漫画「夕凪の街 桜の国」感想です。ネタバレです。
見た事は無いですが、たぶん人は泣きながらは首をつらない。泣きながら飛び込まない筈です。多くは真顔で死んでいく筈です。
私も人の子なので、泣いている人をテレビとかで見かけると、もらい泣きをしそうになります。
しかし次の瞬間に「お前はまだ泣けるじゃないか」と言う感情が湧いてきます。「泣けるお前はまだましじゃないか」と思えてくるのです。
ライオンに追われてる時、地震の最中、津波から逃げてる時。そんな時は泣かない筈です。その後、ひと段落してから泣けて来るのです。
前にテレビか何かで聞いた事があります。「精神を病んだあとで、泣ける事が出来るようになった時は、良くなっている」と言う事です。
失った筈の物が蘇ってくる、まだ生きているのだと分かる、泣けると同時にそんな感情がまだ死んでなかったのだと思える時もあるのです。
だから泣ける時はまだましです。感情が死んではいないのです。感情が死んでる人は真顔になるのです。
枯れたと思った木が、生きていればその後いつか良くなり、花が咲く事もあるでしょう。
また桜が咲く事「も」あるのです。「も」ですが。
読んでいる時の感想は「よくありそうな話だな」と言う事です。
しかも最後オチが無い。しまらない終わり方だな、と思えました。
そして最後作者のあとがきを読んでる時、泣けてきました。
あとがきの内容で泣けて来るのではないのに、泣けて来るのです。
内容での事で、原爆被害者の事とか、見ると皆が気が付きそうな事は書きません。
それらは誰かが書いてくれるだろうから、大事な事でも書かないので、他の人の感想を聞いて下さい。
私は気が付いた細かな事や、逆に物語上の大きな作りで、気になった所を書きます。
まずは「夕凪の街」と言う題名ですね。これは元になる本があったそうですが、その内容は分かりません。しかしこの題名にはあってますね。上手いです。
夕方の凪ですね。海沿いの地形だと朝と夕に風が止まる。その時を凪と言います。
陸地より海の方が水なので、温まりにくく冷めにくい。夜は陸地が冷たくなるが、海はそれよりはまだ暖かいままです。その寒暖差で風が起きる。朝は日で陸地が温まって、海は温まらない。なので逆に風が吹くのです。
そしてその朝夕の途中は風が止まる。それが凪ですね。
漫画だと、原爆から10年後でだれも原爆の話をしないと言ってましたね。まるでなかった事のように言わない。それは辛いからでしょう。この状態を凪で表しているのでしょう。
しかしやっと最後に風が出てきます。皆の気持が乗り越え、少しは原爆の事を言えるようになったと言う事です。少しは前に進めるようになった。それが原水爆禁止世界大会のビラでもあるのでしょう。
しかし最後ビラは舞っています。これは風が出て来たが、結局原水爆は禁止されてないと言う事です。
そして始めは怖さから原水爆を禁止しようと世界でも思われ始めていたが、また忘れたかの様に危ない風が吹いてきたと言う事です。
つまりいい意味と、悪い意味の風が吹いてきたと言う話になっています。
だから夕凪なのです。朝凪では無い。けっして明るいだけの未来では無いのでしょう。
平野皆実が最後亡くなります。
この時が絵が無く白いですね。上手いですね。
たぶん死んでいく人はこんな感じでしょう。もちろん病状にもよりますが、多くは段々白くなって行く筈です。
実際は黒くなっていくのが正解かもしれません。しかしそれすら感じられなくなっていく。つまり黒い物を黒くすら感じられなくなっていき、感覚的には白くなっていくと思います。
上手いですが、これが本当にそうかは、今わのきわに分かる事でしょう。
桜の国です。
生きて行けば桜が咲くのでしょう。
それだけの事です。
「それだけの事」の大事さの話です。
話の中身は、なんとない日常が多いですね。
原爆の事を描くのに、その直後を描く事も大事です。
