号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

リサイクル

映画「RE:cycle of the PENGUINDRUM」前編、見ました。

ただの感想です。

後編まで含めた、ネタバレです。

 

思ったより総集編ですね。

まあ名前が「リサイクル」だし、そもそも総集編だとは言ってたので、思ったとおりではあるのですが。

しかしもっとバッサリ行くかと思っていたら、以外と素直にピンドラの必要な所を欠かさないようにした作りだったと思います。

必要な所とは、物語上の流れで大事な所、裏設定上でも大事な所、それにたぶん当時頑張った印象的だった所など、いわゆる昔のピンドラらしさを失わないようにした作りでした。

 

個人的には、そうすると尺が足りない気がしたので、バッサリ大事な所すら切ってきて、取捨選択するのかな? と思っていました。

前半を終えてみて、後半こそ切れない所が多いはずなので、これで後半収まるのかな? と心配になりますね。

 

バッサリ切らないとなると、最低限必要な所を小刻みにして入れてくる必要があります。

だから映画版はそうなっていて「これでは、新たに見た人は分から無いだろうな」とは思いました。

TV版ですら分からない人が多いので、始めてみてあれで分かる人がいたらすごい人です。そして地球上にはいない事でしょう。

 

しかしそれでも良いと思って作っているのでしょう。

大事なのは「なんとなく面白かった」位に着地できるか? です。

全てを分かる必要はないし、分からないからこそ調べて探るのです。

 

イクニさんが「時代のほうがピンドラに追いついてきた」と言ってましたが、確かにそうでしょう。

その一つが「ネット社会」です。

まずは「動画をネットで気楽にいつでも見れるのか?」が大事です。

見直せないと、ピンドラみたく難しい物語はわけが分からない。

これが映画などだったら、一本借りてくるか買うかすればいいだけなので、DVDやビデオの時代でもなんとかなる。

しかし連載のアニメだと無理です。

全てを買って持っている人の中から、あの内容を吟味する人が現れるなんて、まず無いのが現実です。

だからネット動画が流行りだしたのが、一つのきっかけでしょう。

 

さらに、ネットで、考察等を調べるにもやりやすくなりました。

ただこれは10年前でも出来たでしょうから、今だからではないのですが、もっと昔の寺山さんの時代からするとかなり進歩してます。

だからネットもない時代に、寺山さんのやってる事に気がつくのは、至難の業でしたことでしょう。

それに気が付き追っていったイクニさんが、ああ言う作風になったのは分かります。気がついたら自分でもやりたくなるでしょうね。

 

せっかくなので、ここで言っときたい事を言います。

寺山さんも「100年経てば分かる」みたいな事を言っていて、暗喩などでやってる事の説明はしなかったですね。

私が思うには「あの時代であればそれでよかった」と思っています。

亡くなった83年は、学生運動も下火になり、バブルもまだで、高度経済成長です。団塊の世代が30代後半くらいですか。それにその子ども達、第二次ベビーブームの子供達が10代前後であります。

人口も多く、若い人も多く、まだまだ増えそうだったし、経済も好調だし、しかもまだバブルではない。日本の未来はバラ色だった筈です。

あの時代だと「放っておいても次の世代が出てくる」と思うほうが自然でしょう。そしてその中から勝手にすぐれた人が出てきて、いつの日か寺山さんの後を次ぐ人も勝手に出てくる、と思ったのでしょう。

しかし現実は違います。少子高齢化です。バブル後失われた10年から20年になり30年になり、今や失われた時代の方が自然になりました。つまり失われた時代ではなく、失われた国だった訳です。

だから今や「放っておいて国が良くなる」のはもう違います。

誰かが引っ張らないと、沈んで潰れていくのが現代の日本です。

だから誰かが寺山さんのやってた事や、イクニさんのやってる事の説明をしなければいけない時代になったと、私個人は思っています。

たぶんですが、寺山さん自体が生きていたら「時代は変わった」と言って、やり方を変えてきたと思ってますが、どうでしょうか?

