号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

バカと無知 1(前置き)

橘玲の書籍「バカと無知」読みました。

個人的な感想を書きます。

 

説明、解説はしません。

なので、あくまでこの本を持っている人しか、分からない書き方になると思います。

値段も高くもないし、面白いので読んでみた方が良いと思います。

 

ネットで岡田斗司夫さんが褒めていたので、読もうと思いました。

ただ、ちょっとなめてました。参考くらいにはなるだろうと思っていたのです。

読んでみると、思ったよりずっといい本です。

 

 

前置きとして、まず始めに、大雑把に良かった点や、気にになった点を書いておきます。

 

文が平易で分かりやすい。

頭が悪い人ほど、人に何かを伝えるのに難しい言葉を使いがちです。

一般書なのだから、一般人が分かる文でなければならず、しかも読みやすくなければならない。それが分かっている、良く出来た本でした。

元が連載だからか、一つのネタの文が短く、だから読みやすいし分かりやすいですね。

 

読みやすいと言う事は、伝わりやすいと言う事です。

伝わるだけで、価値があるのです。

どんな為になる事でも、伝わらなければ0点であり、無いのと同じだからです。

伝わりやすさの価値が分かってない人が多すぎます。

 

あえて難しい言い方をする人は、なぜそうなのか? と言うと、偉そうに自分を装いたいのでしょう。

この本の内容通り、それでマウントを取って、良い思いがしたいからです。

つまり、頭のいい人には、下らない人間だと言うのが言い方自体でまずバレる事が、分かってないバカな人です。

 

(ちなみにこの本は、論文を引用してて、その実験内容の事は分かりずらいです。ただそこは最低限言っておく程度の作りなのでしょう。一般書とみたら、その作りも正解だと思います)

 

次に、ちゃんと元になる論文を引用している。

ひろゆきさんが「それはあなたの感想ですね」と言うのが通るのは「その立場の人が、その状態で感想を言うな」と言う事だからです。

極端な例で言うと、医者に行き、座って、ちょっと見ただけで「うーん、ガンっぽいね。ガンって事にしておこう」と言われたら「ちゃんと調べろよ」と思うでしょ? つまり、その立場の人が、その状態で、感想を言うのはおかしい時があるのです。

プロであり、調べられる物なら、調べて論文とか見せ、理由を説明するべきでしょう。

それが無く、感想を急に言い出すから「それってあなたの感想ですよね?」って事になるのです。

 

でも感想が良い時もあります。

コロナの初め頃、ワクチンをよく知る人が「たぶん、この位の期間で出来るだろう」と言ってましたが、あれは「今までにない事例で、調べようがないので、感想を言っても良い時だ」と言う事です。

あれが、「たぶん」と言う感想だからと言って「それって、あなたの感想ですよね?」とは言わない所に、ひろゆきさんの正しさがあったのですが、気が付いたでしょうか?

つまり、感想を言っていいかは「立場と状態で変わる」と言う事なのは、理解しておきましょう。

 

ちなみに、この本は論文を参照してますが、その論文自体と、そこに書いてある実験自体は、必ずあってるわけでは無いので、それは注意です。

人に対する実験など、その時の状態で変わるのだから、最後は自分でやらないと、分からないと言う事です。

 

しかも、これらの実験の数値は、結構誤魔化せるものです。

実験者の思惑があり、正直者では無い人もいるので注意です。

例えば「飛行機から飛び降りた人の生存率は、90パーセントを超える」と言うのを聞いて、正しいと思えますか?

答えは正しいのです。

飛行機から飛び降りる人の多くは、止まってる飛行機から飛び降りるからです。

他にも、スカイダイビングの人なども含まれる事でしょう。

つまり、単純に全ての飛び降りた人の数を数えれば、死んだ人を探す方が難しいのです。

でも、これは想像したのとは違いますよね? だから言葉で誤魔化しがきくので注意だと言う事です。

 

ただ、そうは言っても、論文を参照している方が、まだ可能性が高いのは事実なので、プロは論文などの元ネタを伝えれるようにしとくべきですね。

 

さらにちなみに、私事で何ですが、私は感想ばかり言ってます。

裏を取ってないし、論文も見て無い。ただの感想です。

では、それに意味があるのか? 私は意味があると思ってるから言ってるのですが、これすら私のただの感想なので、意味の無い言葉です。

 

物事は、大体始め、誰かが、状況証拠から「仮定」を言う必要があります。

「この状況から、殺人事件だろう」とか「どうも、地球の方が回っていると思うと、全ての問題が上手く説明できそうだ」(地動説)とかの事です。

それがあるから、「じゃあ、そうだとしたら、どうなのか?」探る事が出来るので、まず仮定が必要だと思うのです。

この「状況からの仮定」をやっているのが私だと思って下さい。

だから信用するのではなく、あくまで自分で考える叩き台としてとらえることが、大事なのです。

 

この「仮定」でも、意味が無い、当たらなそうな仮定ばかり言う人もいるでしょう。そう言う仮定は聞くだけ無駄です。

もう一度言いますが、私は、私の文を「聞くに値する仮定」だと思っているから、書いてます。そしてまたもう一回言うけど、これもまた、ただの私の感想です。

後は単純に自分で決めるだけです。意味が無いと思えば読まなければいいだけです。

そして、意味があると思った方も、あくまで参考や叩き台として、読むのが正解です。

 

 

