号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

バカと無知 4

書籍「バカと無知」感想続きです。

 

5 バカは自分がバカであることに気が付いてない

 

この本の表題に係る所であり、一番面白いあたりです。

 

アメリカの大学での実験内容について書いてあります。

論理的推論能力テストで、下位4分の1の学生の平均が12点だったのに、自己評価では68点だった。

逆に上位4分の1の学生のテストの平均は86点だったが、自己評価では74点だった。

(分かりづらいけど、たぶん、テストの点は点数そのままであり、自己評価の方は50が平均で、0から100での間の自分の立ち位置の事。つまり自分の取れただろう実際の点数の予想とは違う。しかし実際の点数と自己評価が大体合う様なテストにしてあるようなので、大雑把に言うと同じだと見ても、雰囲気はあっています)

 

つまり自己評価は50が平均なので、下位の学生は本当は下位なのに「平均より少し上だ」と、大きく勘違いしている。

上位の学生は、自分が平均よりずっと上なのは理解しているが、実際はもっと上だと言う事は理解してない。つまり下位の学生より勘違いは少ないが、実際より悪く自己評価をしている。

 

そして点数を伏せた(当たり外れも伏せた)、他人の答案用紙を彼らに見せたようです。

その後、点数が高い人は、自己採点を少し上げたようです(元が72点だったのが、77点に上げた)。

他人が思ったより出来て無い事が、他人の答案用紙から読み取れたからでしょう。

 

点数が低い人はどうなったかと言うと、自己評価を下げる結果にはなったが、それでも63点を付けたようです(見せる前の評価は67点)。

つまり、まだ平均より上だと思っていると言う事です。

これは他人の答案用紙を見ても、それがあっているかどうかが分からなかったので、自己採点がまだあまいと言う事です。

 

これは当たり前であり、点数が悪い人は答えが分からない。

だから他人の答案用紙を見ても、あってるかどうかが分からない。

だから自分の点数が他人より低い事が、答案用紙からでは理解する事は出来ない。

と言う事ですね。

 

ここで面白いのは「バカは自己評価が高い」と言う事です。

バカで自己評価が低いと何もできないので、高くなるのが人の本能なのだと、私は思うのです。

自分は出来る、と言う思い込みすらなければ、何も出来ずただ滅んでいただろうから、それでも生き残っているバカの子孫は、行動力はあった筈なのです。

 

バカと言うのが、遺伝的なバカと言う事だけではなく、ただ教育される状態になかっただけのバカも含まれます。

その運が悪かったバカも子孫を残しているので、行動力はあった筈なのです。

つまりバカだろうが何だろうが、残ってるのは行動力はあった子孫で、そうなるとバカは関係がなく、残っている我らはみな、多かれ少なかれ「自己評価が高くなる」生き物だと言う事でしょう。

中二病と呼ばれる物に人がなりがちなのも「全ての人が、自己評価が高くなる生き物だ」と言う表れなのかもしれません。

つまり、物を知っていようが知らなかろうが、基本として「自分は平均よりは上だ」と思う生物なのでしょう。

 

 

本には書いてないのですが、自己評価が高い理由の一つとして「優れた者を知らない」と言うのがあります。

「人は、狭い世界で生きてます」これが大事です。

一か月間で、会って世間話くらいする人って、どの位いますか?

たぶんあまりいない。数十人いれば多い方でしょう。数人でも驚きません。ましてや百人を超える人はまれでしょう。

 

昔、トランプが勝った大統領選挙の時、テレビを見ていて、お笑い芸人のパックンマックンのパックンが謝っていたのが印象深かったです。

パックンはハーバード大学出身のアメリカ人です。

彼は「トランプは絶対に勝たない」と言っていたようです。しかしトランプが勝ちましたね。だから謝ったのでしょう。

その時「周りでトランプを押す人が誰もいなかった。親も友達も」みたいな事を言ってました。これが象徴的だったので、よく覚えています。

パックンの親や友達などすべて合わせても、100人も行かない事でしょう。

そのせいぜい100人を見て大統領選挙を占ったのだから、外れる訳です。

ただ彼はハーバードだし、テレビにも出てるし、つまり世間の情報をよく知っている。本も沢山読んできたことでしょう。テレビも見てる筈です。

つまり、情報を一般的な人より多く取り入れて生きている人だと思うのです。

だからこそ、周りにいた人で判断した事が、ただのバカな行為で片付かない。

周りの反応で今までは色々な答えが合っていたからこそ、今回もそう思ったのでしょう。

今回間違えたのは、家柄などで大きく意見が違う問題だったから、間違えたのです。

つまり、今回は、あまりない事例だった、と言う事です。

 

パックンは白人ですね。それでハーバードです。

ただWikiによると、どうも苦労したようです。だからステレオタイプでは判断できませんが、そうは言っても今の周りにいる人達って言うのは、どういう人なのでしょうか?

