書籍「バカと無知」感想、3回目です。
4 キャンセルカルチャーと言う快感
東京五輪の担当ミュージシャンが過去のイジメを理由に辞任、演出家が過去にホロコーストをギャグにした事により解任、出演俳優が過去に障がい者を揶揄したコントをしていた事に対して辞任、の事に関する事が書かれている回です。
つまり、公的な地位からキャンセル(辞任)を求められる、キャンセルカルチャーが欧米や日本で流行っている事に付いてです。
この問題について書いて行きますが、これが難しい。
マルかバツかとか、白か黒かと言う二元論では説明できず、「度合い」の話になるので、説明が難しいのです。
「度合い」とは「質」の話ではなく、「量」の問題だと言う事です。
夕焼けから、暗くなる前の、赤が少しあり、暗い青にも見え、写真で見ると黒とも言える空の色を説明するが如くです。つまりグラデーションであるし、微妙な色なので、言葉で説明するが難しい事もある、と言う事です。
まず分かりやすい事から話していきます。
この本で言いたい事は「正義に即した必要な発言だと思っているが、実はただ自分が快感だから行っている行為、言っている発言、がある」と言う事です。
公的で高い地位がある人が、その地位を降ろされる時の、主に多くの一般人の意見の事です。
前回言った様に、人は自分にも嘘を付けるし、自分を誤魔化せるので、ただ楽しいからやっているだけのものがあるから、注意が必要だと言う事です。
例え快感であっても、正義なのだから、なぜ注意が必要なのか?
それは、やり過ぎるからです。
つまり必要以上の行動や発言をしてしまうのです。
なぜが? 行為や発言自体が、自体にとって快感だからです。
でもこの事を言うと、発言している人は言い訳をしてきます。
「いや、本当に必要だと思ってやっている。世の中の為だと思って言っている」などと言うのです。
もう一度言うけど、「人は自分自身にも嘘を言える」ので、例え本当でも、この言葉はあてにならないのです。
ここで言っていた、過去のイジメ問題を声高に騒いでいる人達に聞いてみればいい。まず間違いなく誤魔化そうとします。
少しまともな人は「確かに自分が気持ちがいいからと言うのもあるだろうが、それが正しい行為なのだから、何か問題があるのか?」と言う事でしょう。
でも、ほぼ、嘘なのです。
そんなにイジメ問題が大事だと言うのなら、他にどんな行動をしているのか? もしくは、して来たのか? を聞いてみればいい。
大事だと言うのなら、今まで何をして来たのか?
ほとんどの国民が、このミュージシャンがやったイジメなど、日本中で数えきれないほどある事は知っています。
イジメは学校でも数多くあるし、会社などの実社会でも数多くあります。問題はその事を、「全国民が知っている」と言う事です。
イジメなど、数多くある事を知っていて、それを毎日無視して生きているのが、ほとんどの人達なのです(私もですが)。
この昔々のイジメ問題を叩く力を、ほんの少しでも現在のイジメ問題に注げる人が、どれだけいるのか?
北海道のイジメから人が死んだ事件がありましたが、誰も捕まってない。あの事件は無視ですか? もう忘れたのでしょうか?
子供を殴ったりして殺した事件が後を絶たないですが、無視ですか?
いや私も何もしてないのだから、私は言えた義理は無いのですが、ミュージシャンのイジメ問題に意見を言う人は、さぞイジメ問題を気にしているのだから、これらの「もっと、ずっと酷いイジメには、かなりの時間と力を使った筈」ですよね?
では、実際どうだったのか?
さっき言った様に、世の中にはイジメが溢れかえっています。
それを皆知っている。
なら「イジメ問題など他に沢山ある、それを解決する方が大事だ」と、一回でもSNSで言ったのでしょうか?