しかし放射能の事もあり、その後の方が長いのだからそちらを描く人も必要ですね。
そしてそれらは普通の日常の中での事になっていきます。
だから日常の話なのだろうけど、やりきるのが上手いですね。
男だと無理ですね。盛り上げてしまう。だから女の人だから描けた気がします。
この漫画は、原爆の後の話だと始めの方で分かる訳です。
だから「何が起きるのだろう?」と普通の日本人は思ってしまうのです。
私は恐る恐る読んでいた気がします。原爆関係の話で、何も起きない訳が無いと思うからです。
だから読んでいる時は気が張っていたのでしょう。
そしてその後に最後のあとがきを読んでいたわけです。
そして終わったのだと分かる。気が緩むのです。気の緩みが苦しみの疑似体験からの終わりを分からせる。
今は戦時中でもなく、自分は一年後に死ぬかもしれないと思わないで生きている事を、実感できる。
だから泣けて来る。泣けて来るからなお更自分は救われている状態なのだと実感できる。
皆実は泣きも出来ず死んでいったが、自分はまだ泣く事が出来る。その事で泣けて来るのです。
「お前はまだ泣けるじゃないか」と自分自身の声が聞こえてくるのです。
この漫画は終わった後に「普通に生きてられる世界を、生きていける今の自分を実感する」物語です。
それを普通の生活の中で描く事により、皆が違う世界の事では無いと実感できる物語だったのです。
もう一度言います。「それだけの事」の大事さの話でした。
2021年 1月 5日 補足
考えたらまとまってきたので、物語の構造の事を少し補足します。
夕凪の街を読んでる時の感情は「昔話だな」です。
この漫画に限らず、戦争時やその少し後は多くの人にとって、もう昔話です。
それに東京の人からだと、どこかの国の話を見ている気持ちになります。
もちろん頭では分かっているが、感情が今は昔のおとぎ話に感じてきます。だから現実味が薄く、気持ちに響きにくい。
その後の桜の国の方は今の事を描いているが、逆にどうも当たり前な話な気がします。
内容も普通の生活で感じられそうな事の延長なので、そこまで重くは感じられない。
しかし物語上は夕凪の街と桜の国は繋がっているのだとは分かる。別の次元の話ではなく、昔の延長線上に普通の今があるのが分かる内容です。
桜の町は現在であり、広島でもなく、見える物は普通です。だから多くの現代人が物語に乗る事が出来る。少なくとも自分の生活の近くの事だと実感出来るのです。
だからこそ、そこから繋がっている夕凪の街にも現実感が出て来るのです。
これがとても面白いですね。たぶん狙ったのでは無いでしょうけど、結果として見事な作りなのです。
まとめます。
夕凪の街は実感がわかない。
重くもなく普通の葛藤位にみえる現代の物語の桜の国の方は、しかしだからこそ物語に乗れる。
桜の国から夕凪の街に繋がってるのは感じられる。
だから夕凪の街の世界が、物語が終わった後で実感してくるのです。
始めは実感の湧かなかった夕凪の街が、普通の物語に見える桜の国の後だからこそ、自分の事の様に実感できるのです。
いや、見事ですが、狙った訳ではないですよね? 狙ってたら凄すぎますね。
「この世界の片隅に」の方も、他では見られないすごさがある話でした。
これらは何なのでしょうね?
誠実に向かって現実を見て一生懸命に物語を作る。そこにあまり感情を入れない。なぜなら偏ってしまうから。こう言う風に作ると、何かが下りて来るのでしょうかね?
スピリチュアルな事ではなく、ここに何かの答えがありそうな気がします。言葉では言えないですが。
一生懸命にやると、それで結果どうであれ、人の心を動かしたりしますよね?
同じように、物語を作る姿勢や感情が、結果人の心に響く何かを生みやすい事があるのかもしれません。
奇跡に見えるが、それを生みだした原因があったりするものです。
この漫画は奇跡的に良く出来た所のある作品でした。
でも奇跡では無いのかもしれません、と言う事です。