周りにヒスパニック系や黒人が多くいるのか? 今も貧しい人達が周りにが多くいるのか? 違う気がするのです。

さっき言った様に苦労もしてるので、もしかしたら金持ちだけと付き合っている訳では無いとしても、犯罪すれすれの人達とは付き合ったりはしないでしょう。

どうしても付き合う人は、白人系が多くなるのでは無いのかな?

別に差別意識がなくてもそうなりがちです。四人組の友達で街を追歩いている人で、白人、黒人、ヒスパニック系、アジア人の四人組を見る事は、あまりないかと思うのです。

それに金銭的にも同じ人達とつるみます。これは日本人でも大体そうですね。

話す事も、実生活でも、金銭感覚が大きく違う人とは、価値観が違い過ぎて上手く行かないのは、皆さんでも分かると思います。

ハーバードだし、同じ学校の友達も多いのじゃ無いのかな? もしくは有名大学出身者です。これも話す事が通じないから、どうしても同じ様な学がある人を選びがちですね。

こっちもそうですが、相手も人を選ぶので、同じ様な学があり金銭感覚も同じ人を選ぶ事が多く、どうしても残る人が同じ世な人になりやすい。

住んでいる所もそうです。平均的な所に住んでいたとしても、普通スラム街で住む人とは距離を置きます。

多くの人にとっては、距離も大事です。友達でも外国に住んでいる人は数年合わないこともざらであり、だから影響力は少なくなる。

大体近所に住んでいる、少なくとも数時間で行ける所にいる人の影響が大きいのです。

等々、人は、お金や学歴や人種や、もちろん言葉や住んでいる距離や、宗教や年齢や性別など、かなり偏った、自分と同じような人達とつるむのです。

そう言うかなり偏った世界で生きてるのが人であり、その中のせいぜい100人が自分に影響が強い人でしかない。

 

だから人は狭い世界で生きている事を、理解する事が大事です。

しかも、これらの影響が大きいものほど、気を付けるべきです。

大統領選挙でトランプが勝った時には、これらの立場により差が多きかったようです。

トランプに投票する人が、立場によって偏っていたと言う事です。

だからパックンは気を付けるべきでした。自分の住んでいる世界がどういう世界であり、それが今回の問題だと影響が大きいのかどうか? 頭で考えるべきでしたね。

 

さて、話は戻ります。

「自己採点は高くなる」と言う問題でした。

人は狭い世界で生きてます。その中で同じ学歴や情報能力を持った人と接しがちなのです。

だから自分の周りで言ったら「自分は平均的より少し上だ」と思うのでしょう。

そもそも、自分と同じような人達とつるんでいるのだから、そうなるのは当然なのです。

しかも人は、自分より優れている人といると不安です。この本でも言ってますね。

だから、出来れば自分より下の者とつるみたいのです。

せめて、いつもいる人は、自分より下の方がいい。

なので、自分より上の人は、近くにいたとしても、段々距離を置くのです。

結果、自分の狭い世界では、いつも「自分は少し平均より上」になるようにしてしまうのです。

 

中二病の中二は、中二の友達としかしゃべりません。

親や年上の兄弟とは、真剣にしゃべらない。説教されるからです。

だから周りも中二病しかいないので、自分は優れていると思うのでしょう。ただ世間を知らないだけなのにです。

 

と言う事からも、人は自己採点が高くなりがちなのは、間違っていない。実際自分より少し下の人とつるむのが、多くなるからです。

つまり仲間内では、多くの場合、みな相手は自分より下だと思っているふしがある。

相手も同じなのだから、相手は相手で他人を下だと思っている。

母親を馬鹿にする息子は多いが、母親は息子を「未熟な子供だ」と思っている物です。

つまり、自己採点はただの勘違いなので、気を付けましょう。

 

 

おまけとして、感覚と言うのが当てにならない、と言う話をしときます。

有名な確率の問題があります。

 

三つの箱があり、一つに当たりが入っているとします。

司会者がいて、その人はどこに当たりが入っているか知っている。

箱は、A B C と表し、一つを選びます。

例えば、Aを選んだとする。

すると司会者が「必ず」ヒントをくれるとします。

BかCか、どちらかの箱の中を見せてくれる。例えばBの中を見せたとする。

「これには何も入ってません(つまりハズレ)。今選んだAのままにするか? もしくは残ったCに変えてもかまいませんが、どうしますか?」

と言ってきたとした時、Aのままにするか? それともCに乗り換えるか?