放っておいて成長する83年ではもう無いのを自覚して、やり方を変えて行くべきだと思います。

つまり誰かがもっとはっきり難しい物語の構造を説明して、ベースのレベルを上げて行くべき時代だと思います。

 

話は戻り、だからこそ難しく分からないピンドラの映画は、あの作りで良いのでしょう。

ネット全盛なので、皆で助け合いながら分かり合おうとするのが正解です。

そしてそれは、ピンドラの内容そのものなのです。

皆で分かり合おうと、助け合おうと言う物語なのです。

助け合いの心、ピングドラムを皆で探そう、と言う物語なのです。

 

ただもう一度言うように、それでも見終えた人が「なんとなくは面白かった」くらいは分かる必要があります。

これすら無ければ「天使のたまご」です。失敗作になります。

 

そもそも総集編とは誰の為の物語か?

それは「初めて見る人用」です。

もしくは10年たち「もう、忘れてきている人用」です。

私は数年前に初めてみて、去年また見直してしまいました。

だから私には映画は退屈でした。まあそもそも総集編とはそういう物ですね(私はただの見過ぎですけど)。

そして何処を切らずに入れてくるか? が気になってましたが、意外と素直に必要な所は入れてきてるようでしたね。

後半どうなるか? ですが、いや普通にTV版みたく終わる気がします。ちょっとは変えてくるでしょうけど。

声優のコメントなどを聞くと、まあ色々やりそうな可能性はあるのだけど、基本は同じでしょう。

 

プリンチュペンギンって、やはりプリンスなのですね。

山田玲司さんがネットで言うように、イクニさんは嘘の王子様が嫌いなのでしょう。ウテナでずっと嘘の王子様幻想と戦っているようでした。

プリンスは王子で、更にペンギンだから、ダメなやつなのは確定なのですが、そのまま「あの人」だと言う演出でしたね。生まれ変わって良かったね。

 

「きっと何者にもなれない」が名言だったのに「きっと何者かになれる」と桃果が言ってました。

桃果とは「良くも悪くも」そういう奴です。白の化身なので、良い事言うのです。それが子供を惑わす事でもね。

(白の化身も黒の化身も、どっちも人を惑わすのだから面白いですね。そしてだから白黒なペンギンが主役な物語なのです)

 

イクニさんは、10年前だと、まさか何者かになれるなんて思ってなかったのでしょう。だからこそ「何者でなくても良いじゃないか?」と思ってたのでしょう。

しかし月日とは不思議なもので、何者かになってしまいましたね。これはこれで良いことでしょうけど。

たぶん紫綬褒章でも貰えるような人になるのでしょう。

何者かになれようが、なれなかろうが、どっちにも「きっと」があるのが良いですね。

結局はこれからの未来なんて、誰にも分からないと言うことです。

 

そうだ。言い忘れてました。

実写からの始まり方でしたね。

あれは「さらざんまい」で見てるやり方なので、驚きはないです(あの映像、わざと少し手振れを含め撮ってるのでしょうね。臨場感ですね)。

しかしあまりに見慣れたサンシャイン前からだったので、ちょっと不思議な感覚でしたけど。

(関係ないけど、さらざんまいの実写のエンディングテーマ好きなんですよね。曲はスタンドバイミーです[あの有名な外国の曲は関係ないです]。曲も良いし、エンディングの絵も良いです。さらざんまいも何か中毒性があるアニメでした)

なぜ実写かと言うと、もちろん最後が実写だったから、その繋がりとして実写からスタートなのです(何言ってるか分からない人は、このブログの前の文を見て下さい)。

 

22年 5月 7日 やっぱり追加

 

言い忘れてた事が後で気が付く癖は、素人なので勘弁です。

 

上で書いたように、二本の映画にまとめると言う事は、考察がしやすいと言う事です。

 