橘さんの話に戻りますが、この人の良い所は「人間とは、それが生きるのに適したように進化(変化)して来たので、その適した元が分かれば、そうなっている理由が分かる」と言うのを、分かっている所ですね。

まさにそうで、人とは言葉がしゃべれない時にもう遺伝子的には出来上がっているのだから、人の本能など、動物だった頃に利益がある様に出来ただけです。

動物の頃の本能を考える事で、感情などの理由が分かり、理由が分かれば対処法が分かると言う事です。

これが、人を理解する為には、とても大事です。

(この考えが、どうも少ないのが岡田斗司夫さんであり、だからこの分野では残念なことを言いがちです。早く大事な所に気が付いてほしいです)

 

ここで(前にも言った)例を言いますが、この例もまた、私の「仮定」でしかないので注意して下さい。

なぜ人は笑うのか? たぶん「緊張の緩和」の時に人は笑うのです。しかも予期しない緩和の時だけです。

サッカーのPK戦でゴールが決まっても、予期してる事だから笑いはしない。緊張の緩和なのにです。

知らない槍を持った男が部落に近づいてきて、それがよく見たら、隣の部落に嫁いだ妹の、大きくなった子供だと分かれば、笑うのです。これも緊張の、予期せぬ、緩和です。

緊張は危ない状態であり、エネルギーも時間も使います。

だからそれが解けた時には、声に出して「大丈夫だ」と部族に伝える必要があったのでしょう。まだ声がしゃべれない時の人間にとってです。

だから私は、笑いと言う物が出来たのだと思っています。

これがあってると仮定したら、人間の進化の過程で必要だったから、そうなっていると言う事であり、そこから笑いの機能もまた分かると言う事です。

 

などなど、この橘さんの本は、とても参考になります。

だから読みましょう。

 

そう言えば、ネットで感想を見ていると、この本の言い方でも気に入らない人がいるようです。

私はもっと酷い言い方をするので、参考になりませんが、この本の「馬鹿と言う所などの言い方」で、聞いてられない人はどうやって生きて行くのだろう? と思います。

よほど幸せな、素晴らしい口調だけの人達に囲まれた人生だっただろうから、それはよかったね、とは思いますが、雑な中流階級以下の世界では、生きてはいけないでしょう。

この本位で文句を言う人は、パンがなければお菓子を食べて生きて行けるのだろうから、こんな本など読まずに舞踏会に行く時の衣装でも考えておいた方がいいでしょう。

言葉使いの分岐点はどこか? と言うと、多くの人が「まあいいか」と思えれば、それは正解でしょう。この本は正解だと思います。

 

私の方の文はもっと酷いです。でも止める気はありません。

これ位じゃないと、気が付かないし、心にも残らないと思うからです。

それに、ただで書いている素人文なので、見たくない人は見なければいいからです。

ちなみに、個人的に直接人に対し「馬鹿だ」とは私は言いません。例え絶対的な弱い者に対してもです。それは意味が違う。その程度はわきまえてます。

あくまで、どれが馬鹿な行為か理解して、直していこう、と言う事であり、直接攻撃になってはいけないのは、分かっていると言う事です。

世間が「その行為は馬鹿だ」と強く言いだした時も、私は言いません。

その時は、たぶんですが、擁護します。良い所を探します。

これはバランスです。馬鹿な行為を誰も馬鹿だと言わないのは、世の為にならないが、皆が知っている馬鹿な行為に乗っかって行っても、意味がないし、その中の良さが伝わって無ければそれを言う必要があると言う事です。

 

では、この本「バカと無知」の内容みたく、マウント取っていい気になってはいないのか? と言うと、いや、その気持ちもあるのでしょう。だから気を付けようと思います。

 

そして前に言いましたが「じゃあ自分は馬鹿な行為はしないのか?」と言うと、します。だから他人が劣っている人だ、と言う話ではなく、そのワンポイントは劣っているし馬鹿だ、と言う事です。

自分自身の事でも、馬鹿な行為は馬鹿だと認め、今後はやらないようにしていく事が大事なのです。

子供から大人になるのだから、皆始めは馬鹿であり、そこから直していく事をしていくのが、人生だと言う事です。

 

では「自分が馬鹿だと言われたら頭にこないのか?」と言うと、頭に来ます。それがあっていてもです。

しかし、他人のその行動を止めようとはしません。どこかに指摘する人がいて、それが頭に来ても、それが世の中には必要だと思うからです。

 

ただ馬鹿だと言う時も、個人攻撃になってはいけない。

だから私は、個人のブログやSNSに、直接コメントはしません。あくまでこのブログのように、その本人がいない所で、文句を言ってるだけです。

なので、その本人自体にも、文句を言っている訳でもない。その個人のほとんどは、見てもいないでしょう。

あくまで、その他の人に、あの人のあの行為は馬鹿なので、みんなはやらないようにしましょう、と言う事なだけです。

そう言うと「直接、面と向かって言え!」と言い出す人がいますが、それは意味が違うと分かってない馬鹿の言葉です。

知っている人に対し、つまり、その人に対し自分の力が大きい時は、直接言うのも良いでしょう(知ってる人でなくても自分が有名人であるとか、力がある時もです)。

しかし知りもしない人が、他人のSNSなどで直接その人に文句を言っている人って、友達にはなれない人ですね。感情も影響も分からない、人として信用できない人なので、係わらない方がいい人です。

 

 

さて、前置きが長くなりすぎて、本文にも届いてないです。

次からは、内容の感想を、書いていきます。