もしそうでないのなら、その人は、ただ快感だから、この昔々のイジメ問題に乗っかって騒いでいた、卑しい人でしかないのです。
前の文で言った様に、人は自分が危なくない所(つまり目立たない場所)から、偉い人を引き釣り降ろすのが、快感なのです。
それが分かれば、この人らのやり過ぎた行為が説明できますね(ここをまとめているのが、この本の優れた所です)。
さて、ではどうすれば良いのか? 私の意見を書きますが、これもまたまずは、分かりやすい所から書いて行きます。
つまり、このイジメ問題ではなく、その他の良くある「障碍者や人種を馬鹿にする言葉を言った」とか「馬鹿にする行為をした」等の事です。
この方が沢山ある事でしょう。
この本でも、人種などの差別の言葉を言ったから、立場を追われた人の事を言ってましたが、イジメなどよりは、その方が降ろされた理由は多い筈です。
物事には罰が必要です。しかしレベルがある。
そもそも罰の前に「注意」があるのが普通です。それでも止めない時、または始めから酷い時には、罰を受けるのです。
なので「差別する言動」に対しては、まず「注意」するだけで良い。
それで、「間違ってました。悪かったです」と認めれば、それで終わりにするべきなのです。それで立場を降ろす必要はない。
でも「言葉だけだろ。どうとでも言える」と言う人がいるでしょう。そうです。言葉だけだが、それでいいのです。
大事なのは「世の中に、その言動や行為は許されない」と知らしめる事だからです。
人が心の中でどう思っていようが関係がない。知りようが無いからです。
人を殺したいと何十年も思って生きていても、殺さなければ犯罪者ではない。逆にとっさに十秒殺したいと思い、人を殺せば犯罪者なのです。
だから、言葉などは、「謝罪の言葉」位で許せばいいのです。
心では反省して無く、それがまた「差別の行為」として出て来た時に、また罰が与えられれば良いだけです。
しかし、何でも限度がある事は言っておきます。
「あの人種は嫌いだ」なら良いけど「あの人種を皆殺しにしろ」はダメです。捕まえた方が良い人です。
それに「あの人種は嫌いだ」と数回言った人は良いけど、一年で365回言っている人もダメです。その人は危ないから、確かに立場を追われてもしょうがない。
「限度」とは、これも「度合い」であり、だから「量」の問題です。
だから線引きが難しい事は、言っておきます。
さてイジメ問題の方です。これが難しい。
「言葉くらいなら、謝れば良い」と言いましたが、では「取り返しのつかない事」ではどうでしょうか?
殺人、レイプ、長い期間の誘拐などの事です。
「あの人は捕まり、刑期も終え出所した後だから、もう不問にするべきだ」と言えますか?
ひどい事件でも、死刑にならなければ、10年から20年で出てきます。
その出来てきた人を、公的な地位に居る事を認める事が出来るのか?
私は出来ません。長い時間かけて子供を虐待死させた人を、公的な地位にするのなら、SNSで文句などやった事も無い私でも、文句を書き込みます。
ではそれは、差別なのか?
ただの私の意見ですが、日本の法律は、社会的な制裁を前提に出来ている気がするのです。
現に「社会的制裁も受けているので、刑期はこの位」と裁判でも言う事があったと思うので、あっていると思います。
人を殺して、殺された人は人生がもう無いのに、10年から20年で出て来るのも(言ってはないけど)社会的な制裁を含めた判決だと思うのです。
出てきても、社会的な地位も仕事もなく、近しい者に頼りたいだろうが、近しいものほど事件を知っていて、距離を置く事でしょう。
その受ける社会的な制裁があるから、殺しても出て来るのだと思っています。
なので、(ある程度)の差別はしょうがない。
仕事で、普通なら採用だが、人殺しているから不採用、となったとして、誰を攻めると言うのだろう?
