号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

アトムは人の上にいるのか、中にいるのか?

アニメ映画「イヴの時間」を見て、考えた事です。ネタバレです。

 

「人とは何か?」が題材でしょうか? これはアニメでも「アトム」からすでにやっている古典芸能です。

私個人は「いつまでこの題材でやるんだ」と思っているので、基本嫌いです。

しかし意外と見てられました。リアル寄りな世界でやる事により自分と重ね見てられるからでしょう。「もし人にしか見えないロボットが自分の生活にいたら?」と思いながら見れるので、飽きないで見てられたのです。

 

さて、内容ですが、「一話15分の物をつないだので、一本の映画としたらまとまりが悪い」「3DCGで出来た店内を見せたい為に、必要のないカメラワークが邪魔」「一本の映画としたら、何を言いたいか分からない」「中途半端な所で終わってるような内容」と言う所でしょうか?

これらは皆が普通の思う事なので、ダイジェストでおおくりしました。

 

そして大事な内容の事、ロボットとは何か? どうあるべきか? 人とは何か? 等の方を書いていきます。個人的な意見です。

 

まず思ったのは「やはり人にしか見えない人型ロボットはダメだな」と言う事です。

人の感情は「人にしか見えないのに違う物」に対処できるようには出来てません。動物としてそのような状況に対応する必要が無いので、そのようには出来てこなかったのです。

多かれ少なかれ「人じゃないんだろ」とか「なに人みたくふるまってるんだよ」とか「人にしか見えないのが逆に気持ち悪い」とか思うものです。

つまり何かしら葛藤が生まれます。ならそもそも人みたくする必要が無いのです。

そして「人じゃないのだから」と、ロボットを殴ったり蹴飛ばしたりしだします。これは精神衛生上良くないですね。しまいに人間に対しても同じように対応するようになるものです。

「そんな事はない、人かロボットかの区別は出来る」と思っている人は、あまいです。人は日々人に対して「横柄に出来ない、もしくはしない」事で、それがしみ込んでいくのです。それが人にしか見えないロボットに横柄な態度をとってると、それがしみ込んでいって人に対しても同じようにふるまうようになるのです。

例えば中小の社長で、絶対的な立場でいつもいると、その会社の外でも横柄になりがちです。感覚が分からなくなるのです。主婦も家でカカア殿下でいると、外でも横柄になります。

もちろん分かっている人は、外で始めは横柄でも「しまった」と思いすぐ直しますけどね。でも始めは感覚がずれてる事が、分からなくなるものです。

それがロボット相手でも、いつも何をしてもかまわないと思いながら過ごせば、人はおかしくなっていくものです。「ひとは日々飼いならされて人になって行く」と言うような事を司馬遼太郎さんも言ってましたが、そうだと思います。

だから人にしか見えない人型ロボットは。人の為にはならないからダメですね。

たぶん人にしか見えないロボットは、多くの国では禁止される筈です。

 

ちなみにこのアニメの中では言い訳が欲しかったですね。

例えば「病気が流行り沢山人が死んで、人口が10分の1位になった未来において、人が足りないので人型のロボットが使われるようになった」とかね。

 

では「人の感情を持つ、もしくは持ってる様に見える」まで作り上げたロボットが必要か? もしくは存在しても良いのか? 問題です。

たぶんダメですね。これも危ない。あくまで何かが足りない、部分的な物に留めておくべきです。

例えば実体の持たない言葉だけの存在。今ある「話すと何か返す機械」の進化系です。体を持たせるべきではない。

体を持ってるロボットはロボットの形にしてロボット口調にする。百歩譲っても、せめてドラえもん位にしとくべきですね。

距離を置くべきです。人と同じレベルにはしない。なぜか?

それは人を通り越していくからです。

このアニメでロボットは人の様に振る舞い、人の様に考えて、感情があるような行動をします。それはもはや新たな種族では無いでしょうか?

前にも言いましたが、進化の過程で単細胞から多細胞、魚から爬虫類、ほ乳類から人へ……、等と人は思うものですね。そして人の向こうは? AIですね。人を超えた人の向こうにある新たな種族です。

動物や植物の生殺与奪権は、概ね人が持っています。そして人を超えたAIは人の生殺与奪権を持てるようになります。だから作るべきでは無いですね。

 

その上、今までの種族と明らかな違いがあるのがAIです。

彼らは動物としての基本すらいじくれ操作できるからです。それが出来た動物はまだいませんね。経験したことのない、新たな脅威になるのです。

生きようと思う気持ちも消せます。痛いと言う感覚も消せます。全ての感情も消せます。(元々無いのだから、元に戻せるだけですが)つまらない、悲しい、嬉しい、面白いも、全て消せるのです。

人もそうだけど、動物は消せない基本条件をもって生まれてきます。それがあるから動き続けるのです。なければ止まってもかまわない。つまり死んでもかまわないのです。

死ぬのが怖いとか、痛いとか、生き続けたい、子供がかわいい、等の基本条件が消せない状態で始めからあるのが、生き物です。

それを消せるロボットは生き物では無いのです。いや、生き物とそうでないのかを操作して切り替えれる、と言う事です。

最大の力を得れるロボットが、生きる事を絶対目標では無い様にする事が出来る。それは人類の、そして生物の危機が訪れると言う事です。

 

ちなみにロボットもそうだけど、人間もいつかは感情や記憶を消せたり、いくらでも複製出来るようになったりしそうですね。

これは同じです。人から生き物の基本をいじくれるようになったとしても、それは生き物では無くする事が出来ると言う事です。

そしてそれはロボットと同じです。人では無い。

ハラリさんが著書「ホモデウス」で人は神になって行くと言うような事を言ってましたが、これは人では無くなると言う事です。動物でもない。感情を持ったロボットと同等な存在です。それはどっちも人を超えた物だけど、人では無いのです。それを望みますか?

 

つまり「感情を持ったロボット」と「感情すら操作でき、複製も出来るようになった人間」の違いは無くなると言う事です。

ただ基本が金属か、タンパク質か(炭素生物か)の違いだけです。

 

神はアダムとイヴを作り、それが知恵を持ったので楽園から追放されました。

でもイヴはあくまで神の劣化版です。しかしロボットは作った人を超えれる存在です。同じでは無い。

人は神とは違うのだから、イヴを作るべきでは無いですね。

それが出来た時、楽園から追放されるのは人の方ですよ。

 

でまあ、そう言う事なのだけど、どうもこのアニメ、メタ的な要素がある気がします。

「人が作った物を、ある場所では人と同じように扱ってもいじゃないか?」と言う物語ですよね?

これはそれこそ「アニメ等を見ているオタクに対し、気持ち悪いとか言わなくったっていいじゃないか? アニメオタクにも権利を」と言いたい気がしてなりません。

そうじゃなければ「人が作った物を、人と同じように扱う権利」をうたう物語にする意味が分からないからです。

ああ、そう考えれば「アトム」もそこから出て来た物語かもしれませんね。