと思っています。
その道中でも、過去と未来、そして地球と宇宙を思い描くことだって、出来るものなのです。