ただ、「ある程度の」と言うように、限度がある。石を投げられてはいけないでしょう。
これは、良くも悪くも、あいまいな日本の特徴でしょう(外国でどうなってるかは分かりませんが)。
法律は完璧では無いのだから、最後を社会に任せてしまうこのやり方が、全て間違っているとは思っていません。
ただ曖昧過ぎるので、制裁が大きい人と、小さい人が出来、それが不平等を生みます。
(結局、法律とは、社会を上手く回す為のルールです。正義を決めるのではない。曖昧でも、それで上手く回っている時はそれでいいのです。あくまで、上手く回っている前提ですけど)
もし、このあいまいな「社会的な制裁」を含まれないとするのなら、もっと刑を重くするべきだと思っています。
だからアメリカでは。刑期100年とか平気ででますね。不安定な社会的制裁などあてにしないと、そうなるのでしょう。
私個人は、日本とアメリカ、どちらのやり方が良いかは分からない。
ただ、重犯罪の厳罰化の何がいけないのか? は分かりません。
軽犯罪には緩さを残し、犯罪者の可能性を残すのもいい。
しかし確信的な行為をした、明らかな重犯罪者を、世の中に戻す理由が分かりません。
なので、個人的には重犯罪の罪は軽すぎると思っています。
さて、話は戻り、イジメ問題です。
イジメは微妙です。取り返しが付くとも言えるし、付かないとも言える。内容によると言う事です。これはまた量の問題なので、難しい。
イジメの内容から、取り返しが付かない(イジメられた人の人生が狂う)物だと、社会的制裁を受けるのは当然だと言えます。
では、あのミュージシャンの時はどうだったのか? それは分からない。イジメにあった人に聞くしかないですね(これも完璧ではないけど、それ以外ないと言う事です)。
あの時もそうで、イジメられた人の事よりも、イジメたミュージシャンの事ばかり、世の中は気にしてましたね。どっちが大事なのでしょうね?
この事からも、世の中はイジメた有名なミュージシャンが大事だったのです。彼を落とす事が目的だからです。イジメられた人など、ほとんど気にして無い。
イジメは世界中どこでもあります。
つまり本能に刷り込まれている言う事です。
本能とは完璧ではない。
何度も言ってるけど、本能のまま、油物や甘い物を食べたら糖尿になり、肥満になり、体を壊します。
それらを腹いっぱい食べたいと思うのは、そう思っても食べれない時代に出来た本能だからです。
イジメもそうです。
昔は、弱い者を排除する事が、村全体としたら正しい事だったのでしょう。
それは、弱い人も含めた全ての人が、生きられる様な状態じゃ無かったからです。
しかし、この本能は、今やいらない物です。必要が無いのです。
弱い者だって生きられる、食べ物も家も用意できるからです。
つまり本能のままに生きれば、イジメは無くならない。
なのでイジメは、今現在の社会には適応してない本能だと「頭」で理解する必要があるのです。
それは糖尿や肥満にならないように気を付ける事と同じです。
では、頭で考える事が出来ているのか?
まだ世の中は、イジメと言う言葉を使います。イジメの行為のほとんどは、ただの犯罪行為なのにです。
特に学生同士の犯罪行為はイジメと呼び、なぜか犯罪じゃない様な扱いです。
それはなぜか?
本能的に「イジメは必要」だと思っているからです。だから誤魔化そうとする。
しかしそれは「馬鹿」なのです。毎日甘い物しか食べない行為と同じくらい馬鹿な、本能のままの行為です。
馬鹿とは「頭で理解してない」と言う事です。
犯罪行為をイジメと呼び、誤魔化そうとしているこの国は馬鹿丸出しなのだと、理解する事が必要なのです。
大事なので、もう一回言っておきます。
この国は学生の犯罪行為をイジメと呼び、本気で防ごうとしない(イジメた方を転校させるとか、フランスでするようになるようです)。
しかも、イジメ行為など、あちらこちらに普通にある事を、国民全員が知っている。
それらを無視しておいて、ミュージシャンの昔々のイジメに強く反応する。
これが「快感でやっている」でなくて、何だと言うのでしょう?
本当に正義なのか? 行き過ぎて無いのか? 必要なのか?
それは本能なのか? 本能だとして、今必要な本能なのか?
それらを「頭」で考え、理解しようとしないと、何も見えてなど来ない。
この事を理解しておきましょう。
と言う回でした。
さて、また長くなったので、今回は終わります。
まだ4ですが、今回は長くなるのはしょうがない。
それほど大事な回だった、と言う事です。