号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

アニメ「蒼き鋼のアルペジオ アルス・ノヴァ」の感想です。ネタバレです。映画版はまだ見てません。

 

良く出来てますね。

でもこの作りでも気に入らなくなってきました。

目が肥えて来たのか? 見過ぎて飽きて来たのか? 年を取ったのか?

 

日本の3DCGもこなれてきましたね。

私は前から3DCGで何がいいかと言ったら、戦艦だと思っていました。

もちろんアメリカの映画のように実写にしか見えないのなら何でもいいのですが、そこまでお金をかけれない日本で出来る範囲だと、戦艦みたいのが良いのだろう。

まず第一に、あまり動かない事です。人みたく歩くなど複雑な動きが無いし、表情も無いのです。だから人より本物っぽく見える筈です。

第二に、作りがゴチャゴチャしてるからです。簡単な作りなら手で描けばいい。しかし複雑な造形ならCGの方が効率がいい筈です。

第三に、パースが強い絵が作りやすい。パーズが強いと毎回手で書くには大変ですね。戦艦は大きいので奥の方が小さく見える絵が必要です。だからCGの方がやりやすくなる筈です。

だからこのアニメは3DCGで正解だと思います。

 

前にガンダムオリジンを見て思ったのが「戦艦の動きが良くない」と言う事です。

これは3DCGで書かれた宇宙戦艦でしたが、動きがちゃっちい。おもちゃを手でもって動かしてるかのようでした。

大きな物なので、とにかくゆっくり動く筈です。攻撃をくらい、戦艦が横に傾く。この時は始めはほぼ動かず、そしてゆっくり横に動き、そして一度動いだすと止まらない筈ですね。しかしそうなってないので嘘っぽかったですね。

もちろん宇宙戦艦なので、我々が知らないか科学力でそうなってるとも言えなくも無いのですが、肝心なのは「見てる人がそれらしく見える」かです。嘘っぽく見えた時点で失敗です。

それにパースがきいた絵が少なかったように見えました。

戦艦に寄った所から遠くを見て、戦艦の端は奥に小さく見える。まるで背景の様に。その向こうからモビルスーツが見え近づいてくれば「動きの遅い戦艦ではモビールスーツにはかなわないな」と思わせる絵が出来たのに、残念でしたね。

 

しかしアルペジオの方は上手く出来てました。こっちの方が古いのですかね? じゃあ単純に作り手が上手いのでしょう。

とは言っても、こっちも動きがデフォルメしてますね。

まあSFもどきな作りなので、実際の戦艦の動きをあまり忠実に描く気が無いのは分かりますが、大事なのは「それらしく見えるのか?」ですね。

潜水艦が水中から飛び出すように出てきて、重力で水平になる動きが何度かありますね。早すぎます。もっとゆっくり動かせば重みが出るのに、残念ですね。

あとはミサイルが垂直に沢山発射されるシーンでは「始めは遅く動き、その後段々早くなる」とすれば味が出るのにな、と思いました。

このミサイルの嘘っぽい動きはわざとでもあるのだろうけど、試したのか? を聞きたくなりますね。試してただ早く発射されるミサイルの方がいいと思ったのなら、ごめんなさいです。

 

さて物語の方です。

これも悪くない。

しかしこれは「アニメや漫画を見て来た人が、それだけでたどり着いた物」ですね。

私が前に言った様に「アニメや漫画だけを見てアニメを作ると、一部は尖ってくるが、幅は無くなってくる」と言う事です。

アニメっぽい良さはよく出来てますね。それすら出来てないアニメがほとんどの中で、アニメの良さを伸ばして表したこの作品は、価値があります。

だけどこの一、二年、私はアニメ制作の深さを探ってきたせいか、それだけだともう物足りないのです。

私だけでは無く、たぶん他の人でも深い考えの人が作ったのと、違うのを見比べれて行けば分かると思います。つまりこのアニメでもまだ先があると、多くの人も思うだろうと言う事です。

無い事ですが、このアニメを高畑監督が作ったらどうなったのか? 宮崎駿なら? 富野さんや押井さん、そしてイクニさんならどうなったのか?

もしかしたら、元よりつまらなくなるかもしれませんね。しかし違う味は必ず出る。

あくまで理想論ですが「それらの味を付け、元の面白さを残す」そんなアニメを見たいですね。

 

では何が悪いのか?

人が薄いですね。人の中身がです。人形ですね。

でも面白いのは、このアニメの作り上、戦艦のメンタルモデルは人形なのです。だからあっている。

しかし人もいます。それが薄いので、狙って人形っぽくなったのでは無いのだと分かる訳です。

もしリアルな「人」を描ける監督ならもう少し違ったはずですね。

イオナとタカオが双方を嫉妬しそうな目で見る時がありましたね。例えばここでイオナが群像に嘘をつく「タカオはもう出かけていない」とか言ってタカオと会わせない様にする。それがばれてタカオとケンカになる。イオナは自分でも何で嘘を言ったのか分かない。こういうシーンがあれば、最後のタカオが「イオナにはかなわない」と言い自分を犠牲にイオナを復活させるシーンが盛り上がった筈ですね。

これは「人を描く」と言うにはありきたりで大した事でも無いのだけど、「人」を知ってる人なら、もっと細かな人の感情の動きをやろうとはした筈だ、と言う事です。

もちろんこのアニメの作り上、あまり「感情が渦巻く物語」にしない方がいいのは分かります。もっと楽に見る物語ですからね。でも壊さない程度のちょっとしたものはあった方がいいと思います。だから私が「イオナが嘘を言うシーン」位いれても良かったと思ったのです。