と言う問題です。

 

感覚では「確率だと、同じだろ」と思いせんか?

しかし実際はCに乗り換えた方が、確率があがるのです。

人の感覚とはあてにならない時があるので、あてにならない時がどうかを、よく考えろと言う話です(パックンの時は考えるべき時でしたね)。

(逆に、感覚で良い時や、感覚の方が良い時すらありますので、時々だと言う事です。例えばパット見で胡散臭い人は、実際に胡散臭い時が多いなどです)

 

さっきの箱の問題で言うと、「必ずヒントをくれる」と言う所がミソです。

司会者が外す為に、ヒントをくれたりしなかったりするのなら、話は別だとは言っておきます。

 

(答えで言うとAを選び当たる確率は三分の一です。つまり残りBかC両方合わせれば三分の二の確率で当たりが入っている。そのBかCのどちらかのハズレを司会者が必ず見せてくれると言うのなら、始めにBCに当たりが入っていれば、そちらを選べば必ず当たると言う事です。

Aなら三分の一であり、BかCのどちらか司会者がハズレを見せたのと違う方を選べば三分の二で当たるのだから、Aから乗り換えた方が確率が上がると言う事です)

 

 

6 「知らな事を知らない」という二重の呪い

 

まずこの話の前に、前回に関係する事を、この回の最後に言っていたので、その事を先に書きます。

 

「低い者が自分を過大評価する一方、認知能力が高い者ほど過小評価する」と書いてあります。

それで「優れた者は偉い者に目を付けられるので、そうならないように気を付けるからだ」みたいな事が書いてあります。

これは、無い訳では無いだろうけど、ちょっと本能と言うには弱い気がしています。

 

これも前回言ったのと同じで、「自分と似たような人達とつるむ」のが人なのだから、優れた人達とつるむ事により「自分はそこまで大した事ではない」と思うのではないのか? と思っています。

周りが優れているから、自分の価値がそこまで高いとは思わない。

 

ただそうは言っても、優れている人でも「優れ過ぎてはいない人達」とつるむ人が多いですね。

それは「自分より優れていると不安」だと言うのは、劣っている人と同じだからです。

 

では頂点あたりにいる人はどうなのか?

それは「頂点なので、知らない情報を吸収して、さらにすごい人になる」と出来る事が分かっているので、今現在自分より優れていたとしても、その人に近づいて行くのです。科学者などでは、よくいると思います。

 

しかし、優れている人と世間に呼ばれているが、何かあったら、ある人を避けるようにいる人がいます(もめたりして、反論できないと、その人を避け始める人の事です)。

その人は優れてはいないのです。勘違いしてはいけない。

少なくとも、ある分野では優れていなくて、だからその分野では勝てないばかりか、吸収も出来ないから、その人自分より優れた人を避けているのです。

 

そのようにして、自分より優れた人を避ける人で、自分が優れて無い事を誤魔化す人は、「話す価値もな人だ」と言い訳をします。

これは、本当にそう言う人もいるので、上手い言い訳です。

実際どうなのかは、結局は外側から勝手に人それぞれが判断するだけです。

話す価値がある人だと思うのに、それを避けている人は、逃げているのです。

「その人から」と言うより「自分が分からない事を認める」事から、逃げているのです。

 

自分で「世のなかの事など、知らないことだらけだ」と思える様になれば、少しは世の中の事が分かって来た証拠である、と言う事は前にも何度か言ってます。

分からない事、知らない事、出来ない事、それらを認める事が出来なければ、それを学ぶ事も出来ないのです。

たまにいる、学ぶ事を諦め、ただ逃げている人を見ると、いつも思うのが「あの人も、そこが限界だな」と言う事です。

逃げている人には、それ以上はないのです。

 

「バカである事を認める」事が、まず第一歩なのです。

生まれてすぐ全てを知っている人などいないのだから「バカとは全ての人の通過点」だと、気が付くべきです。

 

 