このアニメ、一見苹果(りんご)の方が苦悩とか人間性とか書かれている様に見えます。

ヒロインっぽい陽毬は色々あったけど、二人に義理の兄や両親に囲まれ、幸せそうにも見えます。

ただ裏が分かると見え方が変わってくる良い作品です。

陽毬の置かれた状況が分かれば、彼女がヒロインなのが分かる物語です。

「世の中なんて、裏も考えないと真実なんて見えてこない」とうたう物語です。

 

ペンギンもそうです。一見可愛い丸っこく青い自分らにしか見えないペンギン。行動も可愛い。

しかし「それ本当に可愛いのか?」と伝えて来る物語です。

アルペンギンもいる事から、あれが普通でないペンギンだと気が付くべきだ、と言う物語です。

 

大人の嘘、可愛いの嘘、そして王子様の嘘。それらに気が付かせる物語です。

物事の考えの始めの一歩「目の前にある物を、嘘も本当も含めよく見ろ」と言う物語です。良いか悪いか等は、その後なのです。

それに加え、人の目線から見える問題から、社会の問題、そして地球規模の問題さえも全て繋がっているのでは無いのか? と気付かせる物語です(イクニさんがそこまで考えてたかは、今はもう謎ですが)。

テレビ版「まどマギ」みたく、神目線で頭でっかちに考えよう、ではなく、大きな問題の始まりは、全て「人目線の問題」からだと気が付かせる優れた話なのです。

 

裏にある一本筋が通ったカラーに対する暗喩を抜きにしても、この物語としての裏の部分が良く出来た物語であり、つまり普通の物語として優れた物語です。

この優れた物語を埋もらせない様に、その大事な所をあらためて見て考えてほしいが為に、今回の映画化があったのでは無いのか? と思います。

物語自体の良さをよく見るためにも、今回の映画前後編二回にした事で考えやすくなりますので、やはり意味があったのだと思います。

 

22年 5月 8日 追加

 

ちょくちょく足して悪いのだけど、少しなのでここに足します。

 

そう言えばイクニさんがコメントで、どこを切るかとなった時、スタッフに「そこ入れるの?」と言われる事が多かった、みたいな事を言ってましたね。

これは「そのシーンに意味があると伝わって無い」のだと思いますが、そもそもイクニさんがスタッフに全ては説明しないだろうから、しょうがないのでしょう。

 

私が気になった所の一つは、久宝のシーンを切らなかった所ですね。

シーン的にエスカレーターから突き落とされるのはインパクトがあるのですが、やはりあそこはおかしいですね。なぜここだけ暴力的に突き落とす?

やはり前に私が言った久宝の声優にかかっているのかな? と思えました。

 

私が意外だったのは、鯉の生き血をとるシーンが残った事です。

どうも宮沢賢治結核なので体調が悪く、鯉の生き血を親族が飲ませようとしたが断ったようです。ここにもかかっているのでしょう。

あとは「誰かの犠牲でもっと大事な誰かを助ける」事を象徴するシーンとして残したのかな? と思います。

 

実は気になったのはこの位です。

あとは色んな意味で必要なシーンだろうし、まあ分る所ですね。

ただ皆さんも考えてみて下さい。残されたシーンがイクニさんにとって意味があるシーンだと言う事だからです。

 

残したシーンではなく、新たに足されたシーンですが、私には冗長に感じられました。

ただ、あのような良く分からない作りの物語には、いらなそうなシーンが必要ですね。

ちょっと少し止まり客が考えて頭でまとめる「間」が必要ですからね。

オープニングも少しずつ慣れさせるために助走が必要だし、始めはあの位ゆっくり入って行く方が初めて見る人には正解かもしれません。

 

など、頭では分かるのだけど「知ってしまうと始めてみる人の感覚はもう分からないな」と強く認識しました。

だからもちろん全て知っているイクニさんが、初めて見る人にもそれなりに納得がいく様に調整するのは難しいだろうな、とは強く感じました。

結果上手く行ったかは、始めてみる人らに直接感想を聞く位しかないですね。

さて、どうだったのでしょうね?