群像も薄いですね。ただの進行役です。たぶん原作者が男には興味が無いのでしょう。

 

ちなみに、このアニメの監督は「エンジェルビーツ」の監督だそうですね。

思い出せば「エンジェルビーツ」もキャラの内情を描くのは薄かったですね。

でもあっちは物語が重い内容です。だから更に深く内情を描くなんてしてたら誰も見てくれなくなりますね。だからあの薄さであってたのです。

そしてもっと言えば、もしかしたらわざと内容の方を描ける範囲内に落とし込んだのかな? なんて思います。それが出来たのなら、物語制作とは違う才能だけど、すごいなとは思います。

エンジェルビーツ」も「アルペジオ」もどっちも薄い感情のキャラで、大体は上手く行く内容だからです。

出来る範囲内の事に合わせていく事は、大人として大事な事ですからね。

でも狙ったのか? たまたまなのか?

 

最終話だと戦艦戦ではなく、精神戦になってきますね。これは物語上そうなるのはしょうがない。

そこで縛られた景色とか、たまに移すピアノとか、何かをやろうとしてる事は好感が持てます。

しかしまだ薄いですね。

せっかくの潜水艦なのだから、精神世界に潜って行く絵にすればいいのに、と思いました。

それに潜水艦は見えない戦いです。目には見えないもので戦うのです。

だから目で見たもので判断しようとする金剛、見えないものを理解しようとするイオナ、と言う対比で描けば良かったんじゃないのかな? と思いました。

そうすれば最後「イオナが群像の声が聞こえる」と言う所が「潜水艦なので声が聞こえる」事だと強調出た筈です。

それで「人の声を聞くイオナ」でもあるし「聞こえた声から、見えないものを想像し理解しようとするイオナ」までつながった気がします。

 

さて細かな内容の事です。

ちなみにwikiの情報が多いです。なので間違ってたら御免なさい。

アルペジオですね。音楽で和音を出すのに、いっぺんにひくのでは無く、分散して出す分散和音の一種だそうです。

つまり原作から、仲間が増えて行って、最後別々な人の集まりが、一つの何かを成し遂げる話になる、と決まっていたと言う事ですね。

だからアニメでも皆敵が集まって仲間になって行くのでしょう。

そして仲間が集まり強くなっていく話は、男の話の定石です。男の話は増えていくものなのです。ワンピースと同じです。(ここの所の話は前に「ユリ熊」の時に言いました)

主役っぽい人の名も群像ですからね。これも皆が集まり何かをなす事を表してます。

 

そしてエンディングテーマの前に出て来る英語です。これをやるのだと言う事ですね。

ゴーギャンの絵で「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」と言う題名の絵がありますね。この事です。

これは有名な言葉らしく、よく物語で引用されるようです。

たまたま最近YouTubeで、2016年の押井さんと鈴木プロデューサーのトークを見てたらこの事を言ってました。押井さんの映画「ガルムウォーズ」もこの事をやっていると言ってましたし、前にも引用したと言ってました。

この言葉はwikiによると、キリスト教の教理問答から来ていると言う事です。

ゴーギャンキリスト教徒であったが、最後はキリスト教に猛反発したと書いてあります。だからこの言葉が面白いですね。

キリスト教の教理問答の基本は「人間はどこから来たのか」「どこへ行こうとするのか」「人間はどうやって進歩していくのか」だそうです。ここには「我々は何者か」が無いじゃないですか。面白いです。

キリスト教には自分が何者かは関係が無いのですね。それは「どこからきたのか」の中で、神に作られたとあるので、それがもう答えなのですね。神の小羊なのでしょう。

しかしキリスト教とかの宗教を信じなければ「自分は何者か?」が大事な質問になるのです。人は進化してきたと分かっても、その存在理由はそこにはない。だから「じゃあ何なんだ?」と考えるのでしょう。

 

アルペジオの中でのメンタルモデルが自分は「どこからきて、何者で、どこに行くのか?」と悩む事を表しているのが、このゴーギャンの絵の題名ですね。

この絵の中に青い象が描かれているが、wikiによるとこれは「超越者」じゃないのか? と言われているようです。これが「蒼き鋼のアルペジオ」の「蒼き」に係っているのかな? と思います。(それと青の六号かも?)

ここで面白く良く出来てると思ったのが、この戦艦が何かが描かれてない所です。

ネットでの感想では「結局この霧の艦隊が何なのか? が描かれてないの気に入らない」と多くありました。しかしわざとかもしれず、わざとなら見事ですね。

ゴーギャンのこの題名は人に対してですよね? つまり人だって「どこからきたのか、何者なのか、どこへいくのか?」なんて分かって無いと言う事です。

だから霧の艦隊が同じ事を思ったとしても「実は人と同じじゃないか?」と言う所に行きつくのです。

人だって何者かは分からないけど、そんな事はどうだっていいでしょ? じゃあ霧だってどうだっていいじゃないですか。

大事なのは「何者か?」では無いのだ、と言う話なのです。

だから最後に皆が仲間になる。

そしてそれぞれが別の音を出しているし、別々のタイミングで出してもいるが、うまく合えばアルペジオとして、和音として、皆で一つの未来を作れると言う話なのです。

 

なので良く出来てます。

しかし細かな所はまだまだ出来ますね。

「どこへ行くのか?」です。

ここで留まるのでは無い、どこかに行くべきなのです。