この文の表題である「知らない事を知らないと言う呪い」と言うのは、大事な文ですね。

知らない事を知らないのは、まさに呪いであり、根が深い。なぜなら知りようが無いからです。

だからこそ「知らない事が多くある」事を「前提」としなといけないと思います。じゃないと何も気が付かない。

 

 

ちょっと話が違うのですが「ある」より「無い」事を理解する方が難しい、と言う事を書きます。

例えば、ビルを爆破するとして、最後にもう一度中に人がいないか確認する、とする。

実は中に人がいたとして、それを確認するには、確率で言えばビルの半分を探れが見付ける事が出来ます。

しかし「いない」事を確認するには「必ずビル全てを見る必要がある」のです。

「ない」を確認するには「全てを知る」必要があるのです。

 

音声の自動翻訳が難しい事の一つの理由として、「そもそも人は、全てを聞き取れてない」と言うのがあると思います。

聞き取れてない所から、毎回クロスワードパズルをしているのが、人なのです。

例えば、気持ちを込めて演じて言って下さい。「いやあ、っとに、っかれったなあ」と。

それを他人に聞かせ、何と言ったから聞いてみて下さい。その人は「いやあ、本当に、疲れたなあ」と言ったと分かる筈です。

それが日本語を学び始めた外国人だとどうでしょうか? 「かれったなあ」とは何だろうか? と思う筈なのです。それで辞書を見る。「枯れたな」かな? とか思う。疲れた時にそう言う言い方があるのか? もしくはスラングか? 等と思う筈なのです。

しかし日本人は、疲れた時に「枯れたなあ」とは「言わないと知っている」のです。

これはとても多くの日本語を知っていて始めて「その言い方は無い」と分かると言う事です。

そしてそこから更に、クロスワードパズルをして、似ている事は「疲れたな」だな、と分かるのです。

これも「無い」を知るには「全て」か、もしくは「かなり多く」を知らなければならないと言う証拠です。

 

「知らない事を知る」のもそうで、かなり多くの事を知っていて、初めて知らない事が分かる事が多いのです。

だから数多くの情報が必要です。本やテレビやネットで数多く見るしかないのです。

 

野球をやっていた人には、野球選手のすごさが分かる。素人には160キロで投げる事のすごさは分かりません。

サッカーもそうで、素人ほど簡単に物事を言う。

「ああしろ、そうしろ」とよく知りもしないで言えるな、と言うコメントが多いですね。

そう言う人は、サッカーはやってたので知っているかもしれないけど、プロで、しかも監督などはしてないでしょ? なら考えましょう。

ただ、そう言う上から目線でコメントするのも含めた娯楽だとも思っているので、わきまえている人は良いと思います。

わきまえてない、ブレーキがない勘違い野郎は限度を知らないので、不快なので気を付けましょう。

自分は知らないバカだと、どこかで一度立ち止まる時も必要だと言う事です。

 

ちなみに、私は「テレビは結構良い」と思っています。

もちろん問題も多く、偏ってはいるし(ジャニーズの報道など)、間違ってもいるし、つまらないし、だから私は見て無いのですが、ただそれでも良い物だと思っています。

少なくとも「世間的な一般常識」を得る事は出来ます。

問題は多いが、それでもよく知らない雑誌やネットよりは、信用が出来る情報が載っています。

テレビは影響が大きいので、テレビで言った事が常識になっている、と言う面もあるのですが、どっちであっても、最低限の常識はテレビで得られるのです。

今の子供は、テレビも見ないでネットを見る。そうすると選べてしまう。

だとしたら、多くの知りたくもない常識を得ることが難しくなります。

なので、個人的には将来がちょっと不安です。

 

昔は「テレビばっかり見て」と怒られる物でした。

しかしテレビすら見て無い人が常識がないのです。これはヤンキーでもそうですが、いい大学を出た人でもそうです。

最低限な下々の人々の一般常識を学んでこなかった人がいるのです。

彼らの方が、私には危ない人に見えますけどね。

テレビには多くの情報がある。多くが見ているから、それが常識なのです。

多方面の、多くの情報が、知らない事を知る手掛かりになるのです。

だから、実は、若い人ほどテレビを見ましょう。

(テレビの常識が間違っている事もあるし、操作されている事もある事を、もう一度言っておきます。しかし「全ては信用はするな」と言うのは、テレビだけではなく、全ての情報について回る事なので、注意です)

 

 

さて今回も長くなったので、終わります。

この辺の事は、本当に面白いですね。